「Constellation〜星座〜」(第3話 前半)
第3話 「6月・・・Congested train (混んだ列車)」前半
好き、嫌い、好き、嫌い、好き、嫌い・・・
数える代わりに、好きと嫌いでチェックしていく
眠りにつく時、私はどちらを言っているのだろう
1 矢島探偵社 午前8時半頃
檜沢と由紀乃がそれぞれの席につき、ノートパソコンに打ち込みをしている。過去の
行方不明者調査の社内データ整頓である。社員スペースに、2人以外の者はいない。
「このままのペースで依頼が続けば、ちょっとした名簿が作れそうな件数だな」
打ち込みをしながら檜沢が呟く。
「名簿にしても、意味はないでしょう」
同じく打ち込みをしながら、由紀乃が応答した。
「それはそうなんだよな」
「で、リーダー、今朝はみんな、どこへ散らばってるのかしら」
「モチさんと幾男はペット探しだ」
「人だけじゃなくて動物も探すのよね」
「あれはモチさんの十八番だからな」
「それから?」
「篠原と美咲で、とある人物の素行調査。依頼人の指定で、今日は取り敢えず家を出て
から会社に入るまでだが」
「また、美咲と俊ちゃんを組ませてる」
「不満か? 由紀乃」
「できれば、避けて欲しいです。美咲が消耗してない?」
「満更でもない組み合わせだと思うが。美咲も予想以上に元気だろ?」
「そりゃ、俊ちゃん自身は、悪い子じゃないと思いますけどね」
首をすくめる檜沢。
「仕事の割り振りには苦労してるんだがな。篠原に、「これ」をさせるわけには行かない
だろ?」
「絶対、駄目。ここに居られても困るわ」
「美咲は?」
「多分、やりたがらない。いつものことだけど」
「モチさん」
「ペット探しは、いなくなってから数日以内が勝負よね。たとえモチさんでも、調査の一日
伸ばしはよくないわ」
「幾男」
「あの子に打ち込みをやってもらってもいいけど、社長が嫌がりそう。それに、モチさんと
うまが合ってるから、あっちの助手を頼む方がいいわ」
「オレは?」
「リーダーはオールラウンドプレイヤーだから、どれでもいいけど」
「今日、社長は休みだ」
「だったら、ここにいて欲しいわ。依頼者が来たら・・・」
「だろ? それで、由紀乃、お前は?」
「今のところ、手が空いてるわ。これの打ち込みも嫌いじゃないし」
「そういうわけで、適材適所だ」
「なんだか、悔しい。休憩します」
区切りのいいところで手を止め、由紀乃は席を立つ。檜沢の後ろに回り、窓から外を
眺める。
「梅雨の晴れ間の、いいお天気ですこと」
「学生とサラリーマンは「遊びに行きたい」と嘆くような日だな」
「探偵も、遊びたいと言いたくなる日だわ」
「篠原たちが帰ってくる前に、打ち込みを終わらせるぞ。で、戻ってきた時の状況に
よっては、長い昼休みか、午前中あがりにしてやる」
「あら、リーダー、素敵ね」
「だから、さっさと打ち込め。あとで、お互いの打った分のチェックもあるから、急げ」
2 Congested train
同時刻。篠原と美咲は、通勤通学者で満員になっている電車の中にいた。「お客さん」を
前後に挟むようにして、同じ車両に乗り込んでいる。篠原はごく普通のサラリーマンの通勤
スタイル、美咲も通勤中の雰囲気のツーピースである。途中の駅で乗ってきた乗客のため、
篠原は必要分よりやや余計に2人と立ち位置が離れてしまっていた。だが、下車駅は次で、
乗降数は多い。あとは駅から歩いて数分なので心配することもない。そう篠原が考えていた
時、若い女性の声が車内に響いた。
「やめてくださいっ」
ざわつく車内。痴漢、と暗黙の理解が広まる。
「何だとお」
「あなたですっ。しらばっくれないで」
乗り合わせた者たちの好奇心のバロメータが上がっていく。様子を見ようにも身動きすら
叶わない中で、一幕芝居の行方に耳が欹(そばだ)てられる。篠原もその中の一人だったが、
彼の心中はほかの客たちと一線を画していた。
(この声、美咲さんじゃないか)
いつもより上擦(うわず)って泣きそうになっているが、それでもわかる。
電車はスピードを落としつつある。「お客さん」の居場所をもう一度把握する篠原。最寄りの
ドアと美咲の間にいる。どうしたものかと考えながら、篠原は車内で無理やり移動を開始した。
「すみません、ごめん。通してください」
美咲と痴漢は小競り合いを続けている。
「手を放せ、私を誰だと思ってる」
「恥知らずの、誰かだわ」
周囲の者たちは、話しに入るに入れない様子だった。美咲が男性の腕を掴んだままで、
電車が止まる。ドアが開き、日常の習慣通り、人々は乗降を開始した。痴漢は美咲の
手を振りほどき、降りていこうとする。目を赤くした美咲と、すぐ脇まで来ていた篠原の
視線が会う。この電車に乗っていた理由を思い出したという表情になった美咲は、諦め
顔になった。「ごめんなさい」と唇の動きでいう。篠原は視野の隅で「お客さん」が降りて
行ったのを確認し、痴漢の方へ手を伸ばした。肩を押して軽く足を払う。車内からホーム
へダイブするように、その男は倒れた。篠原も降りて、他の客の邪魔にならないよう、立
たせる。腕をつかまえて篠原はいった。
「逃げるなよ。出るとこ出ようぜ、おじさん」
様子を見ていたうちの数人が、拍手を贈った。
3 30分後 矢島探偵社内
檜沢が篠原からの電話を受けている。
「「お客さん」は、本来降りるべき駅で降りた、と。そこまでは見届けたか。ああ、今日の分の
報告は、正直にそこ止まりだな。オレが社長に頭を下げる、そして社長が依頼者に頭を下げ
る。そういうもんだ。・・・よくやってくれた。美咲の件、優先で」
由紀乃が脇で息をひそめている。
「2人揃って有給だ。美咲が落ちつくまで付き合ってやってくれ。買い物だろうと、食事だろうと、
領収書をもらっておけ。それと、指示をひとつ。もしも社に戻らないって言ったなら、必ず美咲を
家まで送ってくれ。玄関まで。扉を開けて、中に入るまで確認しろ。いいか、これは絶対だ」
さらに2、3のことを言ってから、檜沢は電話を切った。由紀乃の方を向く。
「篠原一人で行かせるべきだったか。オレの采配も、まだ抜けてるな」
由紀乃は静かに答える。
「こういう時、2人で行くのは基本でしょ、リーダー」
「由紀乃、お前と組ませればよかったか? お前が被害に遭うならいいっていう意味じゃないぞ」
「それは、わかってますから、大丈夫。明日は私とリーダーで行きません?」
「それもいいかもな」
「私だったら、ものも言わずに八つ裂きにしてやりますからね」
そう言ってから由紀乃は、休めていた手を再び動かし始めた。
「リーダー、さっきの、早上がりの件ですけどね」
「なんだ?」
「もしも美咲が家に直帰だったら、私、彼女の家に行かせてもらいます。だから、打ち込み、
さくさくしましょうね」
4 1時間後 池袋
開店早々のデパートで美咲が買い物をしていた。篠原は婦人服売り場脇のベンチに腰かけて、
居心地悪そうにしていた。
「女性客ばかり。当然か」
檜沢に言われた注意を思い出す。とにかく、言われた通りに動こうと決める。
「お待たせしました」
白いワンピースに着替えた美咲が篠原の前に立つ。同じ売り場で調達したのか、赤い七宝焼の
ブローチを襟元にしている。
「いいえ、どういたしまして。あれ? 元から着ていた服は?」
美咲はハンドバッグ以外のものを手にしていなかった。
「一式、宅配便で家に。一部は、捨ててしまいましたけど」
淡々と言うが、さっきの一件に絡む物は思い出すのも見るのも嫌だというニュアンスが漂ってくる。
「それで、檜沢さんのお墨付きをもらったことだし、何をしたい? 美咲さん」
美咲は思案顔で、
「クリオネ展は、もう終わってますよね」
といった。
5 サンシャイン60展望台
地上240メートルのサンシャイン60展望台にある屋上スカイデッキ。この高度で外気に
触れることのできる希有な展望台である。普段接することのない高みを行く風に吹かれ
ながら、篠原と美咲は梅雨の晴れ間の空と下界を眺めていた。営業開始からまださほど
時間が経っていないためか、2人のほかに客はいない。美咲が顔なじみらしい警備員に
挨拶して、護衛付き風景見物の様相を呈している。
「お休みの時に、よく来るんですよ。同じサンシャインシティ内のナンジャタウンとセットに
して」
「ナンジャタウンは、特典を持ってるほどのファンだったね」
うなづく美咲。
「よく飽きないなって、感心するな。呆れてるわけでなく」
「だから、アトラクションとは違うお気に入りがあるから」
それって、何? と聞く前に、美咲は体の向きを変えた。風に吹かれながら、遠くのはるかな
山並みを見ている。篠原の後ろから、警備員が声をかける。
「天気のいい日には、富士山が見えるんですよ。今日は運がよかったですね」
「そうですね。ここに来る過程は、運がよかったとは、いい難いけど」
警備員に答えながら、美咲の後ろ姿を見守る。どこかで見た様な姿だ、と思う。振り返
った美咲の襟元のブローチを見て、思い出す。
「クリオネに似てるんだ」
半透明までは行かないが、それに近い白いワンピース。赤いブローチが胸元にある。
潮の流れに乗る代わり、風に吹かれている地上240メートルのクリオネ。4月の頃よりも
やや伸びた髪とスカートが踊っている。もっとも、フレアー気味のスカートは、美咲が自然な
手つきで押さえている。
「篠原さん、どうしたんです?」
美咲に言われて、篠原は我に返った。
「いや、なんでもない」
ぼつぼつほかの客もスカイデッキに出てきた。展望台へ戻る2人。
「次の行き先は?」
「なんだか、さぼって悪いみたい。写真展か絵画展が希望です」
「それは駄目っ」
檜沢に言われたことを思い出す。
「絵と写真は御法度って、聞いたからね。本屋で、その手の出版物の立ち読みも禁止」
美咲はくすりと笑った。
「さすが、檜沢さん。忘れずに釘、さされちゃった」
「鬼の立ち読み常連なの? 美咲さん」
「いいえ。どうしてだと思います?」
「わからない」
似顔絵描きのブースを横目に、下りエレベーターに乗り込む。海の中を思わせる箱内の
絵を見ながら地上に戻る。専門店街アルパの中を歩きながら、美咲がいう。
「これから、家に帰ります。お世話かけました、篠原さん」
池袋駅に着く前に別れようとする素振り。
「玄関の扉を開けて、中に入るまで送れって指示されてるから、送ります」
「やっぱり、抜け目がない、檜沢さん」
6 同時刻 矢島探偵社内
檜沢と由紀乃が、お互いがプリントアウトした物のチェックを終わらせた。
「これで、美咲の家に行ってもオッケーですよね? リーダー。でも、俊ちゃんから連絡が
ないわ」
ノートパソコンをしまいながら由紀乃がいう。
「ああ。時間的に、そろそろ気を取り直した頃だろうが。美咲に、ここに来る元気があれば
いいんだがな」
「でもね、リーダー。考えようによっては、家に直行の方が、私は安心できるわ。ここに
来るなら、もう一度帰らないといけないんだから、心配が倍になる」
「それは、言えてるな」
檜沢が応えたところで、電話が鳴った。
「はい、矢島探偵社です・・・篠原か。今、どこだ? ・・・よし、最後までエスコート頼むぞ」
チン、という音と共に電話が切られる。檜沢は由紀乃に言った。
「安心コースだな。これから、美咲の家に向かうそうだ」
由紀乃はうなづいた。
「私たちより、俊ちゃんが付いていた方が、美咲、ちゃんと帰りそうだし。じゃ、早退させて
いただきます」
香水の付け直しをする気もなさそうに、急いで席を立つ。パーティションを回る前に、檜沢に
振り返る。
「リーダー、美咲の家まで、シルビアで送ってくれません?」
「ここが空になるから、駄目だ」
「あん、残念」
7 マンション 玄関ホール
約1時間後。とある高級マンションの玄関ホールに篠原と美咲がいた。
「少し古い言い回しだけど、いわゆる億ションじゃないの? 美咲さん。それに、ここって、
確か分譲型じゃなかったっけ」
「ええ、まあ」
メールボックスを覗きながら美咲が応える。何枚かのチラシが入っている。彼女が
それらを取り出した後、篠原はさりげない素振りで、メールボックスを確認する。「室
咲」とだけ書かれていた。
「ここまででいいです、篠原さん」
「檜沢さんの指示があるから、駄目」
「だけど」
「玄関前まで、中に入るのを見届けるまで。言われたことには従う」
「言っておきますけど、お茶はお出しできませんよ」
痴漢に遭ったあとの女性に、それを期待する気はない。
「構わないから、送ります」
固辞する美咲を押し切って、篠原もエレベーターに乗り込む。昼間の、上昇するエレベ
ーター。途中で乗ってくる者もなく黙って垂直方向に運ばれていく2人を、監視カメラが
見ていた。何事もなく、目的の階に止まる。箱を出て進む。縦書き、木地に楷書で姓の
書かれた表札のドアの前で止まる。角部屋である。
「階層も上の方だし、まいるなぁ。美咲さんのご主人の仕事って、何?」
思わず言葉が出た篠原に、美咲は微笑んだ。左手薬指の指輪を、無意識に回しながら
いう。
「篠原さん、ここはデータを基に推理しないと」
「データがなさすぎる」
「あげません。ごめんなさい」
「こちらこそ、失礼」
頭を下げる篠原。美咲も頭を下げる。
「今日は、ご面倒おかけしました」
2、3歩、後ろに下がる篠原。美咲はドアの鍵を開けた。扉を開け、体を半分入れて、
篠原の方に体を向ける。
「これで、失礼します。本当に、ごめんなさい」
「ゆっくり休んでください」
「ありがとうございました」
静かにドアが閉まり、美咲の姿が消えた。鍵を締め、ドアチェーンをかける音が、ドア
越しに聞こえる。篠原はもう一度、ドアに向かって頭を下げた。頭を上げてから、傘立
てを見る。渇いた男物の傘が2つに、美咲のものと思われる傘が2本。こちらは一方が
濡れている。
「檜沢さんに、連絡入れないと」
とって返しながら、篠原は呟いていた。
8 矢島探偵社
檜沢が篠原からの電話に出ている。
「おつかれさま。それで、お前も午前中上がりにするか? 今日はヒマだぞ。わかった、
じゃあ、また明日」
檜沢の言葉を、柏崎と幾男がそれぞれの席に腰かけて聞いていた。血統書つきの
室内飼いの猫を発見し、飼い主に届けて戻ってきていた。
「美咲ちゃん、災難でしたね。篠原君がいて、よかった」
ため息つきつき、眼鏡を拭いて柏崎がいう。
「おねーさまだったら、問答無用で「天誅 !」とかやってたでしょうね」
紫堂恭子の「辺境警備」を開きながら、幾男がいう。
檜沢が2人を見ながらいう。
「それで、明日の分担だがな」
9 1時間後 喫茶店
美咲のマンション入口が見える喫茶店に、篠原がいた。ランチセットをとった後、
おかわり自由のコーヒーでねばっている。窓際の席で、敷地内に出入りする人や
車をチェックの構え。
「どうしたものかな」
時計を見て、首を傾げる。
「昼日中(ひるひなか)に亭主が帰ってくるはずもないし。それとも、美咲さんが電話
をするか。かといって、だんなが早退するわけはないよな」
気のせいかウエイトレスの視線がきつくなっている。それを気にしていては、張り込み
にならない。平気な顔でさらに外を見ていた篠原は、あっけに取られて言った。
「あれって、由紀乃さん?」
途中で買い物をしたのか、両手に紙袋を下げた由紀乃が、歩いてマンションの敷地へ
入っていった。
10 confidante
居間で美咲が2人分の紅茶を入れている。勝手知ったるという雰囲気で、由紀乃が
キッチンで紙袋を開けている。
「泊まっていくからね、美咲」
「そんな、いいのに」
「ううん、今夜は居すわらせてもらう。美咲を探す羽目になるのは、ごめんよ」
「心配いらないってば」
「それならそれで、いいわよ。おしゃべりナイトにしましょう。私、話したいことがたまって
るんだから」
「惚気(のろけ)攻撃はほどほどにお願いね」
くすりと笑っていう美咲。ふと、真顔になって、
「でも、いきなり泊まっていいの?」
「だーいじょうぶ、彼には電話するわ」
11 同夜 篠原のアパート
篠原が電話に出ている。
「はい、篠原です。・・・なかなか、進みませんね。ガードが固い。各自の住所、家族構成?
駄目です。チームワークはいいようですね、ほんとに。社員を大事にしているし」
第3話(前半) 終わり
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