「Constellation〜星座〜」(第10話 前半)
第10話 「1月・・・Conflagration (大火災)」前半
逃げ出すために 跳ぶのでなく
追うために 跳ぶのでもなく
もっと 違う意味でも跳びたいの
ええ 跳べるわ
1 矢島探偵社
正月休み明け。矢島がいつものように社員たちに声をかける。
「明けましておめでとう。今年もよろしく。さて、羊飼い諸君。今日も元気かね?」
「年も明けて、今年も元気です」
去年のクリスマスに、由紀乃から贈られたネクタイをした檜沢が応える。
「お年玉で多少サイフが軽くなってますが、元気です」
羽子板の罰ゲーム、墨の跡をかすかに残した顔で、柏崎が応える。
「年末年始は目を休ませたんで、元気です」
机の上に坂田靖子の「バジル氏の優雅な生活」を置いた幾男が応える。
「元気ですわ。両方の実家に帰って忙しいお休みでしたけど」
冬なのにひまわりのように笑いながら由紀乃が言う。
「元気です」
篠原と美咲が異口同音に応える。満足したようにうなづいた矢島がパーティションを
回ろうとしたところを、檜沢が引き止める。
「社長、ちょっと待ってください・・・。何か言うべきことがあるんじゃないか? 該当者2名」
篠原と美咲に一同の視線が集中する。「わーい」と幾男が歓声らしきものを上げる。
拍手の動作をする由紀乃。柏崎は眼鏡を掛け直す。檜沢はにやにやと笑っている。
矢島は柔らかい視線を2人に向ける。篠原が促し、美咲と一緒に立つ。
「このたび、婚約しました」
美咲の左手薬指に、淡水真珠の指輪が納まっている。予定調和も何のそのとばかりに
拍手が起こる。2羽の水差し鳥のように頭を下げる2人。矢島がおだやかに尋ねる。
「式は、いつだね」
「春先の予定です」
篠原が代表で答える。
「日取りが決まったら、早めに言って来てくれ。何が何でも、会社は休みにしよう」
「はい」
「篠原のご両親に、挨拶は?」
「年末年始に美咲を連れて里帰りしましたから」
「話が通ったなら、何よりだ」
にこにこと、矢島はパーティションを回っていった。檜沢がメンバーに向かってさりげなく
話を切り出す。
「それでだな、去年からの宿題に手をつけるか?」
2 エンゲージ・バード
打ち合わせが済んで、10時近く。2階の喫茶店アスコットに、由紀乃と美咲がいた。
2人してお茶をしている。
「とにかく、おめでとっ」
「ありがとう、由紀乃」
由紀乃は美咲のエンゲージリングを借りて、手のひらに乗せている。マリッジリングと
コンビネーションになるデザインである。
「淡水真珠ね。真珠といえば6月の誕生石で、よろしいこと」
「ええ」
あこや真珠と違い、核がないのが特徴で、すべてが真珠層である。ピンク、オレンジ、
パープルなど、色のバリエーションが多い。美咲のは、うっすらとピンクがかった白で
ある。
「だけど、これだけ? ちょっと寂しいわ」
「同じ光沢のイアリングと長さの違うネックレス2種類も、合わせて買ってもらったの」
「なるほどね」
「ちなみに、クリスマスが同じシリーズのブレスレットだったから、続けざまになったけど」
「揃えるなんて、賢明な選択をしたわね。俊ちゃんも気がきくこと」
美咲に指輪を返す。
「それがね、もうひとつ、買ってもらったものがあるの」
ふんわりと笑って美咲がいう。
「何?」
「2羽のシンギング・エンゲージ・バード。青と白のツートンカラーと、オレンジの」
「カナリアでも飼うの?」
「違うけど・・・うちに遊びに来た時に、見せるわね」
3 convolution
由紀乃と美咲が社内に戻ると、柏崎が電話を切るところだった。
「はい・・・はい・・・ありがとうございました」
受話器を置いて、柏崎は一同に振り返る。
「レストランから聞き出せましたよ、墨染氏の連絡先その他」
メモを見ながら話す。
「ここ2、3年くらい、活動しているようです。スタジオ歌手ですが、本当に得意なのは
カンツォーネ。そのため、年末のディナーショーに参加したようです」
「一緒にいた亜麻色の髪の娘は?」
檜沢が尋ねる。
「墨染氏の友人らしいということしか。お客として来ていたようです。住所、氏名などは
不明です」
「墨染さんの方からたどれば、わかるわよね」
一歩一歩、標的を追い詰める口調で由紀乃。
「経歴は不明です。海外で勉強したらしいとか。また、昨年夏あたりから、あまり活動
していなかったとか。何か、歌以外のことにかまけていたらしいと。オファーを出しても
受けるかどうか、あやしいというコメントをいただきました」
「僕らは歌よりも、違うことを「うたって」欲しいんですよねえ。あ、恐い表現しちゃった。
拷問なんて、なしですよね」
「私の方を見ながら言うのはよしてね、幾男ちゃん」
「はいな、おねーさま」
檜沢が我関せずと続ける。
「墨染氏と会ったことがないのは篠原と美咲だからな。さっきも相談したとおり、どっちかに
彼の家周辺をあたって欲しい。美咲は、直接跳んでもらう可能性もあるから、やっぱり篠原
頼みか」
「ですね」
篠原がうなづく。
「隣町ですよ、篠原君」
柏崎がメモを手渡す。目を通した篠原が「ん?」という顔をする。
「どうした、篠原」
「なんだか、見たことのある住所なんですが・・・」
思い当たって、青い表紙のバインダーをめくる。目的のデータを見つけて、篠原がうなる。
「篠原、何かにぶつかったか?」
「ええ」と返事をする篠原。眉間に皺を寄せている。
「例の、軽食店アレキサンドライトと同じ番地ですよ。この数字からいうと、2件隣じゃない
かな」
「死なずに済んだ、赤井氏の近くか」
「偶然にしては、妙な符合ね」
由紀乃も訝しそうに話しに加わる。檜沢がゆっくりと言う。
「それじゃあ、美咲に回ってもらうしかないな。気をつけて、行ってくれ」
4 邂逅
昼食時に、美咲は隣町を歩いていた。社の車は避け、会社の前から一駅乗って目的地へ
向かう。駅前商店街を抜け、公園の脇を通り、交差点を左へ曲がる。正月休みは明けたが、
まだ街全体は眠りから覚めていない雰囲気である。美咲は、7階建てマンションの前をさりげ
なく通り過ぎる。ここの1階がかねてから話題の軽食店である。
「帰りにお茶でも、っていうわけには行かないでしょうね」
と、向こう側から典型的メイドスタイルのウエイトレスが歩いてくる。盆の上に2人分のティー
セットと空になったケーキ皿を乗せている。出前のトレーを回収した様子。あくまでもさりげなく
すれ違う。
「あのイアリング、コンビネーション?」
つい、ひとりごとの出る美咲。「ひまわりと朝顔の種、差し上げます」という札が玄関先にかかっ
ている家の前で足が止まる。もう1件先が墨染のマンションになる。視野の隅で、さっきのウエイ
トレスが「アレキサンドライト」の中に消えていくのを確認する。
「透子さんかしらね」
札を見直した美咲は、玄関のベルを押した。
5 construe
同日夕方。各自が調べてきた墨染のこと、赤井のことなどを持ち寄っている。
「軽食店アレキサンドライト。創設者は赤井司氏。爺さんだな。あのマンションのオーナー
でもある。いってみれば、道楽で店をやってるようなものだな。一人息子の要氏は、去年の
春先までアレキサンドライトを手伝っていたが、4月から妻の仕事の方に係わるようになって
いる。そのため、現在のスタッフは、司氏と孫の匠とウエイトレスの柴崎透子の3人だ」
檜沢は言いながら写真を取り出す。
「夏の日比谷公園、4人のうち3人はアレキサンドライトの面々だった。残る一人が墨染氏だ」
「もっと早くアレキサンドライトの人たちに目を向けてたらよかったのかしら。でも、連続行方
不明事件と不思議なコンサートの関係者が同じとは、普通思わないわよね」
由紀乃が呆気にとられたように言う。
「事件そのものは別口でしょう」
美咲からもらったひまわりの種をコニーにやっていた柏崎が、パーティションを回ってきて
言う。
「それに、例の件は篠原君に任せていたんですし」
「今さら言っても、どうしようもないと思いまーす」
今日は漫画を読んでいない幾男が追従する。篠原がメモを見ながら言う。
「ウエイトレスの透子さんですけどね、彼女、財閥・五色(ごしき)グループの関係者です。
中枢にあたる柴崎家の娘ですね。ほかの兄弟はグループ企業に勤めているのに彼女は
なぜかウエイトレスをやっています」
「遊び半分の、お嬢さまの社会勉強か? それにしては物好きな選択だ」
「五色グループの前総帥・翔(しょう)氏・・・透子さんの祖父です・・・と、司氏が旧友だそう
ですね。と、いうか、翔氏の妻とアレキサンドライトの以前のウエイトレスが姉妹だったとか。
その辺の縁もあるようです」
「よくわからない縁だな」
「その辺は、時間的に突っ込みが不足しています。もっとやりますか?」
「とりあえず、その程度でいい。突っ込みすぎてバレても困る」
「見くびらないでくださいよ、檜沢さん」
「こいつは失礼」
言ってから檜沢は真面目な顔になる。
「だがな、依頼があるわけでなし、直接犯罪に係わっているわけでなし、向こうに迷惑を
かけないように、慎重にやりたいのは確かだからな」
「それは同感です」
美咲が口をはさむ。
「墨染さんと、透子さん、つきあっているみたいですね。周囲の聞き込みからです。よく
アレキサンドライトに出前を頼んでいたのがきっかけなのか、透子さんがいるから出前を
頼んでいたのか、そのへんは不明ですけど」
一息ついてから、
「そういうこともあるので、変な噂が流れないように、立ち回り方に気をつけたいですね」
「墨染氏とウエイトレスさんがつきあってるなら、亜麻色の髪の彼女は、何なのよ」
由紀乃が疑問を述べる。檜沢が答える。
「だから要するに、仲間じゃないのか?」
「その辺が妥当かしら、リーダー」
一同が唸る。
「人でない、存在ですか」
柏崎がため息をつく。
「あのー、赤井家の方々は、人間なんでしょうか」
幾男が片手を挙げながら聞く。
「特にデータはない。篠原、聞き込みで話していた時の感触は?」
「ごく普通の人たちに見えましたけどね」
「でも、私たちだって、一見、普通の人間よね」
「おねーさまを怒らせたら恐いっていうのは、見ただけじゃわかんないもんね」
「幾男ちゃんっ」
由紀乃と幾男を見て、篠原は、ふとあることを思い出した。
「匠くんは、透子さんを「透子姉さん」と呼びます」
「何を言いたい? 篠原」
「誕生日のコンビネーションネックレスの泥棒、男性が女性を「名前プラス姉さん」で呼んで
いましたよね」
「俊ちゃん、発想が飛ぶわねえ」
「ブレイン・ストーミングだから構わんぞ、篠原」
「責める気はなかったわ。気に障ったらごめんなさい、俊ちゃん」
「いえ、気にしてませんから、由紀乃さん」
言いながら篠原は笑う。
「何よ、俊ちゃん」
「時枝の時より、あれこれ想像して話せるから、いいなと思って」
「オレたち自身、余人の想像の範疇からはずれてるからな」
「いい職場でしょ? 俊ちゃん」
由紀乃がウインクする。
「話を元に戻しましょう」
美咲が、にっこりと笑う。残るメンバーが美咲を見る。
「ブレイン・ストーミングついでに、透子さんの「とう」って、透明の透ですよね。私、ダイヤ
モンドを連想するんですけど」
「ダイヤモンドファイヤか」
檜沢が考え深げに言う。「はい」とうなづく美咲。
「今日すれ違った時、彼女、イアリングをしていたんです。たぶんダイヤだと思うんです。
無色とグリーンのコンビネーション」
「透子さんの夏の時の服って、白と若葉色だったわね。ふーん。好きな色合いみたいね」
由紀乃が自分のバイカラーのトルマリンを見ながら言う。
「そうだ、車」
檜沢が思い出した様に言う。他のメンバーの視線が彼に集まる。
「聞いたところでは、赤井家の車は濃紺のＭＲ２だ」
幾男が叫ぶ。
「それじゃ、例の泥棒と同じじゃないですかぁ。暗くて色はわからなかったけど」
「幾男ちゃんは、濃いめの色って言ってたわね」
「です、おねーさま」
「状況証拠が補強されたか」
檜沢が腕を組む。
「コニーを連れて、アレキサンドライトに行きますか?」
柏崎が眼鏡を強く磨きながら言う。
「ペットお断りではなかったと思いますが」
応える篠原に由紀乃が続く。
「もしも彼らが誕生日の事件の「お星さま」だったとしたら、コニーのことを忘れてくれてると
いいけど」
「檜沢リーダーが乗り込むのはー?」
「クリスマスの件があるから、できれば避けたい」
「困ったものだわね」
由紀乃が代表するように言う。それを受けて美咲が取りなすように言う。
「取り敢えず、流れに任せておくのはどうですか? また、動きがあるかもしれませんし」
「さすが、クリオネ」
檜沢が苦笑する。
「そうだな。墨染氏と会えたのも、運が転がり込んで来たようなものだったし」
「檜沢リーダー、でも、他に仕事がないと退屈します」
「お前は漫画っていう必殺の時間つぶし技があるだろうが」
「しくしく・・・。新しい探偵グッズの開発でもしようかなぁ」
「幾男君、年も明けたし、ぼつぼつ依頼も来ますよ、きっと」
柏崎が慰める。檜沢がメンバーを見渡して言う。
「この三題話、先行き不明だが、とにかく忘れずに覚えておくか」
6 依頼者
他の者たちがうなづいたところで、ドアベルが鳴った。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれ
ません』
コニーの言葉に客が戸惑っている。矢島が出ていき応接室へ誘導する。その間、
社員たちはパーティションのこちら側で息をひそめていた。応接室のドアがしまって
から、一斉に肩の力を抜く。
「私たち、一体、何やってんのかしらね」
ため息をつきながら由紀乃が言う。
「たんてーさんでしょ」
幾男が言う。
「迷える羊さんのお手伝いですね」
眼鏡を拭き拭き、柏崎。
「どっちが羊かわからなくなる時もあるがな」
何となく、沈黙が降りる。由紀乃が、はっと腕時計に目をやる。
「もう、5時じゃないの。帰ります」
さっさと帰り支度を始める。
「おつかれさま。今の依頼者は、一応オレが残っているから、帰っていいぞ」
檜沢が言うと、ほかの者たちも荷物をまとめ始めた。
7 同夜 美咲のマンション
リビングのテーブルの上で、二羽の小鳥が鳴いている。
「エンゲージ・シンギング・バードね。素敵だこと」
由紀乃がゼンマイを巻いて聴き返す。美咲は一緒に買ってもらった装飾品をしまって
いる。
「新年早々、うちに泊まっていいの?」
「いいのよ。ダーリンってば、新年早々、研究室に泊まり込みだなんて電話をかけて
くるんだもの」
いつものように「アフター5はお忙しいのよ」と言って会社を出ようとした時、由紀乃の
携帯が鳴ったのだった。
「お蔭さまで、さっそく鳥さんを拝見させていただけたわ」
由紀乃は機嫌良くアンティークを見ている。
「だけど、クリスマスにプロポーズで、年明けにもうエンゲージリングをしてるなんて、
素早いわね」
「真珠をメインにしているお店だったから、品揃えが豊富だったのよ。サイズ直しも
いらなかったし」
「でも、この鳥さんは?」
「オルゴールの小さな博物館って、年中無休なの」
ふんふんとうなづく由紀乃。
「結婚って勢いだから、乗ってる時に一気にゴールインしちゃいなさいよ」
「ええ」
ほんのり赤くなりながら、美咲が応える。由紀乃は噴き出しながら美咲の肩を叩く。
「まったく、もう、幸せそうに。この「赤くなり屋」さん」
美咲が何か言おうとしたところに、電話が鳴る。美咲がいそいそと電話に向かう。
「俊ちゃんから定時連絡?」
受話器を取りながら、美咲はうなづく。
「じゃあ、私、歯を磨いてくるわ」
由紀乃が洗面所にいくと、彼女用の青いコップと歯ブラシが置いてある。くすりと笑う由紀乃。
「俊ちゃんが使った跡も、普段はこれがどこかに移動しているような形跡もないわね」
リビングでは、美咲が篠原と何気ないことを話していた。Circles of Confusion をたまに
振り返って、美咲は笑っている。
第10話(前半) 終わり
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