1 アレキサンドライト店内
黒沢が開店と同時に入ってきた。
「おっはようございまーす。もう、秋だねえ。空を見上げると雲の形が違うよん」
「おはようございます」
カウンターから渡が応える。
「いらっしゃいませ」
亜希が水とメニューを持っていく。
「振り出しに戻るんだけどさあ、抹茶のスパゲッティってないよねえ」
カウンターから渡がいう。
「うちは名古屋のマウンテンじゃありませんからね」
「それじゃあ、1300グラムの大盛りカレー」
「ココイチでもありません」
黒沢は大げさにため息をついた。
「スパゲッティカルボナーラ、ちょーだい。それと、コーヒーにアップルパイ」
「はい」
にっこりと亜希がいう。
「ん? ちょっと待ってよ、亜希ちゃん。なによ、その指輪は」
左手薬指に小粒の紫色の指輪をしている。ぽっと赤くなって亜希はいった。
「エンゲージリングです」
「もしかして、アレキサンドライト?」
「はい」
「見せて見せて」
渡にペンライトを持ってこさせ、光をあてる。
「うーん、色が変わる」
亜希を連れて店の前に出る。外光にあてる。
「やっぱり変わる。不思議だにゃ」
亜希はくすくす笑っている。
「もう、気はお済みですか?」
「うん、ごめんね」
「誰が贈ったのかって、聞いてくださらないんですか」
「聞くだけ野暮じゃん。その辺でスパゲッティゆでてるおにーさんでしょ」
タイミングよく渡が「できましたよー」と二人に声をかけ、黒沢と亜希は
噴き出した。席に戻って朝食をとる黒沢。
「だけどさあ、渡くん、アレキサンドライトが稀少で高価なのはわかってるけど、
ちょっと寂しくない? アレキサンドライトだけで、ダイヤとかの、周りを飾る石が
ないってのは。ごめんね、ケチつけちゃって」
「思いっきり、いいとこついてますよ、黒沢さん」
カウンターで渡が笑う。
「次が控えてるから、指輪はあっさりしてるんですよ。アレキサンドライトだから、
あっさりもなにもないけど」
「どーいうこと」
亜希が引き取る。
「イアリングを作ってもらってるんです。私にとっては、それの方が大切なんです」
「アレキサンドライトで?」
「はい」
「それって、すごく贅沢な気がする」
にこにこと黒沢を見ている亜希。
「でも、亜希ちゃんには、ふさわしいかもね」
「ありがとうございます」
電話が鳴り、渡がとる。
「はい、アレキサンドライトです。毎度ありがとうございます。・・・はい・・・はい・・・」
電話を切る。
「亜希ちゃん、布田さんに出前」
「はい」
亜希が出ていく。黒沢は席で唸っている。
「イアリングが大切って、どこかで聞いたような。記憶を引きずり出すのは、おじい
ちゃんに敵わないんだよなぁ。・・・って、思い出した」
ひとりで納得している黒沢。ついで、カウンターの渡に声をかける。
「お盆のホープダイヤ盗難って、不思議だったよね。昔の事件の再現みたいに、
2、3日で戻ってきて」
「そうですね」
「犯行声明もあがってさ。「ホープダイヤの伝説は濡れ衣だ。むしろ月下氷人だ」
ってさ。どーして、あれが仲人なのさ」
「何か、あったのかもしれませんね」
笑っている渡。
「ま、めでたいことだからいいけど、さっ。そんで、フォトスタンドはまだ飾ってるのね」
スペードのエースがおさまっている。
「あれって、なんなのよっ」
「放っといてください」
渡が顔をしかめる。ひとりごとでいう。
「早いところ頼むよ、南さん」
「今日、お昼ごはんもここでお世話になるつもりなんだけどさーっ、今日の
おすすめは何?」
「気のはやい赤飯定食です」
「ひょっとして、甘納豆使ってる?」
「北海道に行って食べてください」


2 同日 午後
渡と亜希が遅い昼食を終えたところに、客がやってきた。
「準備中ですか?」
「もう、始めますから」
亜希が招き入れる。客は座るなり、二人を等分に見ていった。
「この店、夜はメニューが変わりますか。アレキサンドライトっていう名前だけど」
亜希が答える。
「いいえ。メニューは同じなんですよ。早めに締めますし」
「おかしいな。横浜のカメラマンに聞いて来たんだけど」
渡が引き取る。
「そういうことでしたら、ご相談にのりますよ」


3 数日後 とあるホテルのバンケットルーム
赤とピンクの絞りの振りそでを着た亜希が、会場内を歩いている。
「お母さまの故郷(ふるさと)の正装ですものね。着られるうちに、振りそでも着ましょう」
後ろから声をかけられる。
「色は違えど、一竹辻が花ではありませんか」
「まあ、金城さん、お久しぶりです」
今日は緑色のスーツを着ている。
「いいですねえ、和服姿。そういえば、浴衣姿は見せていただけませんでしたね。
花火に誘ったのに」
「そうでしたっけ」
「私は、そんなに印象が薄いのでしょうか」
「いえいえいえ」
金城の後ろから渡が声をかける。
「俺の婚約者を口説かないでください」
振り返る金城。ブリティッシュ・スタイルのスーツ姿で渡が立っている。
「まだ口説いておりませんぞ」
「未来永劫、お断りです」
「目についた女性は口説くことにしているのですが」
「うちの店、出入り禁止にします」
「一人の女性に固執するほうではありませんから、退きましょう」
「よろしくお願いします」
「では、そのうちまた、お店にお邪魔します」
亜希にウインクをして金城は去っていった。亜希が渡にいう。
「黒沢さんから伺ったんですけど、金城さんて、結婚してらっしゃるそうです。
それで、ものすごい愛妻家」
「へ?」
「お仕事で大真面目にされている分、オフタイムの時は羽目をはずした事を
おっしゃるそうです。でも、浮気の実績、ゼロだそうです」
「本当かぁ?」
「何回もご自宅に遊びに行ってるとか。奥さんよりお料理が上手で、金城さんが
ご馳走してくださるって」
「頭が痛くなってきた」


4 数時間後 喫茶店「アスコット」
一度アレキサンドライトに戻って着替えてきた渡と亜希がアフタヌーンティーを
とっている。ほとんど、皿が空になっている。
「着物はきれいですけど、やっぱり、しめつけますね。帯を解いた時の解放感
ったら、もう」
「ご苦労さま」
微笑んで亜希を見ている渡。
「今度の休み、柴崎の家に行ってくるよ」
「どうして?」
「亜希、君の目の相談だ」
亜希が首をかしげる。
「ずっとコンタクトをして暮らすんじゃ、つらいだろう? 五色(ごしき)グループのどこか
一社に、アレキサンドライトそっくりの変色特性のあるカラーコンタクトレンズの開発・
販売を頼んで流行させてもらう。翔さんはもうずっと、経営に係わってないけど、未だに
あの人の意見を聞きたがる人は多いんだ。なんとかなると思う。不愉快かもしれないけど、
木の葉を森に隠すんだ」
「つまり、私もそのコンタクトレンズの愛用者のふりをするんですか?」
「そういうこと。流行は、いずれ廃(すた)れるだろうけど、一度そういう物を世間に流して
しまえば、あとは、大手を振ってどこでも歩けるようになるよ」
「そんな、あちこちに行かれなくてもいいですけど」
「俺が、一緒に出歩きたいの。仕事でなしに。それなら、いいでしょ?」
「あ・・・はい」
亜希はにこっと笑う。
「出かけるっていえば、私も行きたいです、柴崎さんのところ。フィリアス・・・翔さんにも
またお会いしたいし、影からでも珠子さんのお姿を拝見したいです」
「かわいいおばあちゃんだよ。翔さんとおしどり夫婦で」
「いいですね、そういうの」
にこにこしている亜希。渡はつい、むきになって言った。
「負けるもんか、翔さんたちに」


5 近くの本屋
亜希がアーシュラ・K・ル=グウィンの「空飛び猫」を手にとっている。渡が覗き込む。
「ル=グウィンだったら、「ゲド戦記・全4巻」を薦めるな。岩波書店から出てる。子ども
だけに読ませておくのは惜しい話しでね。魔法使いの物語だ」
「これは絵本ですね」
「それはそれで否定しないよ」
亜希は「空飛び猫」のシリーズ3冊をレジに持って行った。


6 夕刻 アレキサンドライト店内
珊瑚(さんご)の帯留を手に、依頼者は泣いていた。
「ありがとうございました」
「よかったですね」
亜希がアップルパイを出しながらいう。依頼者の正面に座っていた渡がいう。
「ところでお客さま、最初に夜間メニューのご相談を承った時にお話したことを
覚えておいでですか?」
「あ、はい」
涙を拭いて依頼者が応える。
「もう二度とこの手の注文をしないように頑張れということですね」
「そういうことです。今回のは、非常手段ですから」
亜希も口を添える。
「昼間のメニューのお客さまとしてでしたら、いつでも、何度でも、お元気なときでも
お越しください」
「ありがとう。そういっていただけると嬉しい」
手つかずのアップルパイをテイクアウトにして、依頼者は出ていった。
「珊瑚っていうと、真珠と並べて海のニ大宝石っていわれているんですよね」
「ああ。珊瑚も真珠も海で取れるだけでなく、動物性なところも同じだね」
「母の実家が真珠販売をしていました」
「朱鷺の森家だね。つぶれてしまったけど」
「ええ」
「寂しい?」
「少しだけ」
「ごめんね。俺は、それについては何もできないから」
首を振る亜希。
「いいです。アレキサンドライトはつぶさないようにしましょうね」
「もちろん」
渡は笑った。
「晩までのつなぎに、ホットケーキ焼こうか」


7 同日 晩 アレキサンドライト店内
電話で「今から跳んで行くから」と一言いい、啓二が店内にテレポートしてきた。
「どうしたんです」
ティーポットに湯を注ぎながら渡がいう。
「これが跳んで来ずにいられるか。ニュースだよ」
「お兄さま、また、国に帰ってらしてたんですよね。そちらの方でなにか?」
「大ありだ。亜希、帰れるよ」
渡と亜希が目を見張る。
紅茶を蒸らす時間も惜しい様子で、啓二が立ったまま言う。
「この20年の騒動全部、人為だったんだよ。たまったもんじゃない」
「どういうことですか、啓二さん」
「お兄さま、詳しくお願いします」
三人は客席に座った。啓二が話し始める。
「情けないほど、ありがちな理由さ。亜希に濡れ衣を着せて、それと連動させて
父上たちを陥れようとした者たちがいたってこと」
「王位争いとか、そういうものですか?」
「まあね。でも、当事者じゃなくて、その取り巻きの勝手な暴走。なにやってんだか」
亜希は言葉がでない。かわりのように渡が尋ねる。
「どうやってそれが判明したんですか」
「それがね」
苦笑する啓二。
「母上と司さんだ」
「はあ?」
「母上が加担者のひとりと話していて、偶然口を割らせてしまったんだ。無意識の
ブースターでね。話した相手に罪悪感があったものだから。それで、メンバーが
芋づる式に判明して、司さんがそれを元に証拠を集めて回ったそうだ。テレポートは
できない人だけど、その分、夜間営業の技術であちこちにもぐり込んでしまって」
「うわあ」
「母上も昔とった杵柄で、いろいろやったらしい。さすがにうさぎの恰好はしなかった
ようだけど。そして、詰めの部分で父上がふんだんにマウストラップを使ったそうだ。
ほかの技もあるのに、これにこだわって」
「マウストラップって、SILVER EYEさんが第一人者なんでしょ」
「そのせいもあっただろうね。で、閉じ込めて、気が弱くなった者たちの口が軽くなって、
洗いざらい話したそうだ」
「なんだかまるで、初代チームが向こうで動き回ったみたいじゃないですか」
啓二が応えた。
「みたいじゃなくて、そのものだったらしい。さすがは初代だよ。年月が経っても、
腕は衰えてないし、チームワークもよくて」
「はあ」
絶句する渡。
「まいるなあ、ひいじいさん」
「なぁに、渡くん、4代目じゃないか。自信を持てよ」
「ところで、どうして啓二さん、あちらに行ってたわけですか。偶然?」
「新しい絵ができ上がる頃、取りに来るよう言われていたんだよ。母上の絵。
201号室の私設美術館に新作を入れるようにってね。当初の理由はともかく、
50年以上全く変わらないのは難だろうって」


8 2階の201号室
啓二、亜希、渡の手によって、久方ぶりに新しい絵がかけられた。8枚目である。
朱鷺色のイブニングドレスにティアラとハイ・ジュエリーを身につけた真子が微笑
んでいる。
「亜希・・・ちゃんのことで動き回っていたんでしょう? どこに絵を描くの、モデルに
なるのっていうゆとりがあったんですか」
「両親は、気持ちの切り替えはうまいよ」
「それで、タイトルは?」
「「サンクチュアリ」」
「旧姓・朱鷺の森かぁ」
渡がため息をつく。
「あれって、「朱鷺の守」の意味もあったそうですね」
「らしいね。そういえば、朱鷺の森家に縁のある女性が次々と僕らの国に嫁いで
しまって、そのうち、みんな、いなくなってしまうんじゃないかっていう本気混じりの
冗談があったよ。カーディナル・・・こっちでいうBLACK EYEさんの好きなネタで」
「黒沢家から嫁ぐことはなさそうだから、大丈夫じゃありませんか」
「おじいさんも3代目も小説家だってね」
楽しそうにいう啓二。
「願ったリだ叶ったりだ」
「は?」
啓二に聞き返そうとして、渡は、さっきから亜希がひとことも話していないのに気づいた。
「亜希・・・ちゃん?」
啓二も気づく。
「亜希?」
亜希は8枚目の絵を見上げて黙っていた。啓二が気づかうようにいう。
「里心をつかせたかな?」
首を振る亜希。そのまま、黙っている。渡と啓二は顔を見合わせた。
「話しは済んだし、絵も渡せたから、今日はこれで帰るよ」
「ありがとうございました、啓二さん」
渡が挨拶し、亜希も啓二に頭を下げる。啓二の姿は201号室からかき消えた。
「どうしたの?」
渡が亜希にいう。
「黙ってたら、わからないよ」
頭を撫でる。
「濡れ衣が晴れて、ほっとした?」
「それは、一応は」
やっとのように亜希がいう。
「でもね、「そういう者が現れるのも ALEXANDRITE EYE がいるせいだ」って
言う人は、必ずいるんです」
「そこまで気にしたら、きりがない」
「ええ、頭ではわかっていますけど。それに」
「それに?」
「帰れないって思っていたところに、帰れるっていわれて、「はい、そうですか」
って、そんなすぐには切り替われませんから」
「それは、あるかも」
「それに、それにね、渡さん」
亜希は渡の服をつかんでひっぱった。
「二人して帰ったら、アレキサンドライトの昼と夜の営業はどうなるんですか?
渡さん、ひとりっ子なのに」


9 イリュージョン
201号室を出た啓二がひとりでテーブルに座っている。目の前にはポーラー・
ショート・カット。ダーク・ラム、ホワイト・キュラソー、チェリー・ブランデー、ドライ・
ベルモットを四分の一ずつ。ステアしてカクテルグラスに注ぐ。1957年、スカンジ
ナビア航空がコペンハーゲン-東京間の北極回り航路開設を記念して行った
カクテル・コンテストで第1位になった作品。名前には北極圏を最短距離で飛ぶと
いった意味がある。
啓二は黙って首を傾げて、座っていた。


10 赤井家 居間
渡がフレッドの前に座り、ぼうっとしている。スクリーンセーバーのコラムスが
連鎖している。昼間、カウンターの上に置いてあるフォトスタンドが、夜はディス
プレイの上に移動している。
「あっちの国でひいじいさんと一緒にカウンターに立つっていうのも、シュール
だよなあ。それも、親父と同じくらいの外見だっていうし」
コラムスに魔法石が出ている。
「でも、お姫さまの夫ってことになると、何かと行動が制約されるよな」
いっそのこと、水の守護神像前でいったホープダイヤの呪いが実現したら、
一緒にこちらにいられるのでは・・・という考えが頭をかすめる。あわてて
首を振る。
「自分勝手もいいところだな」
ノックの音がした。
「どうぞ」
亜希が入ってくる。
「どうしたの」
「眠るのが怖いんです」
紫色の瞳に不安を漂わせて亜希がいう。
「ALEXANDRITE EYEが無実だっていわれたのが嘘で、私がこちらに来ているのも嘘で、
渡さんがいるのも嘘で、このお店も嘘で、みんな夢で、国で責められているのが現実
だっていう夢を見そうで」


第6話(前半)終わり


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