「Constellation〜星座〜」(第1話 後半)
第1話 「4月・・・Con game (だまし合い)」後半
13 翌日 午前10時少し前 池袋
サンシャインシティ・ワールドインポートマート2階のナムコ・ナンジャタウン出入り口・券売窓口
前には、ざっと7〜80人の人間が集まっていた。中・高・大学生のグループ、若いカップル、家族
連れがアトラクション一覧の立て札を見たり、券売窓口に並んでいた。よく見ると、一人で来たと
見える者も、少なからずいる。
「そういえば、今日は土曜日だったっけ」
券売窓口に並んだ篠原が呟く。いかにもオフタイムでデートに来ているという風な杏色の
ポロシャツと朽葉色のズボンである。
「この仕事って、依頼があればカレンダーと関係ありませんものね」
乳白色の丸襟のブラウスに薄香色(うすこういろ・ペールルージュ)のスラックスの美咲が
受けていう。胸元にティアドロップ型の赤い瑪瑙(めのう)のペンダントが揺れている。
「パスポートの自動販売機もあるんだね。あっちに並ぶ? 美咲さん」
「私、5割引特典で入れるから、有人窓口の方がいいんです」
くすりと笑って美咲がいう。
「へ?」
緑色の表紙のナンジャビザ(NAMJA VISA)を篠原に見せる。
「ナンジャタウンの中に隠されている88個のスタンプ(査証)を押して、認定を受ける
とね、向こう1年間、入園券とパスポートとナイトパスを5割引で購入できるんですよ。
これを達成するとグランドフェスタリアンって呼ばれるんです」
「ふーん」
「これよりやさしくて、6つの街区にあるスタンプ計6つっていうのもあります。反対に、
一番難しいのはスーパーナンジャビザ(SUPER NAMJA VISA)のナンジャマニアです
ね。ナンジャビザの88個に20個、スタンプがプラスされます。この20個は毎月位置が
変わるし、クイズ混じりなんですよ」
「特典は?」
「向こう1年間、チケット6割引きです」
「それで、美咲さんはここのマニアなわけ? そういうビザを持ってるってことは」
「ええ、まあね。休みの日に結構来ますから。好きなものが、中にあるんです」
「リピーター対策ができてるんだ」
「ありますよ。でも、私のは、ナムコが狙ったのとは多分違います」
ビザをぱたぱたと扇いで、美咲が笑う。
「ご主人もひっぱって来るの?」
美咲が答えようとした時に、篠原の携帯が鳴った。
「はい、篠原です」
「柏崎です。お客さんが、昇りエレベーターに乗りました」
「了解」
「わたしと幾男君は、下で待機しています。お客さんの引き継ぎ、よろしくお願いします」
「重ねて、了解」
14 ワールドインポートマート1階
エレベーターホールに柏崎と幾男が立っている。
「昨日、早く帰ってよかったですよ。今日は、朝からお客さんの家の前で待ちの構えだった
んですから」
「ですね」
「子どもに「お早う」の挨拶ができませんでした」
ため息をつきつつ、柏崎がいう。「夕べ、「お休み」をいったんでょ」となだめる幾男。
「モチさんのことだから、今、心の中で「休日に奥さん、子どもと一緒に来よう」とか思って
るんでしょう」
「あたりです、幾男君」
「僕とモチさんで親子のフリで入るのは、無理ですよねー」
「そんな、大きな子どもがいる「おじさん」にしないでください」
15 ナンジャタウンチケット売り場
篠原と美咲は、新しく列に並ぶ人々をさりげなく見ている。
「あの人ですね」
美咲が篠原にささやく。細身で眼鏡、三つ編みのハイティーンの娘が、ひとりで来て券売
窓口に並んだ。
「うん、彼女だ」
夕べ、見せられた写真を思い浮かべながら篠原がうなづく。
「私たちの方が、先に入場できそうですね」
列の人数を数える美咲。
「お客さんは、緑のジャンパーにジーンズだね」
「下は薄い水色のシャツブラウス。覚えました」
列が前に進んでいく。美咲は篠原を止めて、割引利用票とビザを出し、パスポート大人
2枚を頼む。
「お一人は、グランドフェスタリアンの方ですね。合言葉は?」
チケット嬢が問いかける。「******* !」と答える美咲。チケット嬢はにっこりとうなづき、
2枚のパスポートを差し出した。
「なくされても再発行できませんので、ご注意ください」
駅の自動改札のようなゲートを通る。
「さっきの合言葉って、何?」
「ナンジャビザを持っていても、合言葉を元気よく大きな声で言わないと、有効にならない
んです」
「演出かな」
「そうですね」
ナンジャタウンのテーマがフルオーケストラで静かに流れているスターロードを、篠原と
美咲は歩いていく。
「この際、デート気分で行きましょうか、篠原さん」
「浮かれたら、仕事にならない」
「しかめっ面でいたら、目立ちますよ」
16 同時刻 矢島探偵社内
矢島とコニーが、一人と一羽でぽつねんとしている。
『社長、みんな、来ません。寂しい』
「みんな、今日は朝から外なんだ。モチさんと幾男は、じき戻ってくるからね。美咲には、
明日多目に仕事をしてもらわないといけないかな」
17 ナンジャタウン入口付近・2階ナンジャコア
今日の「お客さん」が、パンフレットを見ながらナンジャコア内をゆっくりと歩いている。
「どこに行こうか、迷ってるねえ」
「6つの街区は、それぞれ特色がありますから。吹き抜けのザ・ウォールが中心に
あって、洋画のパーティーシーンを撮影できそうなナンジャコアとか、昔なつかしい
雰囲気の福袋七丁目商店街とか、スパイ気分を味わえるナンダーバードとかね」
「ところで、あちこちに像がある、右目にモノクル(片眼鏡)をしている猫は何?」
「パークキャラクターのナジャヴです。一緒にいる女の子の猫はナジャミ」
緑色のジャンパーの彼女は、人の流れに合わせて福袋七丁目商店街へ向かった。
18 昼近くの矢島探偵社
柏崎が午前10時までの分の報告書をノートパソコンに打ち込み、幾男は斜め後ろの
シルクスクリーンにハタキをかけている。ドアベルが鳴り、コニーが入って来た者に
声をかける。
『矢島探偵社へようこそ。お話をお聞かせください。あなたのお役に立てるかもしれ
ません』
「え?」という女性の戸惑っている声がパーティション越しに聞こえる。矢島が客に挨拶し、
応接室へ通すのも聞こえてきた。そっと顔を見合わせる柏崎と幾男。
「わたしはいつも思うんですけどね、社長自ら、あの部屋でお茶を入れるのは何とか
ならないんですかね」
「でも、モチさん。社長はおねーさまたちの安全こそ、守んなきゃって思ってるから、
変わらないんじゃないですか」
19 昼時 ナムコナンジャタウン
2フロアあるナンジャタウンのうちの、上の階(3階)、マカロニ広場で篠原たちが昼食を
とっている。イタリアン惣菜のセルフサービスを選んで、適当なテーブルに陣取り、
「お客さん」はしっかり視野に入れている。
「志望大学にストレートで受かったはいいけど、少し早めの5月病になったんだってね」
「ええ、そう。自分の家から出る気が起こらなくなって。妹さんが、たまたま入手した、ここの
一日フリーパスとの引換券を渡したら、なぜか出かける気になったとか」
「影ながらの護衛ね。特に何をするわけでなく、見守って欲しいと。家族が付いていったら
苛立つだろうから、プロに頼むか」
「こういう探偵の使い方もあるんですね」
くすりと笑う美咲。
「仕事だから文句はいえませんけど、由紀乃はうちの使われ方によく怒ってるんですよ。
今日は、いいみたい」
「さて」
パンフレットを読み直す篠原。
「爆弾の処理をして、猫と一緒に探偵になって、おばけのミュージカルショーを見て、
次はどうすると思う?」
「鳥を育てるんじゃないかと思いますけど」
「あれかな?」
青いシルクハットを斜めにかぶり、白い卵型の体で黄色い足のついたマスコットを
抱えた人々が行き来している。
「そうです」
「どういうもの?」
「一時期流行った「たまごっち」の親戚かしら。鳥に食事をさせたり、相性のいい鳥と
エネルギー交換みたいなことをして育てていくんです。1回や2回来た程度じゃ、とても
育てきれません」
「美咲さんもこれに嵌(は)まってるわけ」
「ええ、まあ、多少は。来れば遊びますけどね」
「おっ、「お客さん」が動くよ」
「はい」
護衛されていると知らない彼女は、トレーを店に返して、エスカレーターを降りていく。
「あのアトラクションの入口はこのフロアにありますから、予想がはずれました」
「まさか、もう帰るなんてことは」
「あるかもしれませんね。久しぶりに出かけて、くたびれたのかも。檜沢さんたちに、
連絡します?」
「俺がするよ」
歩きながら、篠原は携帯電話を取り出した。
20 同時刻 ナンジャタウン・出入り口
料金表、その他を見て、入ろうかどうしようか相談しているカップルのふりの檜沢と
由紀乃がいる。携帯電話が鳴り、檜沢が出た。
「この時間に帰るのは、予想外だな。それじゃ、さりげなく2人も出てくれ。行き先
方向によって、チェンジするかどうか、決める」
「了解」
電話を切った檜沢は、由紀乃と共に近くの本屋まで下がる。
「リーダーとデートごっこができるかと思ってたんだけど、どうなるのかしらね」
檜沢の腕に自分の腕を絡め、由紀乃が妖艶に微笑む・・・というよりは、いたずらっぽく
微笑んでいう。
「おいっ、やめろ」
檜沢が焦って腕を振りほどこうとする。
「大丈夫。いいですよ、今、「リーダー、ラブラブぅ」とだけ、思ってますから」
「からかうなよ」
困り顔の檜沢に、由紀乃が手をほどく。出入り口を見て、
「あ・・・リーダー。出てきましたよ、「お客さん」」
21 サンシャイン国際水族館
例の「彼女」はナンジャタウンを出ると、同じワールドインポートマート10、11階の
サンシャイン国際水族館に入った。人が多いので見失わないようにと、檜沢と
由紀乃は近くを歩き、ナンジャタウンにいた篠原と美咲は、少し離れた前方を
行くことにした。
「5月いっぱいの期間限定で、クリオネの特別展示館ができてるね」
「水族館の入場料金だけで見られるんですね。みなさん、これも見て回ってるよう
ですから、行きましょうか」
「そうだね」
あくまでも自然に、普通の入場者のように振る舞う2人。貼り紙の指示に従って
クリオネ館に進む。
クリオネ。体長1〜2センチメートル、半透明の体に小さな角を生やし、これまた小さな
半透明の翼をひらひらさせて泳ぐ。頭部と内臓が赤く透けて見える。学名はクリオネ・
リマキナ・リマキナ(Clione limacina)。ウミウシ類裸殻翼足目ハダカカメガイ科。巻き貝の
一種だが、貝殻部分が退化してなくなっている。北極海を中心とした寒流系の海に棲む
海洋生物。
「学名のクリオネは、ギリシア神話の「海の妖精」を意味するクレイオから来ているんです
って」
美咲が、解説用パネルに載っていないことをいう。
「日本では北海道・オホーツク海に流氷の季節に姿を現すんですよ。それで、流氷の妖精
の愛称で呼ばれて、ここ数年、人気が上がってきていますね」
「へえ」
うなづいた篠原が、とくと水槽の中の3匹のクリオネを見る。なんとなく浮いているのが1匹、
翼を羽ばたかせてその場泳ぎのようにしているのが1匹。そして、底に沈んでいた1匹が、
泳いで上昇を始めた。
「たしかに、かわいいな」
「この翼、足にあたる部分が変化してできたそうです」
「鳥か昆虫が飛んでるみたいだ」
後ろがつかえているので、移動する。さりげなく入口付近を振り返るが、緑のジャンパーは
まだ見えない。
「こういうふわふわした泳ぎで、北海道まで来るわけ? 変だな」
美咲が解説パネルで確認しながら、答える。
「クリオネは体が小さくて、泳ぐ力が弱いんです。潮の流れに逆らうことはできなくて、
プランクトンみたいに漂いながら生きているんですよ。日本に現れるのは、親潮に乗って
いたのが、流氷と一緒に押し流されてきたって考えられているそうです」
「ほう」
「それで、取り残されて、春になって水温が上昇すると死んでしまうそうです」
やや声を落としていう美咲。
「気の毒だな」
篠原も声のトーンを合わせる。
「妖精というより、地上に落ちて戻れなくなった天使か星みたいだ」
「そうなんですよね。こんなところでライトに照らされていて、ごめんなさい」
彼らの「お客さん」が入ってきた。彼女の視野に入らないように気をつけながら、出入り口へ
向かう。入ってきた檜沢、由紀乃とこっそり合図を送り合う。
「貝殻がなくなって、どうやって自分を守ってるんでしょうね」
ルートに沿って歩きながら、美咲は呟くように言った。
22 午後3時頃 矢島探偵社内
水族館を出てから、「お客さん」は自宅へ向かう電車に乗った。護衛は檜沢と由紀乃に任せ、
篠原と美咲は社に戻っていた。午前中に報告書を書き上げた柏崎は別口の仕事のために
外出しており、掃除を済ませた幾男は漫画を読んでいた。篠原はナンジャタウンと水族館の
分の報告書を作成し始め、美咲は領収書の整理をしていた。
「だけど、美咲さん、チケットの5割引って、そのまま請求するの? たまたま安く上がっただけ
なんだから、正規のパスポート代を言ってもよくない?」
柏崎の文書に追加・上書きを終えた篠原がいう。
「起こったことを報告して、差額分でグラニュー糖でも買わせてもらおうと思います」
にっこりして、美咲が答える。
「グラニュー糖?」
きょとんとする篠原に、幾男が、
「お菓子を焼くんですよ。美咲おねーさんが、みんな用に、時々ねっ」
と言った。
「篠原さん、甘い物は苦手ですか」
「いや、好きだよ」
「それは、よかったわ」
嬉しそうにふんわりと笑う。
やっぱり美咲は、実働部隊よりも後方支援要員の気が強いのか、と篠原は思う。と、そこへ
彼女の前の電話が鳴る。内線のトーンである。
「社長室、行ってきます」
美咲が、席を立った。社員スペースに2人残される篠原と幾男。
「ねえねえ、篠さん。年上の人をお使い立てして申し訳ないですけど、買い物に行っていた
だけますか? この近所に慣れるって名目で」
幾男がにやにやと言いだす。笑って篠原が答える。
「いいよ」
メモにいくつかの日用品を書き出す幾男。篠原に渡しながら、
「下のコンビニで雑誌の立ち読みもオーケーですよ。本屋もあるんだし」
「了解」
「適当に、気晴らしできる時は、しましょうね」
「若いのに、気配り感謝」
篠原が出ていってから、幾男はひとりきりの部屋でVサインを出していた。
「ま、なかなかいいアイディアだったよね」
23 同時刻 社長室内
美咲が矢島にナンジャタウンでのパスポート5割引きの件を話している。矢島は目を細めて
微笑んでいた。
「グラニュー糖でも、無塩バターでも、好きな物を買って構わないよ。みんな、お相伴に預か
るんだから」
「はい」
「それで、私からの話だけど」
「はい」
24 30分後
篠原が戻ると、幾男は机に突っ伏して昼寝中、美咲は頬杖をついて、ぼうっとしていた。
文房具屋の領収書を渡すと、彼女は我に帰って受け取った。すぐに処理する気になら
ないらしく、栗色の表紙のバインダーにはさむ。
「篠原さん、社長が、お呼びです」
「あ、ありがとう」
彼が社長室のドアを開閉する音を確かめ、美咲はため息をついた。
25 担当のケース
矢島の説明を聞いて、篠原はかすかに顔を強張らせた。
「俺、ひとりでですか?」
「できないかな? 即戦力になる一人前の探偵と見て、採用したんだがね。もっとも、
試験採用6か月だが」
「いえ、やります」
「それなら、よろしい。資料はこれ。では、がんばってくれ」
「はい」
26 Con game
4時を回ってから檜沢、由紀乃も帰ってきて、6人のメンバー全員が机に向かっていた。
やがて5時になると、美咲が早々に席を立った。
「あら、今日はもうお帰り?」
「ええ」
由紀乃の声に静かに答え、皆に挨拶して、美咲は出ていく。廊下に出たところで、彼女は
追いかけてきた由紀乃につかまった。
「どうしたの? 今日、俊ちゃんと出かけて、疲れた?」
「それもあるけど、帰ってきてからの仕事がね」
「ああ」
由紀乃が察したようにうなづく。
「ねえ、由紀乃。篠原さんが、明日から一人で担当ですって」
「新人いじめだわね」
「おい、人聞きが悪いぞ由紀乃」
いつの間にか出てきていた檜沢が口を挟む。
「きゃ、リーダー」
「檜沢さん」
「オレが社長でも、そうするぞ。仕方ないというか、当然のことだろ」
美咲を見ながら、
「それで、夕べはよく眠れたのか?」
「まあまあ、です」
「そうか。気楽に行けよ」
「はい。ありがとうございます」
2人に会釈して、美咲は今度こそ帰っていった。
「私たちもがんばらなくっちゃね、リーダー」
「そうだな」
27 ナムコナンジャタウン
夕方からの入園者も多い券売窓口の付近に、美咲が佇んでいる。
「ビザは、同日1回しか使えないから、そうね。ナイトパスポートでも普通に買って
入りましょうか。まっすぐ家に帰る気分じゃないわ」
28 同夜 篠原のアパート
帰宅してしばらくののち、篠原が電話に出ていた。
「篠原です。今日は人妻と健全にデートしてましたよ。・・・言葉の綾です、仕事で
組んでたんです。それで、明日から、単独調査の仕事を命じられましたよ。その
内容なんですが、こともあろうに・・・」
29 10日後 矢島探偵社内
昼近く、檜沢が篠原の報告書を読んでいる。固くなっている篠原と対照的に、檜沢は
いたって平静にプリントアウトされた文字を目で追っている。
「うん。よくやってるな。特に見落としや見当違いの調査はしていないと思う」
「そうですか」
ほっと安堵する篠原。しかし、すぐに思案顔で、
「でも依頼者が求めるのは、正しい調査過程でなくて結果ですよね」
「たしかにな」
報告書を篠原に返しながら、
「まだ日はあるだろう? 行ってない先もあるんだし。最後まで丁寧に糸をたどっていく
んだな。予想外のところで鉱脈にぶつかるかもしれない」
「はい。それで、今から1軒、行きたいんですが、シルビアを出していいですか。隣町
なんです」
「ああ。鍵は、美咲が持ってる」
車のキーを美咲から受け取った篠原は、コニーに送られて出ていった。
「久しぶりに、うちの黒星が出るかしらね」
オレンジ色の表紙のバインダーにメモをはさみながら、由紀乃がいう。
「可能性はほほ100パーセントだな」
冷静に檜沢が受ける。
「でも、篠原さんだったら、見つけられるかもしれませんよ。時枝エージェンシーの
腕利きだったんでしょう?」
とりなすように美咲がいう。
「黒星、120パーセントオーバーだと思いまーす」
「NIGHT ADULTCHILDREN(ないと★あだるとちるどれん」)を読みながら幾男がいう。
「指の一本でも見つけられれば、立派なものでしょうね」
柏崎がため息まじりにいう。
「モチさん、お子さんに聞かせられないセリフですねえ」
幾男があっけらかんという。
美咲は視線を机の上に落として黙っていた。
30 軽食店アレキサンドライト前
篠原は隣町の7階建てマンションの前に来た。1階は軽食店になっている。車を
客用駐車場に入れていると、目の前を二十歳くらいの青年が横切った。典型的
ギャルソンスタイルに銀縁の眼鏡をしている。ここのスタッフらしい。青年は店に
入ろうとした足を止め、篠原の車を見る。篠原が降りると彼は言った。
「いらっしゃいませ。お食事でしょうか」
「いや、ごめん、仕事でね。聞きたいことがあって来ました」
31 行方不明者調査
店のスタッフと一緒に店内に入ると、中には2人の人物がいた。70代に見える
ギャルソンスタイルの男性が、艶(つや)のある声で「いらっしゃいませ」という。
ほんのワンテンポ遅れ、空のグラスを前にテーブルに座っていた22、3歳の
娘も同じセリフをいった。
「こんにちは」
70代の男性を店主と見て、篠原は名刺を渡した。男性は名刺に目を通す。
「篠原俊二さんですか。探偵社の方?」
「そうです」
すごむわけでなく、謎めいた態度をとるわけでもなく、あくまでも自然に常識的に
返事をする。探偵社と聞いて若いギャルソンと座っている娘の表情がかすかに
固くなるのを視野の隅に入れながら、にっこりと探偵版の業務用笑顔をサービス
する。
「ご迷惑でなければ、お伺いしたいことがあるんですけど」
「どういうご用件でしょう」
年の功の笑顔で店主が尋ねてくる。
「その前に、失礼。確認ですが、マスターの方ですね。お名前は赤井(あかい)さん」
「はい。赤井 司(つかさ)と申します。こちらは孫でスタッフの匠(たくみ)、そして今日は
オフですが、座っているのがウエイトレスの柴崎 透子(しばさき とうこ)です」
匠、透子とも挨拶をする篠原。それで、と話を促(うなが)す赤井。
「人を探していまして」
「ほう?」
「村井友明(むらい ともあき)さん、ご存じですよね」
「ええ」、と赤井が答える。
「旧友の息子さんです。息子といっても、もう50代でしょう。父親が亡くなってから、
ここ数年、ご無沙汰しています。彼がどうかしましたか?」
「一か月ほど前から行方不明なんです。ご家族から捜索を依頼されまして」
それを聞いた赤井の目が、きゅっと細くなった。
脈ありか? と思いながら、篠原は赤井の次の言葉を待った。
32 1時間後 喫茶店アスコット
コーヒーとクリームソース・スパゲッティを前にして、篠原のフォークが止まっている。
2階の窓の外を見るともなく眺めている。「あと、どこへ行けばいいっていうんだ」と、
ひとりごちたところに、「篠原さん」と若い女性の声がかかった。
「美咲さん」
美咲が篠原を見下ろしている。
「隣町から、お帰りだったんですか」
「うん。会社に帰る気がしなくてね。ここで、さぼり」
「あら」
忘れないうちに、と車のキーを返す。
「美咲さんも、今から昼飯?」
「お弁当で済ませたけど、お茶でもと思って」
「ふうん」
「お向かい、いいですか?」
左手薬指にプラチナの指輪をした手を軽く組んで尋ねる。「どうぞ」という篠原。腰かけた
美咲のところに、さっそくウエイトレスが注文を取りに来る。美咲はホットのアールグレイ
ティーを頼んだ。
「ここの紅茶は、おすすめですよ。アフタヌーンティーもあります」
「コーヒーも旨いね。さっきの軽食店のブレンドもよかったけど」
ブラックのコーヒーを思い出したように飲む篠原。
「聞き込みに行った、隣町の?」
「そう」
美咲の紅茶が運ばれてくる。篠原はなんとなく勢いがついて、スパゲッティに手を付け
始めた。
「それで、何か手掛かりは掴(つか)めました?」
紅茶に目もくれず、美咲が尋ねた。
フォークがぴたりと止まり、美咲を見つめる篠原。美咲は心持ち、体を後ろに引いた。
ややぶっきらぼうに篠原がいう。
「それが、特になしさ」
「残念ですね」
体をしゃちほこ張らせて、美咲が相槌を打つ。
「いなくなった当人の父親の旧友じゃ、相当遠い知り合いだしね」
「それはそうですね」
「どうにも、村井氏がいなくなる理由も見つからないしね。探し方に落ち度があるとも、
思えない」
「檜沢さんにチェックをかけてもらってましたね」
「俺自身が恥をかいてもいいから、依頼に関して、できるだけのことはしたいからね。
それでも、問題はないって言われた」
「檜沢さんがいうなら、その点は本当でしょう」
体の力を抜いて、美咲はうなづいた。
「困ったよ」
「無事で見つかると、いいですね」
ようやく紅茶の水色(すいしょく)を見ながら、美咲がいった。
33 controller and connoisseur
同時刻、社長室。矢島と檜沢が話している。
「例の行方不明者調査ですが、篠原が苦戦してます」
「そうだろうね。止むを得ない」
「途中までの報告書を見せてもらいましたが・・・調査過程のチェックを入れてくれと
言われて・・・よくできていましたよ。さすが、時枝エージェンシーの腕利きだけのことは
あります」
「それでも、この件では、成功は難しいだろうね。全力は尽くして欲しいが」
「結果はともかく、期日までがんばってもらいますよ。いつか、どこかでこの調査が生きる
かもしれませんし」
「ああ、そうだね」
「問題は、美咲が篠原に同情的なことですね。人のいい奴です」
「彼女の持ち味といえば、持ち味だからね。そっとしておいてやりなさい。ただ、よく見ていて
やってくれ。私も気をつけるけど」
「はい」
第1話(後半) 終わり
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