「Constellation〜星座〜」(第6話 後)

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第4話 「9月・・・Condition (条件)」後

24 翌朝 矢島探偵社
いつもの朝と同じように、矢島が言う。
「お早う、羊飼い諸君。今日も元気かね?」
口々に「元気です」と答える社員たち。うなづいた矢島は、最後に篠原に向かって言った。
「面接は、午後のお茶が済んでからにしよう。予定は大丈夫だね」
「はい」
いつもと変わらない素振りで、矢島は社長室に入っていった。


25 同日 午前中
視線を感じて篠原が目を上げると、美咲の顔がこちらを向いていた。にこ、と彼が笑い
かけると、彼女も笑みを返す。そして、かすかに不安そうな顔になる。そこまで心配しな
くてもいいのに、と篠原は思う。仮に不採用でも、一生会えなくなるわけでもないだろう。
今度は自分の背後に美咲の視線が向けられているのに気づく。篠原は後ろを見る。シル
クスクリーンの Circles of Confusion がかかっている。いずれ、この201/202と美咲の家の
202/202の関連でも尋ねて見ようと篠原は考えた。


26 同日 午後
お茶の時間。腕に縒(よ)りを掛けて柏崎が紅茶を入れる。美咲が作ってきたシュー
クリーム2種が出される。白鳥をかたどったスワンとかごの形に作ってあるパニエである。
「人数分より多めに持ってきましたから。半分コしなくても大丈夫ですよ」
「美咲、イーグルとかファルコンってないのか?」
「シュークリームね。ふーん、誰の好みかしら」
「篠さーん、これ、読みませんか?」
幾男が「タッジー・マッジー」を振りかざす。
篠原は照れ笑いをしている。
「どうも、みんなに気遣ってもらっちゃって」
ひとしきりのお茶会の後、矢島が社長室から出てきた。
「篠原、そろそろ面接しようか」


27 最終面接
応接室。矢島と篠原が向かい合って座り、檜沢は腕を組んでドアにもたれかかっていた。
「柏崎の入れた紅茶を飲んだばかりだろうが、私も、心ばかりで入れさせてもらおう」
そう言って矢島がコーヒーを入れる。これはこれで、独特の風味の矢島スペシャル。篠原が
口をつけ、一息ついたのを見てとって、矢島が切り出した。
「お互いをよく観察し合っていた半年だと思うよ、篠原。私たちが君を見ていたのと同様に、
君も私たちのことを見ていただろう。そこで、そろそろ、先のことを考えての結論を出したい
所だね」
「その件なんですけどね、社長」
コーヒーカップを置いて、篠原が言う。
「社長の側からの結論を話していただく前に、俺は言わなきゃならないことがあるんです」
「何だね」
矢島の目に柔和な光が浮かぶ。俺は、これを怒りと軽蔑の色に変えてしまうのだろうかと
思いながら、篠原は続ける。
「俺は、まっとうな転職希望者なんかじゃなかったんですよ」
「と、言うと何だったのかな」
「時枝エージェンシーのスパイ兼ヘッドハンターです」


28 猫とねずみと
矢島の瞳の表情は変わらない。
「何をスパイしに来たのかな、篠原」
「「夜逃げ屋殺し」のノウハウですよ。あまりにも早くて正確、かつ成功率の高い行方不明者
探しの秘訣です。外からではわからないから、中に入って教わって来い、という指令で」
「ヘッドハンターの方は?」
「もしもノウハウを盗みきれなかったら、ここのエース自身を時枝に引っ張って来いと。結局、
誰なのかわかりませんでしたけど。美咲さんを除いたメンバー、みんなその調査に係わって
いるみたいですし。わかったのは、俺は行方不明者調査が下手だったっていうことくらい
ですか」
「時枝は一流大手と言われているのにね。名実共にそうだろう。なぜ、こんな小さなところを
気に掛けるんだろうな」
「一流大手と言われる分、プライドが高くなってしまってるんです。全ての分野で業界トップに
ならないと、気が済まない。それこそ、小さな探偵社が得意分野を持って名を馳せるのが気に
食わないんですよ」
「会社の意志はそうでも、君自身はどうなんだ? 篠原」
「俺は、別に全てで一番でなくてもいいと思いましたね。大手と中小の同業者が共存しても
構わないと思いますし」
「それなら、なぜ、ここへ来た? 篠原」
「チャンスかと思いまして」
くすりと笑って言う篠原。
「矢島探偵社のノウハウに興味がありましたから。時枝に入ってからでは、接することの
できない筈の場所に入っていけるなら、行って見たかったんですよ。それに・・・」
「それに?」
「時枝の方針に、少し幻滅しまして。指令に従った者が言うのはおこがましいけれど、スパイ
まで送り込んで、小さな会社の技を盗もうなんてね。仮にエースを引き抜いたら、潰れること
だってありうるのに。それに、エースにしても、ノウハウを吐き出させた後はお払い箱の可能性
もあるし」
「確かに、ありそうだね」
篠原の言葉が止まる。矢島は柔らかい口調で続ける。
「時枝に幻滅して、それで、どうなったのかな?」
「それで、時枝から離れようかと思いました。そう言いながら、ずっと向こうとも連絡をとって
いましたが。試験採用の間は、ここに本気で骨を埋めてみたくなったり、どっちでもいいから、
とにかく勉強して腕を磨きたいとも思ったり。自分でも、よくわからない感じでした」
ドアにもたれていた檜沢が口をはさむ。
「うちは即戦力を探していたんであって、勉強を教える余裕はなかったんだがな」
「すみません」
逆らいようもなく謝る篠原。矢島が会話に入り直す。
「それで? 篠原。うちで勉強し直してその後は?」
逡巡する篠原。矢島の視線は変わらない。
「時枝の者としての仕事は果たせていないし、こちらで正体を明かしてしまって、帰るところが
ないようだけどね、篠原」
「非常に図々しいお願いですが、もう一度試験採用しなおしていただけませんか。一から
やり直しで。寝返ったスパイの言いぐさでは、信用されないでしょうけど」
冷酷に檜沢が宣言する。
「試験採用のやり直しなんて、うちにそんな余裕はないぜ。でしょう? 社長」
「そうだね」
うなづく矢島と肩を落とす篠原。
「やっぱりね。無理だとは思いましたが」
「私の話しは終わっていないよ、篠原」
「は?」
「つまり、君は改めてうちに就職希望と取っていいわけだろう? 時枝のことは脇に置いて」
「脇に置くって。オレは、スパイの事実を水に流すほど甘くありませんよ、社長」
檜沢が口をはさむ。言っている内容の割には楽しげな口調である。
「檜沢、もういいから。芝居は、この辺でやめよう。時間が、そろそろなくなってきた」
「そうですね」
2人の会話に、篠原は首を傾げる。咳払いをする矢島。
「篠原、こちらも君には謝ることがある。あとで詳しく話せるといいけどね。君の正体は最初から
わかっていたんだよ」
「え?」
ぎょっとする篠原。
「俺は、そんなに怪しげでしたか」
「そういうわけではないよ」
「「夜逃げ屋殺し」だけでなく、うちは他の面でも優秀なんだぜ、篠原」
片手を挙げて言う檜沢。矢島は檜沢を見ながら言う。
「その辺の見極めは、なんといっても檜沢が得意でね。君の使命から、気持ちから、本当の
ところ、時枝とうちの狭間で揺れていたのも知っている」
「筒抜けだったぜ、悪いな」
「こちらから言うわけにも行かなくてね、泳がせていた、というところかな」
「スパイだろうと何だろうと、優秀な人材が欲しいのはどこも同じ。お前の問題点は、その
使命だけなのか、しっかり見させてもらったのさ」
矢島と檜沢の両方から畳みかけられて、篠原は絶句していた。我に返ったように矢島が言う。
「それで、だ。君の正体については、この通り全く驚かない。もう一度確認を取るが、今でも
うちに就職希望かな?」
「はいっ」
反射で答える篠原。
「おい、篠原、うちのメンバーも意地は悪いぜ。あとで嘆くなよ」
「お互いさまでしょう、檜沢さん」
言い返してから、気づく。それでは、美咲も知っていたのか? 篠原の疑問をよそに、矢島が
話を進める。
「試験採用をし直す余裕はうちにはない、かと言って、元スパイの君をこのまま採用するのも
不安が残る。ここはひとつ、テストをして、本気でここで働く気でいるのか、確かめさせてもらい
たい」
「受けましょう。どんな試験ですか」
「報告書の提出だ。もう、時間がないので、全速力で届けて欲しい」


29 condition
矢島は一枚のフロッピーディスクを取り出して事務用封筒に入れた。
「これをお客さんに届けるんだ」
「そんなことでいいんですか?」
気の抜けた声で篠原が言う。
「それに、お客と社員は極力合わせない方針のはずなのに」
「これは、お得意さんの報告書だからね。うちのメンバーとは顔見知りだ。と、いうか、
彼と会ったことのない社員はモグリだよ」
「とっとと会って来いよ、篠原」
「それじゃあ・・・実質的に採用ですか?」
「いいや。れっきとしたテストだ」
矢島はディスクの入った封筒と一枚の写真を篠原に手渡す。
「この人は今、羽田空港の***番ゲート付近にいる。報告書を受け取って、すぐにも
飛行機に乗りたいはずなんだ。だから、急いで届けてくれ」
「タイムリミットは?」
車で行くか。シルビアかマーク2か・・・と考えながら尋ねる。
「あと20分」
「無茶ですっ !」
思わず篠原は叫んだ。
「だから、思い切りテストだと言っているんだ、篠原」
「お前が本気で、ここで働きたけりゃ、行って来い」
「ここから20分で羽田空港は無理です。初めから、受かるはずのない試験じゃないですか」
「君なら、できる筈だ」
「筒抜けなんだよ」
篠原はぎくりとして、矢島と檜沢を交互に見る。
「まさか? ノエルさんが?」
「違う ! 」と同時に否定する矢島と檜沢。
「占い師には占い師の誇りと良心があるよ、篠原」
「ノエルさんを疑うなら、オレはお前の入社に反対票を入れるぞ」
座ったまま固まっている篠原を、矢島と檜沢は冷静に見る。気を取り直して言う矢島。
「こうして話している間に、時間が経ってしまうね。急いで行ってくれ、頼むよ」
「邪魔者は消えてやるから、早いところ済ませてしまえ」
矢島と檜沢は応接室を出ていく。矢島がドアを閉めながら言う。
「できないと言うのなら、ぎりぎり5分前には言ってくれ。お客さんに電話しないといけないから」
応接室に一人、篠原が残された。


30 社員スペース
矢島と檜沢がパーティションを回ると、由紀乃たちが2人を取り囲んだ。
「社長、リーダー、どうなったんですか」
「篠原君、何て言いました?」
「篠さん、自白したんですかぁ?」
揉みくちゃにされかねない勢いである。
「まあまあ、落ちつきなさい」
「課題を出して、部屋に置いてきた。ここに居たかったら、何とかするだろうよ」
パソコンのディスプレイ上に羽田空港の映像を出していた美咲が言う。
「何とかしなかったら、どうするんです?」
矢島がなるべく静かに言う。
「5分前にはリタイアして欲しいと伝えてあるから、それから動くしかないね」


31 応接室
腰かけた篠原が封筒を握りしめて考え込んでいた。
「あと15分ね」
お客さんの写真を見直す。
「探すとなったら、もう少し時間もいるし」
覚悟を決めたように立ち上がる。
「ここで逃げたら、美咲・・・さんに合わせる顔もなさそうだしね」


32 1、2分後 羽田空港
***番ゲート近くに、一人の男性がいる。歳の頃は矢島と同じくらい。普段なら、自信の
ある表情の上に落ちついた動作を乗せる筈なのだが、今は落ちつかない様子で周囲を
見回している。腕時計に目をやり、天井を仰ぐ。彼を見つけた篠原が、声をかける。
「もしもし」
「ん?」
「矢島探偵社の者ですが、報告書のお届けにあがりました」
男性がほっとした顔になる。
「助かった、ありがとう」
「遅くなって申し訳ありませんでした」
「いや、間に合って何より。無茶な注文をしたからね」
相手の声を聞きながら思う。この人は、「やあ、コニー、別嬪さん」だ。
「新入社員に届けさせると言っていたが、君か。私は椎名(しいな)という。ちょくちょく
依頼しているので、今後よろしく。君は?」
「篠原です」
「篠原君か、では、また」
椎名は急いでゲートを通っていった。


33 矢島探偵社 社員スペース
「あと5分のリミット、切ったわ」
腕時計を見ていた由紀乃がつぶやく。それぞれに腕時計や壁の時計を見ていた
他の者たちもうなづく。檜沢が矢島に、「様子を見てみますか?」と尋ねる。うなづく
矢島。応接室のドアに向かう檜沢。ノックしようとする。と、その時、内側からドアが
開いた。篠原が顔を出す。
「行ってきました」
檜沢が篠原を見てにやりと笑う。
「間に合ったか」
「はい」
『お帰り、篠原』
コニーが見透かしたように言う。
檜沢がパーティション越しに矢島に話しかける。
「社長、篠原が無事、届けてくれましたよ。合格ですね」
「そうだね」
「さ、行くか、篠原。正式採用の発表だ」
促されるが、篠原は動かない。
「檜沢さん、ひとつ、ふたつ、伺いたいんですけど」
「なんだ」
「俺の力、いつからバレてたんですか」
「最初の面接の時からだ」
しゃあしゃあと答える檜沢。
「と、いうことは、ノエルさんが話したわけじゃない」
「しつこい奴だな」
「例の件も、最初からですよね」
「そうだ」
「どうやって」
「これから説明してやるから」
「それに、俺のこと、他のメンバーは知ってたんですか」
「全員、承知だ。お前が化けるのを待っていたのさ」
檜沢の手招きに、篠原は今度は従った。


34 メンバー紹介
檜沢に誘導されて篠原がパーティションを回ると、矢島を始めとしたメンバーたちが
立って待っていた。いずれも、嬉しそうな表情をして篠原を見ている。
「全力を出してくれたらしいね、篠原。ありがとう」
柔らかな視線で矢島が言う。
「ここの社員ですから」
少し固い表情で篠原が言う。スペース内のメンバーを、順に見ていく。半年の間、
一緒に仕事をしてきたメンバーのはずだが、相手をよく知っていたのかどうか、
不安になってきた。
「それでは、改めて新人をみんなに紹介しようか」
矢島が咳払いをして言う。
「篠原俊二。大手探偵社・時枝エージェンシーを飛び出して、ここに来てくれた者だ」
「皮肉を言われてるような気がするんですけど」
「仕方ないだろ」
檜沢が口をはさむ。矢島は続ける。
「探偵としての仕事は、満遍なくこなす。特記事項として、テレポート能力者。瞬間移動だな」
「たった今、それで1件、急ぎの届け物をしてくれた。採用試験、合格だ」
檜沢がフォローする。一同、何事もない様子でうなづく。思わず、言葉が出る篠原。
「驚かないわけ? みんな、誰も。どうして !」
「別に。元から、知ってたもの。今更、どうってことないわよ、俊ちゃん」
ウインクしながら由紀乃が応える。
「知ってたからっていう問題じゃないでしょう、由紀乃さん」
由紀乃はただ笑っているだけである。
「それよか、こっちの紹介もし直しましょーよ、社長」
幾男が脳天気に言う。「そうだね」とうなづく矢島。
「では、篠原。あらためて、うちのメンバーを紹介しよう。以前は檜沢がやったはずだ
けれど、今度は私からだ」
篠原を見て、他のメンバーにも温かい視線を注ぐ。矢島は、メンバー紹介を始めた。
「檜沢邦之、リーダー格。普段は彼の指示でみんな、動いている。口調ははややきつめ
だが、面倒みはいい奴だ」
「口が悪いのは認めますがね」
腕組みをして苦笑いする檜沢。矢島は続ける。
「特記事項、接触テレパシスト」
「触れた相手の考えていることがわかるのよね」と由紀乃がフォロー。
「わざと抱きついて、人を焦らせる奴もいるな」
檜沢と由紀乃が軽いにらめっこをする。篠原が檜沢を見る。
「改めて、よろしく」
檜沢は右手を篠原に差し出す。同じように右手を出す篠原。力一杯、意地の張り合いの
ような握手をする。
「これが、マジックの種ですか」
「そういうこと」
「ひどいな。人の心の盗み見ですか」
「スパイのヘッドハンターに言われる筋合いはないぞ」
「それは、そうですが」
手を放す2人。檜沢は「念のために」と言う。
「その時にはっきりと考えていることが分かる程度だからな。一瞬で住所、氏名、生年月日、
趣味がわかるわけじゃない。こっちが知りたいことを考えさせる工夫もするさ。読まずに力を
封印している時の方が多いんだからな」
矢島は柏崎の紹介に移る。
「柏崎 真。家庭人。ペット探しが十八番。なぜなら、彼は動物と意志の疎通ができるから」
眼鏡を掛け直し、篠原に会釈する柏崎。矢島に目顔で合図して、あとは自分で言う。
「私はドリトル先生ではありませんよ、話すのは普通の日本語です。ただ、相手の意志は
わかります。私に伝えようとしてくれている時は。ちなみに、鳥が一番話が通じます」
柏崎はもう一度、照れたようにお辞儀をした。篠原も会釈を返す。
「次は幾男にしようか。机の順に、回ってね」
「はいっ、社長」
にこにこと笑う幾男。
「栗山幾雄。今のところ遊軍に近い。柏崎の助手を勤めることが多いね。特殊な能力と
いったものはないが、柔軟で自由な発想力と、それを形にする腕はある。いずれは備品
の開発・発明担当かな。今も、その芽は出ている」
「そして、普通、こういうところに当てはまるパーツは「天才」なのよねっ。幾男の知能指数は
いくつだったかしら」
「おねーさまっ、忘れました」
「あら、そう。残念」
「中身がちゃんとしてればいいんです、おねーさま」
「次は、由紀乃だね」
にこにこと、矢島が言い合っている2人を見る。
「杉田 由紀乃。いたって元気なメンバー。まあ、腕に自信があるからかな」
妖艶に・・・と言うよりはいたずらっぽく笑っている由紀乃。
「実際にお見せした方がいいですよね、社長」
「そうだね」
その会話が交わされている間に、檜沢がイエローページを棚から持って来ていた。
「こんなものでいいか? 由紀乃」
「ありがと、リーダー」
檜沢は篠原に電話帳を持たせる。
「檜沢さん?」
「しっかり持ってろ、篠原」
「行くわよ、俊ちゃん」
表紙を由紀乃に向けて抱える。びしっという音を共に、ぶ厚い電話帳がねじられたような
感覚が伝わってくる。
「一撃で充分よね。俊ちゃん、見てみて」
電話帳が斜めに引き裂かれ、裏表紙一枚でつながっていた。
「かまいたちかな。そういう感じのものだよ。由紀乃の力は」
さりげなく矢島は続ける。
「幾男とは仲のいい姉弟(きょうだい)だ」
「え?」
きょとんとする篠原。
「名字が違うじゃないですか」
「私がミセスなのよ」
のんしゃらんと由紀乃が言う。左手をひらひらさせて、
「今年3月、俊ちゃんがここに来る一か月くらい前にね。独身と思わせた方が仕事の上で
やりやすい時があるからマリッジリングはしないの。跡がついても困るから、普段からして
ないのよね。中指のバイカラーのトルマリンが、その代わりなの」
「それを旦那に承知させているのが、由紀乃の怖いところなのさ」
打つ手無しと言う口調で檜沢が言う。
「由紀乃さんのご主人は、力のことは?」
「知ってるわよ。あと、具体的にはわからなくても、ここのメンバー全員がとにかくユニークな
人たちだってこともね」
「旦那本人は、言ってみれば一般人だな。普通の人間だ」
「だけど、うちのおねーさまと平気で結婚しちゃったというところで「逸般人」だと思います」
「なんですって !」
「おねーさま、かまいたちは堪忍してっ」
由紀乃と幾男がじゃれている間、篠原は由紀乃の言葉を反芻していた。ここのメンバーが
とにかくユニークだって? いや、ここのメンバー全員が。
「そして、最後は美咲だ」
柔和な目の光をさらに和やかにして、矢島が言う。
「室咲美咲。事務、経理担当。そして、うちのエースだ」


35 エース
美咲は申し訳なさそうな顔で篠原を見ている。
「エースって、どういうことです、社長」
美咲から矢島へと、視線をゆるゆると動かして、篠原が問う。教師が生徒に教えるように、
矢島が言う。
「「夜逃げ屋殺し」の矢島探偵社。それは、美咲あっての業績なんだよ。残りのメンバーは、
美咲の仕事の補佐をしている。人探しに関してはね」
美咲は金のロケットをまさぐっている。矢島は続ける。
「私たちは Photo Transfer (フォト・トランスファ)と呼んでいるけどね。美咲は写真に写っている
場所に飛ぶことができる。絵画でも同様だ」
「写真や絵の中っていう意味じゃないからな、篠原。被写体になった場所の、今の時点に
飛ぶわけだ」
「海を隔てて飛ぶこともできるわ。パスポート無関係に海外に行けるのよね」
「旅行の足には困らないんですよね、美咲おねーさんは」
「話を真面目な方に持っていきましょう。そして、美咲ちゃんの Photo Transfer は人にも使え
ます」
篠原は、首を傾げる。美咲の方を見る。うなづいて、美咲は言う。
「その人の写真があれば、その人のいるところへ飛べます。だから、「夜逃げ屋殺し」なん
です。ただ、逃げた人を追うので、すぐ隣に飛ぶわけにいかないんです。追跡に気づかれ
ないよう、わざと多少ずらします。私が、おおよその所在地をつかんで、あとの詰めを、み
んながしてくれるんですよ。だから、人ひとり探すのに、最短ルートで2日か3日で充分なん
です」
美咲はロケットを握りしめたままでいる。檜沢が付け足す。
「行きは、社長室から探す相手のいるところに飛ぶ。帰りは社長室へ戻ってくるわけだ。
まれに、直帰もあり。そのためのロケットだ」
「それでね、俊ちゃん。美咲の場合、仕事でこの技を使うわけだから、職場に写真とかが
あると、ナーバスになるのよね。それでうちの社内は、写真の類がご法度なわけよ。おわ
かり?」
「あ、はい」
反射で答える篠原。腕を組み直していた檜沢が、それをほどいて美咲に言う。
「さてと、お互いの紹介も済んだことだし、渡す物があるんじゃないか、美咲」
「檜沢さん、でも」
逡巡する美咲。
「いいから。社長もこの段取りでいいって言ってるんだ」
「はい」
美咲が、机の引き出しから青い表紙のバインダーを取り出す。篠原に向き直る。
「本採用おめでとうございます。今から、これを使ってください」
「あ、ありがとう」
美咲から、まだ話を消化しきっていない篠原へバインダーが手渡される。柏崎、由紀乃は
拍手している。幾男は「おめでとーございまーす」と言いながらクラッカーを鳴らす。檜沢は、
矢島にこっそり言った。
「「SHOW TIME 100」のマーキング修復、おめでとうございます」


36 終業時刻
午後5時ジャスト。何事もなかったように、由紀乃が宣言する。
「お先に失礼します」
「もてますねえ、おねーさま」
「アフター5は、お忙しいのよっ」
篠原が隣で尋ねる。
「デートで忙しかったわけじゃないんですね」
「夕飯の支度よ。それに、日によってはお稽古事もしてるのよね」
「ちなみに、何を」
「ドールハウスなの。今日はお稽古よ」
カボシャールの香りをかすかに振りまきながら、由紀乃は帰っていった。
柏崎と幾男も帰り支度を始める。檜沢は座ったまま、篠原と美咲を見て言った。
「あとのフォローは今晩中に社長とオレでしておくから、安心して帰れ」


37 1時間後 地下鉄銀座線某駅 地上出入口付近
50歳前後一人の人物が、時枝エージェンシービルから出て、地下鉄への出入り口に
向かう。と、向こうから歩いてきた30そこそこの男性が足をもつれさせ、肩がぶつかる。
「おおっと」
「失礼しました」
ぶつかってきた人物は、相手の肩に手を乗せる。
「おや、枯葉が乗ってますよ。季節的に、少し早すぎますね」
「それは、どうも」
枯葉を取るわけでなくそのままの姿勢でいる。にやりと笑いかける。
「腕のいい、かつ、オレたちにとって、まれに見る貴重な人材を寄越(よこ)して下さって、
ありがとうございました」
「何?」
「篠原のことですよ、篠原俊二」
檜沢は肩に置いた手に力を込める。
「あなたには想像もつかなかったでしょうけど、こっちには願ったりの人材でしてね。返しませ
んから、あしからず」
「何のことだか、私にはさっぱり。放してもらおうか」
「で、この件について知っているのは、あなたの他は、誰ですか?」
「人を呼ぶぞ」
「ほう。あなたと、あなたの上司ね。それだけ? 経理とかはいいんですか? やめたと見せかけて
影で給料を払っていた筈だけど。ああ、その他の出費の扱いね」
「お前は、一体」
相手は動こうとするが、身動きがとれない。
「これだけ教えていただければ充分です。あとは、あなたの上司に教えてもらいます。・・・
社長 !」
いつの間にか、矢島がすぐ脇に来ている。瞳に、いつもの柔和な光を浮かべている。
「はじめまして、矢島探偵社の代表です。と、言っても、篠原の任務ごと、私に会ったことは
忘れていただきますが。それでも、ご挨拶だけはしますよ」


38 1、2時間後
ツインタワービル東館22階のスカイバーラウンジ・イリュージョン。天井から控えめな照明が
降り注ぎ、各テーブルの上にはキャンドルが灯されている。それに加えて、今夜はどういう
趣向からか、一輪の白バラも活けてある。ステージの上では弦楽カルテットがセレナーデを
奏でている。虹野(こうの)というネームプレートをした20代のウエイターが、カーディナルと
ミモザを優雅な足取りで運んでいる。
「社長が、記憶操作能力者とはね」
「ものがものだから、滅多に使わないんですよ。伝家の宝刀かしら」
窓際のテーブルに篠原と美咲がいる。篠原はブルーバード、美咲はホワイトレディのグラスを
傾けている。夕食後、適当に街を歩いてから、ここへ来たのだった。
「社長を筆頭に、社員全員特殊能力の持ち主の会社だったわけ?」
呆気にとられた顔で篠原が言う。
「始めは、類は共を呼ぶだったのが、段々こちらから探すようになってきて。今まで人づて
だったんですけど、ノエルさんが抜けた今回は初めて情報誌で募集をかけたら、篠原さんが
応募してきたんですよ」
「お仲間かどうかは、檜沢さんがチェックしたわけだね」
こくりとうなづく。
「篠原さんが唯一の該当者でしたけど、同時に隠れた任務の方も見つかって、みんな、困ったん
ですよ」
「それで、俺を泳がしてたの?」
「はい」
「ごめんなさい」と言いながら、美咲は頭を下げる。篠原は「いいよ、俺だって、人に威張れた
任務じゃなかったんだし」と首を振る。
「でも、篠原さん、改めてのメンバー紹介にあまり驚かなかったみたいですね」
「驚きすぎて、驚いた様に見えなかっただけ」
ふと、外の景色に目をやって、
「そうだなあ。ノエルさんに会ってたから、下地はできていたかもしれない」
「青い表紙のバインダーを使っていた人ですよ」
にこり、と美咲がいう。「ふうん」と受ける篠原。美咲をじっと見ながら、
「俺が見つけて捕まえなきゃいけない相手って、美咲さんだったわけだね」
ピク、と肩を動かす美咲。「そうです」と困った顔で答える。指輪をしていない左手・・・今日の
メンバー紹介の時に、貝拾い以来、初めて指輪をはずしていた左手・・・をつかんで引き寄せる。
「篠原さんっ!?」
「試験採用のことも結果が出たし、いい加減、篠原さん呼ばわりから開放されたいんだけどね、
美咲・・・さん?」
淡い照明の下でも、美咲の頬が染まるのが見てとれる。
「正直言って、Photo Transfer 絡みで、まだ疑問はあるけど、それは置いといて、違う意味で
捕まえておかないとね」
美咲が真っ赤になっている。
「ね、美咲?」
美咲は赤くなったまま、横を向く。
「篠原さんたら、篠原さんたら、呑気なんだから」
「何で?」
美咲は篠原の手を振りほどく。
「正式に採用になったからよかったものの、もしも今日、篠原さんが裏の仕事のことで白を
切ったり、空港に跳ばなかったら」
「たら?」
「今晩の社長の仕事の対象者の一人になっていたところなんですからね」
泣きそうになっている美咲。篠原はようやく、それに気が回った顔になる。
「そう言われれば、そうだね」
もう一度、美咲の手を握り直す。
「ごめん、美咲さん。調子に乗ってた」
「いいえ」と首を振る美咲。
「私も、まだ謝る事があるし」
「え?」
「それはそれこそ、脇に置かせてもらって」
気を取り直して、ふんわりと微笑む美咲。
「今日はお誕生日おめでとうございます、俊二さん」


39 同時刻 篠原のアパート
主のいないアパート。電話は沈黙を保っている。


第6話(後) 終わり

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