「Constellation〜星座〜」(第3話 後半)
第3話 「6月・・・Congested train (混んだ列車)」後半
12 翌朝 矢島探偵社
午前8時よりも少し早く、篠原がドアを開けた。
『お早う、篠原』
「お早う、コニー」
パーティションを回ると、柏崎と美咲がコーヒーを飲んでいた。柏崎の机の上にコーヒー
メーカーが出張してきていて、食パン、ジャム、サラダも並んでいる。
「篠原君、早いね」
「篠原さん、昨日はお世話さまでした」
「お早うございます、モチさん、美咲さん」
言いながら席につく篠原。
「なんだか2人共、今日は早いですね」
コーヒーの香りに魅かれながら篠原がいう。柏崎は幸せそうにパンをかじっている。篠原の
視線に気づいて、柏崎がいう。
「そういう君だって早いじゃないですか。それで、一緒にコーヒー、どうです?」
「いただきます」
「自家製のパンはいかがですか? 篠原さん」
成り行きで、今日2度目の朝食をとる篠原。ひとごこち付いてから再び尋ねる。
「それで、どうして早出なんですか、2人共」
食事が済んで朝刊を読んでいた柏崎が答える。
「私は美咲ちゃんを迎えに行ったものですから」
「はあ?」
黙って肩をすくめた美咲は、空になった食器類を運んで行った。膝に乗ったパン屑を
はたきながら柏崎がいう。
「昨日、篠原君と美咲ちゃんでやった仕事があったでしょう。今日は檜沢君と由紀乃
ちゃんでやることになりましてね。それはいいんですが・・・。夕べ、由紀乃ちゃんが、
美咲ちゃんの家に泊まっちゃいましてね。それで、由紀乃ちゃんが出かける時刻に
合わせて、私が2人のところに行ってそのまま出勤したものですから、朝食を取り損
ねまして。ここでいただいていました」
篠原は首を傾げる。
「檜沢さんと由紀乃さんが、あの仕事をするのはわかります。由紀乃さんが美咲さんの
ところに泊まったのは、取り敢えず脇に置きます。どうして、そこでモチさんが美咲さん
の家に行くわけですか? 車で由紀乃さんを運びに?」
「いいえ、由紀乃ちゃんは歩いて駅へ。私と美咲ちゃんも同じくです」
篠原が合点のいかない顔をしているところに、美咲が戻ってきた。
「私が出社拒否を起こさないように、迎えに来てくださったんですよ」
篠原が目を丸くする。
「由紀乃が夕べ、泊まってくれたんですけど、これも似たような理由で、私が家出しないように、
だったんです」
「家出って、成人女性が。それも、奥さんが?」
「ええ。やりかねないって、ここのメンバーに認識されていまして、私」
苦笑する美咲。
「由紀乃ちゃんが普通に出社だったら、彼女に任せたんですけどね」
照れくさそうにいっている柏崎。
「女の子を朝から迎えに行くなんて、結婚前にワイフをデートに誘った頃以来でしたね」
「はあ」としか言えない篠原。「コニーに餌をやらないと。籠の掃除も」と席を立つ柏崎。
美咲は、昨日の午後に出た分の領収書を見始める。
「篠原さん、私が過保護にされていて、呆れてるでしょう。昨日の有給も、今日のお迎えも」
「まあ、ね」
ふと気がついて、篠原がいった。
「いきなり由紀乃さんが泊まって、だんなさん、怒らなかったの?」
「出張でいなかったんです」
うなづいた篠原は白い表紙のバインダーを開く。パーティションの向こうでは、柏崎が読ん
でいた新聞が、コニーの鳥籠の下に敷かれる。ちょうど、外から見えないところに載ってい
た記事は、昨日の朝のラッシュアワー時、満員電車内で女性会社員に痴漢行為を働いた
男性が警察に突き出されたというものだった。
13 同時刻 満員電車の中
昨日、篠原と美咲が乗っていたのと同じ電車、同じ車両に檜沢と由紀乃が乗っている。
見張るべき「お客さん」も、当然同じ人物である。「お客さん」の下車駅に近づき、電車が
減速する。ドアが開き、人が乗り降りを始めた時、「痛いっ」という男性の悲鳴があがった。
悲鳴の主は、ぱっくり開いて血の出ていない手の切り傷を、呆然と見ている。人の流れに
押されてホーム降りた彼の背中は、スーツ、ワイシャツが斜めに裂けていた。檜沢と由紀乃は、
彼に目もくれずに「お客さん」を追った。改札を通りながら由紀乃がいう。
「昨日の今日で、同じ電車、同じ車両で、よく出るわよね。昨日の騒ぎ、知らないのかしら。
恥知らず、変態、人でなし」
「この路線は、たしか被害が多かったはずだ」
「たまったもんじゃないわ。依頼さえあれば、片っ端からつかまえてやるのに。もちろん、
その前にお仕置きだわ」
「おとりになる気か? 由紀乃。その前に怒りで神経が切れないか?」
「おとりはごめんです。やりそうな人物や前科者は、リーダーに見つけてもらうわ」
「それも、ぞっとする話しだな」
14 午前9時過ぎ 矢島探偵社
パーティション越しに矢島とコニーの会話が聞こえた。
『社長、お早うございます』
「お早う、コニー」
矢島がパーティションのこちら側に姿を現した。
「お早う、羊飼い諸君。今日も元気かね?」
いつものように、柔和な光をその瞳に浮かべている。
「素晴らしい朝食をいただきまして、元気です」
柏崎が腹を軽く押さえながらいう。
「檜沢リーダーとおねーさまのいない朝で、少し寂しいです。でも、元気です」
「グラン・ローヴァ物語」を一旦閉じて、幾男。
「元気です」
と、篠原。
皆の視線が美咲に集まる。
「はい、メンバーのみんなのお蔭で、元気です」
矢島はにこりと一同を見渡した。
「そう、それはよかった」
美咲を見て、自然な口調でいう。
「檜沢から聞いているが、今日、大丈夫かな」
彼女は、金のロケットに触れながら言った。
「はい」
15 時枝エージェンシー前
地下鉄銀座線沿線にある、10階建ての時枝エージェンシー東京本社ビル。さりげない
歩行者の足取りで、朝のひと仕事が済んだ檜沢と由紀乃が通りすぎる。
「オレたちの面は割れてないらしいが、それでもさっさと通過した方がよさそうだな」
「俊ちゃんのお勤め先よね。直属上司になんて、会えないかしら」
「難しいだろ。依頼者のフリをしても、窓口に出てくるわけでもないし」
「掃除会社のスタッフになるとか、電話の点検業者になるとか」
「潜入しても、得る物は少なそうだな」
「つまんないわね。リーダー、何か派手に仕掛けましょうよ」
「折りを見て、な」
16 contemplate
正午少し過ぎの矢島探偵社。下のアスコットで昼食をとった篠原が戻ると、ドアを
入ってすぐのところに柏崎と幾男がいた。彼を待っていたらしい。
「わたしたち、食事に出ます。社長も美咲ちゃんも、出てますよ。篠原君一人になって
しまいますが、すみませんね」
「依頼人が来たら、どうします?」
「コニーがいるから大丈夫です。篠原君は黙っていればいいです。それで、彼女は
移動させないでください」
「わかりました」
コニーの定位置は空になっている。どこに置いたのだろうと考えながら返事をする。
「篠さーん、すぐに帰って来ますんで、泣かないでくださいねーっ」
「いってらっしゃい」
篠原がパーティションを回ると、コニーの籠が柏崎の机の上に乗っていた。窓からの
光を受けて、彼女の体が紫と緑の色合いを帯びる。篠原が近寄ると、『篠原、篠原』と
いう。
「せっかくのチャンスなのに、お前がここにいると、動きにくいな」
苦笑する篠原。
「なんだか、監視カメラに見られているようだよ」
布でもかぶせようかと思ったが、いつ、誰が戻るのか見当がつかないのでやめておく。
「さてと」
コニーの籠を覗いてから、机の島を見渡す。いつもいる場所だが、大抵、誰かしらいる
ので、しげしげと見たことがない。とりあえず、目の前の柏崎の机を見る。コニーがいて、
黄色いバインダーがある、動物に関する本が何冊もある。
「家族の写真でも飾りそうな人なんだけど、ないんだよな。あと、ノートパソコン。美咲さん
のデスクトップ以外は、全員、これは持ってるんだよな。だから、以下略」
柏崎の向かい、幾男の机のところに移動する。今日も漫画本が積んである。
「よくも毎日、読む本があるなと思ってたら、自分のが半分にレンタルが半分だったとか。
それから、緑表紙のバインダー」
あまりメモを取っているのは見た事がないと思い返す。幾男の隣りは篠原自身の席。
白い表紙のバインダー、ドライブマップなど。
「いたって普通、だな。我ながら」
バインダーを取ってページをめくる。村井氏の行方調査のところが目に入り、渋い顔に
なる。
「ほかの誰かが担当していたら、見つけていたのか?」
やや乱暴に閉じて、由紀乃の机を見る。オレンジ表紙のバインダーに、ノート、マスコット
のぬいぐるみがひとつ。
「突撃隊員でも、ぬいぐるみはお好き。それ以外は、特に何もなし。だけど、本当に突撃
なんてするのか?」
向かいの美咲の席。デスクトップのパソコンに、栗色の表紙のバインダー。仕分けされた
領収書、お菓子作りの本に、刺繍の本。
「半分、自宅の部屋じみてるな。デスクワークが多いせいか」
そういえば、彼女のお菓子作りとやらは、どうなった。まだお相伴に預かったことがないぞ、
と思う。ラストは、檜沢。赤い表紙のバインダーに、日付だけ書かれた卓上カレンダー、
ノート数冊。
「いたってシンプル。無駄なものは机の上に置かない、か」
窓枠に寄りかかる。自然に、目の前のシルクスクリーンが視野に入る。
「「Circles of Confusion」・・・「混乱の輪」か。この部屋、唯一の装飾品ね」
何かが頭の隅にひっかかった。
「この部屋で、唯一の装飾品だって?」
あらためて室内を見回す。シンプルな壁掛け時計、日付のみ書かれている壁掛け
カレンダー、そしてシルクスクリーンが一枚。
「写真、絵がないよな」
各自の机の上を見直す。風景写真、アイドルの写真、アニメ・漫画等のキャラクター商品
の類が、一切ない。
「俺自身、いらないタイプだから気づかなかったけれど。6人もいて、誰もその手のものを
飾ってないっていうのは、偶然にでも、あることか?」
例外は、淡い、色とりどりの球が舞っているシルクスクリーン。1か月程前に美咲と交わした
会話を思い出す。
「ここに置かないで、応接間にでも飾ればいいのにな」
「この絵は、錨だから」
聞き返そうとした時に檜沢が来て、話が止まったのだ。
「改めて聞きなおす価値は、あるのか? 」
ノートパソコンの壁紙は? と考えたところでドアベルが鳴った。篠原が言うより先に、コニーが
反応を示した。
『どちら様でしょうか』
「おや、コニー、そっちにいるのか。珍しい」
慣れた口調で男性の声がいう。人に指示を出すのに慣れていそうな、管理職風の雰囲気。
『ただいま、一同出払っております。また後でお越しください』
「わかったよ。留守番ごくろうさま、別嬪(べっぴん)さん」
ドアが閉まり、訪問者は帰っていった。篠原は素早くパーティションを回る。ドアベルが鳴らない
ように押さえながら、そっと開ける。訪問者はすでに階段を降りていった後で、姿は見えなかった。
「お得意様か。エレベーターを使って欲しかった」
ついでに、採用面接の際に入った応接室に滑り込む。
「そういえば、意外と殺風景だって思ったんだよな」
壁に絵のない部屋。シンプルな応接セット。座り心地はいい。脇のローテーブルにお茶を
入れるための道具あれこれ。ほかに見る物もないので、自然、視線は矢島に向かった。
採用試験の面接でありながら、柔らかみのある、温かい視線。
「この人がボスなら、いいなと思ったんだよ」
本来の仕事を脇に置いても。篠原がそんなことを思い出して苦笑した時、ドアベルが鳴った。
コニーが応答する。
『どちら様でしょうか』
「オレだ、コニー」
「今日は初めてよね、コニー」
『お早う、檜沢。お早う、由紀乃』
「タイムアウト」と思いながら篠原は応接室を出た。
17 終業時刻
由紀乃がロッカールームから出てくる。
「今日も5時ジャストにお帰りですか、おねーさま」
「アフター5は、お忙しいのよっ」
楽しげにいいながら、彼女は出ていった。篠原は、檜沢に尋ねる。
「美咲さんが、昼前に出ていったきり、戻りませんね」
「そうだな。直帰かもしれん」
「連絡は?」
「ない。オレはもう少しいるから、いいさ」
そんな会話をしながら、篠原は立ち上がる。
「お先に失礼します」
習慣になっている、意地の張り合いのような握手。それが、なんとなく気もそぞろの篠原。
あっさり檜沢に勢い負けして、そそくさと出ていった。
『さよなら、篠原』
「また明日、コニー」
眼鏡を磨いていた柏崎が、すっと立ち上がり、パーティションの向こうに回る。
「さて、コニー。昼間の留守番の時の様子はどうだったかな?」
檜沢は携帯電話を取り出してかける。
「由紀乃? 振り返らずに、そのまま聞けよ」
用件を伝えて切る。柏崎がこちら側に戻ってきた。
「檜沢君、もう、電話切ってしまいましたか」
「切りましたけど、それが何か。モチさん」
「コニーに今聞いたんですけどね、篠原君、例の件に気づいたそうです。まあ、すぐに
由紀乃ちゃんに伝える必要はないでしょうけど」
18 繁華街
檜沢からの2回目の電話を切った由紀乃が、宝石店のウインドーを覗き込んでいる。
6月のお約束で、真珠を使ったアクセサリーが並んでいる。
「私が速攻で連絡もらったからって、どうなるっていう問題じゃないのよね」
ガラスに写る、道路の向こう側を観察する。由紀乃が探している人物は、人込みの
中でさりげなく佇んでいる。
「こちらの買い物の予定は変えるつもりはないわ。そうね、かえって混乱させられるかも
ね」
バイカラーのトリマリンの指輪をかざして微笑む。
「じゃあ、目的のお品を買うまではお供していただきましょうか。そのあとは撒(ま)くわよ。
本当は私、尾行も、尾行を撒くのも上手いんだから」
軽い足取りで、由紀乃は宝石店を後にした。
19 同時刻 矢島探偵社 社員スペース
柏崎と幾男が帰った後。檜沢が一人残ってメンバーの勤務表をチェックしていると、
社長室のドアが開いた。美咲が出てきて、社員スペースに来る。
「直帰じゃなかったのか」
「昨日は直帰したので、今日は社に戻ろうかと」
にこ、として言う美咲。
「それに、最後が少し、遠いところだったものですから」
うなづく檜沢。
「おつかれさま。今日もまた、午後から仕事が入ったぞ」
「そうですか」
返事をしてから「Circles of Confusion」を見る美咲。帰り支度をしながら檜沢がいう。
「玄関前まで、送るぞ」
「大丈夫ですってば」
「いや、風向きが少し怪しくなってきたから、そっちの意味で護衛だ」
美咲の表情が少し固くなる。
「その辺の説明もしながら行こう。なんだったら、食事でもしていくか?」
20 翌日 朝 矢島探偵社 女子ロッカールーム
出社した美咲がロッカールームに向かうと、先に来ていた由紀乃が追いかけていった。
「由紀乃、どうしたの?」
「どうしたも、こうしたも」
リボンをかけた包みを渡す。
「誕生日おめでとう、美咲」
「あ、ありがとう」
美咲の顔がほころぶ。
「ロッカーで渡すなんて、由紀乃にしては珍しいのね」
「ちょっと、今日は、わけありのプレゼントだから」
ウインクする由紀乃。
「今、開けていい?」
「どうぞ、どうぞ」
包装を解くと、出てきたのは木製のフォトスタンド。美咲が驚いた顔をする。
「由紀乃 !」
「いつか、使ってね。今すぐにとは言わないから」
真面目に、美咲を見て言う由紀乃。彼女を見て、フォトスタンドをゆっくりと胸に抱いて
美咲が応えた。
「ええ。ありがとう、由紀乃」
21 同時刻 社員スペース
漫画本ではなく、お菓子作りの本を抱えて幾男が言う。
「誕生日お祝いじゃなくて、「作ってください」の催促になりそうだけど、ほかに思い
つかないから、仕方ないや」
コニーの鳥籠の掃除を終えた柏崎がいう。
「私のは小鳥の声を収録したCDです。自分の趣味になってますね」
篠原が自席で焦っている。
「せめて昨日のうちにでも教えてもらっておきたかったですよ」
「すまんな。何かとガタガタしていて、言い忘れてた」
正面の席で檜沢が謝る。
「ついでに、忘れないうちに言っておくか。由紀乃が10月、幾男がおなじく10月、
モチさんが12月、社長が2月だ」
「檜沢さんは?」
「4月。気にしなくていいぞ。篠原、お前は?」
「放っといてくれて構いませんが、9月です。それで、檜沢さんは、何を?」
「昨日、一日早く贈っといた」
「だから、何を」
「企業秘密だ」
「言葉の用法が違ってます」
「却下だ」
肩をすくめる篠原。ひとりごとのように言う。
「俺は、画集か写真集でも探そうかな。下の本屋が開いてから、ちょっと抜け出して」
柏崎と幾男の動きが一瞬、止まる。檜沢がさりげなく、しかし有無を言わせない口調で
言った。
「真面目に言っておくが、やめておいた方がいい」
22 同日 午後 お茶の時間
再び女子ロッカールーム。全身が写る鏡の前で、美咲と由紀乃がそれぞれの服装を
チェックしている。
「これでいいわね。由紀乃もね」
「どこから見ても、立派な「お嬢さん」になってるわよ、美咲」
「「お嬢さん」とは、少し違うと思うけど」
「まあ、いいじゃないの」
「小道具も忘れずに」
「うん。だけど、美咲、いいの? これを借りちゃって」
「すぐに返してもらうから、大丈夫」
「そう? では、いきましょうか」
2人共「小道具」を持ってドアを開ける。社員スペースに足を踏み出す。拍手と歓声が
2人を迎える。
「ウエイトレスさーん、コーヒーのおかわり、ください」
幾男が笑いながら言う。
「似合ってますよ、かわいいですよ、お二方」
と柏崎。
「ここはファミレスですか」
呆れつつ、篠原。
「潜入調査の予行演習と思えばいいさ。実際には制服は貸与されるだろうが」
落ちついて、檜沢。
「要するに、遊んでるんですね」
「そういうこと」
美咲が神戸屋レストラン、由紀乃がアンナミラーズのウエイトレスのオレンジ制服を着て、
お盆に紅茶のポット、コーヒーサーバーを持って立っている。髪形もそれぞれの店でよく
見るタイプに合わせてシニョンとポニーテールにしている。にこにこしすぎていて、接客の
表情とは言い難くなっている。
「記念写真撮りましょうか」
一眼レフを構えて幾男が言う。顔を見合わせた美咲と由紀乃は、「本人にだけ、渡すなら」
という条件をつけてオーケーを出す。
「経費からこの衣装代を出すことにしたよ」
いつも以上に柔和な表情で、矢島がいう。美咲の席に座っている。
「美咲の誕生日プレゼントだけど、由紀乃の分は便乗になってしまった。面白いリクエスト
だね」
「まあ、美咲一人だけに許可したら、彼女は希望を引っ込めるでしょうね」
撮影風景を見ながら、檜沢がいう。
「衣装を取り替えて、お色直しなんてしませんよね。サイズは同じように見えますが」
これは柏崎。
「由紀乃はともかく、美咲がミニスカートを嫌がるでしょうよ、モチさん」
檜沢が受ける。
篠原が由紀乃を凝視している。それに檜沢が気づく。やがて、ウエイトレス2人組が机の
島を横切る。
「クッキー、焼いて来ましたから、本当にお茶の時間にしますね。ココア味とレモン味。
どっちも星型で」
「私も手伝いたかったけど、昨日は買い物で、時間がなかったの。だから、全部、美咲の
作品」
言いながらパーティションの方へ向かう。
「ちょっと待って、由紀乃さん」
「なぁに、俊ちゃん」
「そのロケット、美咲さんのじゃありませんか」
「正解」
「どうして、また」
「アンミラって、勤続1周年を迎えるとペンダントをもらえるそうなのよ。その、真似」
「へーえ」
美咲の方に向き直りながら尋ねる。
「アンミラのペンダントは置いといて、美咲さんは、ロケットに写真なんて入れてるんですか」
篠原がつとめてさりげなく、聞く。にっこりと美咲が答える。
「ええ」
「どんな写真です?」
「見たいですか?」
「できれば」
その場にいるほかの者たちは黙って2人の会話を見守っている。落ちついて美咲が答える。
「いいですよ」
由紀乃がロケットをはずし、篠原に渡す。蓋を開ける篠原。中の写真を見て、眉を顰(ひそ)める。
「これは。室内写真?」
「ええ。小さくて、細かいところは、よく見えませんけどね」
篠原は呆然としている。美咲がさらに説明する。
「蓋の内側はここの社長室、もう一枚の方は私の家、居間ですよ」
「ご主人の写真でも入れているのかと思ったら」
美咲はくすくすと笑った。
「残念でした、篠原さん」
23 conceive
終業後。駅構内に店を出している花屋で、篠原が切り花を買っていた。白い色の
カラー・チルドシアナ。リリー・オブ・ザ・ナイルともオランダカイウ(海芋)とも呼ばれる。
サトイモ科で、切り花として多く栽培されているシンプルな花。緑の茎をまっすぐに
伸ばし、花びらに見える総苞部分を飴細工のようにひっぱり、少し後ろにそらした
ような形をしている。中心にある、黄色い棒状のものが本当の花の集まりである。
店員に頼んで、リボンをつけてもらう。
「篠原さん、お金を私に渡して、自分で払ってくれっていうのは、なしですよ。それと、
花は手渡しでお願いします」
篠原の隣で笑いながら、美咲がいう。負けず劣らずにこにこした店員の前で、彼は
歯を食いしばりながら、言われたとおりにした。代金は店員に払い、花は自分で美咲
に手渡す。
「はい、誕生日おめでとうございます」
「ありがとうございます」
連れ立って花屋を出る。
「美咲さん、こういうと変だけど、罰ゲームに遭った気分だ」
「それはそれは、ごめんなさい」
花束を抱えて、美咲が笑う。
「リクエストとあらば、仕方ないけど。自分じゃ、結局思いつかなかったし」
「あらためて、ありがとうございます」
それぞれのホームへ行くため、階段の下で分かれる。
「じゃ、また明日」
「お休みなさい、篠原さん」
篠原が階段を昇りきると、向かいのホームには電車が到着していた。発車後の
ホームを見ると、白い花束を抱えた同僚の姿はなかった。
「写真、か」
思わず呟く。
同じホームの篠原の死角に檜沢がいて、彼を観察している。
「今日は寄り道なしか。わかってはいたがな」
24 同夜 篠原のアパート
篠原が電話に出ている。
「はい、篠原です。・・・何というか、とっかかりがあるような、ないような状態です。
ええ・・・焦らないようにします」
第3話(後半) 終わり
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