「水晶の向こう側」 (第12話 後)
第12話 「3月・・・ガーター・ブルー」(後)
26 1か月後 マーメイドホテル
5月の連休のある日。ホテル内の花嫁控室で、藍が仕度をしていた。自作のウェディング
ドレス、マーメイドタイプの白いドレスに身を包んでいる。
「藍お姉ちゃん、きれいよ。さすが、私の姉さん」
仕度のサポートをしていた燈子が歓声を上げる。
「何言ってるんだか」
そう言いながら、藍は嬉しそうである。
「ねえねえ、このドレス、3年後に私が着る時に、貸して」
「サイズが合うか、保証しないわよ」
「リフォームのサービスつけてよ、ねっ」
「誰と結婚するか、確定してから言いなさい」
「二十歳になったら、金城さんを振り向かせるの」
「さっき、ホテルのコンシェルジュを口説いていたわよ。きれいな人だったけど」
「いいの、私が二十歳になるまでは、見逃しておいてあげる」
「がんばってちょうだいね」
化粧の済んだ藍に、燈子がブーケを渡す。青いカーネーション・ムーンダストをメインに
まとめている。
「私の時は、オレンジ色の花をメインにしたいなぁ」
「2、3年先のドレスより、半月先のアップルパイを気にしなさいよ」
真子が産休に入るのと入れ代わりに、燈子がアップルパイを焼く助っ人になることが
決まっていた。
「大丈夫。私だって朱鷺の森の末っ子ですからね。それに、叔母さんとずっと暮らしてて、
ケーキ作りを一番教わってるのは、私よ」
「ごもっともだわね。私も、燈子がテストで焼けないような時は、かわりに焼くわよ」
「その時はよろしくね、藍お姉ちゃん」
「それから、この1年は母さんのお見舞いから逃げられてたけど、今年はそうは行かない
わよ。あなたも来なさい」
「覚悟してます」
言ってから燈子は「あれっ」と言う顔になる。
「藍お姉ちゃん、黒沢さんは、母さんと会ってくれたの?」
藍は、あさっての方を向く。
「ええ、結婚の挨拶にね」
「ふーん」
「もう、母さんの方は忘れてるかもしれないけど」
「黒沢さんも、偉いね」
「私から話しを振っておいて悪いけど、この話題は打ち切りにしない?」
「うん」
ややしんみりしたところに、ホテルのスタッフがやってきた。
「花嫁さん、お仕度はできましたか?」
「はい」
スタッフは困ったような顔をして言った。
「申し訳ありませんが、花婿の控室においでいただけませんでしょうか」
「あの人が、どうかしましたか」
「てこでも動きそうにない状態になられてまして」
27 花婿操縦法
花婿控室で、仕度の済んだ黒沢がVAIOを打っていた。ぱちゃぱちゃぱちゃと小気味いい
音が室内に響く。
「黒沢さんてば、何してるのよ」
藍の声に黒沢が顔を上げる。
「あー、藍ちゃん、きれいだねえ。見てのとーり、おしごとだよん」
「お褒めの言葉ありがと。で、仕事中なのはわかるけど、なぜ今やってるのよ。結婚式と
新婚旅行の間、充分休めるようにスケジュールを調整した筈だけど?」
引っ越しは必要ないので、計算に入れていない。303号室は黒沢と藍の新居に化け、隣の
302号室は黒沢の仕事専用部屋に変わる。実質は、今までと大差ない。
「なーんか、急にアイディアが湧いちゃってさあ。文章も、どんどん出てくるのよ」
「確かに、調子よさそうね。まだまだ打っていたい?」
「うん、2時間ぐらい、お式を延期できないかなぁ」
「それじゃあ、私が秘書の腕を発揮しましょうか」
「よろしくねっ、藍ちゃん」
「私がつわりで、具合が悪いってことにでもするわ」
ぱちゃぱちゃという軽快な音が、ぱたっと止まる。血相を変えて黒沢は叫んだ。
「そういう根も葉もない大嘘を言っちゃいけません !」
28 初歩的な暗号
参列者控室。真子を初めとする藍の親族、ノエルを含む黒沢の親族、そしてSILVER EYE、
博も招待されて、一同が控室で待っていた。SILVER EYEがプリントアウトした二葉の紙を
見ている。
「アビルージュ、それは何だ?」
翔がのぞき込んで尋ねる。
「黒沢さんがインターネットマガジンで連載していた詩ですよ。カット＆ペーストで、ひとまとめに
しました」
「ああ、あれか」
「夕べ、まとめて読んでいたら、面白い事に気づきまして」
「ほう?」
翔はSILVER EYEから用紙を回してもらう。
「俺は飛び飛びにしか読まなかったんだよな」
「1番目の詩から、最後の12番目まで、順に読んでみてください」
翔は言われたとおりにする。
「作品の切り口は、いろいろだな」
「ええ」
SILVER EYEはおかしそうに翔の顔を見ている。
「「面白い事」の答えはまだ言うなよ。自分で考えるからな」
「はい」
翔は一連の詩を睨んでいる。考えながら、言う。
「初歩的だが、タイトルに注目してみるか?」
「どうぞ」
「順に、「α (アルファ)」「椅子取りゲーム」「チーズケーキ」「「や」のつくお仕事」
「ん?」「ガールフレンド」「ダンス」「椅子取りゲーム2」「Souvenir」「Kiss of Fire」
「ダーリン」「夜もすがら」だな」
「そうですね」
「タイトルの1文字目を拾っていけば」
「「α」「椅」「チ」「や」「ん」「ガ」「ダ」「椅」「Sou」「Ki」「ダ」「夜」です」
「「あいちやんがだいすきだよ」、「藍ちゃんが大好きだよ」・・・おいおいおいおいっ」
SILVER EYEはくすりと笑う。
「僕が発見したことも、それです。偶然では、あり得ませんね」
「必然以外の、何物でもないな」
翔はパタパタと紙で顔を仰ぐ。
「照れる様なことをやってくれるな、作家って奴は」
「シャイなんですね、黒沢さん」
「いや、遊び心っていうものじゃないのか?」
いつの間にか2人の脇に来ていた真子が口をはさんだ。
「私は、両方が混ざってるんだと思います」
「ああ、なるほど」
「そうかもしれませんね、真子さん」
真子は人指し指を立てて口の前に持っていく。
「黒沢さんのお仕事は、親戚の方でもご存じとは限りませんので、小さな声で
お願いします」
「わかった。気をつける」
「真子さん、すみませんでした。そうすると、披露宴で、どういう紹介をするつもり
なんでしょう」
「藍から聞いたら、養蚕業兼、出版社のフリーライターで行くそうです」
翔とSILVER EYEは、間違いとは言い切れないと、うなづいた。真子は翔から
用紙を受け取って眺める。SILVER EYEが言う。
「藍さんは、これに気づいているんでしょうか」
「私が途中から注目したくらいですから、きっと、わかっていると思いますけど」
「秘書業に忙しくて、それどころじゃなかったかもしれないな」
「そのうち、折りを見て聞いてみたいですね」
「藍さん・・・花嫁と一緒に入場するのは、どなたなんですか」
「画商をしている朱鷺の森の叔父です」
ホテルのスタッフが声をかけ、一同が教会に向かって移動を始めた。
29 披露宴
挙式が滞りなく終わり、同じホテル内で引き続き披露宴が行われた。黒沢の
服装はそのまま、藍はこれまた自作の青いワンピースに着替えた。天然の青い
バラがあれば、こんな色であろうかという色調だった。
「それじゃあ、お姉さんに「おめでとう」って言って、花束を渡してくれるかな?」
ホテル付きの司会の男性が、花束を持って出て来た博に話しかける。打ち合わせ
通りの演出である。だが、「はいっ」と言う筈の博の返事が違っていた。
「うーん、どうしよっかなぁ」
「おやぁ、「どうしよっか」、なの?」
「ウン。どうしよっかなぁ」
どっと笑う披露宴参加者。藍と黒沢は並んで立ち、博の言動を見守っていた。
「博君って、エンターテイナーだったのかしら」
「うん、盛り上がってるよ。披露宴の花束贈呈者の人選、よかったみたいだにゃあ」
こそこそと2人で話す。
司会者はアクシデントをものとせず、会話をつなぐ。
「お姉さんが、待ってるよ。「おめでとう」って、言ってあげてよ」
博は藍を見て、黒沢を見て、離れた席のノエルを見やる。「渡して」と言うように
うなづくノエルを見て、「じゃあ、言ってあげる」と藍の方に向き直る。
「では、披露宴の参加者を代表して、花束贈呈です」
博による花束贈呈は、山を越えて、なんとか終了した。
30 追究
披露宴が終わり、客たちは着替えて個々に帰っていった。当事者そっちのけで落ち合い、
二次会に繰り出す面々もいたようである。礼服からいつものブレザースタイルに戻った
SILVER EYEが通路を歩いている。「幸福な人魚姫」の前で立ち止まり、自作品を見る。
再び歩きだそうとしたところで、後ろから声をかけられた。
「SILVER EYEさん」
普段着に着替えた黒沢だった。
「SILVER EYEさん、ちょうどよかった。今、時間ある?」
「人と待ち合わせをしていますので、そんなにはありませんが」
「5分もかからないよ」
「それでしたら、いいですよ」
黒沢は周囲に人影がないのを確かめてからSILVER EYEに詰め寄った。
「さすがに聞きにくくて今まで遠慮してたんだけど、おいらも結婚したことだし、思い切って
聞きたいんだよね」
「はい、なんでしょう」
「手袋投げられてもいいんだけどさあ、SILVER EYEさん」
「お気にせず、質問をどうぞ」
黒沢は、正面から疑問を叩きつけた。
「真子ちゃんのお腹の子、SILVER EYEさんの子じゃないんだろうねっ !?」
SILVER EYEは、目を見開いて、黒沢を見つめる。黒沢は返事を聞くのを恐れるように
続けた。
「前に、不倫はやめときなさいって忠告したけどさっ。一応、聞き入れてもらえたと思ってるよ。
でも、おめでたってことになると、やっぱり、どうしても、心配になるんだよおっ」
SILVER EYEはかすかに苦笑を浮かべて言った。
「もしも、黒沢さんの心配が当たっていたら、どうされるんですか?」
「そうだったら、おいら、2人を怒るよっ。そんでもって、SILVER EYEさんが知らん顔して
責任取らないってんだったら、許さないっ」
SILVER EYEは傍らの「幸福な人魚姫」を見てから、静かに言った。
「間違いなく、緑屋さんの子ですよ」
31 水晶球を持つ少女
ノエルが、午後の日差しが当たるホテル中庭のベンチに腰かけていた。水晶球を
落ち着いた表情で見つめている。集中して、ただし緊張はしないで。やがて、ノエルは
水晶から視線をはずした。少し離れて見ていたSILVER EYEが声をかける。
「もう、いいですか、ノエルさん」
「はい、すみません」
「僕の方こそ、お待たせしてすみませんでした」
ノエルに断って、彼は隣に座る。
「きれいですね、大きさは、どれくらいですか」
「直径30ミリメートルです」
うなづくSILVER EYE。ノエルは水晶をポシェットにしまう。次いで、人には滅多に
言わないことを話す。
「もうしばらくして、私の力がもっと強くなったら、もう少し大きいのに変えます」
「そういうものなんですか?」
「ほかの人はどうだか知らないけど、私は、そうするつもりです。今、大きい物に
変えても、私が振り回されるだけだろうから。私の力と水晶の力のバランスを、
きちっと取っていこうと思うんです」
「自分でそう思うなら、そうした方が賢明ですね。ところで、僕を呼び出したご用件は
なんでしょう」
品よく微笑んでSILVER EYEが尋ねる。ノエルは彼の視線を受け止めてから、一度、
ぎゅっと目をつぶった。ついでに、両手も握りしめる。目を開けて、握り拳もほどく。
「お話ししたいことがあったからです。私と直接関係ない人で、私と似てて何かある人で、
口の固そうな人に、知ってて欲しいことがあったから」
「ひとりで何か抱えてるのは、つらいでしょうからね。小さな小さなレディ」
SILVER EYEは、にこりと笑う。
「僕でよければ、聞きますよ」
ノエルは話そうとするが、どこから話せばいいのか戸惑っている様子である。見かねて
SILVER EYEが助け船を出した。
「僕が推測していることを話しましょうか? 合っていれば黙って聞いている、足りなかったり、
違っていたら追加や訂正をする。そういうのはどうですか?」
「お願いします」
ノエルはほっとする。SILVER EYEは話しだした。
「ノエルさんが黒沢さんのところに1年間身を寄せたのは、黒沢さん、藍さんを何かから
守るため。そうですか?」
ノエルはうなづく。
「具体的には、藍さんのストーカーですか? あの湊鼠氏」
「それは、どっちかっていうと、おまけの範囲です」
「黒沢さんの盗作疑惑がありましたけど、それですか?」
「あれも、どっちかっていうと、どうでもいいです」
「クリスマスの黒沢さんの事故はどうですか」
「大分近くなったけど、見ている方向が違うんです」
「やっぱり、ノエルさんが話してくれた方がいいのかな」
SILVER EYEは苦笑する。ノエルは、母親からまだ借りたままのクリソブレーズをポケット
から出した。指輪に注がれるSILVER EYEの視線を無視して、手のひらで転がす。クリソ
ブレーズを見ながら、ノエルは言った。
「放っておいたら、おじさんと藍さんは、クリスマスに新婚旅行に行く筈だったんです」
SILVER EYEは首を傾げる。ノエルはくりかえす。
「クリスマスに、新婚で、ツアーで行った筈だったんです」
SILVER EYEの目の焦点が定まる。記憶のたぐりよせに成功したらしい。
「クリスマスに、新婚旅行のツアー客が巻き込まれた事故がありましたね。死者も少な
からず出た」
「はい」
「黒沢さんたちが、あれに参加していた筈だっていうんですか」
ノエルはうなづく。SILVER EYEは黙って続きを待った。
「新婚旅行を止めて、とか、行き先を変えてって言うだけだと、解決しないような気がして、
言えなかったんです。それだと、どこか別のところでおじさんたちが事故に遭ってしまい
そうで、怖くて。それで、とにかく起こることの流れを変えたくて、同居なんて無理をしちゃい
ました」
「新婚旅行の行き先どころか、結婚する時期が変わりましたね」
「はい」
「お蔭で、クリスマスは黒沢さんひとりの軽い交通事故で済んだのかな」
「わかりません。だけど・・・」
ノエルは、クリソブレーズを弄ぶ。
「12月までに、いろいろ嫌なことがあったから、あの事故で済んだのかなって思ってます。
嫌なことのトータルは同じでも、分散して、ひとつひとつを小さく変えてしまって」
「僕にはわかりませんけど、もしかしたら、そうかもしれませんね」
うなづくSILVER EYE。
「嫌なことが分散した時も、ノエルさんはがんばって、その時その時、黒沢さんたちを
支えようとしていたんじゃないですか」
ノエルは答えずにクリソブレーズを指先でつついた。
「たいへんでしたね。おつかれさまでした」
ノエルは「はい」と小さく答える。SILVER EYEはノエルの髪を見た。前に垂らせば鎖骨まで
届く長さになっている。
「ノエルさんが、髪を切ってやって来たっていうのも、僕は気になってるんですけどね」
ノエルは舌を出して笑う。
「魔力は髪の毛に宿るっていう考えがあるでしょう。私は違いますけど、気持ちだけ、
真似をしました」
「黒沢さんたちのカバーに集中するために、敢えて短くした?」
「はい。よくわかるんですね」
ノエルは気を許したように笑う。SILVER EYEは、大人を相手にしているように言う。
「若くても、心がけは立派な、水晶の使い手だと思いますよ」
ノエルの顔がかすかにゆがむ。SILVER EYEは「え?」と眉をひそめた。
「でも、私は」
それまで落ち着いていたノエルの声が、かすかに震えた。
「なんでしょう」
「私、心がけはそんなによくないかもしれないです」
「どうしてです?」
緑がかったノエルの瞳がSILVER EYEを見つめる。
「私が同居しなくても、ほかに、おじさんたちを守る方法はあったかもしれないです。
おじゃま虫にならないで、逆に、もっと早く結婚してもらった方がよかったかもしれ
ません。そうでしょう?」
SILVER EYEの目に、かすかに同情の色が浮かんだ。敏感に察知したノエルは、
言葉を止められなくなって続けた。
「藍さんの妹さんの燈子さん、20歳も年上の人が好きなんでしょう? 回りの人は、
本気で聞いてません。一番上のお姉さんは真面目に応援してるけど。だけど、
結婚するか、しないかっていうのは、年の差はあんまり関係ないんです。する人は
するし、しない人はしないんです」
「燈子さんは、する人? 先がわかるんですか、ノエルさん」
こくっと、うなづくノエル。「でも、内緒です」と口止めを忘れない。片手を上げて沈黙を
誓うSILVER EYE。
「だけど、しない人は、しません。私は、もう駄目なんです」
ノエルは緑色がかった目にうっすら涙を浮かべている。その表情は子供のものに
見えなかった。
「私はやっぱり、意地悪のおじゃま虫だったかもしれない。どう思いますか? 画家さん」
SILVER EYEは間髪入れずに言った。
「君は、THE GREEN-EYED MONSTER (嫉妬心) なんかじゃない」
ノエルはクリソブレーズを落とした。拾いもせず、そのまま声を上げて泣きだす。泣いたら
忘れられるとでも言うような勢いで、遠慮なく、思い切り。SILVER EYEはノエルの背中をさすり、
繰り返し、「君はTHE GREEN-EYED MONSTER じゃない」と囁いた。
32 道の行く先
2人の影が角度を少し変えたころ、ノエルは泣くのをやめた。
「ありがとう・・・ございました」
「大丈夫ですか? ノエルさん」
心配そうな顔のSILVER EYE。
「うん、もう平気です」
ノエルは平静を取り戻して言う。
「博君を迎えにいかないと。屋上で遊んでもらってるんです」
「彼が、披露宴でお祝いの言葉を渋ったのは、ノエルさんの気持ちを知ってたから?」
「たぶん、そうです、私は何も言ってないですけど」
「小さなナイトがついてますね、小さな小さなレディ」
「自分のことは、先がわからないんです、画家さん」
ノエルはクリソブレーズを拾った。SILVER EYEを見上げて言う。
「お礼を、ひとつだけさせてください」
「なんでしょう」
「画家さん、ウエイトレスのお姉さんが好きですよね」
「水晶使いに嘘は言わずにおきます。好きですよ」
「今、つらいですよね」
「ええ、とてもね」
「我慢できないくらいですか?」
「できなくても、我慢しています」
「どれくらい続けるんですか」
「ざっと50年から60年、覚悟していますよ」
「我慢すれば、いいことが起こるの?」
「時を待ってるんですよ、水晶使いのレディ」
ノエルはSILVER EYEを見つめる。子供離れした深さを持つ緑色がかかった瞳に、
緋色のブレザーの人物が写る。
「画家さん、そんなに待たなくてもいいです」
「え?」
「多分、あと20年くらいでいいです。思ってるより、短いですよね」
SILVER EYEは当惑する。
「ノエルさん、失礼ですけど、言ってる意味が自分でわかってますか?」
「はい、わかってます」
ノエルが視線を落とす。
「だから、こういうことは、普通、人に言いません。喜ばれないから」
「わざわざ教えてくれて、ありがとう。ノエルさん」
「ウエイトレスのお姉さんにも、教えないでくださいね」
「教えませんよ」
「それじゃ、さよなら、画家さん。「オーロラたちの饗宴」にもよろしく言ってください」
「ええ。機会があったら、またアレキサンドライトに会いに行ってやってください。
待ってるみたいです」
「はい」
子供らしく手を振って、ノエルは去っていった。残されたSILVER EYEはひとりごちる。
「好意だけ受け取って、聞かなかったことにしようか」
1、2回かすかに首を振って忘れたつもりになる。気持ちを切り換えて、SILVER EYEは
微笑んだ。
「僕を「画家さん」って呼ぶのは、藍さんだけだった筈なんですけどね。うつってますよ、
ノエルさん」
植え込みの向こう側から翔が姿を現した。SILVER EYEを見て驚く。
「アビルージュ、こんなところで何をしてるんだ」
「ひなたぼっこですよ」
「本当に猫みたいな奴」
「そういうあなただって、来てるじゃないですか」
「俺のは散歩だ」
「大して変わらないでしょう」
SILVER EYEはくすりと笑う。
「プルーデンシアとお子さんはどうされました?」
「先に帰った。俺は、少しこのホテルの視察でもしようかと思って、残ったんだ」
「よかったら、付き合いましょうか。かわりに、晩は飲むのに付き合っていただき
たいんですけど」
「お前の方から? 珍しいな」
「人の自棄(やけ)酒の代理をしようかと思いまして」
「わけがわからんが、付き合うぞ。明日は休みだし。ただ、あんまりみっともない
飲み方はごめんだ」
「気をつけます」
親友2人は、中庭を後にした。
エピローグ
数年後。
直径40ミリメートルの水晶球の中に、2人の人物が写っている。デスクトップ型の
パソコンに向かって黒沢がキーボードを叩いている。黒沢にまとわりついて、
執筆の手伝いだか妨害だかをしている幼い男の子がいる。パソコンの電源を
落とした黒沢は、子供を肩車する。親子揃って、そっくりの笑顔になる。情景の
中にもうひとりの人物が入ってきた。マタニティドレスを着た藍である。お茶の
用意ができたらしい。彼女の持つトレーの上にコーヒーカップ、ティーカップ、
子供のミルク用カップと菓子皿が乗っている。菓子皿の上にあるのは2種類の
フィナンシェ。藍はトレーをテーブルの上に置く。黒沢は子供を降ろすと、
「あんがと」と言うように藍を抱きしめた。
第12話 (後) 終わり
「水晶の向こう側」 終わり
ご愛読ありがとうございました。
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