「Constellation〜星座〜」(第6話 前)
第6話 「9月・・・Condition (条件)」(前)
ほんの少しずつ、朝起きるのが楽しみになってきてる
これでいいのよね。 すこしずつ変われば
1 平日・朝 篠原のアパート
篠原が焦って出勤の支度をしている。いつもより1時間以上早い時刻である。
「やっぱり、敷地の外から歩いていくべきだよな。念のため」
言いながら目ざまし時計を見る。
「どうして、こういう時に寝坊するんだ」
2 約10分後 美咲のマンション
美咲がベランダに出て、人待ち顔でマンションの門周辺を見下ろしている。と、その表情が
ぱっと明るくなった。下では、篠原が美咲の方を見上げて、手を振っている。
3 玄関先
篠原がドアホンを鳴らすと、間髪をいれずに扉が開かれた。
「お早うございます、篠原さん。いらっしゃいませ」
「お早う、美咲さん。朝食にお招きいただきまして、どうもありがとう」
美咲が誘(いざな)って中に入る。足元を見ると、美咲の靴に加えて紳士物の革靴や
スニーカーが並んでいる。美咲が篠原の視線に気づく。
「女性の独り暮らしって知られたくないから、いろいろ工夫するんですよ」
「犯罪防止?」
うなづく美咲。
「用心は、必要だものね」
ほかに、もっと深い理由があるのではないだろうかと思いながら、靴を脱ぐ。
「「ティファニーで朝食を」だね」
「そんな、宝石なんてありませんよ」
目の前にいるけど、と言おうとしてやめる。
「いくらなんでも、気障だ。それも、朝からじゃ」
「は?」
「なんでもない、ひとりごと」
4 continental breakfast?
ダイニングテーブルをはさんで篠原と美咲が座り、クロワッサンと紅茶、コーヒーの朝食を
とっている。
「こういうのも、面白いでしょう?」
美咲がクロワッサンを手にして言う。
「うん。出勤前から会うなんてね」
「コーヒーのおかわりはいかが? 篠・・・原さん」
「それより、ベーコンエッグでも、もらえない?」
くすりと笑って美咲がいう。
「イングリッシュ-ブレックファーストになっちゃいますよ」
「イギリス式に変わってもいい、これだけじゃ、昼までもたないと思うから」
5 エディション202/202
コンチネンタルからイングリッシュに化けた朝食が済む。美咲が洗う食器を、篠原が拭いて
いく。
「棚には私が入れますから、もういいですよ、篠原さん」
「それじゃ、テレビ見させてもらっていい? ニュース」
「どうぞ」
リビングに回る。応接セットの上のリモコンを手にして、テレビに向かう。壁に掛けられた
シルクスクリーンが目に入ってきて、篠原は戸惑った。縦60センチ横50センチあまり、淡い
色調の球が版面一杯に重なり、宙に浮いて群れ集っている。
「Circles of Confusion・・・」
職場の、自分の背後にもかかっている絵である。
リモコンを手放し、壁に寄っていく。よく見るとエディション202/202とある。
「そりゃ、シルクスクリーンだから、会社にしかないわけじゃないけど」
絶句して、篠原は絵の前に立ち尽くす。
「私の歩幅で10歩くらい離れて見ると、ちょうどいいんですよ」
いつの間にかキッチンから出たのか、背後で美咲の声がする。
「つまり、こっちの壁に背中がつくくらいです」
「美咲さん」
美咲は、ややつらそうな顔で篠原を見ている。
「驚いたよ、ここでもう一枚の Circles of Confusion を拝めるなんて」
「ですよね、普通、驚きますよね」
「何か、逸話でもあるの? 会社と美咲さんで一緒に買ったとか」
「ええ、まあ、ね」
「謎の多い女性(ひと)だね」
近寄って、頭を撫でる。美咲はされるままになっている。
「無理に話してくれとは言わないから」
「これを見ておいて欲しくて、朝ごはんにお招きしたんです」
「そうなの? それじゃ、ベストアングルで」
壁に寄り掛かって、2人でシルクスクリーンを見る。
「理由(わけ)はともかく、俺は、この絵は好きだよ。暖かい感じがして」
「錨なんですよ、この絵」
篠原は黙って美咲の肩を抱く。
「いいよ。今は、見せてもらえただけで」
6 矢島探偵社 始業時刻
コニーと挨拶を交わし、パーティションのこちらに回った矢島が言う。
「お早う、羊飼い諸君。9月に入ったけれど、今日も元気かね?」
「元気ですよ。この夏、よく歩き回って汗をかきましたからね」
と、檜沢が言う。
「無事に夏休みも乗り切りまして、元気です」
柏崎が答える。
「海外旅行には行けませんでしたけど、元気ですー」
幾男が由紀乃の土産のペーパーウエイトを手にして言う。
「とっても元気ですわ。海外で充電しましたから」
と由紀乃。
「元気です。今朝は朝ごはんもおいしくて」
にこりと美咲。
「朝から芸術鑑賞して、元気ですよ」
篠原が苦笑しながら言う。
「みんな、元気そうでなにより」
矢島は、満足気な顔をして社長室に入っていった。篠原が、誰にともなく言う。
「社長は、いつも中で何をしているんだろう」
檜沢が飄々(ひょうひょう)と言う。
「何かと用事はあるだろうさ」
7 三度目の正直?
昼すぎの応接室。矢島と対峙した客は涙ぐんでいた。
「じゃあ、相談に乗っていただけないんですか」
「申し訳ありませんが、そういうことです」
ハンカチを握りしめたまま、客は立ち上がる。
「ひどいわ。いい探偵社だっていう評判を聞いて来たのに」
「お力になれず、残念です」
応接室を出る客と矢島。コニーが『ありがとうございました。気をつけてお帰りください』と
送り出す。ドアがしまってすぐ、矢島はパーティションを回る。
「手の空いている者2名、いないか?」
篠原と美咲の手が挙がる。
「君たち2人か」
思案顔になった矢島は、少し考えた末、思い切ったように言った。
「今のお客さまの「お供」を。気づかれないように」
「はい」と言って立ち上がる2人。矢島は続ける。
「ボディガード依頼だが、様子がおかしい。同業者さんのビルに入っていくかもしれないね」
8 夏の記憶
篠原と美咲が出ていったあとの社員スペース。柏崎が新聞を読みながら言う。
「この夏のトピックスベスト10が出ていますよ。気のはやい」
「で、何が載ってるんですかぁ?」
山口美由紀の「フィーメンニンは謳う」を読み始めていた幾男が聞く。
「真夏日・熱帯夜の連続日数更新、夏の甲子園・北海道代表校の優勝、横浜の新設
動物園の人気者の話し、そして海の向こうのコーイヌール盗難事件、その他」
檜沢と由紀乃の視線も柏崎に向けられる。
「コーイヌールは、盗難後、一週間くらいで郵便小包で元のところに返されたな」
「不思議な事件だったわね。確か、「気晴らし終了。ただいま帰りました」っていうメモが
ついていたそうね」
「それも、日本からの荷物だったんですよねーっ」
「宝石を捜し出してくれっていう依頼が来なかったのは、幸いだったかもしれないな」
「どういうことです、檜沢君」
柏崎に聞かれて、にやりと笑う。
「オレたちだったら、見つけられなかったかもしれないからです。日本にあっても、みす
みすね」
「さもありなん、だわね」
「人探しだったら、ほとんど無敵なのにねーっ」
「お前が無敵なわけじゃないだろう、幾男」
「はいっ、檜沢リーダー」
新聞をたたみながら柏崎が言う。
「マイ・ベスト・トピックスを選ぶのでしたら、私は日比谷公園の噴水脇コンサートですね。
面白い、いえ、素敵な体験でしたよ。仕事でなければ、あの日、あの時間に行ってません
でしたね」
「噴水を操作した方法はわからなかったけど、楽しかったわね。きれいだったし、歌もよかっ
たわ」
「何語か、結局わかりませんでしたねぇ、おねーさま」
「新聞記事にもなりましたね。たまたま、私の講読している新聞の記者さんがあの場に居合わ
せたんですが」
檜沢が腕を組みながら言う。
「公園の正式なイベントじゃなかった。全くの有志の突発的なものだった」
それぞれにうなづく由紀乃たち。
「犯罪の匂いはなかった。噴水操作のことは置いておいて。でも、何だったんだ、あれは」
「真夏の夜の突発コンサートよね」
「檜沢リーダーは目的について言ってるんでしょ?」
「謎ですね」
皆して首を傾げる。ゆっくりと檜沢が続ける。
「その新聞記者、咄嗟(とっさ)に写真も取ったそうだな。けれど、真っ白で何も写っていなかった
とか。そして、うちの写真も同じだったんだな」
「ええ。私と幾男君で、2回撮った物が、どちらもです」
「妙だよな」
「あのねえ、リーダー。これはただの連想なんだけど」
「何だ、由紀乃」
「「彼女」が持っていた、あの光る球みたいなものね」
「ああ」
「私、コーイヌールを連想するのよね」
檜沢は心持ち身を乗り出す。
「と、いうのは?」
「盗まれた時期と、コンサートの時期が重なってるでしょ。コーイヌールは「光の山」の意味
だし、日比谷公園のあれも、光の固まりみたいだったし。大きさも合ってるかな、なんて思う
のよね。なんとなく」
「なるほどな。参考意見として、覚えておく」
幾男がぼやく。
「写真が撮れてれば、大分話が違ってたのになーっ。自分のこと、棚に上げちゃいますけど」
「顔は、覚えているだろう?」
檜沢が3人を見回して言う。
「似顔絵は描けないけど、焼きついてはいるわ」
「それなら、いつか役に立つかもしれないさ」
9 尾行成功
矢島探偵社を出て、約40分後。地下鉄銀座線某駅付近の公衆電話ボックスに篠原がいた。
「檜沢さん? 篠原です。わかりました。お客さんの・・・」
「篠原、ストップ !」
「は?」
「電話でそういうのをモロに言うのはやめておけ。帰ってからでいい。ご苦労さん」
「はい」
「今いる場所だけ、聞いておくか」
「地下鉄銀座線*****駅近くです」
「了解。それじゃ、帰りに渋谷区役所に寄ってくれないか。調べて欲しいことがある」
「はい」
檜沢は用件を告げると電話を切った。
10 connive
電話を切った檜沢を、斜め前から由紀乃が見据える。
「渋谷といえば、「EARL(アール)」がありますわね、リーダー」
「それがどうした」
「美咲と俊ちゃん、帰るのが少し遅れるんじゃないかしら」
「篠原が暗い顔して戻ってくるよりは、いい」
「気の回るリーダーですこと」
「嫌味、言ってるのか」
「いいえ、リーダー。怒ったなら、ごめんなさい」
マタタビの実を机の上に置いていた幾男が言う。
「篠さんと美咲おねーさん、どこまで行ってるんでしょうね」
「幾男君、幾男君。やめなさい」
コニーの面倒を見ていた柏崎が、席に戻りながらたしなめる。
「だって、僕も、そういうことに関心のあるお年頃ですから」
言いながら檜沢の方を見る。檜沢は幾男を見返す。
「どうしてオレの方を見る」
「聞くなら、檜沢リーダーにだと思うからです」
「オレに聞くな」
「聞きたいなーっ」
「言わんぞ」
「それじゃ、美咲おねーさんに直接聞いちゃおっと」
「やめろ」
いつの間にか柏崎と由紀乃も、檜沢を見ている。心配げな顔をしている。
檜沢は咳払いをした。
「好きで知ってるわけじゃないがな、今時の中学生が聞いたら呆れるくらいの状態だ」
ほっと気を抜く柏崎と由紀乃。がっかりという顔をする幾男。
「美咲ちゃん、その方が彼女らしいですね」
「俊ちゃんが賢明なのは評価するわ」
「既成事実があった方が、後々都合がよさそうなのになぁ」
正面から柏崎、横から由紀乃に小突かれる幾男。檜沢はそっぽを向いた。
11 Tea Salon 「EARL」
渋谷の西武百貨店・Ａ館・中2階のティーサロン「EARL(アール)」。濃紺のワンピースに
白いエプロン、頭にカチューシャをしたメイドスタイルのウエイトレスたちが店内を行き来
している。壁のあちこちに植物画がかかっている。女性の一人客やグループが多い中、
禁煙席に篠原と美咲がいた。2人共、アールグレイティーのハイティーセットを頼んでいる。
2段のケーキスタンドにティーサンドイッチ、スコーン、ミニケーキ、フルーツなどが盛られて
いる。ティーカップはウェッジウッド。百貨店の一角に、ゆったりとした時間が流れている。
「スコーンっていうと、私、ずっと前に失敗しちゃったことがあるんですよ」
スコーンにジャムを塗りながら、美咲が言う。
「温めてクリームかジャムを塗って食べるものなのに、買って、常温でそのまま食べた
ことがあって。あまりよく知らなかったのに、説明書きを読まないで、友達が遊びに来た
時にそんなおもてなしをしてしまって。ほんと、そそっかしい」
くすりと笑う。が、篠原は反応しない。美咲は一人で続ける。
「ウエイトレスさんの格好がかわいいですね。欲を言えば、もう少しスカートを長くして
フレアー気味にして欲しいけど」
「それなら、「アレキサンドライト」の方が美咲さんの理想に近い」
ぼんやりと篠原が応える。話を途切らさないように、美咲が明るい口調で言う。
「「アレキサンドライト」って?」
「いつかの、アップルパイを買ってきた店」
うなづく美咲。篠原は、美咲の顔を見てつらそうな顔をする。
「ごめん、自分から振っておいて申し訳ないけど、あの店の話題は、ここまでね。どうにも、
いい思い出がないから」
再びうなづく美咲。彼の表情が移り、やや影を帯びた表情になる。しまった、と思う篠原。
「ごめん、せっかく気分転換に誘ってくれたのに」
美咲は慌てて首を振る。
「いえいえ、無理に寄り道させちゃって」
「いいじゃない、渋谷区役所の帰りなんだし」
沈黙が2人の間に落ちる。篠原が、美咲の皿にケーキを一切れ乗せる。
「好きそうだから、ひとつあげる。ほら」
「あ、ありがとう、篠原さん」
言った勢いで美咲は続ける。
「今日のお客さまの件、篠原さんのせいじゃありませんもの。気にすること、ありませんよ」
「ん、ありがとう」
気を取り直したように応える篠原。サンドイッチに手を出す。
「しかめっ面だと帰れないから、エネルギー充填だな」
12 矢島探偵社 社員スペース
「今日の怪しい客は、時枝エージェンシーからの回し者であった、と。そういうわけだな」
篠原と美咲の報告を聞いた檜沢がうなづいている。由紀乃はとある調査のために外出中、
柏崎と幾男はコンビを組んでペット探しに飛び出した後だった。
「俺も、全調査員を知っていたわけではないので、あそこに着くまではわかりませんでした」
鬱屈のある口調で、篠原が言った。
「そんなものだろ。大手だからな」
「今までのものも、時枝だと思いますか?」
「さあ。短絡する気はないよ」
これで終わり、というように檜沢は軽く手を振る。
「おつかれさん。お前のせいじゃないさ。たとえ、古巣のことでも」
「はい」
「残暑だし、なんだったら泳ぎに行っても構わないが」
上を指さす。
「いえ、もう、いいですから」
自席に着く篠原。一言も口を挟まなかった美咲は、檜沢に会釈して座ろうとする。
「美咲、社長室の方に行ってくれ」
「はい」
「それから、「EARL」は必要経費にしていい」
13 終業時刻
4時を回って帰ってきた由紀乃が、せっせと報告書の打ち込みをしている。席を立つ
気配がない。隣の篠原が尋ねる。
「由紀乃さん、もう5時ですけど」
「今日はいいの、仕上げるまでいるわ」
「明日は雨ですか」
「「秋雨前線を呼ぶ女」と言って」
篠原は帰り支度をしながら続ける。
「モチさんと幾男君は?」
「直帰だ」
檜沢が座ったままで答える。こちらも書類製作に余念がない。
「それじゃ、お先に失礼します」
篠原と美咲が前後して出ていく。檜沢、由紀乃、コニーに送られ、2人は会社を後にした。
14 駅構内 花屋の前
美咲と並んで歩いていた篠原が、さりげなく美咲の手を取った。
「篠原さん?」
目を丸くする美咲。篠原は、「あ、間違えた」と美咲の右手を放し、改めて左手をつかんだ。
人の波が、向かい合って立っている2人を避けて流れていく。篠原は、しげしげと美咲の
指輪を見ている。
「篠原・・・さん?」
美咲が赤くなっている。
「あ、ごめん」
気づいた篠原が手を放す。
「じゃあ、また明日」
それぞれのホームに向かう。このごろの習慣で、美咲は電車を一台遅らせ、篠原に手を
振ってから帰っていった。
15 conclave
1時間後の矢島探偵社、社員スペース。檜沢、由紀乃、直帰の筈の柏崎、幾男、そして
Uターンした美咲の5人が揃っている。ひとしきり話した後の雰囲気。取りまとめるように
檜沢が言う。
「それじゃ、これで意見はまとまったな。メンバーの総意として社長に上げておく。異論は
ないな?」
それぞれにうなづく4人。
「遅くまで、ご苦労さま。解散」
柏崎がコニーの籠に布を被せに行く。幾男は机の上の漫画本を鞄に詰め直す。由紀乃は
美咲に、「ご飯食べて帰らない?」と誘う。檜沢は、下のアスコットに出前の電話を入れる。
「リーダー、まだ居残るの?」
「ああ、一応、念のために泊まり込みだ」
「気をつけてね」
「何も起こらないことを祈っててくれ」
16 篠原のアパート
篠原が電話に出ている。
「はい、篠原です。・・・ええ、試験採用期間もあとわずかです。どうにも、ご期待に添えて
なくて、申し訳ありません。・・・もう少し待ってください。結果は出しますから。強行手段は
やめてください。あと、今日のことなんですけど・・・」
第6話(前) 終わり
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