「Constellation〜星座〜」(第4話 後半)
第4話 「7月・・・Constellation (星座)」後半
7 同日 午後8時
温泉観光地。とある旅館の一室に、入浴と食事の済んだ檜沢と由紀乃が浴衣姿で
くつろいでいた。
「不倫旅行の証拠は、見事に押さえましたわね。写真はばっちり、ね、リーダー」
「そうだな」
「これで、離婚を申し出るのかしらね、奥さん。それで慰謝料をがっちりもらってしまう
とか?」
「いや。依頼者は、とにかく事実だけを確認しておきたいらしい」
「と、いうことは?」
カメラの手入れをしながら、檜沢が応える。
「亭主の一時的な迷いだと信じて、手の切れるのを待つつもりらしい」
「あら、そうなんだ」
日中、なんとなく不貞腐(ふてくさ)れていた由紀乃の表情が明るくなった。
「そう聞くと、なんとなく嬉しいわ」
お茶はいかが? と檜沢に聞いて入れ始める。
「浮気って、放っておけば冷めるものを、伴侶が騒いで、却って本気にさせちゃう
ことって、ありますもんね。落ちついた依頼者さんで、よかったわ」
「まあ、な。時によるがな」
昼間のうちに買っておいた温泉饅頭を2人して、つまみ始める。
「太りそうだな」
「寝る前にもう一度温泉に入って汗を流せば?」
「仕事絡みで来ても、温泉は温泉だからな、それもいいか。・・・由紀乃、昼間は、
また離婚調停の材料になると思って拗ねてたのか」
「ええ、すこーしね」
温泉饅頭を割りながら、返事をする。
「おかげで、いまひとつ婚約旅行のカップル風に見えてなかったような気がするんだな、
オレたちは」
「でも、不倫カップルにも見えてないから、いいでしょ? リーダー」
「話の方向がずれてるような気がする」
「あっ。ずれているといえば、ずらさないと」
仲居が2つぴったり付けて敷いていった布団を離そうとする。檜沢が手伝って、50センチ
くらいの間を空けた。間に、由紀乃がメジャーを伸ばしながら置く。
「リーダー、夜の間、絶対にメジャーを越えないでくださいね」
「何を今更。オレは、誰かさんに恨まれるのはごめんだね」
「泊まりがけの時の、お約束の会話だと思ってください。それに、リーダーだって、好きな人に
操を立てますもんね」
「何いってるんだか」
呆れたように檜沢はそっぽを向いた。思い出したように、
「留守中、社の方はどうなっているんだろうな」
「モチさんはいるし、もちろん社長もいるから、大丈夫でしょ? リーダー」
「仕事の方は、それでいいんだがな」
檜沢の顔は真剣みを帯びていた。由紀乃が察した表情になる。
「おとなしくしてくれてると、いいですね」
「ああ」
「でも、ここで心配してても始まらないし」
気を取り直して、由紀乃は立ち上がった。
「ちょっと出かけてきます」
「どこへだ」
「ロビー。ダーリンに電話をかけますの」
「室内で携帯、入らないか?」
「リーダーに聞かれたら、恥ずかしいの」
「好きにしてくれ」
8 午後9時半 ナンジャタウン
篠原と美咲が隠れて見守っている中、お姫さまは、通算107個目のスタンプを
見つけた。思わず跳び上がる彼女を見て、「護衛」たちも頬を緩めている。
「やったなぁ。一度、外に出たついでに懐中電灯を買ったとは。根性のある
お姫さまだね」
「もののけ番外地が暗くて、最初、移動する方のスタンプを見つけ切れなかったん
ですよね」
「それで、あとは」
「No.108のスタンプボックスに4つの暗号を入力して、最後のスタンプを押せば、
終わりですね」
1か月ごとに移動するNo.108のスタンプボックスを、これも月ごとに移動する89から
107のスタンプを元にした暗号を用いて、開ける。開けると中にNo.108のスタンプが
ある。それを押して帰りがけにインフォメーションで登録をすれば、晴れてナンジャ
マニアである。お姫さまは、スキップ半分の足取りでスターロードへ向かう。篠原と
美咲は、閉園まで粘るカップルの振りをして、それを見送った。
「長い一日だったね」
「そうですね」
時計を見ながら美咲が応える。
「モチさんと幾男君が、これから家まで見届けるのかしら。大変」
「いや、社長が行くらしい」
柏崎と連絡を取った篠原がいう。
「あら、珍しい」
美咲が目を丸くする。
「家を出てからここまでと、一度彼女が外に出た際にモチさんたちが尾行したから、
最後は社長がするって」
「モチさんの変装じゃ、いけなかったのかしら」
美咲がため息をつく。
「結局、3時くらいからずっと、会社が空(から)になっていたんでしょう? 空振りをした
お客さまがいたかもしれませんね」
「また、来るんじゃない?」
「でも、普通の人は、よほど切羽つまらないと探偵社になんて来ないでしょう。勇気も
いると思うんですよ。それをまた、出直しさせるなんて」
聞いている篠原は困り顔。
「それはもう、止むを得ないよ」
「そうですよね」
自分に言い聞かせるように、美咲はうなづいた。ゆっくりとナンジャタウンの中を歩き、
2人は自然に3階のザ・ウォールまで来て立ち止まった。ほどなく、ナンジャタウンのテー
マ曲、美咲がいうところの Constellation が流れる。曲が終わったところで、美咲が「踊り
あかそう」をリクエストする。帰る人々の足止めを狙うかのように、ミュージカルの曲が流
れる。
「あいにく、ここで踊りあかすわけには、いかないね」
笑いながら篠原がいう。
「周年記念のオールナイトパーティーは、もうじきですけどね」
「美咲さん、来る予定なの?」
「さあ。気分次第と、お仕事次第ですね」
「事務と経理メインなら、大丈夫じゃない?」
「でも、今日みたいなこともありますから」
「まあね。「彼女」の担当は、なんとなく俺たちになってるし」
「私がナンジャタウンに詳しい・・・っていうほどでもないんですけど・・・のも、矢島社長に
知られてしまったし」
なんとなく、笑い合う。ふと、真面目な顔になって美咲が言いだす。
「ところでね、篠原さん。前から伺いたかったことなんですけど」
「何?」
「篠原さん、どうして、うちの会社にいらしたんですか?」
にっこりと、正面から尋ねてきた。とっさに視線をナジャヴの出てくる扉に向ける篠原。
曲は終わり、扉は閉じている。
「どうして、そんなこと、聞くわけ」
「だって、うちは社員全員でも10人いない、小さなところですもの。職種そのものを変える
ならまだわかりますけど、大手の時枝エージェンシーから転職なんて、不思議ですよ」
「小さくても、業界内で評判のいい会社なら、入ってみたいじゃないか」
視線をそのままにして答える。
「「夜逃げ屋殺しの矢島探偵社」。時枝に入社したばかりの頃から、社内でよく噂に
なっていたよ。そこが中途採用をするっていうなら、扉をたたいてみようかと思ってね」
「大手の時枝を捨てても?」
「うん・・・まあ・・・そうだね」
「思い切りがいいんですね」
いつの間にか、2人して並び、手すりにもたれている。篠原が腕時計を見る。
「いわゆる探偵学校に通って、その延長ルートで時枝に入ったんだ。時枝が出資して
いる学校だったから。入社してみると、調査の手順は学校のメソッドと同じ。系列だから、
当然だよね。よくできたマニュアルだし、改定もされていくから、ほかの同業他社にも引けは
とらないと思う。けれど、上には上がいるっていう噂はどうしても流れる。噂というか、実際
の話が流れていたんだけど」
「矢島探偵社ですか」
あえて客観的な言い回しをする美咲。
「そう、できるのなら、もっと腕を磨きたい。それでだよ」
「うちは生徒を指導する余裕はないんですけどね。事務メインの私がいうのは、生意気ですけど」
「うん。その点は、甘かった」
「そういう意味じゃありませんよ」
あわてて言う美咲。
「即戦力が欲しくて募集をかけたんですもの。篠原さん、充分できる人なんですよ。そんな、生徒
じゃありませんよ。うちで磨くこと、ありませんってば」
「それは褒めすぎ」
苦笑する篠原。
「檜沢さんといくつかのケースで一緒に動いたけど、あの人なんて、無駄はないし、機転は効くし、
大胆だし、すごいと思うよ。とても敵わない」
「そうですか?」
「ああ、お世辞抜きで」
にこりとしていう美咲。
「じゃあ、がんばって技を盗んでください。進んで教えてくれる人ではないみたいですから」
顔がひきつる篠原。
「盗めって、それはまた、すごい言い方だね」
「だって、せっかく時枝を出てまでも、うちに惚れ込んで来てくださったんですもの」
篠原は美咲を、まじまじと見る。美咲も篠原を見返す。皮肉も嫌味もない視線。篠原は
美咲の視線をはずした。そろそろ Constellation がかかるタイミング。
「今は、聞きたくないな」
「え?」
篠原は首を振る。ジュークボックスにコインを投入しようとする。
「篠原さん?」
篠原の手が止まる。
「40倍の倍率、突破か。そうだな。俺も捨てたものじゃないはずだし」
美咲に振り返る。彼女に笑いかける。
「それじゃ、頑張ってみるよ。檜沢さんて、端から見ていて、どうやって状況判断している
のかわからない部分もあるけどね」
「ええ、篠原さん、しっかりね」
Constellation が流れ始める。
「そろそろ、出ようか。お姫さまも、もう大分行ったようだし」
「あ、そうですね」
曲に未練のありそうな美咲だったが、それでもうなづいた。
「遅くなったけど、送った方がいいのかな」
「大丈夫ですよ」
「ご主人、もう帰ってるんじゃないの?」
「ご心配なく」
いつの間に連絡したのだろうかと思いながら、篠原は美咲と連れ立って出入り口へ
向かう。
「篠原さん、ナンジャマニアの認定、忘れずにしてもらわないと」
「そうだね。これでまた、お姫さまがここに来ても慌てることないや。美咲さん、俺の
パスポート代の分と合わせて、新しい秤でも買ったら?」
9 篠原のアパート
美咲と池袋駅で分かれた、少し後。篠原が電話に出ている。
「はい、篠原です。特に進展はありません。地道に働きますよ・・・せっつかないで
ください。試験採用期間中の身ですし・・・はい。では、また」
電話を切り、置き時計を見る。今の時間なら、と考える。
「檜沢さんはいない、由紀乃さんもいない。社長はお姫さまの後を尾行しているから、
社にいるはずはない」
指折り数える。
「モチさんは家庭が大事だから、家にいるだろう。幾男君は、家で漫画でも読んでいる
頃か? 美咲さんは、家に帰る途中か」
時間的に、まだ着いていないと思う。彼女自身はナンジャタウン内で済ませたが、夫の
夕食の支度はどうするつもりなのだろう。
「ま、俺には関係のないことだけどね」
もう一度置き時計を見る。やがて首を振って、浴槽に湯を張りに行く。
「甘いよな。絶好の機会だと思うけど。・・・でも」
閉園間際に美咲と話したことを思い出す。
「正々堂々盗んでやるか。変な言い方だけど。そう、せっかく、社員になれたんだから」
篠原は自分でも気づかないうちに Constellation をハミングしていた。
10 Constellation 2nd
翌朝。午前7時を少し回った頃。篠原の姿が社員スペースの中にあった。
「夕べの決心はどこへやら、か」
苦笑して、室内を見回す。ブラインドが開いている窓を見て、怪訝な表情になる。
「昨日、社長が閉めずに出たのか? 考えにくいな」
社員一同の机の上を見回す。美咲のショルダーバッグが目に入る。
「俺は2番手か」
一番手はロッカールームにでもいるのかと考えていると、かすかな歌声が耳に入って
きた。篠原の席を基準にして右手前方から聞こえる。
「社長室?」
音をたてないように、静かに移動する。社長室のドアがわずかに開いている。勘に間違い
はなく、音源はそこだった。ドアの隙間を広げ、こっそりと覗いてみる。美咲がモップを持った
まま、部屋の中央で歌っている。掃除のついでに歌っていたのが、「ついで」の方が「メイン」に
なってしまったらしい。クラシック調のメロディに日本語の歌詞。どこかで聞いたようだと思い
ながらそのままの態勢で聴く。篠原はフルコーラス歌い終わるのを待って、拍手しながら入って
いった。
「お早う、美咲さん。朝から社長室でコンサート?」
「きゃっ」
美咲は照れたようにぺこりとお辞儀をした。
「お早うございます。朝からお聞き苦しいものをお聞かせしまして、ごめんなさい」
「いえ、どうしてどうして、よかったですよ」
そう受け答えてから、つけ加える。
「Constellation じゃあ、ないんだ」
美咲がころころ笑う。
「「風の歌」ですよ」
「なんとなく、聞いた覚えがあるけど」
「原曲はブラームスです。交響曲第一番の第四楽章。それをアレンジして、歌詞をつけたん
です」
「美咲さんが?」
「まさか。ずっと前に、NHKの「みんなのうた」で放送していたんですよ」
「ふうん」
篠原は社長室の中を見渡す。いかにも社長のものとった風情の机に、お茶を入れるための
小テーブル、洋服かけ、レンタルではない観葉植物。入社以来、ほとんど入った記憶がない。
いつも、社長の方が社員スペースに来て皆に話しかけるからか、と思う。
「篠原さん、何か私に御用が?」
「いや、別に。歌が聞こえたから」
机の端にある、戦闘飛行機の上で目が止まる。
「プラモデルって、社長の趣味?」
「と、いうわけでもないんですよね。その機体だけ、思い入れがあるとかで」
美咲はにこにこと笑っている。
「篠原さん、それ、よく見てくださいな」
「俺は、こっち方面は詳しくないんだけどね」
そういいながらも、近寄って見る。ずいぶんカラフルなマーキングだと思う。
「そもそも機体の種類がわからない」
「F-4J PHANTOM 2・・・ファントムですよ」
「ファントムと一口に言ってもなぁ」
ため息をつく篠原。
「順序よく見るか。機体上面が明るい灰色」
「ライトガルグレイ。明るい艶消しの灰色ですね」
「機体下面は白」
「ホワイト、艶消しの白です」
機体に書かれている文字を読む。
「NAVY・・・VF-96・・・F-4J 155800・・・5800・・・USS CONSTELLATON・・・え?」
美咲はにこりと笑った。
「ここにも、Constellation があるでしょう。歌う代わりにね」
篠原は美咲の方に振り返る。
「どういうこと?」
「これ、飛行機好きな人の間では、すごく有名な機体だそうです」
「俺は門外漢だけど」
「私も、聞いたことの受け売りしかできませんけどね」
くすりと笑って美咲が解説する。
「NAVY・・・これはご存じでしょう、アメリカ海軍ですね。VF-96・・・第96戦闘飛行隊、
隊の名前は Fighting Falcons (ファイティングファルコンズ)です。155800・・・機体の
通し番号ですよね。USS CONSTELLATON・・・米国軍艦、コンステレーション。米
海軍が建造した通常動力型航空母艦キティホーク級の２番艦。愛称はコニー」
「うちの「受付嬢」と同じじゃないか」
「彼女の名前は、これから取りましたので」
澄ましていう美咲。呆気にとられつつ、それでも聞く篠原。
「翼の先端の「NG」は?」
「「第９空母航空団」を表す略号です」
「Nってnineか」
「いえ。太平洋配備を表します」
「カラフルだね。機体の腹に蜜蜂と、色とりどりの星が並んでる」
「蜜蜂は、CVW-9・・・第９空母航空団を表すマーキングだとか」
「後ろの星は?」
黄色、緑、赤、青、栗色、オレンジの順に並んでいる。
「第９空母航空団に所属する６つの航空隊のスコードロンカラー・・・個々の隊の
イメージカラーだそうです」
「第1飛行隊から、順に黄色、緑・・・なわけ?」
「違うみたいですよ。その辺は、矢島社長か檜沢さんに聞いてください」
「垂直尾翼に鷹みたいな鳥が描いてあるね」
「隊名の｢Fighting Falcons｣にちなんだ鷹のマーキングですね」
「00」という数字や黒地に白抜きの飛行機、その翼の中に赤い点というマーキングも
気になるが、先に最もひっかかることを尋ねてみる。
「それで、どうして有名なわけ」
「あ、肝心なことが後になっちゃいましたね」
モップの枝で自分の頭をこつんと叩くフリの美咲。
「ベトナム戦争における米軍初、そして米海軍唯一のエースパイロット・・・敵機５機以上を
撃墜したパイロット・・・と、その相棒のレーダー迎撃士官が搭乗していた機体だそうです」
「エースね」
ようやくうなづく、篠原。
「機体のコールサインが「SHOW TIME 100」だったから、このプラモデルも「ショータイム100」
っていうんですって」
「ふうん」
つらつらと、機体を眺める篠原。
「「星座」のエースか。「アメリカ国旗の星」を意味する艦名だろうけど」
「篠原さん、このマーキングの星、全部で6つあるでしょう」
美咲は篠原の顔を覗き込む。
「矢島社長の気持ちが、なんとなくわかりませんか?」
11 密室問題
掃除の続きを始めた美咲を残し、篠原は社長室を出た。こちら側の清掃をする算段である。
と、入口のドアの鍵を開ける音がして、柏崎が入ってきた。
「おっ、お早うございます、篠原君。来てたの」
「お早うございます、モチさん。早いですね」
「昨日一日、コニーに会えませんでしたからね。気になって」
いうなり、鳥籠の覆いを取る。九官鳥はさっそくしゃべる。
『お早う、モチさん』
「お早う、コニー。今日も羽の色つやがいいね。あとで、水浴びしようか」
『お早う、篠原』
「お早う、コンステレーション」
『あら、何よそれ』
コニーの返事を聞いた篠原はぎょっとした。
「こいつ、本当にわかってるんですか?」
「このコは頭がいいんです。篠原君、「SHOW TIME 100」のことを、誰かから聞きました?」
「たった今、美咲さんから」
「なるほど」
「彼女、社長室の掃除をしてます」
「わたしも何かしないといけませんね」
柏崎は鞄を置きにパーティションを回る。篠原もなんとなく、ついていく。
「ところで篠原君、ドアの鍵をかけておくなんて、朝から用心深いですね。まあ、異様に
早い出勤だったから、念のためでしょうけど」
内心、ひやりとしながら篠原は応えた。
「俺はかけてませんよ」
「じゃあ、美咲ちゃんか」
「ほかにいませんね」
12 conscience
同日午後。外回りの仕事の途中で、篠原は美咲のマンション前の喫茶店にいた。見る
ともなく、マンションの人の出入りをチェックしている。その前には、さりげなく美咲のベラ
ンダの洗濯物を観察してきた。
「普通の夫婦っぽく見えるけどね。2人暮らしだな」
ランチタイムセットのコーヒーが半分残っている。
「アスコットの方が旨い。あと、いつだったか、聞き込みに行った軽食店のブレンドも」
水を飲んでため息をつく。
「生活を探ってどうなるっていうんだ」
ほかに自宅を知っている社員はいないし、仕方ない、と自分に言い聞かせる。
「周辺に聞き込みはかけない、盗聴しない、家に入り込まない。せめて、これくらいの
線は守れよな。外から見るだけにしておけ」
腕時計を見る。
「そろそろ、戻るか」
13 同時刻 温泉観光地
檜沢が柏崎と電話で話している。
「今晩中には終わって帰れる。・・・と、いうか、「お客さん」が帰るからだが。やっぱり、
出社は明日からだな。直帰だ。それで、そっちの様子は? ・・・ふーん、「SHOW TIME
100」ね。美咲の方が先に出社したか。掃除の大義名分で。いや、半分以上本気で
掃除してるだろうが。・・・ごくろうさま」
電話を切る。メンバー用のお土産を買っていた由紀乃が寄ってくる。
「何か変わりはありまして? リーダー」
「ネズミが動いたが、影響なし」
「猫って呼んでもいいかもね、鈴をつけなきゃ」
「つけてるだろうが」
「とっても皮肉ね」
14 数日後 七夕の日
一日中、雨が降っていた。「織り姫と彦星のデートはお流れ」と、どのテレビ局の気象
予報士も口を揃えていっていた。
午後5時近くになった矢島探偵社内で、例によってカボティーヌからカボシャールに
切り替えた由紀乃が宣言した。
「お先に失礼します」
おつかれさま、と檜沢、柏崎が応える。
「おねーさま、デートですかぁ。雨にも負けず、風にも負けず」
いつものように、幾男がいう。
「アフター5は、お忙しいのよっ」
コニーにもウインクして、由紀乃は帰っていった。次いで、帰り支度をしながら柏崎が
いう。
「美咲ちゃんは、お休みの一日をどうしていたんでしょうね。雨で、かわいそうに」
「家にいるか、雨に影響されないところにでも行っただろうさ」
檜沢はボードを確認する。「篠原は直帰か」と呟く。柏崎も帰り、スペース内は檜沢と
幾男の2人になる。七夕飾りを見て、檜沢が言う。
「幾男、願い事の文字が浮かび出てるぞ」
「日数計算、合ってましたねえ」
「HOLD OUT !!」を読んでいた幾男が嬉しそうにいう。
「よくやったな。だけど、人に見られたくない願い事じゃ、もう一日遅い方がよくなかったか?」
「でも、今日は七夕ですから。お星さまに読めないとまずいでしょ。それに遊びですから、
檜沢リーダー」
「それはそうだ」
話しながら、無意識に内容をチェックする。
「無記名でも、筆跡と内容で、誰が書いたかわかるぞ」
苦笑する檜沢。だが、読んでいるうちに、段々と表情は真剣になっていった。
「「家内安全」、「明日も漫画を読めますように」、「篠原、頼むぞ」、「美咲がプレゼント、
いつか使ってくれますように」、「天の川」、「仕事・・・か?」、「願 マーキング修復」。
15 convergent
数時間後。池袋ワールドインポートマートの1階、ナンジャタウン、ザ・ウォールの吹き抜け
部分に篠原が佇んでいた。2階、3階の吹き抜けから下を覗くと見える部分が、ここである。
直接ナンジャタウンと行き来することはできないが、ここもナンジャタウンの一角で、2階、
3階の吹き抜けと同様のレイアウトになっている。ドレッサールームへの階段が脇を走って
いる。だが、このスペースから一歩足を踏み出せば、ワールドインポートマートのショッピン
グ街である。
「家にいなければ、きっとここへ来てるだろう、美咲さん」
雨に濡れずに6つの街を渡り歩いて遊び、青い鳥を育て、くたびれればベンチで本を読む。
人のさざめきをBGMに、星の声のシャワーを浴び、たまには鳥・その他のコーラスをリクエ
ストする。
「一人で?」
お手製のクッキーでも持参して、つまんでいるかもしれない。持ち込みはいけないはず
だが。時刻を確認する。午後9時を回っている。もう、入場はできない。
「入ってしまう手段はあるけどね」
3階を見上げる。手すりにもたれている人物の姿を見つける。白い服である。たぶん、
間違いなく美咲だと思う。
「そろそろ、タイミングかな」
予想に違わず、ナンジャタウンのテーマが流れる。Constellation と名づけた者が一人、
それを教わった者が一人。行き来できない「街」のそれぞれで聴いている。
「だけど、俺はここで何をしているんだ?」
1階の柱の上にも設置されているフィギュアが目を光らせて歌いながら、篠原を見下ろし
ていた。
第4話(後半) 終わり
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