「Constellation〜星座〜」(第12話 前半)
第12話 「3月・・・Congratulation (祝賀)」前半
人のことは好き? ええ
人のこと、信じられる? ええ
こういう返事をできる日が来るなんてね
それでは、ブーケトス !
1 矢島探偵社
ひな祭りの翌日、社員スペースには檜沢を始め6人が席についていた。コニーと挨拶を交わした
矢島がパーティションを回る。
「お早う、羊飼い諸君。今日も元気かね?」
返事がなく、間が開く。矢島も社員たちも、檜沢に目を向ける。檜沢は肘をついて何か考えている
ような表情をしていた。周囲の視線に気づき、姿勢を正す。
「ああ、はい、元気です」
「どうした? 檜沢」
矢島が心配そうに尋ねる。
「いえ、ちょっと睡眠不足だっただけです。元気ですよ」
「そうか?」
それ以上は追究せずに引く矢島。柏崎に視線を移す。
「元気です。年度替わりは、子供にの生活に変化が起こりますので、私もつられてドキドキしています」
磨き上げた眼鏡をかけて、柏崎は言う。
「楽しみだね」
矢島は微笑んで言う。
「元気ですよ。漫画は、昔のでも、今のでも、いいものはいいですね」
竹宮恵子の「空が好き !」を机の上に置いていた幾男が答える。
「目を悪くしないようにね」
矢島は苦笑する。
「フラワーアレンジメントで、新作に挑んでます。元気ですわ」
にこにこと由紀乃が言う。
「会心の作ができたら、この部屋に飾っていいよ」
篠原は美咲に、「先に」とサインを送る。「元気です」と美咲はふんわりと言う。矢島がメンバーを
見渡して言う。
「そうそう、美咲からの申し出だが、写真、絵の類の物を、それぞれが一枚ずつくらいなら机の
周辺に置いてくれて構わないそうだ」
美咲を除いた社員一同が驚いた表情をした。
「大丈夫なのっ、美咲」
正面から由紀乃が尋ねる。
「ええ。大丈夫そうだから」
美咲がこくりとうなづく。
「それで、今日はラストになったけれど、篠原?」
「俺は元気なんですけどね」
浮かない顔で篠原が言う。
「どうしたかな」
「アレキサンドライトの透子さんの具合が、よくないそうです」
メンバーたちは眉を顰める。
「具合がよくないって、どこがどうなの、俊ちゃん」
「詳しくは知りませんけど、体質の関係だとか」
「痩せたか?」と檜沢。
「このところ、店を休んでるそうなので、なんとも」
「入院か?」
「自宅療養だとか」
「医者には行ってるんでしょうか」
磨き上げたはずの眼鏡を磨き直しながら、柏崎が言う。
「専門家にかかっているから、それは心配ないとか」
「柴崎財閥の縁者だったね。それなら、最善を尽くすだろう」
矢島が考えながら言う。
「寝てて退屈してるなら、知り合いだったら、本の差し入れをするんですけどー」
幾男が机を拳で叩きながら言う。
「俺も、生憎そこまで親しくないんだ」
「花をお店に持っていって、マスター経由で渡してもらうとか」
美咲が言う。
「うん、その辺が妥当だね」
由紀乃がため息まじりに言う。
「全く縁のない人じゃないし、お仲間みたいだしで、心配だわね」
うなづく一同に対して、檜沢が、
「墨染氏に言わせると、心配のしすぎはよくないらしい」
「そういえば、そういう話しだったわね」と由紀乃が言ったところで、ドアベルが鳴った。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれ
ません』
「はぁ?」
戸惑っている客を迎えに、矢島がパーティションを回る。話しは打ち切りになり、社員
たちは応接室のドアが閉まるまで、気配を消した。
2 contribution
矢島は訪問者の話を静かに聞いていた。話がひとくぎりつく。
「砂漠の植林運動に寄付、ですか」
瞳の奥に、柔らかい光が見える。
「はい」
「それで、私どもへのご依頼は?」
「無事に寄付できるまで、ボディガードを」
「失礼ですが、誰からあなたを守ると想定するのでしょう。ご家族の反対でも?」
「それもありますが、人の口に戸は立てられませんから」
「わかりました。お引き受けします」
3 隣の旅行代理店
手の空いている時間を使って、篠原と美咲は隣の緊急避難先に来ていた。初老の
社長は嬉しそうに2人の話を聞いた。
「若い人ってのは、いいねえ。未来があって。おめでとう。それじゃ、ご祝儀に、うちの
手数料は勉強させてもらいますよ」
「あ、ありがとうございます」
「お世話になります」
2人一緒に頭を下げる。「私も、いつもお八つをいただいてるからね」と社長は受け流す。
「そういえば・・・」
パンフレットを持ち切れないほど篠原たちに渡してから、社長は言った。
「2、3日前だけど、あなたたちと同じような臭いのする男が来たな。本気で旅行したいって
顔じゃなかった。気をつけた方がいいかもしれないよ」
4 お茶の時間
毎度のペット探しから戻った柏崎と幾男は、新宿三越百貨店・菓乃実の杜(かのみのもり)の
シューケーキを土産に買ってきた。ホットドッグ用のパンのような形のシューにケーキスポン
ジが薄く納まり、季節のフルーツと生クリーム、カスタードクリームがたっぷり詰められている。
大きいがさっぱりした味で、一人で1つ、食べきれてしまう。ナイフで3等分くらいにすると食べ
やすい。例によって檜沢がコーヒーを、柏崎は紅茶を入れる。社長室と旅行代理店への配達も
怠りない。
「隣にまた、不審人物登場だと? めでたい時にうっとうしいな」
皆がケーキを食べ終わったのを見計らって、檜沢が言う。
「やっぱり、俊ちゃんの古巣かしら」
「由紀乃ちゃん、決めつけはやめましょう」
「モチさん、私、決めつけてはいないわよ」
「もしもそうでも、気落ちしないでくださいねー篠さん。それだけ、うちがモテてるんですから」
「別に気落ちはしないから」
篠原は苦笑する。
「そんなに、「夜逃げ屋殺し」が気にかかるのかしら?」
誰にともなく、ため息混じりに美咲が言う。檜沢が彼女の疑問を引き取る。
「これから需要が増えていきそうな依頼だからな。ノウハウは欲しいかもしれない」
「正しいノウハウが広まって、業界のレベルが上がっていくのは歓迎ものだと思うのよね」
由紀乃が美咲の顔を見ながら言う。
「でも、こればっかりは伝授しようがないのよね」
「そうね」
由紀乃と顔を見合わせた美咲がくすりと笑う。総括するように檜沢が言った。
「同業者でも、異業種でも、不審人物には注意することだな」
5 花の季節
キッチンで、檜沢がコーヒーカップを洗っている。ケーキ皿を引いてきた由紀乃が彼の背後に
回って、背中を指先でつつく。
「リーダー、リーダー」
「何だ。触るなっていつも言ってるだろ」
「今日の帰り、おヒマ?」
檜沢がゆっくりと振り返る。胡乱(うろん)な目をしている。
「今日? 何かコンサートでもあったか?」
「いいえ」
にこーっと由紀乃が笑う。
「エアライフル射撃のお供でもさせていただこうかと思いまして。上のプールでもよろしくてよ」
「一人で行くから、いい」
「あら、そうですの。余計なことを言って、ごめんあそばせ」
気にした風もなく、檜沢が洗い終わったコーヒーカップを拭き始める。
「もうじき、花が咲きますわね、リーダー」
「そうだな」
「みんなで、お花見しましょうね」
「ああ」
6 終業時刻
声高らかに、由紀乃が宣言した。
「お先に失礼します」
「お忙しいんですか、おねーさま」
ぐしゃぐしゃに曲げた針金で遊んでいた幾男が、合いの手を入れる。
「そうよっ、フラワーアレンジメントの自宅学習」
「いいことですね、由紀乃ちゃん。趣味があるって」
にこにこと柏崎がハーフコートを着込む。
「モチさんの場合は、奥さんとお子さんが趣味ですよねーっ」
ぱちぱちと手を叩きながら幾男が言う。
「まあ、それはそうですが、趣味と言ったら、物みたいじゃないですか」
眼鏡を磨きそうになりながら、柏崎が応える。幾男と柏崎の会話の間に、由紀乃は
パーティションを回る。回りしな、檜沢にウインクする。
「お声が掛かれば、予定変更しますわよ」
「いや、いい」
うなづいた由紀乃は、コニーに「バイバイ」と言って帰っていった。
7 同夜 篠原のアパート
篠原と美咲が、結婚披露宴の招待状の宛て名を分担して書いている。教会での式の
あとに、軽くティーパーティー形式でするため、さほどの人数は呼んでいない。それぞれ
の親戚と矢島探偵社の面々、隣の旅行代理店社長、椎名、それと友人少々。口頭で
話が済んでいる相手の方が多かったが、それでも改めて書いている。
「このカード、きれいでしょ? お店で一目惚れして、買っちゃったんだから」
にこにこと美咲が言う。
「ん・・・きれいだね」
切手を張りながら篠原が応える。
「準備って、わくわくするものだったのね」
「それほど、煩雑なことをしていないからだよ。旅行の手配はお隣に任せているし、
新居は探さなくていいし」
篠原が美咲のところに転がり込むことに決まっている。
「旅行の楽しみには、準備も含まれるっていうのと同じみたい」
「旅行と一緒にしないでくれよ」
引き寄せて軽くキスする。真顔になって篠原は尋ねた。
「招待する人、これだけでいいの?」
美咲の顔が曇る。
「迷ってる」
「呼んだ方が、喜ばれるだろうとは思うけどね」
「そうかしら」
「そうだと思うけど?」
美咲が心配げにロケットをまさぐる。篠原は美咲の髪を撫でる。
「晴れ姿を見てもらったら? 無理にとは言わないけど」
「もう少し、考えるわ」
「いざとなったら、電報で知らせてもいいさ」
ところで・・・と篠原が言いよどむ。
「書き上げたら帰るんだよね、やっぱり」
「ええ」
きっぱりと、美咲は答えた。
8 翌朝 矢島探偵社の前
午前8時半。由紀乃がエレベーターから降りて3階の廊下を歩いている。
「遅くなったわぁ。不覚」
矢島探偵社のドアを開けながら、誰も来ていない社内に向かって「お早うございます」と声を
かける。と、目の前にぶら下がっているものを見て、呆れたように言った。
「今日は2番手なのね、私。それとも、夕べからご滞在かしら」
9 トラップ作動
「お早うございます」
15分後、篠原がドアを開けると、目の前にできそこないの巨大な蓑虫(みのむし)のようなもの
が下がっていた。
『お早う、篠原』
「お早う、篠原。ぶつかるなよ」
「お早うございます、篠原君」
「お早う、俊ちゃん」
コニーをトップに、檜沢、柏崎、由紀乃が言葉を返す。
「これ、何ですか」
返事もそこそこに篠原が尋ねる。
「幾男に仕掛けてもらっていた「ねずみとり」が作動したらしいな」
腕を組んでいた檜沢が答える。文字通り網にかかった誰かが、天井から宙づりになっている。
「眠っているみたいですね」
眼鏡を掛け直して見上げながら、柏崎が言う。
「幾男ちゃんが来るまで、下手に触らない方がいいわよね」
「それはそうでしょうね」
話しているうちに、幾男と美咲が出勤してきた。同じ電車に乗ってきたらしい。
「お早うございまーす」
「お早うございます」
言いながら、眼前の蓑虫に気づく。「これの仕組みを解説して欲しいんだが」と檜沢が幾男に
促す。
「えーと、早い話が、ドアが開くと速攻で入ってきた人を捕まえます。以上」
「説明が簡単すぎるぞ」
「だってえ、罠は単純な方が効果的ですよお」
幾男は困ったように頭を掻く。
「蛍光灯のカバーを改良して、中に網を入れておいたんですよね」
天井を指さす。カバーが開き、そこからロープが出ていて侵入者がぶら下がっている。
「で、網をかけたら、その後で睡眠剤を吹きつけます。それで一丁上がりです」
「オレは、お前に教わって、いつも帰り際に罠のスイッチだけ入れていた。解除はどうしていた
んだ」
「おねーさまの声に反応して解除するようになっています。うちの一番乗りはおねーさまですし、
誰もいなくても、いつも挨拶しながら入るでしょ?」
「私が何も言わずに入ったら、ひっかかってるの?」
「そうでーす。でも、おねーさまなら、睡眠剤がかかる前に網を切ってしまうでしょ?」
「そうだわね」
「モチさんや篠さんが一番になるはずはないし、美咲おねーさんは、早い時はドアを開けずに
直接中に入るでしょ? だから、問題なしです」
「オレが一番手だった時は、どうする?」
「檜沢リーダーの罠から逃げ出すお手並み、拝見しまーす」
「まあ、いいだろう」
苦笑した檜沢は言った。
「お掃除、しなくっちゃ」
由紀乃は関心をなくしたようにパーティションを回る。柏崎と美咲も同様にロッカーに向かった。
篠原と檜沢、幾男が残る。
「トラップの形式は、檜沢さんも知らなかったんですか」
「ああ、ある程度聞いただけだ。知ってる者は少ない方がいいと思ってな」
篠原は幾男を見て言う。
「この罠、もしかして、俺が試験採用のときから仕掛けていた?」
「はいっ」
えへへーと笑いながら、幾男は答える。檜沢が引き取る。
「夏頃からな。少し、話したことがあっただろ? そこでお前がひっかかったら、アウトだったわけだ。
オレたちも、どうしたものかと、結構頭を抱えていたんだよな。あの状況でまったく対策を立てない
のも変だし、実際、時枝本家もうるさかったし」
「篠さん、これの設置あと、夜中に忍び込む真似はしなかったから、助かったんですよね」
「中に完全に溶け込もうとしていたようだったから、それはそれで脅威だったがな」
「俺が直接、室内に跳んでいたら?」
「試験採用中に、あまりそういうことはしないだろうと思っていた。やられた後になってから、カメラ
うんぬんと牽制する羽目になったが」
「篠さんが侵入したら、コニーが気づきますよ。で、翌朝、モチさんに報告が」
「お前、7月に朝から跳んだだろ。美咲が先に跳んでたんだが」
「篠さんがコニーの名前の由来を聞いた日ですね」
「うーっ」と声にならない声で篠原が唸る。
「美咲に関するデータやオレたちのことは、文書等の形になってないから、安心してたがな。
だけどあの頃は、本当に社内で全員参加の Con game だったな。1対多数の」
檜沢はにやにやと笑う。
「もう、堪忍してくださいよ」
「ともあれ、だ」
檜沢は侵入者を見上げて、
「これを下に降ろした方がよくないか?」
ロッカーから毛布を持ってきて、篠原と檜沢でぴんと張って持つ。幾男が自席から持ってきた
コントローラーで罠をしまう。侵入者が落とされるところを、毛布でキャッチする。床にそっと降
ろす。
「やらかしたことの割りには、扱いは丁寧だよな」
檜沢が苦笑する。
「それで、篠原、知った顔か?」
「知ってるも何も、同期です」
やっぱり時枝エージェンシー・・・諦観を込めて篠原が言う。檜沢が首を傾げる。
「オレも見たような気がする。どこで会ったかな」
「10月の誕生日パーティーのケースです」
篠原はしゃがみ込んで怪我がないか確かめる。
「こいつ、櫟って言います」
10 contrite
檜沢と篠原で担いで、櫟を社長室に連れ込む。
「応接室でなくて、いいんですか」
「依頼者が来た時に困る。社長も認めてくれるさ」
いつの間にか由紀乃が電話をかけている。送話器を抑えて檜沢に向かって言う。
「いいそうですわ、リーダー」
「だ、そうだ」
ソファに寝かせる。
「作動した時刻を調べたんですけどー、そろそろ、目が覚めるころですよ。すぐに、普通に
動けます」
「暴れ出すような奴か? 篠原」
「多分、往生際は、いい方だと思います」
由紀乃に呼ばれて幾男が部屋を出る。檜沢と篠原、眠っている櫟が残される。
「早まっていたら、俺がこうなっていたわけですか」
「そうだな」
矢島の机の上にある飛行機の模型を見る。胴体に、黄色、緑、赤、青、栗色、オレンジの順に
描かれている星を見つめる。
「この、スコードロンカラー・・・個々の隊のイメージカラーって、どういうルールになっているん
ですか」
「ん・・・「SHOW TIME 100」は1965年制定のルールが適用されてるんだよな」
記憶をたぐって言う檜沢。
「第１飛行隊がグロッシー(光沢のある)・インシグニアレッドだ。以下、第２飛行隊から第8
飛行隊まで、順にグロッシー・オレンジイエロー、グロッシー・ライトブルー、グロッシー・イン
ターナショナルオレンジ、グロッシー・ライトグリーン、グロッシー・ブラック、グロッシー・イン
シグニアブルー、グロッシー・マルーンだな」
赤、黄色、青、オレンジ、緑、黒、栗色と置き換える。
「うちには、黒がいませんね」
「コニーの羽は黒だぞ」
「あるいは、社長とか」
「社長を隊に入れたらおかしいさ」
「それを言ったら、コニーは空母です」
「あまり厳密に当てはめるなよ。社員は6人さ。このマーキングに合わせて」
檜沢は笑う。そうですねとうなづく篠原。
「こいつと話がしたかったら、先にしてて、いいぞ」
檜沢は悠然と部屋を出ていった。篠原は脇のテーブルからガラスのコップと水差しを取る。
水滴がコップについている。早業で由紀乃が入れ換えておいたらしい。コップに水を注ぐ。
「どこだあ・・・ここ」
背後で櫟の声がする。振り返って「お早う」と声をかける。ぼんやりとした目で、櫟は篠原を
見る。
「矢島探偵社、社長室だよ。覚えてないか?」
「いや、思い出してきた」
櫟は、縛られていない自分の手足を不思議そうに見る。
「どうしてここにいるんだ、篠原」
「俺は、今、ここの正社員なんだ」
「上司を殴ってやめたって噂、本当だったのか? おい」
状況を忘れて尋ねる櫟。
「違うけど・・・もう、どうでもいいよ」
コップを親指と中指の2本で上から掴むように持ち上げる。櫟が篠原の動きに注視する。
もう一方の手で底を支えて持ち替え、水を飲む。「コーヒーか紅茶の方がいいな」と呟く。
「なんだ、そりゃ」
「いや、別に、何も」
「お前・・・ここの社員なんだな」
「うん」
部屋の外で、コニーが『社長、お早うございます』と言っている。それに応える矢島の声も
聞こえる。コップを置いて、篠原は櫟に言った。
「やったことはともかく、できるだけの弁護はするよ。俺も、人のことは言えないしさ」
11 数日後 矢島探偵社
パーティションの向こうで、矢島とコニーが会話している。
『社長、お早うございます』
「お早う、コニー」
矢島は軽い足取りでパーティションを回る。
「お早う、羊飼い諸君。今日も元気かね?」
メンバーは口々に「元気です」と答える。うなづいた矢島は、張りのある声で言った。
「時枝エージェンシーのトップと話しがついた。今後、今までと同様のことが起こったら、
こちらは櫟君のサインつき告白文を出すべきところに提出する。部長の独走で、社長の
監督不行き届きということで、随分恐縮していたね。何か質問は?」
幾男が手を挙げる。
「黒幕の部長さんは首になったんでしょうか」
「このまま追い出してもいいことはないということで、性根を叩き直すそうだ。元々、腕は
いい人物だそうだから」
「櫟は、どうなるんですか」
心配そうに、篠原。
「上役に言われて、嫌々だったため、あちらではお咎めなし」
「俊ちゃんがそれなりに野心があったのとは、違うのねえ」
カラリと由紀乃が言う。篠原が「まいった」という顔をする。由紀乃は引き続き、
「うちに補償はあるんですか。実害はなくても、尾行したり、気をつかったり、ありましたわ」
「うちが忙しい時、櫟君を貸してもらえる。お仲間でないし、今回の件はともかく、彼には
向こうの水が合っている」
柏崎が眼鏡を落としそうになる。
「それで、こっちの内情を見られたら困るじゃありませんか」
まあまあという動作をする矢島。
「向こうのトップはそういう人ではないよ。櫟君も」
「はあ・・・」と言いながら眼鏡を掛け直す柏崎。
「篠原がうちにきた事情は、ばれてないわけですね」
檜沢が冷静に確認を取る。
「大丈夫だ」
矢島がにやりと笑う。
「私の腕を信用してもらおうか」
「失礼しました」
にこりと檜沢が笑う。篠原が意外なものを見たような顔になり、思い直して、一人うなづく。
「やっぱり、「夜逃げ屋殺し」は、余所から見ると脅威ですか?」
浮かない顔で美咲が言う。
「脅威は脅威だろうね」
落ちついて矢島が受ける。
「時枝エージェンシーに限らず、どこの社から見ても、同じだろう」
美咲の目をのぞき込む。
「それで? 美咲。他社の追究が嫌で、降りるかな?」
矢島の瞳の奥を見つめる美咲。ゆっくりと視線をはずし、Circles of Confusion を見る。
「いいえ」
「それなら、よし」
矢島は改めて一同を見る。
「連絡は以上。今日も頼むよ、羊飼い諸君」
由紀乃が、篠原にだけ聞こえるように言う。
「美咲ったら、今更なこと言って。マリッジブルーの一種かしらね」
12 花屋の店頭にて
昼食の時刻を少々回った頃。駅構内の花屋で、篠原が花束にリボンをかけてもらっている。
「いつもご一緒の、あの方にですか?」
花屋がにこにこと尋ねる。
「いえ、知人が体調を崩しているので、見舞いですよ」
篠原は苦笑して答えた。
13 お茶の時間
美咲が作ったオーソドックスなシュークリームとエクレアを、皆が食べている。柏崎が遠い
目をして言う。
「以前、出張で大阪に行った時、京橋のコカルドっていうところで買ったシュークリームが
おいしかったですね。エレーヌっていう名前で、バニラビーンズが効いていました」
はっとなって、
「美咲ちゃん、ごめんなさい」
「いいえ、今度大阪に行った時、お土産に買ってきてくださいね」
「アップルパイなら、アレキサンドライトですよねー」
杜野亜希の「神林＆キリカ」シリーズ」全巻を机の上に積み上げていた幾男が言った。
手ぶらで帰ってきた篠原に、一同の視線が集まる。
「透子さんは、まだ療養中です」
「オレたちの中に、治療系統の能力者はいないからな」
「あっちサイドに任せるしかないわねえ」
「仕事の種類はともかく、見どころはありそうな連中だと思うしな」
幾男のテープ解析の結果、篠原がぶつけた推測は概ね図星だったらしいという結論が
出ていた。なんとなく静まった時にドアが開き、コニーが客を迎え入れる。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれ
ません』
「やあ、コニー。別嬪さん」
檜沢がパーティションに向かう。
「美咲が忙しくなるかな」
由紀乃が、篠原にこそっと尋ねる。
「アレキサンドライトの件、椎名さんには話してないのよね」
「そのはずです。なんとなく、庇ってるんですよね」
14 終業時刻
お茶の後で数件「跳んだ」美咲が、疲れを癒すように、また紅茶を飲んでいる。檜沢は
赤いバインダーに何か挟み込んでいる。柏崎は机の上を拭いている。幾男は3月の新刊
コミックス一覧を鞄にしまっている。篠原はなんとなく Circles of Confusion を振り返って
見ていた。
カボシャールを纏った由紀乃が今まさに「アフター5は・・・」と言おうとした時、ドアが開いた。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれません』
パーティションの向こうで、来客が九官鳥の言葉に絶句している気配がする。つぎの瞬間、
すがるような声が聞こえてきた。
「猫の手でも、鳥の手でもいい。助けてくださいっ」
第12話(前半) 終わり
[第12話(後半)へいく] [「Constellation〜星座〜」の目次へいく] [一番最初に戻る]