「Constellation〜星座〜」(第5話 後)
第5話 「8月・・・Confess (・・・を自白する)」(後)
31 翌朝 矢島探偵社 始業時刻
檜沢、由紀乃、柏崎、幾男がそれぞれの机についている。
「俊ちゃん、大丈夫かしらね。昨日、ああは言っておいたけど」
開いている隣の席を見ながら、由紀乃が言う。
「ドライブでもして、気晴らししてるとかぁ。篠さん、確か、そんな趣味があるとか言ってたじゃ
ないですか」
オーソドックスな「ねずみとり」を弄びながら、幾男が言う。
「この渋滞の時期に? 幾男君、それはないでしょう」
新聞を読みながら柏崎が言う。
「美咲も連鎖反応を起こすし、困ったわね」
檜沢は黙って席を立った。
「どこに行くの? リーダー」
「5階で泳ぐ」
32 conch
夏の海にしては奇跡的に人のいない海岸に、篠原と美咲がいた。夕べ、花屋の前で美咲が
指定した駅で待ち合わせて、電車を乗り継いで来たのだった。
「こういうところがあったなんて、驚いたな」
人の少ない、ゴミもほとんどない海岸を散歩している。駅前のレストランで昼食を取った後の、
そぞろ歩き。
「穴場なんですよ。それに、有志でよく、掃除をしているから」
「どうして知ってるの」
「仕事で、来たことがあるんですよ」
「ふうん」
事務・経理メインでも、やはりメンバーはメンバーだ、と思う。美咲はスカートの裾を気にしながら
貝を拾う。夏向きの白のワンピースに白いつば広の帽子。赤い瑪瑙(めのう)のペンダントをして
いる。篠原も付き合って屈み込む。美咲の手に、指に目が行く。今朝、会った時からプラチナ
リングをしていないのが気にかかる。左手の薬指には、かすかに指輪のあとと日焼けのあとが
ついている。
「美咲さん、今日はロケットしてないんだ」
同じ装飾品でも、話題にできるのはこちらの方だけ。そんな心境である。
「バッグに入れて、持ってきてます」
気のせいか、固い声で美咲が答える。
「途中で、付け替えるとか?」
「いえ、念のためです」
何が念のためなのかわからないが、聞かずにおく。うっかりして、また泣かれては堪らない。
「貝の中身は、どこにいったんだろうな」
「夏休みで旅行かもしれませんね」
会話をするように、2人で交互に貝を拾っていく。待ち合わせてから目的地につくまでの間、
それほど話していない。元から美咲がさほど話さないせいもある。また、話さなくてもどこと
なく居心地がよくて、そのままにしていた。
(それに、口を開いたら、誰かのことを聞いてしまいそうだし)
室崎姓の、とある人物は、今日どうしているのか。
(まあ・・・いいか)
波の音をBGMに無言のおままごとが、海岸で続行される。
33 同時刻 矢島探偵社
ドアベルが鳴り、コニーが言った。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれ
ません』
「やあ、コニー、別嬪さん」
檜沢が来客を迎えに行く。
「いらっしゃいませ」
「やあ、リーダー君、こんにちは。いつも思うんだけど、コニーは私の顔と名前を覚えている
んだろう? それなのにこのセリフはつれないんじゃないかな」
「覚えていても、お客さまの名前はお呼びしませんよ。どこに人の目と耳があるか、わかりません
からね」
「つくづく、用心深いね」
「口の軽い探偵なんて、信用されないでしょう?」
「刑事もだね」
連れ立って応接室へ入っていく。椅子を薦めながら檜沢が言う。
「社長は夏休みですし、美咲もいませんよ。ケーキは期待できません。ご存じでしょう? どう
されたんですか」
「いつもと毛色の違う依頼をしたくてね」
34 confess
ひとしきり貝を拾ったあと、2人は選り分けを始めた。それぞれが両手いっぱいに拾った貝を
ふるっていく。最後に3つ、4つを残し、他は海岸に戻した。
「誰かが、貝拾いに来た時のためにですね」
よく拭いた貝をハンドバッグに入れ、美咲が笑いながら言う。
「こちらが捨てた物を拾ってくれっていうのは、少し申し訳ないけどね」
苦笑しながら篠原が言う。
「好みは人によりますもの。きっと、大丈夫」
「そうだね」
腕時計を見る。3時近い。
「これからどうする? 美咲さん。駅前でお茶でも飲んで、ぼつぼつ帰る?」
うなづく美咲。篠原はゆっくり体の向きを変える。歩きだそうとすると、美咲が篠原の
服の裾を掴んだ。ひっぱって、彼を引き止める。
「な、何?」
「篠原さん、やっぱり、ここで言わせて」
必死さの伝わってくる声で美咲が言う。篠原はもう一度、ゆっくり体の向きを変えた。
日焼けとは違う意味で顔を赤くした美咲が立っている。
「あのね、篠原さん」
「何?」
何を言われたら、どう答えればいいのか。答えが思いつかないまま、聞き返す。美咲は
手を体の前で組んでいる。無意識に指輪を探るが、空振りして、思い切り指を揉んでいる。
「あのね、篠原さん」
「はい?」
「私、本当は、結婚してないの」
「え?」
とっさに、篠原はそれ以外の言葉が出ない。美咲は、急いで続ける。
「結婚じゃなくて同棲してるとかって、そういう意味でなくて、独身なんです、私」
「だったら、指輪は?」
呆然と聞く篠原。体を縮めるようにして答える美咲。
「だから、それは、嘘なんです」
「てっきり、俺は」
檜沢の「観察力を養え」の言葉を思い出す。
「誤解してもらうための指輪ですから。あ、篠原さんだけが対象じゃありませんけど」
「だ、だまされたっ」
俺はこれでも探偵社・社員なんだが、と思う。いや、美咲だって同僚、同じ職種だ。
「ごめんなさいっ」
瑪瑙のペンダントを握りながら、美咲が言う。絶句している篠原とごめんなさいと言い
続ける美咲の背後で、波が貝拾いの時と同じBGMを奏でていた。
35 condemn
同夜、美咲のマンション。終業時刻間際に携帯で呼ばれた由紀乃が駆けつけていた。
「ふーん、俊ちゃんに話しちゃったわけ」
リビングの壁に寄り掛かって膝を抱えている美咲に振り返る。由紀乃はヴィクトリア
サンドイッチと紅茶をローテーブルの上にセットしている。
「それで? 俊ちゃん、だまされたとか、馬鹿にされたとか言って、怒ったわけ?」
ふるふると首を振る美咲。
「だまされたって、叫んだけど、怒ってるっていうより、驚いて言ったみたいだったわ」
「それなら、いいじゃない」
黙ってうなづく美咲。視線が下を向いている。
「で、それから先は?」
ケーキ皿に2人分のお菓子を盛って、美咲の隣に座る。
「先?」
「そうよ」
由紀乃は、バターケーキにジャムをはさんだだけのシンプルなケーキを美咲にさし出す。
無意識に美咲が一切れ取る。
「話して、俊ちゃんが驚いて叫んだあと、どうしたのよ」
「別に」
もそっとケーキを口にする美咲。
「お茶を飲む予定が立ち消えになって、電車に乗って帰ったわ」
「帰るまでの会話は?」
「あんまり話した記憶がないの」
正面の壁に目を向けて言う美咲。がっかり顔の由紀乃。だが、すぐに立ち直る。
「元からあなた、口数は多くないものね。それでよかったのよ、自然体でいて」
美咲の視線の先を追いかけて、言う。
「幸い、明日も夏休みだものね。今夜は泊まるけど、私、普通に出勤するから。それと、
リーダーには、どうする?」
「自分で、電話するわ。明日の朝」
36 confused
そのころ、篠原は自室にいた。せっかく入れたアイスコーヒーが生ぬるくなっている。
「あれだけ固くなられて、怯えた顔をされたら、何も話せないよな」
傍らの電話を見て、篠原はため息をついた。
37 翌朝 矢島探偵社 社員スペース
始業時刻前。美咲からの電話を切った檜沢が、由紀乃と話している。
「ずいぶんと、微妙な時期に話したものだな」
「私もそう思う。でも、言っちゃったものは、もうなかったことにできないわよね」
38 同時刻 美咲のマンション
美咲は、由紀乃がいつものように使っていった青いコップを洗い直していた。
39 新宿 エアライフル射撃場
昼時。檜沢がブースで標的を撃っている。30発、全て打ち終わってブースの外に出る。
「おや」
受け付けの所に篠原がいた。
「篠原、撃ちに来たのか?」
「いいえ。会社に電話をかけたら、由紀乃さんがここだって」
ふむとうなづく檜沢。
「ここで話すのはナンだから、場所を変えるか」
40 クリオネ・リマキナ・リマキナ
談話室・滝沢で檜沢と篠原がコーヒーを飲んでいる。
「オレはさほど行かないが、アスコットの方が旨いな」
「あと、アレキサンドライトですね」
檜沢が首を傾げるが、篠原は特に解説をしない。「さて」と言いだす檜沢。
「美咲のことは、気づいてなかったか」
「ええ。観察力が足りませんで」
やや自虐気味に言う篠原。「まあ、そう言うなよ」となだめる檜沢。
「オレも、ああは言ったが、わからなくて無理ないと思うぞ」
「そうですか」
返事をしながら、憮然としている篠原。
「何が不満だ? 嬉しくないのか、この展開が」
篠原は心持ち赤くなる。檜沢は横目でそんな彼を見る。
「それで、オレに会いに来た理由は?」
「リーダーに事情を伺えればと思いましてね。知らないわけがないでしょう?」
苦笑する檜沢。紗(しゃ)のネクタイに触れ、ネクタイピンを直す。モアレが浮き、篠原は
目を細くする。檜沢は、そんな篠原の様子を見てかすかに笑う。なにげなく、話し始める。
「美咲は、言ってみれば、人間嫌いの人間不信なんだよ」
「そうは見えませんけど」
「見えないように普通に振る舞っているから。でも、実際はその気が多々あってね」
「それで?」
「指輪は人避(よ)け用の小道具なんだよ」
「男避けの間違いじゃないんですか」
「あくまでも人避け。お前以外の社のメンバーは知ってたが」
平然と答える檜沢。と、真面目な顔になって、
「美咲は、うちのクリオネでね。貝が退化してなくなっているから、プラチナの殻を
かぶって身を守っているのさ」
眉を顰める篠原。5月のサンシャイン水族館を思い出す。
「どうしてまた、そんな防御をするように」
「さあ。指輪のことも話したんだし、いずれ、美咲の方から話すんじゃないか?」
身を乗り出してにやりと笑う。
「シルビアが遊んでるから、今からでも使うか?」
むっとして篠原は答えた。
「そこまでの気遣いはいりません」
41 同夜 日比谷公園
夜9時過ぎの日比谷公園を、檜沢と由紀乃が歩いている。仕事帰りのカップルの風で
ある。
「それで、リーダー、俊ちゃんを煽(あお)ったわけですの?」
熱帯夜に遠慮してか、今夜の由紀乃は香りを纏(まと)っていない。
「そういうことになるかな」
対して檜沢がメンズのコロンをしている。あっさり、さっぱりした感じのする、ゲランの
ベティバである。
「何を考えていらっしゃいますのやら、リーダー」
「どうでもいいだろ」
「そうね、どうでもいいわ。リーダー、ラブラブっ !」
言いながら、由紀乃は檜沢の腕に抱きつく。
「うわっ、由紀乃、やめろ」
言われても由紀乃は引かない。
「あら、リーダー。夜の公園にいるアベックがよそよそしかったら、変に目立ちますわよ」
「ベタベタしすぎていても、目立つだろうが」
「それはそうね」
軽く腕を組む程度にする。終日出入り自由の公園の中を2人で歩いていく。
「変わった依頼をくださったわね、お馴染みの、あのお方」
「そうだな」
夏の夜の公園でありがちな、覗き、ひったくり、置き引き、恐喝、等々。警備の参考のため、
実際に公園を訪れてみて、使用者の立場から気づいたことを報告して欲しいという。
「参考になるんだか、ならないんだかっていう感じの依頼ですわね」
「一般人の意見も大切だろ?」
「私たちのどこが一般人なのかしら」
由紀乃はころころ笑う。「否定はしきれんな」と檜沢も苦笑する。ゆるゆると歩いて、
大噴水のあるコーナーに出る。昼間はコンピュータ制御によって様々な変化を見せ
るのだが、今は止まっている。水中照明がついているものの、周囲のベンチに座って
いるカップルの視線は噴水に注がれていない。お互いを見て語り合うのに忙しいらし
い。
「昼間、噴水が動いている時に来たかったわ」
「ダーリンとでも来てくれ」
「そうしますわ、リーダー」
まだ大噴水は遠い。立ち止まり、周囲を見回す。
「隙のある人間が多いな」
「仕方ないわよ、リーダー。2人の世界をつくるために来ているわけだから」
檜沢の携帯が振動する。夜間のため、音の呼び出しは止めてある。
「はい、こちら檜沢」
「柏崎です」
道路から日比谷公園を見ている、柏崎と幾男のコンビからの連絡である。大噴水を
直角に挟んで、彼らと檜沢たちがいる。大分、檜沢と由紀乃の方が距離がある。
「こちらに、ちょっと挙動不審な4人組がいるんです」
「どういう? 一人ずつ、説明してくれ」
「20代後半に見える男性。タキシード着用。どことなく威厳を感じます」
「それから?」
「20代前半に見える女性。ワンピース着用。上半身は白、スカート部分は若葉色の
ものです。ストレートロングの髪をおろしています。何か、手に持っているようです。
右手のひらに左手を乗せて、両手で大切そうに包んで、まるで卵でも運んでいるような」
「それから?」
「二十歳そこそこに見える男性。姿勢がいいですね。しゃんと背を伸ばして。服装に
特徴なし。ノートパソコンを抱えています」
「もう一人、いるはずだな」
「70代に見える男性です。いたって健康な老人といった雰囲気です。ご老人といっては
失礼になりそうですね。これといって特徴のない体型。あ、今、目をぎゅっとつぶりましたが、
どうしたのかな。以上、4人です。ちなみに眼鏡使用者、なしです」
「挙動不審な点を具体的に」
「タキシードという服装、何か相談している様子、女性の表情が緊張しているようで固い、
ノートパソコン、それぞれの関係をとらえにくいメンバー構成、以上です」
「了解、動きがあったら、すぐ言ってくれ。いや、無線に切り替えよう」
「了解」
電話を切り、無線機のスイッチを入れ、イヤホンを耳にする。由紀乃も同様にする。
「こういう時、髪が長いとコードを隠せていいのよね」
檜沢は手早く、由紀乃に状況を説明する。
「タキシードっていうのが、面白いわね」
「もしも不審者がいたら、そちらの動向観察、場合によっては追跡、犯罪の防止、
その他も依頼に含まれていたな」
「同業者かもよ? リーダー」
「探偵がどうして目立つ格好をするんだ。タキシードは、場違いだぞ」
「陽動作戦だって、ありますわ」
柏崎の声が耳に直接入ってくる。
「動きました。4人とも、公園に入ります」
42 真夏の夜の?
探偵たちに見張られている4人は、普通の足取りで公園へ入っていく。噴水を
背にして、若い女性が立つ。
「由紀乃や美咲より若いかな。篠原と幾男の間くらいか?」
「何となく、負けん気が強そうね。私と気が合うかも」
「それは、恐ろしいぞ」
タキシードの男性が噴水から5メートルほど離れ 、彼女と向かい合わせに立つ。
少し離れて、二十歳そこそこのノートパソコン青年と老人・・・と言っては失礼に
当たる男性・・・が立つ。
「何が始まるのやら、だな。周囲の様子にも気を配ってくれ」
遠目に4人を見ながら、檜沢は指示を出す。
「少し、距離を詰めるか、由紀乃」
2人はゆっくり噴水に向かって歩いていく。と、噴水脇に立つ彼女が、左手を右手の
上からはずした。トレーを右手で支えているパントマイムのよう。
「何か、手のひらに乗せてるのかしら」
「みたいだな」
タキシードの男性が発生練習を始める。
「おいおい、なんだよ」
「目立ちたがり屋さんかしらね」
彼は「アエイオウ・ウオイエア」を繰り返し、音を段々に高くしていく。周囲のベンチの
カップルには無視されているが、委細構わずに続ける。街灯はあってもなお暗い夜の
公園に、テノールの声が吸い込まれていく。
「いい声ね。ちゃんとした歌も聴きたいわ」
由紀乃がうっとりと目を細めている。
由紀乃の願いが聞こえたのか、7〜8分後、発声練習は終わった。
「いよいよ本番かしら」
「こっちの警戒も本番。それこそ、陽動作戦じゃないだろうな。ノートパソコンが気に
かかるから、そっちからも目をはなさないでくれ」
「檜沢リーダー、了解」
イアホン越しに幾男の返事が聞こえる。返事が終わるのとほぼ同時に、歌の最初の
音が空を切った。
「♪♪♪♪♪♪♪・・・」
柏崎が息を呑む。
「いい声、ですね。鳥のようだ。でも、言葉はわからない」
「僕もわかりませーん」
「英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語、中国語、ハングル、ロシア、
全部違うな。えいっ、何だ」
「ニュアンスはわかるわよ。なんだか、涼風みたい。聞いてると、ほっとしてくるわ」
肌にまとわりついた湿気と熱がふり払われていく。大噴水の前がミニコンサート会場に
なる。聴衆は今のところ、4人。プロローグのような1曲目が終わる。
柏崎が小さく拍手をしながら言う。
「2曲目はどんな曲でしょうね」
甘くやさしい旋律が流れる。
「♪♪♪♪♪♪♪・・・」
自信を持って幾男が言う。
「僕にだってわかります。これ、絶対、何かのセレナーデです」
ベンチの恋人たちが、そわそわと水の出ていない噴水に目を向け始めた。
「口上なし、問答無用で耳を傾けさせるなんて格好いいじゃない」
ご機嫌な表情で由紀乃が言う。
「掏摸(すり)、置き引きの引きつけ役にしては、もったいなさ過ぎるな」
「リーダー、夢のないこと、言わないでよ」
「仕事中なのを忘れないでくれ」
柏崎が、不思議そうな声で言う。
「お嬢さんが手のひらに乗せているものですけどね、さっきから、輝いてませんか?
光の玉のように。それも、だんだん力強くなっているようです」
「言われてみれば、そんな気がしますねー」
「歌に絡んでない2人はどうしてる?」
「脇に立って、歌を聴いていますよ」
「それ以外の、不審な動きをする人物は?」
檜沢の言葉に、残る3人は異口同音に、
「該当者なし !」
マジックショーの助手のように立つ女性の手のひらのものは、噴水の夜間照明の
光で輝いている。だがそれは、見ている者に、自ら光を発し始めたような錯覚を
起こさせていた。かすかなざわめきが、公園内に広がっている。それに負けずに、
歌っている男性の声が段々大きくなっていく。彼の声量自体は変わっていないのに、
夜の空気が勝手に同調し、公園内に響かせているようだ。
「興を削いで悪いが、写真を取っておいてくれ。怪しげな4人とも」
「檜沢君、了解です」
「はぁい、檜沢リーダー」
近くにいる柏崎と幾男が隠しカメラで撮影する。また曲が変わった。
「♪♪♪♪♪♪♪・・・」
3曲目は賛美歌調。オルゴールかハープシコードで奏でるのに似つかわしい旋律が
流れる。
「心が洗われるようだわ」
由紀乃がうっとりしている。
「歌うたいに悪人がいないなんて言うなよ、由紀乃」
「はい、檜沢リーダー。あなたが決して無粋な人じゃないことも知ってますので、
ご安心を」
「由紀乃ちゃん、周囲にも視線を走らせましょうね。私も人のことは言えませんが」
「あの2人を見てないのって、この噴水の周辺じゃ、もう、僕らしかいないんじゃない
ですかー?」
幾男の言葉の通り、公園に居合わせた人々の視線は「歌手」と「女性」と、その手の
ひらの光に注がれていた。歩いていた者も、ベンチに座っていた者たちも、少しずつ
噴水前に近づき、やや遠巻きにして、目を輝かせ、この場の主役たちを見ている。
「舞台効果が、もっと欲しいや。噴水が動いてればよかったのに」
幾男が言ったところで、3曲目の1コーラス目が済んだ。すると、今まで沈黙していた
噴水に動きが生じた。3段の水盆のそれぞれから水が溢れだす。周囲で歓声が挙がる。
元から点いていた夜間照明が噴水の水の反射で明るさを増し、白と若葉色のワンピース
の娘の姿が、明るく浮かび上がった。そのまま、いずれ光に溶け込んでいきそうにも見える。
「彼女、きれいだわ」
「モチさん、幾男、例のノートパソコンはどうなってる?」
「起動してません」
「コンピュータ制御の乗っ取りじゃあ、ありませんねーっ」
「じゃあ、なぜだ」
「わかりませんよぉ。檜沢リーダー」
「公園管理局と相談済みのことかな。どうです、檜沢君」
「話しに聞いてない」
「まさか、歌込みのマジックショーじゃないわよね」
「由紀乃、マジックには、タネがある」
檜沢たちが話している間に、「彼女」の手の中の「玉」が、光を放ちつつ、ゆっくり宙に浮かび
始めた。どよめく観客たち。「それ」は垂直に上がり、すい、と一番上の水盆の中に落ちてい
った。その刹那、虹のきらめきが幾重にも噴水を取り巻いた。拍手と歓声が響きわたる。そ
の音に呼応するように虹がさらにきらめく。
「こんな時、自分の仕事が恨めしいな」
檜沢が呟く。それでも腹に力を入れて言う。
「写真、もう一度取っておけ。自分の目にも焼き付けろ。周囲の人の動きはどうだ。同時に、
3つ、4つくらいのことに注意を向けろ」
口々に「了解」の声が帰ってくる。「すまん、みんな」ともう一度呟く檜沢。それも、歓声と拍手に
かき消される。
「♪ ♪ ♪ ♪・・・」
歌が終わりに近づき、声がだんだんと小さくなっていく。「光の玉」が水盆から浮かび上がり、
行きと同じルートを逆にたどり、「彼女」の手の中に戻ってきた。そっと握り、手首を返す娘。
タイミングを同じくして、歌が終わり、噴水も沈黙を取り戻す。「アンコール」の声の中、歌い手は
彼女に近づき、「光の玉」ごと彼女の手をとり、その手を高く挙げる。同時に、噴水が息を吹き
かえす。
「マジックにしても、どういうタネなのよ。演出のタイミングが、あんなに合うなんて」
「マジックでなくて、魔法かもしれんな」
「リーダーにしては、珍しいお言葉」
「数は少なくても、本物はいるさ」
由紀乃は苦笑して応えなかった。
歌手と彼女に対して、盛大な拍手が起こる。手拍子がさらに続く。人垣に混じっていた青年と
老人が出ていき、4人で並び、一斉に礼をする。
「あの2人、何もしていませんでしたけど、やっぱり仲間なんですね」
柏崎が言う。脇で幾男が、「テープレコーダーを回すの、忘れたなぁ」と言った。
ひときわ大きな拍手が起こる。一時のエンターテイナーたちが面(おもて)をあげる。すると、
彼らの周囲の空間がゆらりと揺れ、次の瞬間、4人の姿がかき消えた。拍手に続き、手拍子も
打たれるが、もう、彼らは姿を現さなかった。だんだんと手拍子は小さくなり、やがて消えた。
満ち足りた表情で、三々五々、人々は散っていった。
檜沢が声をかけたわけではなかったが、探偵たち4人は大噴水の前に集まっていた。今ごろに
なって、檜沢が言った。
「まいった。すごいものを見たな」
ぼけっと、幾男が言った。
「美咲おねーさんと篠さんも、休みでなければよかったですねー。聴けたのに、見れたのに」
43 ほぼ同時刻 池袋
ワールドインポートマート1階のナンジャタウンのコーナーに、篠原が立っていた。吹き抜けの
2階、3階部分を見上げる。
「彼女の行く先といったら、ここだろう?」
檜沢と別れてから、篠原は一人でエアライフル射撃場に行き直し、ワンプレイした。その後は
映画館で涼み、あたりが暗くなってきたころに池袋に移動した。サンシャインシティの待ち合わ
せ噴水広場でじっくりと水のパフォーマンスを見物してから、ここへ来たのだった。もう、随分と
長く、「上」を見ている。
「首が痛くなってきたな」
人込みのせいか、美咲らしき人物を見つけられない。ナンジャビザ販売機の上部についた
ステンドグラスが、遠い世界のものに見える。
「もっと早い時間にきた方がよかったかな」
時間的に、今からは入れないことになっている。その気になれば篠原は入り込んでしまうが。
「だけどなぁ。また、怯えた顔をされたら、追いかけにくいと思ったしな」
美咲が落ちつくのを待つための時間と、自分が状況に適応して認識を改める時間、それに、
これから先のことを考える時間。答えが出ていないものもあるが、取り急ぎ、一番急ぐものは
整頓がついた。
「この、夏休みのタイミングに感謝だな」
ポケットから携帯電話を取り出す。ちょうど Constellation がかかる。美咲の携帯のナンバーを
押す。「はい」と言う彼女の声と共に、今、篠原の上に振り注いで来るのと同じ「星の声」が聞こ
える。
「美咲さん? 俺だよ、篠原」
電話の向こう側、ナンジャタウン内・吹き抜け近辺のどこかで、美咲が息を飲むのが聞こえる。
「昨日はありがとう。俺は、怒ってないからね。驚いたけど。それで、迎えに行くから、この後、
飲みに行かない?」
「篠原さん、今、どこ?」
「Constellation がそっちにも聞こえてるだろ? わかるよね、ナンジャタウンだよ。ただし、1階の
吹き抜け部分のね」
「2階の吹き抜けに行くから、待ってて」
「転ばないでね」
つい、笑みを洩らしながら脇のナジャヴの像を見る。謁見の場に居合わせる大臣に見える。
「篠原さんっ」
目の前の、2階の手すりに美咲がいる。夜のビル内テーマパークの中を泳ぐクリオネ。やはり
と言うか、白いブラウスである。下はスカートらしい。金のロケットか瑪瑙のペンダントもして
いるかもしれないが、今はちょっと見えない。
「乗り出して、落ちないようにね」
篠原は電話を持っていない方の手を軽く振る。美咲は泣き笑いの顔で篠原を見下ろしている。
「スターロードを通って、ナンジャタウンを出たすぐのところに来てくれる?」
「行きます。すぐ、行くわ」
「ロッカーに荷物を置いていたら、忘れずに」
電話を切って、首を回す。美咲の姿が消えた手すりを、もう一度見上げる。
「ロミオとジュリエットじゃあるまいし。悲劇はごめんだよ」
バルコニーと呼ぶには、突き出した部分はないなと思い直す。いつの間にか Constellation は
終わっている。2階の出入り口に向かって歩き始める。傍らに立つナジャヴの像に、「この後、
どこに彼女を連れていくのかニャン?」と聞かれたような気がした。振り返り、にこりと言葉を
返す篠原。
「電車に乗るけど、ツインタワービル東館22階のスカイバーラウンジ・イリュージョン。飲んだら、
ちゃんと送っていくよ」
第5話(後) 終わり
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