「Constellation〜星座〜」(第2話 前半)
第2話 「5月・・・Circles of Confusion (混乱の輪)」前半
夜、眠りにつくのは好きじゃない
だって 明日の朝 目を覚まさないといけないから
それで 私は羊を数える 一匹 ニ匹・・・
眠るためでなく 起きているために
1 矢島探偵社 午前8時
連休後の朝、篠原がドアを開けると、コニーが挨拶をしてきた。
『お早う、篠原』
「お早う、コニー」
「お早う、俊ちゃん、早いわね」
パーティションの影から、由紀乃の声がする。
「お早うございます、由紀乃さん。早いんですね」
「いつも、これくらいね」
メンバーの机の上を拭きながらいう。
「知らなかった」
「早くて、8時半だものね、俊ちゃん」
「いつも、由紀乃さんが掃除を?」
「そういうわけでもないわよ。気が向いた時は、お掃除するけど。ラッシュが嫌いなのと、
ここからの眺めが好きだからよ」
3階の窓からは、私鉄駅前の、ごくありふれた通勤風景が見えている。篠原が外を見て
首を傾げていると、由紀乃が笑った。
「当たり前の、普通の風景よ。こういうのを見ていられるのって、素敵なことだと思わない?
平和で、何も起こってないのよ。そりゃ、悩みがない人なんていないでしょうけどね。それ
でも平凡な朝は素敵」
濯(ゆす)いでね、と雑巾を篠原に渡す。はいはいと従う篠原。由紀乃は席に座って、
手首に軽くカボティーヌをつけている。篠原が席に着くと、ジンジャーリリーにグリーンを
混ぜた香りが、かすかに漂う。
「香水、好きなんですね」
「そうね、気分を浮き立たせるのにいいわ。仕事にも、張りが出るわよ」
「女性の特権かな」
「気が向けば、リーダーもつけて来るわよ」
「うわ」
「このごろ、忘れてるみたいだけど、美咲も結構好きよ」
「へえ」
「3方向から香りが漂って来て、大変になるかもね、俊ちゃん」
顔をひきつらせる篠原に、ころころ笑う由紀乃。
「うそうそ、大丈夫よ。そんなにたくさん、付けたりしないから」
ドアが開きコニーが元気よくいう。
『お早う、檜沢。お早う、モチさん。お早う、幾男。お早う、美咲』
4人が次々とパーティションのこちら側に来る。
「おはよっ。みんな、どうしたのよ、団体さまで」
「お早うございます、団体さま」
由紀乃と篠原で迎える。
「なぜかタイミングが合ってね」
お気に入りらしいジャガード織りのネクタイを締めた檜沢がいう。
「たまに早めに来たら、みんなと会ってしまいました」
コニーに餌を・・・とパーティションの向こうに取って返しながら、柏崎がいう。
「きっと、チームワークがいいんですねーっ」
バク転でもしそうな元気のよさで、幾男。
「由紀乃はいつもだけど、篠原さんも早かったんですね」
落ちついた声で、美咲。
「いつも遅くまでいる美咲が早く来てくれるのも、面白いわね」
美咲に手を振り振り、由紀乃。
「まあね。今日は銀行に行かないといけないし」
ドアベルが鳴り、コニーがいう。
『社長、お早うございます』
柏崎の挨拶の声もする。矢島が楽しげに言う。
「お早う、モチさん。お早う、コニー。今日の私は、ひょっとして3番手かな。由紀乃、
モチさんに続いて」
パーティション越しに、由紀乃が叫ぶ。
「いつも通り、真打ちですわ、社長 !」
2 気分転換
昼近くの社員スペース。素行調査のプリントアウトを終えた篠原が、ノートパソコンの
電源を切った。
「一仕事済んだのに、景気悪そうな顔だな」
檜沢が向かいの席から声をかける。
「そう見えますか?」
「見える」
にやりと笑って、つけ足すように言う。
「オレの方も今、隙なんだよな。午後から遊びに行くか?」
「どこへですか」
「新宿歌舞伎町」
平然という檜沢。
「なんですって?」
篠原が目を剥く。
「そうさ。いい遊び場を知ってるから、つきあえ」
「昼間からですか?」
「晩は混むぞ」
「そういう問題ではないという気がしますが」
「気のせいだ」
さっさと立ち上がる檜沢。
「週に1度は行かないと欲求不満になるんだよな」
涼しい顔で美咲に告げる。
「何かあったら、携帯に伝言入れておいてくれ」
「はい、わかりました」
淡々と答える美咲。
「お忙しい時は、伝言モードにしてますものね、リーダー」
からかうように言う由紀乃。
「そういうこと。さ、行くか」
座ったまま呆れている篠原の腕を取り、引きずって立たせる。
「冗談でしょう」
「本気だ」
篠原の腕をつかんだまま、由紀乃と美咲の席の脇を通過する。
「いってらっしゃ〜い、リーダー。初めての俊ちゃんの面倒、見てあげてね」
手を振って見送る由紀乃。
「領収書は早めに出してください」
視線を外していう美咲。
幾男は野間美由紀の「パズルゲーム☆はいすくーる」を読みながら、
「この次は僕を連れてってくださいねー」
と、脳天気にいう。
「ご武運を祈ります」
噴き出すのを堪えながら、柏崎がいう。
「パスっ、パスしますっ、檜沢さん」
「冷たいなぁ、付き合えよ」
逆らう篠原を引っぱって歩く檜沢。力を入れている様子はないが、篠原は逆らえずに
つられて歩いていく。
『いってらっしゃい、檜沢。いってらっしゃい、篠原』
最終関門のコニーに送られ、2人は出ていった。
3 concentration
新宿・歌舞伎町のコマ劇場近く。ミラノ座隣のビルの3階、東京都公安委員会指定の
エアライフル射撃場に、数人の客がいた。各自案内されたブースに座り、ドイツ製
高級射撃専用銃、ファインベルク・バウを使って、10m先の10号標的を黙々と撃って
いる。18歳以上であれば男女を問わず、無許可で本物のエアライフル射撃を楽しめる
場である。
「エアライフル射撃に行くなら行くって、最初から言ってくれればいいんだ」
係員の説明を聞き終わった篠原が、ぶつくさ言いながら弾丸を込めている。
「わざと勘違いするように言っただろ。ほかのメンバーも、わかってて便乗したに違い
ない」
フロントサイト(銃の先についている照準・照星)とリアサイト(目を当てて覗く照準・照門)を
合わせて標的を見る。サイト(照準)の中で標的をつかまえたところで引き金を引く。テー
ブル上に置いてある三脚に取り付けたスコープで当たったかどうか確認する。
「もう少し、左上か。うん。こういうのも、悪くないな」
篠原は的に集中し始めた。隣のブースでは、慣れた動作で檜沢が弾丸を装填していた。
4 夜逃げ屋殺し
1ゲームは30分。弾30発に標的1枚。練習用の的2つに5発ずつ、本番の的10個に2発ずつ、
計30発撃つ。的は直径4.5センチメートル。全弾打ち切った篠原が腕時計を見ると、20数分
経過していた。先に終わった檜沢はブースの外に出て自販機で飲み物を買い、テーブル型
ゲーム機の前に座って待っていた。篠原が外して来た標的を見る。
「少し右下にそれてるな。銃が右に傾いてるんだ。肩のくぼみに床尾を正しく当ててないからだ。
最初にアドバイスされてるはずだが」
「ああ・・・言われました」
そういう檜沢の標的を見ると、標的の中央、およそ直径1.5センチメートル中に弾が集中して
いる。
「すごいな。経験の違いですかね」
「かな。フロントサイト、リアサイトでの照準の根本原則は照準を水平に保つこと。それと、
コツとしては、リラックスしてリズミカルに撃つことだがな」
篠原も自販機で缶コーヒーを買う。檜沢の正面に座る。
「気分転換になったか?」
「ええ、たしかに。ありがとうございました」
言葉を選ぶように、檜沢がいう。
「この間の調査、まだ引きずってるのか」
「はい、まあ」
「そんな、気にするな」
「ですけど、うちの会社の名前に傷がつくでしょう」
「そういうことも、ままあるさ」
「「夜逃げ屋殺し」の矢島探偵社が行方不明者を見つけ損なったら、困るじゃありま
せんか」
思わずきつい口調でいう篠原。
「お前も、そのニックネームを知っていたか」
「業界じゃ、常識でしょう」
「謙遜しても始まらないか。事実、そう呼ばれているな」
檜沢は空になったジュースの缶をごみ箱に捨てる。
「うちは、行方不明者の調査が得意だからな。家出人、蒸発、夜逃げ、そういう類のね」
「発見率、ほぼ100パーセント。パスポートを偽造して海外に行こうと、手術で顔を変え
ようと、見つけ出す。警察も困った時の頼みの綱にしてるっていう噂もありますね」
「誰の依頼を受けるかは企業秘密さ。社長も、客は選ぶぞ」
「ついたあだ名が「夜逃げ屋殺し」。いくら技を使って逃がしても、見つけられてしまうから」
「夜逃げに限らず、人は探すがね」
「矢島探偵社で見つけられなかったら、その人物は死んでいるのではないかとまで言われる。
生きている限りは探し当てるから」
「たしかに、過去10年の結果はそうだな。見つからないのは年に1人か2人だ」
「それが、入社早々の人間が見つけられなかったんじゃ、会社の顔に泥を塗ったも同然
じゃないですか」
声を荒らげる篠原。「お静かに願います」と言う係員。檜沢は、「まあまあ」と篠原をなだめる。
「調査過程のレポートはオレも見せてもらった。落ち度はないぞ。お前が気に病む必要は
ない」
篠原を正面から見据え、断言する。
「仕方のないことだ」
「そうですか?」
「そうだ。さて、そろそろ帰るぞ」
5 同時刻 矢島探偵社内
青い作業着の人間が「失礼しました」と頭を下げて出ていく。コニーが『気をつけてお帰り
ください』と言っている。訪問者は「電話の定期点検」と名乗っていた。
「松田さん」
由紀乃が、真剣な顔で柏崎に声をかける。
「はい、なんでしょう」
柏崎が答えながら、静かに電話の受話器を取る。
「なんだか、甘い物が食べたくありません?」
由紀乃は柏崎の手元を見つめる。
「そういわれてみれば、そういう気がしますね」
柏崎は素早く受話器を分解する。ある部分を指さし、「マル」を作る。
「でしょでしょ、でしょ?」
うなづく由紀乃。
「ねっ、林君、ちよっと遠出していいから、都心のデパートでおいしいケーキ、
買ってきて、お願い。5時前に食べ終わればいいんだから」
「I Feel You」を読んでいた幾男が「はーい、九雲田(くもだ)さん」と答える。美咲は
「領収書は早めに出してください」という。コニーに送られ、幾男は出ていった。
柏崎は、黙々と受話器をいじっている。由紀乃は書き込みをしたメモ用紙を美咲
に渡した。
(同業者にスパイされるなんて、うちの会社、モテるわね。でもノウハウなんて、自分
たちで編み出すものよねっ)
6 駅のホーム
幾男が携帯電話をかけている。
「と、いうわけで尾行します。今、お客さんはトイレで着替えてますよ。車で来たんじゃ
ないから、助かりました」
7 エアライフル射撃場
伝言モードを解除していた檜沢が、幾男の連絡を聞いていた。
「無理しすぎるなよ、気をつけろ」
「はいっ。檜沢リーダー」
電話を切って篠原に振り返る。
「たまに招かれざる客が来るんだよな。うっとうしい。今日はもう、5時過ぎまで帰らんぞ。
映画でも見ていこう」
8 40分後
幾男が事務所に電話をかけている。
「僕ちゃん、スイっと、コウ、失敗しましたーっ。トキには、エーっ、ダメなこともあると、
エー、ジェントルマンな目で見ていただけると、嬉シーな、もう」
電話を取った由紀乃が答えている。
「一言一句ニュアンスを変えずに、リーダーに伝えてあげるわ。で、ちゃんとケーキも
買ってきてね。 もう盗聴器はモチさんが片づけてくれたから、念のため」
9 Circles of Confusion
午後5時過ぎに檜沢と篠原が帰ると、社員スペースには美咲だけがいた。
「お帰りなさい」
「ただいま帰りました」
「美咲、待ってなくてもいいんだぞ」
「幾男君の報告がありますから」
美咲が檜沢にメモを渡す。読んでから、ポケットに入れ、
「それで、幾男は何を買って戻ったんだ?」
「新宿京王百貨店地下1階、ジーゲス・クランツのハンブルクをホールで」
美咲は、くすりと笑う。カシスクリームをスポンジではさみ、ホワイトチョコでコーティングし、
ナイフで削ったホワイトチョコを上から散らしたケーキである。
「お2人の分もちゃんと残してありますよ。お茶、入れましょうか」
「自分で入れるさ。美咲の分もな。紅茶か?」
「はい」
「篠原も、それでいいか? うちにはアールグレイの葉しかないが」
「はい」
檜沢は紅茶を入れにいった。篠原は美咲に尋ねる。
「電話に盗聴器をつけられたって?」
「ええ」
「油断も隙もないなあ」
「時々、あるんですよ」
美咲はふんわりと笑う。彼女は檜沢の席の後ろに、窓を背に立っていた。篠原は
美咲の視線を追う。壁にかけられた縦60センチ横50センチあまりのシルクスクリーン
にぶつかる。
「いつも背中を向けてるから、あまり見てないんだな」
「それでは、この機会にどうぞ」
篠原も美咲の隣に立ってシルクスクリーンを見る。
「本当は、私の歩幅で10歩くらい離れて見ると、ちょうどいいんですよ」
「この距離だと、まだ近いのか」
全体に淡い色調。赤、ピンク、黄色、黄緑、オレンジ、青緑、紫、白の輪郭のはっきり
しない球が版面一杯に重なっている積まれている。重なっているというより、宙に浮いて
群れ集っているように見える。球体は概ね100以上。そのうち、いくつかの中心には白い
丸い紋章のようなものが描かれている。
「暖かい、明るい感じの絵だね」
「ジェームズ・ローゼンクイスト、1933年生まれ。アメリカの現代版画作家の作品です。
1965年のもので、タイトルは、「Circles of Confusion(サークルズ オブ コンフュージョン)」
・・・「混乱の輪」という意味ですね」
右下にサイン、左下には201/202の書き込みがある。
「エディション202部。なんだか、半端だな」
「作者に、何か考えがあったのかもしれませんね」
しばらく、黙って2人で見ている。
「ここに置かないで、応接間にでも飾ればいいのにな」
「この絵は、錨(いかり)だから」
「え?」と篠原が聞き返した時、檜沢が3人分の紅茶とケーキを運んできた。
「適当に座れ。オレの席でいいぞ、美咲」
美咲と檜沢が席を入れ換え、篠原が柏崎の席に座る。8等分に少し欠けたケーキが
皿に乗っている。美咲の皿の上にも同じ形のものがある。篠原が乗り出して檜沢の
ものを見ると、欠けた分の2切れが彼の皿の上に並んでいた。美咲も檜沢のしたことに
気づいた。
「檜沢さん、私、もういただいたんですけど」
「オレたちを待ってくれていた残業分だ」
「そうですね、遊んでいたのに待っててくれたんだから」
3人でシルクスクリーンを見ながらのお茶会になり、ふと、気づいた篠原がいった。
「社員6名と矢島社長で7切れ、あとの1切れはどこへいったんですか」
美咲がのんびりと答えた。
「お隣の旅行会社の社長さんのところです」
10 同夜 篠原のアパート
篠原が電話に出ている。
「はい、篠原です。今日は昼間から歌舞伎町に遊びに行きましてね。ええ、楽しかった
ですよ。・・・それで、その間に盗聴器を仕掛けに来た同業者がいたそうです。ブツは
すぐに撤去、尾行は失敗したそうですけどね」
第2話(前半) 終わり
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