「Constellation〜星座〜」(第5話 中)
第5話 「8月・・・Confess (・・・を自白する)」(中)
11 数日後 矢島探偵社
始業時刻の社員スペース。6人が各自の席に座っていると、ドアベルが鳴り、コニーがいつもの
ように言った。
『社長、お早うございます』
「お早う、コニー」
矢島はパーティションを回る。
「お早う、羊飼い諸君。今日も元気かね?」
「元気ですよ。羊飼いというより、羊そのもののような気がしますが」
檜沢が笑いながら言う。
「いつもと一味違う夏休みになりそうで、わくわくして元気です」
柏崎が答える。
「実家のお兄さん一家を、こっちにご招待したんですよねー」
と幾男がフォローする。彼は続けて、
「羊がタイトルに入ってる漫画を見つけて、元気です」
と言った。
「とっても元気ですわ」
と由紀乃。
「元気です」
にこりと美咲。矢島は、「ここ数日の仕事のはかどり方がよかったからかな」と笑い返す。
「いちおう、その、元気ですよ」
やや陰りのある声で、それでも篠原が言う。
うなづいた矢島は、
「檜沢から聞いているよ。わかっているから、気に病まないように」
と言った。申し訳なさそうに「はい」という篠原。
矢島は社長室に向かう。美咲が無言で追いかけた。由紀乃が、篠原に聞こえない声で
「人がいいんだから」と呟いた。
「ちょっと、出てきます。一日戻らないかもしれません」
言いながら篠原が立ち上がる。
「遅くなっても、ここへ帰って来いよ」
檜沢が言う。
「どうしてです?」
「帰ってからのお楽しみだ」
コニーに送られ、篠原は出ていった。
12 綱引き
幾男が森生まさみの「聖(セイント)・はいぱあ警備隊」を読みながら言う。
「篠さん、がんばってますね。かわいそ」
柏崎が続ける。
「このままで行くんですか、檜沢君」
「社長とも打ち合わせしてますけど、そうするしかないでしょう」
由紀乃が乱入する。
「ねえ、リーダー。美咲の直談判は、どこまで効果があると思う?」
「さあ。難しいな」
空いた席2つ・・・隣の美咲と正面の篠原・・・を見ながら檜沢が答えた。
13 日中
白い表紙のバインダーを鞄に入れて、篠原が街中を歩いている。
「どこに行ったんだ、戸田氏。妻子に何も言わないで」
汗を拭って、彼はスクランブル交差点を渡っていった。
14 来客
午後3時前後。矢島探偵社のドアベルが鳴った。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれ
ません』
「やあ、コニー、別嬪さん」
その声に、パーティションのこちらにいた美咲が眉を顰めた。
「オレが頼んで来ていただいたんだ。仕事の依頼じゃない」
檜沢がそう言いながら立ち上がる。パーティションを回りながら付け足す。
「それから、今日はケーキのみじん切りはしなくていい」
15 邂逅
同時刻。とある喫茶店で篠原が休憩していた。コーヒーとアップルパイのティータイム
セットがテーブルの上に置いてある。
「どっちも「アレキサンドライト」の方がいいな」
オフタイムに行こうかとも考えたが、担当した件のことを考えると縁起が悪い。雑誌を
適当にめくっていると新しい客が入ってきた。いたってオーソドックスなスーツを着た
男性で、年頃は篠原と同じくらい。彼は篠原を見て一瞬、「おや」という表情になったが、
自然に目をそらすと通路を隔てた斜め向かいに座った。ボーイが水とメニューを運ぶ。
おしぼりで手を拭いて人心地ついたという表情になる。彼の視線がこちらに向いている
のを確認してから、篠原は水の入ったグラスにさりげなく手を伸ばした。親指と中指の
2本で上から掴むように持ち上げ、45度回転させてテーブルの上に置く。それを見た新
客は、ボーイに断って篠原のテーブルに移動してきた。
「久しぶりだな、篠原」
日焼けした顔に嬉しそうな笑顔を浮かべ、新客は言う。
「偶然だね」
篠原もくすりと笑って応える。時枝エージェンシーの同期、櫟(くぬぎ)である。櫟はボーイに
アイスコーヒーを頼み、灰皿を手元に引き寄せる。
「それで、お前、今はどこの支社にいるのよ。いつの間にか本社から姿が見えなくなってさ」
櫟は煙草に火をつけて続ける。
「どっか、地方支社のチーフになったとか、海外支社で長期研修受けてるとか、いろいろ噂が
飛んでるぞ」
「そうかい?」
苦笑する篠原。
「中には、上司とケンカしてうちを飛び出して、どこぞの零細探偵社に勤めだしたなんて説まで
ある。失礼千万だぜ、同期の期待の星を」
「それは、それは」
さらに苦笑の度合いを深める篠原。櫟は身を乗り出す。
「で、結局のところ、真相はどうなんだ」
まっすぐに、篠原を見る。心配している目である。
「コーヒー来たよ、櫟」
ボーイがコースターの上にアイスコーヒーを置いていく。
「話をそらすなよ」
「ごめん、言えないんだ」
くしゅんとクシャミをする櫟。
「つれない奴。だったら、こうすりゃよかったんだ」
水のグラスを親指と中指の2本で上から掴むように持ち上げ、そのままテーブルの上に置く。
時枝エージェンシー社員同士が外で会った際の合図。グラスをそのまま置いたら仕事中(尾行、
張り込みなど)だから近寄るな、45度回転させれば休憩中、あるいはオフタイムである。
「重ねて、ごめん」
「まあ、いいさ。がんばってくれ、同期ってだけでなく、お前のことは好きなんだからさ」
ストローを使わずにアイスコーヒーをいっき飲みする。篠原の分まで伝票を持って立ち上がる。
「お前に会えたら、燃えてきた。サボリに入ったけど、仕事に戻るよ」
「おいおい、櫟」
「いいって、驕らせてくれ、久しぶりに会えたんだから」
伝票をひらひらとさせながら去っていく。
「そのうち、どこかに遊びに行こうぜ。彼女ができたら紹介しろよ。じゃーな」
16 矢島探偵社 応接室
持参した水羊羹を檜沢と一緒に食べながら、その客は言った。
「そういうわけで、こちらには特別に話せるようなことはないよ、リーダー君」
「そうですか」
がっかりという表情と安堵の表情を同時に浮かべ、檜沢は返事をした。
「珍しいね、君が、いや、君たちがこんなことに興味を持つなんて」
由紀乃が麦茶を運び、幾男が水羊羹を運び、柏崎が忘れていたとミニスプーンを
運んで来た。
「少し、事情がありましてね」
それ以上のことは企業秘密ですよ、と檜沢は笑う。
「矢島探偵社でも見つけられなかった人間を、私のところで見つけられる筈が
ないだろう」
「でも、データ量と機動力は圧倒的に違います」
「それは認めよう」
水羊羹、もうひとついただけないかな、と尋ねる客人。
「あなたが持って来てくださったものですから、おいくつでも、どうぞ」
言いながら、ドアを開けて水羊羹の追加を頼む。美咲が梅味のものを運んできた。
受け取りながら言う客人。
「ありがとう、美咲さん。また、手作りのケーキもいただきたいよ。このごろ、食べてない
気がする」
「すみません、近いうち、また焼きますから」
「催促して、申し訳ないね」
「いえ」
檜沢をちらと見る美咲。檜沢は、「大丈夫」と言うようにうなづいた。
17 路上
旅行代理店の前を篠原が通り過ぎる。「まだ間に合います ! お盆のご旅行」の貼り紙が
ウインドーに貼ってある。
「旅行の醍醐味は行くまでの過程にある、ねえ。一理あるけどね」
くすりと笑って篠原は通り過ぎた。
18 パリ -ブレスト
午後七時過ぎ。篠原は矢島探偵社に戻った。
『お帰り、篠原』
「ただいま、コニー。まだ、覆いをしてないのか」
パーティションの向こうから、檜沢の声がする。
「篠原の顔を見るまで、眠りたくないと言ったものだからね」
「あはは、九官鳥にモテてもね」
笑いながらパーティションを回った篠原は、そこに美咲が座っているのを見て硬直した。
「お帰りなさい、篠原さん」
「人間の女性にもモテてるぞ」
彼女の隣に座っていた檜沢がにやりと言う。顔をやや赤くした篠原は自分の席につく。
その間に美咲は席を立った。
「篠原さん、おつかれさま。少し、休んでから帰ってください」
えっ、と篠原が聞き返す前に、美咲はキッチンに入っていった。
「どうなってるんですか」
「だから、帰ってからのお楽しみだといっただろ」
「既婚者にモテても楽しくありませんけど」
「お前も結構いう奴だったんだな」
肩をすくめる篠原。
「そうは言っても、虚しいでしょ。人のモノなんだから」
「もっともだがな」
篠原越しにシルクスクリーンを見ながら檜沢が続ける。
「お前、もう少し、観察眼を養えよ」
「はあ?」
「二度は言ってやらない」
美咲がトレーを持って戻ってくる。コーヒーとケーキを篠原の机に置く。
「あ、ありがとう」
見慣れない形のケーキに首を傾げる篠原。輪の一部を切り取ったような形の、シュー
生地のケーキ。
「これは?」
「パリ -ブレストですよ」
にっこりと言う美咲。シュー生地で生クリームとカスタードクリーム、イチゴをはさむ大型の
リングシュー。別名はパリジャン。篠原の前に置かれているのは、その8分の1である。
「今日は、きっちり8分の1だ。有り難くいただくんだな。久しぶりの美咲の手製だ」
「檜沢さんっ」
美咲が赤くなる。
「オレには、コーヒーだけくれ」
篠原が首を傾げるのを見て、檜沢はフォローをする。
「3時にみんな、済ませてる」
「そうですか」
美咲は社長室の掃除をしに行く。篠原と檜沢は向かい合ってのお茶会になった。
「これ、なんでパリ -ブレストっていう名前なんでしょうね」
「昼間、聞いたところではパリ -ブレスト間を走る特急列車から来ているらしい」
「また移動の話しかぁ」
言いながらリングシューに向かう。
「ところで、檜沢さん。戸田氏の件ですけど」
「物を食ってる時は、そっちに集中したらどうだ?」
忠告に従う。シュー生地とクリームが口の中いっぱいに広がる。
「旨い」
「だろ?」
自慢げに言う檜沢。
「うちのパティシエの力作だからな」
「ええ」
「久しぶりに腕を奮ったんだからな。戸田氏の件で、しょげてるお前のために」
「それを言われると・・・」
「お前は、黙って食ってろ」
檜沢はシルクスクリーンを見ながら言う。
「今日、少しツテを頼ったんだが、村井氏、戸田氏の消息はやっぱり不明だ・・・黙って
食ってろ ! ・・・仮に、見つからなくてもお前の腕が悪いわけじゃない」
篠原はパリ -ブレストを平らげる。
「明日の夕方までだったな。矛盾したことを言うが、頼むぞ」
「ええ、やりますよ」
篠原の方から右手を差し出す。檜沢は苦笑する。
「悪いな、本当に」
いつものように握力測定のようなことをしている時、美咲がパーティションを回って戻ってきた。
「あら、これからまた仕事に出るんですか」
19 トラップ設置?
檜沢は2杯目のコーヒーを前にして、篠原と美咲に先に帰るように言った。
「俺を待ってたわけじゃなかったんですか」
「それもあったが、リーダーとしては最後に帰ろうと思ってな」
角砂糖をひとつ入れて、檜沢は答える。
「結局、ここでは犬は飼えないんだ。万一に備えて、夜中の闖入者対策を立てて置こうと
思ってな」
20 ブーケ
篠原と美咲は、連れ立って駅へ向かった。心なしか、いつもより人通りが少ない。
「美咲さん、さっきはごめん」
駅への階段を降りながら篠原が言う。
「え?」
2人は自動改札を通る。
「さっき、檜沢さんに言ったこと」
美咲は、意味がわからないと言う顔をする。
「あ、聞こえてなかったんだ」
「キッチンにいましたから」
「そうだよなぁ」
空ならぬ天井を見上げる篠原。
「でも、失礼な言いぐさだったよな」
構内の花屋の前で、通りすぎようとした美咲を止める。
「美咲さん、どの花が欲しい?」
美咲は目を丸くする。
「どうして」
「聞こえていない暴言のお詫び」
「いいですよ」
「心にもないこと、言ったから」
困り顔の美咲。
「それに、パリ -ブレストの御礼」
「習慣なんですよ、私の」
「でも、行方調査絡みで俺の好みに合わせてくれたんでしょ」
控えめにうなづく美咲。
「そういうことで、リクエストをどうぞ」
美咲は少しの間、篠原の顔を見ていたが、やがて視線を店頭の花に移し、
白いトルコキキョウを選んだ。代金を払って美咲に手渡す篠原。
「ありがとう、篠原さん」
美咲がにっこりと微笑む。
「どういたしまして」
篠原も笑みを返す。と、ようやく気づいた顔になって、
「だんなさんが驚かないかな?」
美咲はかすかに困った顔で答える。
「大丈夫ですよ」
「そう」
なんとなく、花屋の店頭で向かい合っている。篠原が、ひとりごとのように言う。
「既婚者でなければ、よかったのに」
「え?」
篠原は、黙って首を振る。
「遅くまで待たせて、ここでも引き止めてごめん。帰りますか、美咲さん」
別れてそれぞれのホームへ向かう。篠原が階段を昇りきると、いつものタイミングと
同じように、向かいのホームに電車が入ってきた。発車を見送る。ホームを見渡すと、
白い花束を抱えた女性の姿が向かいのホームにあった。
「え?」
照れた笑顔を浮かべて、美咲がこちらを見ている。篠原は呆然と見返していた。こちらの
ホームに電車が入ってくる。電車が双方の視界を遮る前に、美咲は軽く手を振った。慌てて
手を振り返す篠原。かすかに赤くなった顔で電車に乗り込む。奥には進めない。入口近くに
立った篠原を乗せ、電車は発車した。
21 同夜 篠原のアパート
篠原が電話に出ている。
「はい、篠原です。・・・特に何もありません、何も。ええ、本当に」
22 翌日 矢島探偵社
昼近くの社員スペース。檜沢、柏崎、幾男の3人がそれぞれの席についている。
「幾男君の願いを誰かが聞き届けたんですかね。面白い事件が起こってるじゃ
ありませんか」
新聞を読みながら柏崎が言う。
「面白いと言っては当事者に申し訳ありませんけどね、伝説の宝石盗難だなんて、
ロマンティックな気がしますよ」
「うーん、僕、光り物に興味ないもんですから」
川原由美子の「観用少女(プランツ・ドール)」を読みながら幾男が答える。
「そうですか? 歴史上最も古い大粒のダイヤモンドですよ。これを持てば世界を
征服できると信じられた石ですよ」
新聞の解説を読みながら柏崎が続ける。
「英国王室宝石類のひとつで、現エリザベス2世の母親のプラチナ製の王冠に
飾られている、と。泥棒はそこから外していったわけですか。どうする気なんです
かね。小さくして売ったら価値が大幅に減リそうだし」
眼鏡を掛け直して唸っている。
赤い表紙のバインダーに書き込みをしていた檜沢が口をはさむ。
「コーイヌール、「光の山」っていう意味の宝石ですか。うちが警備依頼や、宝石捜索を
依頼されなくて助かったって思いますよ。海の向こうの話だから、そんなことはある筈
ないですけど」
「そうですよねーっ、檜沢リーダー。いくらなんでも、うちの名前は海外まで轟(とどろ)いて
ませんよね」
あっけらかんと言う幾男に、檜沢と柏崎は笑う。
「仮に轟いていても、物探しは得意じゃないぞ。生きている人探しは完璧だが」
柏崎を見て付け加える。
「いなくなったペットも、まず完璧でしたね。ところで、イギリスの犬は、やっぱり英語で
鳴くんですか? モチさん」
23 喫茶店 アスコット
美咲がランチタイムセットの紅茶とサンドイッチをつまんでいる。と、座席のすぐ脇に人が
立った。
「真夏でもホットのアールグレイ?」
篠原である。
「そうですよ」
にっこりと美咲が応える。「ふうん」と受ける篠原。美咲に断って向かいに座る。コーヒーを
頼む。
「篠原さん、いよいよ今日の午後が期限ですね」
戸田氏の最終調査報告である。
「そう。2回目の黒星確定。一人で矢島探偵社の業績に汚点を残してる」
「篠原さんのせいじゃありません」
必死に言う美咲。首を重そうに振って篠原が応える。
「分厚い調査報告書を書いたけど、肝心の、依頼者が欲しいことは書いてないんだものね。
調査対象者発見できず、こんな結末の報告書なんて、無用の長物だよ。俺は役に立って
ない」
「そんなこと、ありませんってば」
「ところでさ、美咲さん。うちの行方不明者調査の数って、月にしてどれくらいなの?」
美咲の体が一瞬硬直する。怯えるように篠原を見る。その表情の変化を不思議に思い
ながら、篠原は続ける。
「事務・経理メインの美咲さんに聞くのも変だけど、檜沢さんたちには更に聞けない。どうにも、
気が引けて。各自、単独でケースを抱えたり、チームを組んだりで、錯綜としてるよね。自分
以外の誰が何をしているのか、もうひとつわからないんだ。檜沢さんはリーダーだから、全部
把握しているみたいだけどね」
美咲は視線をはずし、店内のあちこちを見る。やがて、篠原を見て小さい声で言った。
「行方不明者調査の依頼は、月に30は下りませんよ。まとめて依頼される方がいますから」
「そんなに、多い?」
篠原は思わず大声になる。ここが喫茶店と気づいて、声を普通に戻す。
「俺が担当したのは、まだ2件だよ。どっちも、黒星だけど。で、ほかのケースは、結果は
どうなってるの」
「残りは全部、成功してます」
美咲の視線がティーカップに落ちる。
「檜沢さん、由紀乃さん、モチさん、幾男君の4人で、月に30件? ほかの仕事もあるでしょ。
そんな、こなしきれるの? どういうペースで片づけてるの」
篠原の声が、また大きくなっていく。
「最短ルートで見つけますもの。延べ2日か3日で、できます」
「馬鹿な !」
思わず、怒鳴る。
「人、一人探すのに、どれだけ手間ひまがかかるか。最短ルートなんて、あるものか」
「でも、そうなんですってば」
美咲は泣きそうな声になっている。周囲の刺すような視線より、篠原にはこちらの方が痛
かった。
「ごめん、美咲さん」
体を固くしたまま、首を小さく振る。それ以上はもう、謝っても何を言っても答えず、美咲は
貝のように口を閉ざしてしまった。
24 同時刻 路上
営業回りで住宅街を歩いている風の男性の後を、由紀乃が追っていた。
「ふん、だ。とうとう見つけた、ストーカー男。リーダーと交代で、何日網を張っていたかしら」
ハイヒールの音が、嬉々としている。
「証拠を集めて警察に突き出してあげるけど、その前に多少のお仕置きはしてもいいわよね」
25 午後3時過ぎ 矢島探偵社
コニーが客を送り出している。
『ありがとうございました。お気をつけてお帰りください』
ドアベルが鳴り、客は出ていった。
「景気の悪い顔だな、篠原」
篠原の正面の席で檜沢が言う。
「ええ、まあ」
「今出ていったのが、戸田氏の奥さんだからか」
「ええ」
柏崎、由紀乃、幾男、美咲は黙って、それぞれの仕事をしている。
「仕方ないな」
椅子の背に体重をかけて檜沢が言う。
「5階に行ってこい、篠原。気分転換できるまで、帰ってくるな」
26 「仲間」たち
「大分、まいってるな、篠原」
篠原が出ていってから、檜沢が言った。
「黒星2つですからね」
新聞のスクラップをやめ、柏崎が言う。
「プライドが傷ついたか、自信なくしたか、してるのかな、篠さん」
漫画を巻数順に並べながら、幾男が言う。
「すこーし、気の毒になって来たわ」
由紀乃も言う。
「プライドの問題だけじゃないと思うけど」
美咲がひっそりと言う。皆の注目を浴び、続ける。
「篠原さん、依頼者の役に立てなかったのが、つらいんです」
思い思いにうなづく4人。
「ま、いい心掛けだな」
「そうですね。篠原君、そういう面はいいですね」
「だけどほかの面が困るじゃないですかー。篠さん自身はいい人でも」
「なんとかして欲しいわ。試験採用期間はあと1か月半? リーダー」
「概ねそれくらいだ」
美咲は黙ってロケットの鎖に触れている。由紀乃がシルクスクリーンを見ながら言う。
「社長も、そっとしておくようにって言ってたわよね」
顔を見合わせる5人。代表するように檜沢が言う。
「こっちから言えないから、篠原から切り出して欲しいな」
27 日程
午後5時近く。由紀乃がロッカールームから社員スペースに戻ってくる。ホワイトボードを
確認しながら、檜沢が言う。
「由紀乃、まだ帰るな。1分で済む。・・・お盆の休暇の最終確認だ。明日、明後日の2日間は
美咲と篠原、3、4日後は由紀乃とモチさん、そのあとの2日間が幾男とオレ。これでいいな」
異論は出ない。
「では、解散」
由紀乃がさっさと動き出す。
「美咲、お盆休みを楽しんでね。俊ちゃん、落ち込んだまま時間をつぶしちゃ駄目よ」
カボシャールの香りを軌跡に残しながら、由紀乃が出ていった。少し遅れて柏崎が出て
行き、篠原、美咲も席を立った。室内で幾男と2人きりになった檜沢が言う。
「幾男、ねずみとりとマタタビ、開発してくれ」
「ネズミと猫を捕まえるんですか、檜沢リーダー」
「ああ。どっちが侵入して来ても迎撃できるように、準備しておくのさ。オレが作るより、お前が
やった方が上手くいくだろうから」
「はーい」
28 駅構内
美咲の脇を、篠原が黙って歩いていく。花屋の前で、彼女を立ち止まらせる。篠原は
紫とピンクのトルコキキョウを買い、美咲に手渡した。物問いたげな顔で篠原を見上げる
美咲。
「昼間、泣かせたお詫び」
「泣いてません」
「涙を流すのだけが、泣いたっていうわけじゃないよ」
美咲はかすかに、口元で笑う。
「2日続けて、妙なことして、ごめん。花言葉なんて知らないけど、トルコキキョウなら、
物議は醸(かも)さないでしょ?」
「それは、気にしなくていいですよ」
花束をセロファン越しに撫でながら美咲は言う。暑さの中、どことなく深海魚めいた動作で
人々が2人の脇を通りすぎていく。
「篠原さん、昨日、ここで言ったこと、本気ですか?」
美咲は左手を軽く挙げる。薬指にプラチナの指輪が光っている。
「うん。本気」
花屋の店頭で、時間が止まったように向かい合っている。花束を胸に抱き、篠原を見て、
美咲がいう。
「篠原さん、明日、明後日の予定は?」
「特になし」
「じゃあ、明日、一緒にどこかへ行きませんか?」
29 同夜 篠原のアパート
篠原が電話に出ている。
「はい、篠原です。・・・特に何も。俺は明日と明後日、夏期休暇ですから。こっちの方も
休ませてもらいます」
30 同時刻 美咲のマンション
洗面台を、美咲が見ている。歯磨き用の青いコップとピンクのコップ、それぞれに歯ブラシが
挿してある。あまり使われていない、青いコップの中の歯ブラシを見ている。
第5話(中) 終わり
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