「Constellation〜星座〜」(第7話 前半)
第7話 「10月・・・Contrail(飛行機雲)」(前半)
夜、寝る前にはね、鏡に笑いかけるの
お気に入りの笑顔ができるまで
素敵な眠りのためと 素敵な明日の朝のために
1 美咲のマンション
快晴の平日。午前9時少し前。美咲がベランダに出て、マンションの門周辺を見下ろして
いる。3ドアで少し幅広な軽自動車といった風情の車が一台入ってくる。白の外装でボディの
あちこちに赤・白・青のブーメラン型ストライプが入っている。
「あれね」
外出の支度を終えていた美咲は、車に向かって手を振った。
2 同時刻 矢島探偵社 社員スペース
コニーと挨拶を交わした矢島が、パーティションを回る。
「お早う、羊飼い諸君。今日も元気かね?」
檜沢、柏崎、由紀乃、幾男の4人の「元気です」の返事を聞くと、矢島は満足そうに
社長室へ入っていった。
「美咲と俊ちゃんがいないと、なんだか寂しいわ」
空いている隣と前の席を見ながら由紀乃が言う。
「2人揃って休暇か」
檜沢が、これも、空いている隣と前の席を見ながら言う。
「どこまでいってるんでしょーね」
馬頭ちーめいの「BREAK-AGE(ブレイク エイジ)」を読みながら幾男が言う。
「ドライブで河口湖と箱根方面って聞いてるわよ、美咲から」
「そういう意味で聞いてるんじゃないんですけど、おねーさま」
「幾男君、そういう詮索はやめなさいいよ」
新聞を読みながら柏崎が言う。
「気になるお年頃ですから」
幾男が屈託なく、言い返す。
「そのお年頃に合わせた慎みのある振る舞いも覚えなさいよ、幾男君」
「はーい」
言ってるそばから、檜沢の方を見る。視線を受けとめた檜沢は、
「オレに頼るな。試験採用が済んでから、あいつと握手の習慣はなくなってるんだからな」
「がっかりです、檜沢リーダー」
「観察眼を養えよ、幾男。知能指数だけじゃ探偵はできないぞ」
「はーい」
「精進しなさいよ、天才の我が弟」
「おねーさま、僕は普通の弟でいいです。二十歳すぎちゃったし」
「謙遜しなくていいわよ」
ドアベルが鳴り、コニーが客を迎え入れる。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれ
ません』
おしゃべりをやめる探偵たち。社長室のドアが開き、矢島が客を応接室に誘導する。
柏崎は新聞を読むのをやめて、壁のシルクスクリーンを見る。
「私たち、篠原君に話してないことが、まだ、たんとありますねえ」
「追い追い、時期がくれば話しますよ。自然体で行きましょう、モチさん」
3 車の中
美咲を助手席に乗せて、篠原の車は中央高速を八王子方面に走っている。
「俊二・・・さんの車、左ハンドルだったんですね」
右側にある助手席に座って、美咲が言う。
「小型だけど、れっきとした外車だよ」
苦笑して篠原が応える。美咲が続ける。
「外装は白、中は赤いマットとシートベルト。シートは黒地で赤い模様が散ってるのね」
「うん」
「俊二さん、外側にあった三色のストライプ模様がハンドルにもついてるけど」
「ああ、これね。プジョー - タルボ・スポールのシンボルマーク。ちなみに、シートの赤い
模様は、それをモディファイした(少し変更した)デザイン」
小首を傾げる美咲。
「そういえば、車の名前、聞いてなかったわ」
「プジョー106ラリーだよ」
誇らしげに篠原が答える。
プジョー106ラリーと口の中で復唱する美咲。かみ砕いて覚えた、という表情で、
「なんだか、かわいい車。車のことはよく知らないけど、このコは好き」
今度は嬉しそうに篠原が言う。
「それはありがとう。気に入ってもらえて、よかった」
4 矢島探偵社 社員スペース
矢島が来客をドアまで送る。コニーが『ありがとうございました。気をつけてお帰り
ください』と言う。ドアがしまるなり、矢島がパーティションを回ってきた。
「今、手の空いている者」
檜沢の手が挙がる。
「追跡、頼む。どうもひっかかる感じなので、依頼を断ったんだ」
「了解しました」
残る3人が笑っている。
「檜沢君、もしかしたら、毎度の人たちじゃありませんかね」
「懲りないわよね」
「ねえねえ、檜沢リーダー、パーフェクト尾行成功しましょーよ」
檜沢は仲間たちを見て苦笑する。
「まだ、相手がそうと決まったわけじゃないだろ」
矢島がそんな4人を見ながら言う。
「リーダーだけが尾行失敗するわけにはいかないね」
檜沢が真面目な顔になって応える。
「はい、行きます」
5 プジョー106ラリー
八王子インターを過ぎた車は、中央高速を大月ジャンクションで河口湖インター
方面に向かった。
6 矢島探偵社 社員スペース
由紀乃の前の電話が鳴る。外線の音である。
「はい、矢島探偵社です」
「由紀乃か、オレだ」
「リーダー、どうされました」
「結果が出たぞ」
笑いを含んだ声で檜沢が言う。
「オレたちの4連勝だ」
「あら、素敵ですわね」
由紀乃が柏崎と幾男にVサインを出す。
「と、いうわけで、オレは歌舞伎町に寄らせてもらう。そっちは忙しくないだろ?」
「まあ、大丈夫ですわね」
「昼過ぎには戻る」
「お土産にケーキ買ってきてくださいね。グランド・クロス達成お祝いに」
7 contrail
河口湖インターで降りたプジョー106ラリーは、紅葉狩りに河口湖・西湖近辺を巡った。
昼飯を「不動のほうとう」で済ませ、宝石の森、久保田一竹記念館に入り、湖畔のベンチ
で早めのお茶タイムとなった。
「お菓子持参は、こういう時にも必須なの?」
美咲の焼いてきたバナナブレッドをつまみながら、篠原が言う。魔法瓶はコーヒーと
紅茶の2本が用意されている。
「前の日に焼けば、楽しみが倍になると思ったから」
くすりと笑って美咲が応える。自分の試験採用中の時より、明るい笑顔だと篠原は思う。
それでも、まだどこかセーブした笑いにも見える。
「あ、俊二さん、飛行機雲」
「ほんとだ」
秋空に一本、飛行機雲が伸びていく。紅葉と青空のアングルの中を、飛行機雲が横切って
行く。見上げながら、美咲が言う。
「由紀乃に言わせれば、私は「力」があるから、旅行は思い立った日にできてうらやましい
っていうことになるの。足の確保はいらないし、泊まる宿がなければ、家に帰ればいいん
だからって」
「ふうん」
「でもね、旅の楽しみは予定を立てることと行くまでの過程にもあると思うから、私はあまり
はっきりとは肯定しないの」
黙ってうなづく篠原。
「由紀乃もそれは、知ってる。だから、それは観光シーズンの、私たちのお約束の会話」
「そうなんだ」
ほっとした口調で言う篠原。
「今日は、ありがとう、俊二さん。ドライブは、ほとんどしたことがないの。電車ばかりで」
ふんわりと笑って美咲が言う。
「どういたしまして。こっちも、楽しんだから。女性を助手席に乗せるなんて、ラリーも
驚いてる」
肩に手をかけようとすると、ピクリとする。手を引っ込めて、気を取り直して彼は言う。
「そろそろ、ここから動く?」
カスタードクリームのような色のワンピースで、紅葉に紛れそうな格好の美咲は、「ええ」
とうなづいた。
8 同時刻 矢島探偵社 社員スペース
檜沢が買ってきた原宿・デメルのザッハトルテを出勤しているメンバーで食べている。
いつものように8等分されて、別に買った生クリームが添えられている。
「おねーさま、もう一切れ食べちゃ、いけませんか」
「美咲と俊ちゃんの分なのよ。冷蔵庫に入れておけば、明日でも大丈夫でしょ」
「朝一でおニ方に召し上がっていただきましょう。ね、幾男君」
「僕は食欲旺盛なお年頃なんですけど」
「そんなもの、とっくに過ぎたと思ってたわ」
「すぐ下のアスコットに行くか、一番下のコンビニに行ったらいいのでは?」
柏崎がそう言った時、ドアベルが鳴った。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれ
ません』
矢島が来客を応接室に誘導する物音が聞こえてくる。コーヒーのお代わりを自分で
注ぎながら檜沢が言う。
「今度はまともな客であって欲しいな」
9 箱根 本間美術館
箱根登山線入生田(いりゅうだ)駅近くの本間木工所・本間美術館に篠原と美咲がいる。
江戸時代につくられ家具調度品を始めとした数々の寄せ木細工のコレクションを見学
することができる小さな美術館。1階の売店コーナーで入館料を払い、階段で2階へ上が
る。客が来るたびに売店の女性が一緒に上がって、展示品の解説をしてくれる。
篠原と美咲は、4人連れの家族が説明を受けるのに便乗して、話しに聞き入った。黒柿に
寄木を象嵌して山水画を螺鈿した書見台、徳川11代将軍家斉の文台などを順に見ていく。
「では、あとはゆっくりご覧ください」
説明役の女性が降りていって間もなく、家族連れも下へ降りていった。篠原と美咲の2人きり
になる。美咲は一番奥のコーナーにある寄木蒔絵箪笥の前にずっと立っている。有田焼、蒔
絵と寄木が組み合わされた作品で、引き出しや戸に様々な装飾が施されている。鼈甲(べっ
こう)に鶴と亀が描かれ、有田焼で山水画が描かれている。一竿の中に重厚な部分と華やか
な部分があり、全体として調和のとれた美しさを持っている。
「随分、気に入ったみたいだね」
箪笥を見るというより、箪笥を見る美咲を見ていた篠原が言う。美咲はこくりとうなづく。
「どんな人が持っていたのかな、なんて考えてしまって」
「ヨーロッパにあったものを、入手してコレクションに加えたっていう話しだったっけ」
先程の解説を思い出しながら篠原が言う。
「例えば、箪笥だから、どこかのお嬢さんのお嫁入り道具として注文されたとか。それで、時が
経って、何かの縁でヨーロッパに渡っていったとか」
「ないとは言えないね」
ひとしきり箪笥を見てから、2人は1階に降りる。売店コーナーも見て回る。アクセサリー
コーナーで、美咲がイアリングを見つけた。
「素敵。宝石とはまた違う、木のぬくもりで」
「欲しい?」
「え? ええ」
「どれ? 買ってあげる」
美咲が赤くなっている。数点のうちのひとつを指さす。
「了解」
軽く取り上げた篠原はレジへ持っていく。美咲は赤くなったまま、工房の方を見ている。
職人が制作しているのが、売店から見学できる。
「おまたせ」
篠原が美咲の手の中に小さな包みを落とす。
「あ、ありがとう、俊二さん」
「なんの。箪笥に比べたら、ずっと安いよ」
「え?」
「何でもない」
連れ立って売店を出る。駐車場に向かう途中で、美咲が思い出したように笑う。
「俊二さん、走っている車ごと跳べる人だったなんて」
河口湖インタ−から東富士五湖道路に乗り、御殿場方面へ走っている途中のこと。
美咲の本間美術館行きの希望を聞いて、時間のこともあり、周囲に車のいないタイ
ミングを狙って一気に美術館の近くまで来たのだった。
「旅の醍醐味は途中過程って言ったそばから、こんなことをさせてしまって。私、勝手ね」
「いいじゃないか。使える力は、有効活用しないと。状況に応じてね」
車のドアを開ける。
「社長も檜沢さんも、みんなには、普通のテレポート能力者って言っていたみたいだね」
「試験採用だから、あまり詳しく言わない方がいいと思っていたのかも」
「だろうね。完全に、ばれていたはずだから」
最初の面接の時、篠原の手を握った檜沢は、こう言ったのだった。
「特技は何かな? 採用されたいなら、それをしっかりアピールすることだ。あ、それから
志望動機もはっきり言ってくれよ」
篠原は思い返して美咲に話す。
「それを読まれちゃ、どうしようもないよな」
美咲が苦笑する。
「ごめんなさい。こっちも、お仲間を見つけたかったのと、防衛上、必死だったから」
「正しい力の使い方じゃない? 俺が檜沢さんでも、そうしてると思うよ」
駐車場を出る。
「場合によっては、もう一度跳ぶから」
にこりと笑って、美咲は、
「はい、おまかせします」
10 矢島探偵社 社長室
来客が帰ったあと、檜沢は社長室に呼ばれた。矢島は、10月のとある日付を告げる。
「この日は全員が空くように、皆のスケジュールの調整をしてくれ」
「と、いうことは」
檜沢はにやりとする。
「今度は、まっとうな依頼者でしたね」
11 すからーくグリル
静岡県御殿場市。R246号線とR138号線バイパスの交差点脇「すからーくグリル」で2人が
アフタヌーンティーをとっている。美咲の耳には寄木細工のイアリングがある。
「ねえ、俊二さん。私、プジョー106ラリーって、聞いたことがなかったけど。それは、まあ、
車自体に詳しくないけど」
ああ、とうなづく篠原。
「日本国内には正式には導入されてないから、無理ないと思うよ。生産台数も、ベースになった
106の生産台数から見ればごく少量だし」
「それでも、俊二さんは、このコを見つけたのね」
空になったケーキスタンドの向こうで美咲が笑う。
「そう。縁だったみたいだ」
だいぶ暗くなってきた外に気づき、腕時計に目をやる。篠原の動きに、美咲も同様のことをする。
残念そうに言う。
「俊二さん、そろそろ帰らないと」
「そうだね。でも」
迷う表情の篠原。子供が何かをねだるような顔で、
「せっかくここまで来たんだから、少しワインディングロードを飛ばしてから帰っていい?」
「ワインディングロードって?」
美咲がきょとんとする。
「葡萄棚の脇を走る道?」
「曲がりくねった道のこと」
篠原が苦笑する。
「ワインディングって略すことが多いよ」
うなづく美咲。
「それじゃ、そのワインディングロードを回ってから帰りましょう」
伝票を持って、2人は立ち上がった。
12 ワインディングロードにて
プジョー106ラリーは、すからーくグリルのある萩原北交差点を南東方向に進み、
東名高速御殿場インターチェンジ＆箱根方面へ向かって登っていった。ＪＲ御殿
場線を跨線橋で越え、東名高速をガードでくぐり、乙女トンネルに登っていく途中
の深沢交差点を右折する。夕暮れの中、長尾峠に向かってさらに旧道(県道401号
線。R138旧道)の狭いワインディングを駆け上がる。巧みにハンドルを切る篠原を
美咲は感心したように見ている。篠原は普通の人間が普通に運転した時より少し
だけ速いスピードでラリーを操る。長尾峠のトンネルの直前で右折し、箱根スカイ
ラインに入る。
「恐くない? 恐いならもう少しスピードを落とすけど」
「大丈夫」
本当なら、この7割から8割増し以上で飛ばしたいところだけどと思いつつ、篠原は
うなづく。カーステレオの代わりにラジオのスイッチを入れる。峠を走るのに合った
軽快な曲を捜し当てる。ボリュームを調節する。
「この曲、「ミッドナイト・フリーウェイ」だわ」
インストゥルメントの曲に、美咲が目を輝かす。
「知ってるの」
「ええ。サーカスが歌ってた曲。これは、歌なしだけど」
ラジオから流れる曲を伴奏に、美咲が口ずさむ。
「美咲、歌詞がはっきり聞こえないんだけど。どうせなら、もっときちんと歌ってくれない?」
「嫌っ」
赤くなって美咲が応える。横目で、そしてルームミラー越しに美咲の表情を見ていた
篠原は「はいはい」と首をすくめた。そう言っているうちに曲が変わり、美咲は歌うのを
やめた。車は走り続ける
「もやってるな。あまり景色が見えない。ごめんね」
「ううん、いいの」
箱根外輪山の尾根上、静岡県側を登ったり下ったりしながら進む。
「ああっ、キツネ」
湖尻峠につく直前で美咲が声をあげる。
「この辺だと、よく見かけるよ」
「2匹いる。かわいいっ」
「番(つがい)かもね」
完全に夕暮れの中、湖尻峠に着く。午後5時半を回っている。篠原は芦ノ湖スカイラインに
入っていき、箱根峠への途中で車を止めた。美咲を誘(いざな)って外に出る。先程の箱根
スカイラインの時と違い、今は見晴らしがいい。光の海が眼下に広がる。
「きれい・・・」
ため息をついて美咲が見入る。
「宝石の森もいいけど、こういう光もいいでしょ?」
脇に立って篠原が言う。美咲は声もなく、精一杯うなづく。10月とはいえ、山の中のため、
日が暮れると気温が低くなっている。無意識に腕をさすっている美咲を見て、篠原が
ジャケットを脱ごうとする。
「あ、いい。俊二さんが寒くなるもの」
「男だから、いい」
「よくないわ」
「じゃ、どうする?」
美咲が篠原を見る。篠原も美咲を見ている。無言で寄り添う。
「少しはあったかくなるかな」
「うん」
篠原が美咲の肩を抱くと、美咲は恥ずかしそうに微笑んだ。
13 Photo Transfer そして
しばらく夜景を見たあと、道路閉鎖のこともあり、2人は車に戻った。6時半くらいに
なっている。篠原はエアコンをつけた。弱暖房にする。車内の温度が少し上がる。
「ほどほどに入れるから」
美咲はうなづいて、魔法瓶から残ったコーヒーをコップに注ぎ篠原に渡す。
「暖の取り方はいろいろあるから」
「そうだね」
コーヒーと紅茶でそれぞれが暖を取り、車をスタートさせる。箱根峠に向かう。
疲れた様子もなく、篠原はプジョー106ラリーを走らせていく。
「俊二さん、ごめんなさい」
箱根峠から箱根新道に入った頃、美咲がぽつりと言った。
「何が?」
ルームミラー越しに美咲を見ながら、篠原が問い返す。
「俊二さん、話を聞きながら運転していて、大丈夫?」
「変に緊張しなければ平気だけど」
「そう」
美咲はロケットを握りしめている。顔がかすかに強張っている。
「どうしたの? 話したいことがあるなら、言って」
「・・・・・・」
「運転中話すのが恐いなら、その辺で止めるけど」
「止めなくて、いいっ。止めないで」
篠原は同じペースで車を走らせる。黙って美咲が話しだすのを待つ。やがて、美咲は
口を開いた。
「俊二さんが担当した、2件の行方不明調査ね」
「うん」
「あれ、最初から、見つけられない可能性がものすごく高い仕事だったんです」
かすかに眉を顰める篠原。
「最初から、見つけられない可能性がものすごく高かった?」
「ええ」
篠原はそのまま車を走らせる。美咲は、黙って窓の外を見ている。
「寒い?」
「ううん」
答えたことで弾みをつけるようにして、美咲が続きを話し始める。
「私の Photo Transfer は、写真や絵に描かれた場所に跳ぶもの。そして、そこから派生
してモデルになった人の所にも跳べる・・・」
「そうだったね」
「でも、それには限界があるの。海は跳べても、生死は越えられない」
「・・・・・・」
「探す相手が死んでいる時は、私の力は使えない。跳べないの」
時間の流れの川を走るように、プジョー106ラリーは進む。
「俊二さんに、いえ、篠原さんに割り当てられた2件、どちらも私が探せなかった人なの。
ごめん・・・なさい」
「その、探せなかった場合は死んでいるっていうのは、100パーセントの確率なの?」
「見つけられなかった人たちのうち、あとで何らかの形で「発見」できた人は、誰もがうちに
調査依頼が来た時には、もう死んでいたの。「発見」できなかった人たちは、今でも行方
知れずのまま」
「それで、俺が入社する前は、どうしていたの?」
「私が跳べなかった時は、檜沢さんかモチさんが徹底調査をかけたの。それでも、見つけ
られたことはなくて」
「美咲が跳べなかった段階で打ち切るんじゃなくて、そのあとも調査してるんだ」
「そう。初めのうちは、私でも跳べないことがあるんだろうって思われたり、よほど遠くに行って
いて、これまた追跡不可能だろうって考えたり。でも、少しずつ・・・本当に少しずつデータが
増えていって、それでは、今のところ例外はないの」
「1件でも例外が出れば、公式は崩れるわけだ」
「ええ」
前を見ながら、美咲は続ける。
「例外が出たら、私が失敗したことになるけど、例外が出て欲しい」
「・・・・・・」
「檜沢さんたちが徹底調査で出ていった時は、いつも変な気持ち。見つけて欲しい、無事に
元気な調査対象者を見つけて欲しい。だけど・・・」
それ以上言葉が続かない。
「俺が2件の調査を任されたのは、なぜ?」
「目的は2つ。1つは、俊二さんの実力をみるため。すぐに見つけられそうな調査対象者や、
私が見つけた人を探させても意味はないから。得意不得意はあるだろうけど、矢島探偵社
は「夜逃げ屋殺し」だから、調査員のこれに関する力は見ておかないと」
「美咲がいても、行方不明者捜索の力を、見る?」
こくりとうなづく美咲。
「なぜ、あるのかわからない力。いつ、なくなるかもしれない。だから、先のことを考えて天与の
ものでない、訓練して身につけた調査能力も見るの。私のことに限らず、みんな、力に頼りきっ
た仕事はしないようにしてる」
「ふむ」
「それに、行方不明者調査を例にして、俊二さんの仕事全般の腕も見られるし」
「試験採用期間中だったしね」
「目的の2つ目は、俊二さんだったら、先入観なしで探してくれるから。檜沢さんたちが最初から
手を抜くわけじゃないけど、どうしても、死んでるかもしれないっていう気持ちを持ちながら探す
ことになるでしょう。見つけ出せる可能性を、1パーセントでも上げたかったの」
「誰のアイディア?」
「社長も考えた、檜沢さんも考えた、私も考えた、ほかのメンバーも知っていた。だけど・・・」
「だけど?」
「ごめんなさい」
「どうして、謝るの」
「こういう背景を知らせないで、調査させたから。最初から、結果が出ないかもしれないことを
させて。そして、見つからなくて、苦しめたから」
「でも、仕方のないことだったんじゃないの? 俺はスパイだったから手の内は明かせないし、
そうでなったとしても、先に Photo Transfer のことを聞いていたら、微妙に影響が出ていた
かもしれない」
「それはわかってるの。だけど、やっぱり、ごめんなさい」
ハンドルを握ったまま、篠原は苦笑する。
「まったく、人のいい」
美咲はロケットのチェーンを引きちぎらんばかりに握っている。
「ねえ、美咲。産業スパイ兼ヘッドハンターいじめも、少しは混ざってたんじゃないのかな。
今にして思えば」
含み笑いしながら篠原は言う。美咲は、赤くなった上に涙ぐんでいる。
「図星だった? 大丈夫。怒らないから。なにしろ、俺はそうされても文句言えない立場だったし。
あとの2つの理由だって、もっともだろ? いいって。だけど、見つけられなかったのは心残りだよ」
ダッシュボードからハンディタオルを出して、美咲に渡す。
「泣かないの。だけど、美咲の力を否定したくはないけど、見つけたかったな。Photo Transferで
跳べない時、美咲もつらいんじゃないの?」
涙を拭いて、美咲がうなづく。
「さっきの、夜景の明かりの中の、どこかにいてくれればいいのに」
「そうだね」
篠原は暖房の設定温度を上げた。
「少しだけ、余計にあったかくするから」
14 帰還
箱根湯本でR1に合流した辺りと、東名高速厚木インター手前で渋滞に巻き込まれ、プジョー106は
のろのろ運転を余儀なくされた。助手席の美咲は今日の疲れと、気掛かりだったことを吐き出した
安堵からか、いつの間にか眠ってしまった。篠原はルームミラーの端に美咲の寝顔を納めるよう
にし、時々彼女の様子を見ていた。寄木細工のイヤリングもミラーに写ることが、どうにもくすぐっ
たい。だが、頬が緩むのを引き締めて、美咲を起こさないように安全運転に徹する。
「峠を降りてから事故を起こしたら、しゃれにもならない」
横浜町田インターを越えた辺りから流れがスムーズになった。9時半頃、用賀で東名高速を降りる。
ようやく目を覚ました美咲と相談して、帰りの道すがら軽く夕食を取る。やがて、美咲のマンション
前に着いたのは、11時半近くになっていた。
「渋滞に巻き込まれるのも、ドライブの醍醐味っていうことにしておこうか」
「前後左右に車が詰まっているところじゃ、俊二さんも跳ぶに跳べないでしょうし」
エレベーターホールでいいと言う美咲を押し切って、一緒に上がっていく。
「マンションのエレベーターっていうのは、危険箇所のうちなんだから。玄関まで、中に入るまで
送る」
「はい」
貸し切りで上がっていく。角部屋まで、外気に触れる通路を歩いていく。ドアの前で美咲は
くるりと振り返る。
「俊二さん、今日は本当にありがとう」
「こっちこそ、ありがとう。楽しかったよ」
「私も」
ドアを開ける。美咲はそのままの位置に立って、何事か逡巡している。篠原は美咲を軽く
押して、一、ニ歩中へ入らせた。自分も玄関内へ入る。背後でドアが閉まる。
「俊二さんっ ? !」
焦った美咲の声がする。篠原は手さぐりで電気をつける。
「恐がらなくていいから」
明かりの下で、美咲の顔を見る。
「やっぱり、似合ってる。イアリング」
美咲の顔が、また赤くなる。片手でそっとイアリングに触れる。指先がイアリングに触れたまま、
手のひらが頬に触れる。篠原は顔を近づける。
「あ・・・」
抵抗はされなかった。すぐに体を放して、ドアを開ける。
「ごちそうさま。ガソリン代くらい、出たかな」
「俊二さん !」
「冗談だよ。ごめん」
美咲が真っ赤になりながら笑っているのを見て、ほっとする。体を引き寄せてもう一度キスした後、
改めて言い直す。
「それじゃ、おやすみ」
「おやすなさい」
ドアがしまり、チェーンをかける音を確認してから、篠原はドアの前から離れた。
15 約30分後 篠原のアパート
帰宅した篠原が、ぼんやりしている。
「無事帰宅したのは、ま、偉かったな」
電話のベルが鳴る。ぎくりとする篠原。
「まさか、ね」
思い切って電話を取る。
「俊二さん?」
さっき別れた彼女の声がする。ほっと息をつく篠原。
「どうしたの?」
「もう、帰ってるかなと思って」
「今さっきだよ」
「今日はおつかれさま、本当にありがとう」
「いやいや」
「明日、遅刻しないようにお互い気をつけましょうね」
「そうだね。お互い、朝から力を使わなくて済むようにしようね」
言いながら篠原は笑っていた。
「由紀乃から留守電が入ってたの。私たちの分のケーキがあるから、朝、忘れないでって」
「お土産に温泉まんじゅうを買ったのは正解だったかな」
「だって、甘い物のお土産はお約束だから」
美咲の笑い声が、篠原の耳に心地よく響いた。
第7話(前半) 終わり
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