13 アレキサンドライト店内
怯えている亜希をそっと誘導して、渡と黒沢は彼女をアレキサンドライトの
中に入らせた。おとなしく客席に座る亜希。「準備中」の札を掛け直す渡。
黒沢は、亜希の前に座り、その目を覗き込んだ。
「私服の亜希ちゃんでさえ、おいらには珍しいのにね。その上、お目目まで
水色じゃ驚くよん・・・って亜希ちゃんっ !」
黒沢の声に渡が寄っていく。
「黒沢さん、亜希・・・ちゃんをこれ以上怖がらせないでください」
「だってさ、だってさ、この目が」
「水色にしているっていう話はあとにしましょう。記憶の方が先だ」
「水色じゃないんだもん」
「え?」
渡も覗きこむ。亜希の瞳は見事な紫色になっていた。凝視する渡。
「おいらが叫んだの、わかったでしょ?」
「そうですね」
亜希は無言で体を硬直させている。渡は安心させるように笑いかけた。
「自分じゃ、見られないものね」
黒沢はぶつぶついっている。
「別に、早業でコンタクトを入れ換えたわけじゃないよねえ。そんな時間も、
亜希ちゃんの心のゆとりもなさそうだし」
「そうですね。・・・記憶、本当に、ない? ここがどこか、わかる?」
かすかに首を振る亜希。顔を見合わせる渡と黒沢。
「ゆうべ、どっかに頭をぶつけたのかな、亜希ちゃん」
「どこにも怪我はなさそうですけど。嫌な体験をして記憶をなくすっていうのは、
聞きますよね。ストレスに耐えられないから、記憶を遮断するとか」
「渡くん、身に覚えある?」
「こんな時に、よくそんな冗談がいえますね」
「失礼ながら、大事な点は押さえさせていただいたよ。そんなら、まずはよし」
「当然です」
「亜希ちゃん、かわいいもの。渡くんは偉いと思うけど」
大真面目にいう黒沢。げんなりという顔をする渡。二人の会話を聞いても
無反応の亜希。
「で、渡くん、これからどうする? お医者さんに行く?」
「まずは啓二さんに連絡をとります。その他のことは、あとから考えます」
「うん。それがいいかもね」
黒沢は席を立った。
「お兄さんを呼ぶなら、おいらは、いない方がいいね。何かと相談もあるでしょ」
「すみません、黒沢さん」
「いいよ。お大事にね、亜希ちゃん・・・お嬢さん」
かすかにうなづく亜希。
帰ろうとして、黒沢は足を止めた。
「あのさあ、こんな時に悪いけど、ひとつだけ確かめさせてくれる? おいらの
馬鹿げた連想なんだけど」
渡にペンライトを持ってこさせ、亜希に向き直る。
「まぶしいかなぁ。ちょっと、我慢してね」
瞳を照らすと、即座に赤紫色に変わった。
「あっちゃー。当たっちゃった」
「アレキサンドライト、そのものじゃないか」
アレキサンドライト ---- その単語を聞いた亜希の様子が変わった。泣きそうな
表情になり、全身を細かく震わせる。目をつぶって、両手で顔を覆い、亜希は座っ
たまま体を丸くしてしまった。
「亜希ちゃん、怖い? 嫌いなの?」
黒沢が尋ねる。亜希は今度は耳をふさいだ。
「思いっきり、普段の亜希ちゃんらしくない反応だなあ、アレ・・・は好きなはず
なのに」
渡は呆然としていった。
「黒沢さん、啓二さんが来るまで、ここにいていただけませんか」


14 アレックス
渡が電話をかけて数分後、啓二はカウンターの奥から姿を現した。
「連絡、ありがとう」
黒沢は今度こそ、という思い入れで立ち上がった。
「じゃあ、ね」
啓二の到着の速さを特に詮索する風もなく、ドアへ向かう。渡が追いかけた。
「黒沢さん、今日は本当に、ご迷惑おかけしました」
「いいよ、亜希ちゃんたちのことなら。あ、もちろん、おいら、今朝のいろんなことは
誰にもいわないから。安心してて」
最敬礼する渡。啓二も亜希の近くに立ったまま、黒沢に頭をさげる。「渡くん、ちゃんと
食べるんだよ」といい置いて、黒沢はでていった。
渡は亜希たちの元へ戻る。あらためて啓二を見直す。瑠璃色のブレザーにロイヤル
レジメンタルのネクタイ。ブレザーの胸ポケットにはリガードが輝いている。着替えて
すぐに跳んできた模様。
「啓二さん」
「うん。効くかな」
啓二は亜希の背中を撫でながら、何か耳元で囁く。渡には理解のできない言葉。
少しずつ亜希が体を伸ばし始め、手が離れ、耳があらわになる。体を起こし、
目を見開いて啓二を見つめる。啓二は亜希を抱き上げた。
「渡くん、少し待ってて」
二人の周囲の空間がゆらりと揺れ、一瞬ののち、啓二たちの姿がかき消えた。
微動だにしない渡。やがて、啓二の姿が再び現れた。
「202号室に寝かせてきたから。しばらくは、おとなしくしていると思う」
「どんな魔法を使ったんですか」
「怖がることはない、ここは安全だって、いいきかせただけだよ。紅茶、入れてくれる?
コーヒーも忘れずにね」
機械的に紅茶とコーヒーを入れる。向かい合わせに座る。渡はくたびれたように
コーヒーを飲んだ。啓二は比較的冷静に紅茶を飲む。渡がひとごこちついたのを
見て取って、啓二は言った。
「見られちゃったね・・・。亜希は、ALEXANDRITE EYE (アレキサンドライトアイ)
なんだよ。あの宝石と、そっくり同じ性質を持った瞳でね」
「ALEXANDRITE EYE、ね」
ためいきをつく渡。
「いつもの、黒い瞳はなんだったんですか」
「カラーコンタクトレンズでごまかしていたんだよ。どうしてはずしたのか、その辺は
わからないけど」
「そっちの国にはいろんな瞳の持ち主がいるんですね」
「ALEXANDRITE EYEは、滅多に生まれないよ。種族全体で5世代に一人、いるか
いないかだ」
苦笑する渡。
「ざっと5千年ですか。寿命の違いを思い知らされますけど」
「まあ、ね」
紅茶をすする啓二。
「それで、今朝からの亜希の様子を、聞きたいんだけど」
渡は、開店時刻になっても亜希が降りて来ないところから話し始めた。順を追って、
啓二が来たところまでを過不足なく話す。啓二は黙って聞いていた。
「朝、目が覚めたら記憶がなくなっていたっていう感じだね。一時的なものか、
それとも・・・」
「仮に長引くとしても、こっち側の医者は駄目ですよね。体質が違うし、あの瞳が
検査のはずみでばれたら、おおごとだ」
「そうだね」
決心したようにいう啓二。
「あと、1週間後のつもりだったけど、今日中にここを発つよ。国に戻る」
暗い表情で渡が尋ねる。
「亜希・・・ちゃんを連れてですか? 武者修行中止?」
「僕だけだ」
「こんな状態の妹を放っていくんですか !」
渡の顔が今度は赤くなる。落ちついて答える啓二。
「元から、亜希のことで行く予定だったんだよ」
「王室の行事じゃなかったんですか」
「あれは建前」
「本人に秘密で?」
「君に対する建前だ。亜希は、知ってたよ」
「話が見えませんけど」
「ごめん。今は説明したくない」
「それなら・・・退きます」
「僕が戻るまで、とりあえず、亜希には今まで通りの生活をさせておいてくれる?
昼間のウエイトレスだけ。無理は避けてね」
「そうしますか」
「留守中の手配があるから」と啓二が帰ろうとする。渡が思い詰めたようにいう。
「亜希・・・ちゃん、紫さんのところに置きませんか?」
「どうして?」
「彼女の記憶喪失、俺のせいかもしれないっていう気がして」
うなだれる渡。
「心当たりでも?」
「ずいぶん、冷たくあたってたと思うから・・・。すみません」
首をひねる啓二。
「思い過ごしだよ。それはないと思う」
「そうですか?」
「そう思うんなら、これから優しくしてやってくれ」
神妙にうなづく渡。
行きとは違い、ドアから出て行こうとする啓二。「オーロラたちの饗宴」に「今日の
うちに発ちます」という。渡が見送りに出る。「あのね」と、啓二は振り返った。
「もしも心労で記憶がなくなったっていうなら、国での暮らしのせいだ。気にしなくて
いい」
「はあ」
「ここに来て3か月以上経ってからだから、気が緩んで以前からの疲れが出たのかも
しれない。とにかく、渡くんのせいじゃないよ」
「はあ」
「あんな状態の亜希を連れて帰るわけに行かない。こっち側の方が精神衛生上、
いいんだ。頼んだよ」
「はい。・・・あ、待ってください」
すがるようにいう渡。
「何か俺が彼女にできること、ありませんか」
「思い当たることを直してくれればいいよ。あとは、そうだな。ブラッシングでもして
やってくれ」


15 もう一度初対面
渡は店内に戻ってから、ぼんやりとカウンター脇の椅子に腰かけていた。
「なんだか、静かだな」
夏休みだ。こどもの声が聞こえてもよさそうなのに。そんなことを思いながら、
なおもその姿勢でいた。
30分ほど経ったところで、亜希が降りてきた。紫色のワンピースに皺(しわ)が
よっている。そのままで寝ていたらしい。
「どうしたの?」
恥ずかしそうに、紫色の瞳の亜希がいう。
「お腹が空きました」
「そういえば、俺もだ」
なんとなく、笑いあう。
「お兄さんは帰ったよ。どうしても、仕事の都合があって。ごめんっていっていた」
「そうですか。私をなだめてくれた人ですよね。でも、兄といわれても実感がありま
せんけど」
「そうだよね・・・。しばらく、ここで暮らせばいいっていうことになったからね。覚えて
ないだろうけど、今までと同じだよ。それで、なにか食べたいものはある?」
少し考えてから、亜希がいった。
「ホットケーキ」


16 翌日 アレキサンドライト店内
開店と同時に黒沢が入ってきた。
「おっはよーございまーす」
「おはようございます」
カウンターから渡が応える。
いつもの席に座らず、黒沢は渡のところに近づいていった。
「亜希ちゃん、どうしてる?」
「今日は休みです」
「だよねえ」
「啓二さんと相談して、当分、今まで通りの生活をさせようということに
なりました。今日、明日のウエイトレス復帰は無理でも、何日か経って
から、始めますので」
「そう。啓二さんと渡くんでそう決めたなら、おいら何もいわないから」
「ありがとうございます」
「いつもの、お願いね」
「はい。・・・あ、アップルパイはありません」
いつもより早いペースでスパゲッティカルボナーラを食べ終わった黒沢が
いった。
「胃袋がさみしいって、泣いてるよお。アップルパイの占める位置って、
大きかったのね」
「亜希ちゃんが聞いたら喜びます」
「言って、負担にならないようだったら、伝えておいてね」
渡がうなづいたところで電話が鳴った。渡がとる。
「はい、アレキサンドライトです。・・・毎度ありがとうございます。・・・申し訳
ありません、今日はアップルパイはありません。はい、ほかのお品でも出前は
しますが、ウエイトレスが休んでおりまして、時間的に・・・はい、やっぱり、そう
ですよね。いえ、何でもありません。・・・明日も、たぶん休みです。・・・それは
ちょっと、お話できません。すみません、ごめんください」
電話を切る。
「布田さんからぁ?」
「ええ。忘れてました」
「困ったねえ。亜希ちゃんがお気に入りだから」
黒沢が唸る。
「よしっ、おいら、あとでご機嫌うかがいに行ってくる。そんで、お相手してくるよ。
亜希ちゃんのことは、何にも知らないってことにして」
渡は黒沢に頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「なんの、これしき」
お土産用に渡が試作品のワインゼリーを託す。
「様子を見て、黒沢さんの判断で、本当のことを話してくださって構いません。
あの人たち、透子さんの身代わりっていうことでなしに、本当に亜希ちゃんを
可愛がってくれているみたいだから」
「ん・・・了解」
軽い足どりの中に、なにがしかの力を込めて、黒沢はでていった。渡は、ほっと
息をついた。
「黒沢さんの正体・・・仕事のことを知ってから事件が起こって、よかったような気
がする」
ドアが開いて新しい客が入ってきた。原色の青のスーツを着ている。
「おはようございます。お久しぶりです。おや、今日は可愛らしいウエイトレスさんは
いないのですか」
「おはようございます、金城さん」
返事をしながら、渡は思った。
「この人がいることも忘れてた」


17 路上
ワインゼリーの入った箱を持って、黒沢がさっさと歩いている。
「おじいちゃんから聞いていたけど、本当に、ウエイトレスの身に何かが起こった
時って、あの絵の雰囲気が変わるんだね。絵柄じゃなくて、絵の「気迫」みたいな
ものが。いやあ、驚いた。だけど、いつのまに、渡くんは亜希ちゃんを「ちゃん」
づけで呼ぶようになったのよ」


18 数日後 新宿 「トップハット」
新宿中央公園を回ったあとの渡と亜希がランチをとっていた。よく晴れた日で、
二人は富士山の見える景観を満喫していた。
遠慮の中にも嬉しさを隠せず、黒い瞳の亜希がいった。
「お店をお休みにして、こんなところに連れてきていただいて、ありがとうござい
ます」
苦笑する渡。
「いいんだよ、今までの埋め合わせだから」
不思議そうに首を傾げる亜希。
「それで、どこか行ってみたいところはある?」
「絵を見たいです、それと、宝石」


19 宝飾店 「香栄草」
南がにこにこと二人を迎える。
「やあ、いらっしゃい」
ぺこりと頭を下げる亜希。
「で、今日のご希望はなんなのかな?」
亜希にいわせず、渡がいう。
「やっぱり、アレキサンドライトのイアリングはないですよね」
楽しそうにいう南。
「ご所望なら、捜し出してみせますよ。先にご予算を聞かなきゃいけないけど」
「いえ、まだそこまでは」
慌ててかわす渡。


20 少しのち 宝飾店の外
「香栄草」を出た亜希がいう。
「私が、前に「アレキサンドライトのイアリングはないか」って聞いたんですか」
「そう」
「指輪は見せてもらったけど、きれいな石ですよね。それで、私の目も同じなん
ですよね」
「うん。鏡で見ただろう?」
「ええ。不思議ですね」
記憶をなくした初日のパニックは覚えていないらしいな、と渡は思った。


21 大手書店
亜希が一冊の文庫本を手にとっている。表紙の絵は、縦置きの棺桶の中に
赤い服を着た少女が黒猫を抱いて立っているところだった。渡が覗き込む。
「「トマシーナ」か。ポール・ギャリコ。「ポセイドン・アドベンチャー」の作者だね」
「買ってきます」
亜希はレジに向かった。渡は一冊分の隙間ができた本棚を見る。
「姉妹編ともいえる「さすらいのジェニー」ともども、絶版になったって聞いていた
けど、よくこの本屋にあったなぁ」


22 東郷青児美術館
一通り見て回った亜希が首を傾げる。
「なんとなく、もの足りないです」
「君のお父さんの絵がないからじゃない?」といおうとしてやめる渡。


23 グラデーション
開店早々のグラデーションに、渡と亜希が入っていった。
「いらっしゃいませ」
70に届こうと年齢を感じさせない3代目の店主が二人を迎える。カウンターに
並んで座る。
「初めまして。親の代にあたる親戚や知人が、随分お世話になりました」
銀髪の店主が微笑む。
「それはありがとうございます。私ももうじき、孫に継いでもらいますけれど」
渡の表情が明るくなる。
「ここも、続いていきますか」
「ええ」
誇らしげに答える店主。
「お嬢さん、ご注文は」
亜希はくすりと笑った。
「忘れたことを思い出すカクテルなんて、ありませんよね」
「忘れないで欲しいっていうカクテルなら、ありますが」
「じゃあ、それ、お願いします」
焼酎30ミリリットル、杏露酒(シンルーチュ)10ミリリットル、バイオレット10ミリ
リットル、グレープフルーツ・ジュース30ミリリットル。氷数個を加えてシェイクし、
カクテルグラスに注ぐ。
「「忘れな草」です」
「素敵。いただきます」
嬉しそうな亜希。その横顔を見つめる渡。
「今日は楽しかった?」
「とっても」
うなづく亜希。
「前のことは忘れてしまっても、今日のことは忘れたくないから 、「忘れな草」です」
「ごめんね」
「なにがですか」
「忘れたくないような楽しいことを、あまり体験させてなかったから」
「そうなんですか?」
カラーコンタクトレンズ越しに、亜希が渡を見る。隠された水色と紫色に射抜かれて
いるような気がする。
「どうぞ」
マスターがウイスキー・ソーダを出す。亜希が続ける。
「気になっていたんですけど、渡さんと私って、付き合っていたんですか? 私はオーナー
スペースの部屋に住んでいるし、下のお店で働いていたっていうし」
渡はグラスを手にとる。カクテルの味とまったく関係のない苦みを口の中に感じながら、
渡はいった。
「いや、違うよ」
「そうですか」
忘れな草に視線を落とす亜希。


24 同夜 アレキサンドライト店内
帰宅後、紅茶とジンジャーエールを「オーロラたちの饗宴」の前に置き、渡が
いった。
「SILVER EYEさん。 啓二さんのいうことが正しいんだとしたら、どうして、
お姫さまの亜希・・・さんが記憶をなくすほどつらい目に遭うんですか」
返事をしない絵に背を向ける。自室に戻ろうと歩きだしたところに、カウンター
の奥から、亜希が入ってきた。
「どうしたの」
「眠るのが、怖いんです」
紫色の瞳でいう。
「怖い夢を見そうで」
「うーん。一緒に寝るわけにもいかないしな」
腕を組んで「オーロラたちの饗宴」を見返す。
「こんな時、SILVER EYEさんだったら、どうするだろう」
亜希と絵を交互に見ているうちに、渡は、はたと気がついた。
「そうだ、絵だ」


25 亜希の部屋
渡と亜希の二人が室内に入っていく。
「こんな時間にごめん。非常時っていうことで勘弁してくれ」
「それはいいですけど」
亜希はきょとんとしている。
「私の部屋にある絵っていうと、花束を持った猫さんくらいですけど」
「いや、それじゃない。ほかにもあるんじゃないかな。小さくてもいい」
「これかしら」
亜希は机の上の、ハガキ大の油絵を持って来た。緑色を含む透明な水色と、
赤紫色がマーブリング模様になっている。
「これだ、きっと」
「この絵が何か?」
「君のお父さんの作品だよ。おそらく、君ひとりのために描いたんだ。絵を媒体の
マウストラップ。つらい時にこの中で休むために」
「絵の中で、ですか?」
「そう。いって見れば、君のお父さんは、魔法使いみたいなものだから」
「子どもの私は?」
渡は亜希の紫色の瞳を見る。
「亜希ちゃん。君も、優秀な魔法使いだよ」
素直な目で渡を見る亜希。
「そうですか。・・・それで、どうやって中に入ればいいんでしょう」
困り顔になる渡。
「そこまでは知らないんだ。多分、中に入りたいとか、休みたいとかいえば、
入れると思うけど」
「やってみます」
亜希は絵に向かって、「お願い、中で眠りたいんです」という。
何も起こらない。
「変だな。意味もなく、武者修行先に持ってこさせるはずはないと思うけど」
「もう一度、いってみますね」
変わらない。
「私がいけないのかしら」
「そんなことはないよ」
もう一度、絵に語りかける亜希。
「お願い、外で寝るのが怖いの」
「俺からも頼む、SILVER EYEさん」
水色と赤紫色の光が二人を包み、そのまま彼らを絵の中へ連れて行った。


26 絵の中の迷宮
水色と赤紫色の糸が織り上げた繭の中。あたたかい光と落ちついた空気に
満ちている。
「これが、本来の回復用マウストラップの中か」
渡が繭の中を見回す。
「いや、中の様子は自在に変えられるんだったっけ」
亜希は渡の隣に立っていた。2、3回深呼吸をしていう。
「あ・・・とても安心します。眠れそう」
「よかったね」
「ええ。もう、本当に眠い。渡さん、ありがとうございました。ここを教えてくれて」
「いや・・・」と渡が答える間に、亜希は繭の壁に寄りかかって座り、目を閉じた。
ほんの数秒で眠りに入る。かすかに微笑みを浮かべている。
「効果抜群だなぁ」
渡は感心した。
「だけど、俺はどうやって出ればいい?」
「おい、出してくれ」といってみるが反応がない。あまり大声を出したら亜希を
起こしてしまいそうで、できない。
「そういえば俺も、疲れがたまっているよな。マスター代行だし、亜希・・・の・・・
ことでは気を張ってたし、この記憶喪失騒動だしで」
亜希の隣に腰をおろす。体が触れると、亜希は渡の肩に頭をあずけた。
「おやすみ・・・亜希」
渡も、すぐさま眠りについた。


第4話(後半)終わり


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