8 数日後 アレキサンドライト店内
黒沢がスパゲッティカルボナーラを食べている。亜希は、タイミングを見はからって
アップルパイと2杯目のコーヒーを持っていった。
「どうぞ」
「あんがと」
亜希はにこにこと黒沢の顔を見ている。
「ん? どーしたの? 亜希ちゃん」
「この間の写真、ありがとうございました」
「いえいえ、どういたしまして」
ぺこりと礼をして亜希はカウンターに戻った。アップルパイの皿を引き寄せながら
黒沢はひとりごちた。
「別に姿が写んなかったわけじゃないし、違うものやよけいな物が写ったわけでも
ないんだよね。普通の写真。そりゃあ、SILVER EYEさんの写真だって、完全に
ないわけじゃなくて、「ほとんど」ないってことだから、ある程度予測はしてたよん。
でも、おいら、そっちは見たことないんだもの。おじいちゃんも持ってないし。あとは
10年くらい待って見比べるのぉ? ああ、気の長い話」
電話が鳴って、渡がとった。
「はい、アレキサンドライトです。毎度ありがとうございます。はい・・・わかりました」
電話を切る。
「布田さんですか?」
にっこりと亜希が尋ねる。
「正解」
いそいそと亜希は出ていった。
「半分、遊びに行ってる感じだね、亜希ちゃん」
きょろりとした目をさらにきょろりとさせて、黒沢がいう。
「そうですね」
「亜希ちゃんのことを教えたおいらとしては、これでよかったんだろうかと、少し
気になるんですけど」
「どうしてです?」
「働き手がひとり、ちょくちょく駆り出されちゃうからさあ、渡くん、忙しくなるんじゃ
ない?」
「並外れて頻繁っていうほどでもありませんから、いいですよ。うちはもともと、
のんびりペースでやっていますし。亜希・・・さんも楽しいらしいから」
「亜希ちゃん、こっちに来てから、お友だち作ってないの? 布田のおじいちゃん、
おばあちゃん以外に」
「黒沢さん、金城さんやここの常連さん程度ですね」
「アレキサンドライトの中だけのお付き合い?」
「そうです」
「うーみゅ」
腕を組む黒沢。
「余計なお世話だけどさ、もっと外に出ていった方がよくない? ここのお仕事も
大切だけど、さっ」
「彼女自身が出ていきたがりませんからね。本屋とCD屋と手芸用品屋くらいですか。
この町内でことは足りるんですよ」
あと、もうひとつ。例外はイリュージョンだけど、と心の中で思う。
「お稽古ごととか、さ」
「気が乗らないようです」
「人なつっこい感じはするのにね。ん? 金城さんと会ったのは、どういう時だっ
たっけ」
「俺が女性同伴のパーティー・・・お茶会に出たせいですよ」
「よしっ、渡くん、亜希ちゃん連れて、どんどん外に出よう。決定、ねっ」
びしっ、と指さすような口調でいう黒沢。しかめ面をする渡。
「俺は彼女のお守り役じゃありませんよ」
「だったら、ナイト」
「辞退します」
「そんなら、おいら、金城さんに頼じゃおっと」
「あんな危なそうな人に ?!」
目を剥く渡。
「嫌なら、渡くんがやんなさいよ」
歯噛みしている渡を、「じとっ」と見返す黒沢。


9 同日午後 アレキサンドライト店内
客足が途絶えた時に、亜希がいった。
「透子さんから手紙と小包が届いたそうですよ。あと、「あんまり鮮明じゃない」
カーディナル・・・じゃなかったBLACK EYEさんと一緒の写真。おじいさまたち、
とっても嬉しそうでした。それで、私と見比べて、似てるとかなんとかいって、
それがお茶を飲む時の話のたねになって」
話している亜希も楽しそうである。
「そう、よかったね」
機械的にあいづちを打つ渡。心配そうに彼を見る亜希。
「どうかされたんですか」
「いや、なんでもないよ」
ドアが開き、客が入ってきた。「いらっしゃいませ」の二重唱。コーヒーを頼んだ
客は落ちつかなげにいった。
「この店は、夜になるとメニューが変わるのかい? アレキサンドライトっていう
名前だけど」
「いいえ。メニューは同じですよ。早めに締めますし」
落ちついて答える亜希。
「横浜のカメラマンに聞いて来たんだけど、おかしいな」
カウンターから渡がいった。
「そういうことでしたら、ご相談にのりますよ」


10 数日後 晩 客船「ブロワリア」従業員控室
青紫色のバニースーツを着た亜希が鏡を見ていた。ハイヒール、ストッキング、
カフス、ネクタイもスーツの色と合ったものにしている。
「これで耳をつければいいのよね。でも、どうしてこういうのを喜ぶ殿方が
いるのかしら」
いいながらうさぎの耳を頭につける。
「こう?」
ドアがノックされる。
「はい」
ブリティッシュ・スタイルのスーツ姿でネクタイをウインザー・ノットに結んだ渡が
入ってきた。
「そろそろ行くよ」
「はい。こんな風でいいですか」
亜希をまじまじと見た渡は、
「猫がうさぎの皮をかぶっている。・・・あ、ハーフか」
とつぶやいた。
困惑顔の亜希。
「あの・・・」
「あ、いや、それでいいよ。ご苦労さま。やっぱり、君も Vandy 1(バンディワン)を披露
することになっちゃったね」


11 カジノコーナー
カクテルを運んでいる亜希の盆から、渡がグラスをひとつ取った。
「お目当てのものは、部屋の金庫の中らしいよ。さもなかったら、クローク」
「そうですか」
「部屋までいってくるから、戻って来そうになったら、連絡頼むよ」
「はい」
ルーレットのところにいるターゲットを一瞥してから、渡はカジノコーナーを出て
いった。


12 ターゲットの部屋
室内備え付けの金庫を開けた渡が唸っている。
「はずれだぁっ。クロークか? いや待て。部屋の中のどこかってこともあるんだから」
枕の下、机の引き出し、洗面所の排水管の中と探し始める渡。


13 カジノコーナー
空になった盆を抱えて、亜希がきょろきょろしている。
「見失っちゃった」
カジノコーナーを歩き回り、付設したミニバーコーナーに出る。亜希は後ろから
ポン、と肩をたたかれた。振り向くとターゲットがにやにやと立っている。
「誰か探しているのかな、バニーちゃん」
顔がかすかにこわばる亜希。
「ここでのバイト料だけで小遣いは足りるのか? ちょっとここを抜けて別口の仕事を
しないか」
意味を悟って亜希の顔が紅潮する。
「いいえ、ここの仕事もただのピンチヒッターですから」
「じゃあ、お互い楽しむだけでも」


14 クローク前
中の様子をうかがっていた渡が、さりげなく立ち去る。
「人がいるなあ。出直しだ。どうやって、この場を離れてもらおう」


15 ミニバーコーナー
ターゲットが亜希に付きまとっている。
「耳元が寂しいな。何だったら、イアリングくらい、買ってやるよ」
「嫌だ。耳に触らないで」
「ほーお、嫌か。感じるのかな?」
息を吹き掛けようとする。
「やめてください」
亜希の目に力が籠(こ)もる。ターゲットの手を振りほどいて正面から見据える。
「マウストラップ」


16 カジノコーナー入口
入ろうとした渡と出ようとした亜希が出くわした。
「ターゲットはどうしてる?」
「当分動けません」
「なんだそりゃ」
それには答えず、クロークのナンバープレートを渡に押しつける。
「あの人のポケットにありました。役に立ちませんか?」
「助かる。でも、どうやったんだ」
「向こうが悪いんです」
中では誰かが「ドクターを呼べ」と怒鳴っていた。


17 翌日 アレキサンドライト店内
3杯目のコーヒーを飲み終えた黒沢が、粘って新聞を読んでいる。
「客船のカジノコーナーで、とある業界の問題児A氏が倒れちゃったってさ。
なーんか、いろんなところで人の恨みを買ってたらしいから、いい気味って
思ってる人が多いかもね」
「へーえ。そうですか」
天井を見ながら、カウンターで渡が応える。
「命に別状はないんでしょう?」
「うん。なんか、とにかく、1、2週間養生すればいいってことになったらしい」
亜希は「オーロラたちの饗宴」に話しかけていた。
「お父さま、お母さま。いいですよね、あの程度のことはしても」


18 数日後 アレキサンドライト店内
客の少ない時間帯、亜希が裏口の掃除をしにいっている間に、ドアが開いた。
「いらっしゃいませ」
カウンターで渡がいう。
「すみません、横浜のカメラマンに紹介されたんですけど、仕事をお願いします」
「は? カメラマン? なんのことでしょうか」
聞きかえす渡。
「なんのことかって、特別メニューですよ」
「うちは、あまりそういうことはしないんですけどね」
「あの、横浜のカメラマンに聞いてきたんですが」
首を傾げる渡。
「ほかの店とお間違えじゃありませんか」
「たしかにこの店のはずだけど。アレキサンドライトですよね。・・・あっ」
客をじっと見ている渡。
「そうだ、この店、夜になるとメニューが変わるの? アレキサンドライトって
いう名前だけど」
「いいえ。メニューは同じですよ。早めに締めますし」
「横浜のカメラマンに聞いて来たのに、おかしいな。・・・ごめんなさい、
忘れてました」
渡はにこりと笑った。
「そういうことでしたら、ご相談にのりますよ」


19 同日 夕方 赤井家 居間
インターネットでホテルの空き部屋情報を見ていた渡が頭をかきむしった。
「まずいぞ、これは」


20 亜希の部屋
クロスステッチ刺繍で亜希がクッションの図案を刺している。と、そこへドアホンが
鳴った。
「はい、どなたですか?」
「下の住人だよ」
ドアを開けると、渡が浮かない顔で立っている。
「今度の夜間営業だけどね」
「はい」
「いろいろ都合もあって、お泊まりコースになっただろ?」
「ええ」
「泊まらなきゃいけないホテル、シングルルームが満室なんだ」
黙っている亜希。
「事後承諾で悪いけど、ワンルームツインベッドの部屋、予約した」
スペードのエースのカードを見せる。
「信用してくれる?」
亜希は静かにうなづいた。
「はい」


21 数日後 伊豆の某ホテル
午前中、ホテルの中庭でガーデンウェディングが行われていた。天候に恵まれ、
出席者たちが楽しげに会場内を行き来している。
「新郎も新婦も、お友だちが多いみたいですね」
赤みの強い紫色のドレスに、ルビーとダイヤモンドを使ったネックレスをした
亜希がいう。宝石を、花の形になるように留めている。一重のコスモス風の
フォルムで、蕾や開きかけのものも合わせて、7、8輪が咲いている。
「親戚も多いらしいな。親がガーデンウェデイング形式を許したっていうのは
めでたい」
モーニング・コートにアスコット・タイをした渡がいう。
「さてと、それでターゲットさんはどこかな」
あちこち見渡すと、花嫁が友人数名と談笑しているのが見える。純白のウェディング
ドレスに身を包み、幸福そのもの、という顔をしている。
「相手が相手だし、依頼の内容も内容だから、頼むね」
「はい、タイミングを見計らっていきますので」
適当に飲食しながら、花嫁の様子を窺っている二人。
「そのネックレス、素敵ね」
タルトをつまんでいた亜希が、出席者の一人に声をかけられた。
「あ、ありがとう」
にっこりする亜希。
「あなたのパールも素敵よ」
「うふふ。お返しの言葉、感謝」
微笑みを交わす二人。
体を寄せて亜希のネックレスを見る相手。
「あまり見ないデザインね。手が込んでる感じ」
「これね、花びらが動くようになってるの」
手の汚れをふいてから、実演してみせる亜希。
「すごい、きれいなだけじゃないのね。どこのもの?」
「ショーメ」
「パリの、世界最高級の宝石商じゃないの。納得だわ」
力強くうなづく。
「いいものみせてもらっちゃった。ありがとうね」
爽やかに笑って、彼女は去っていった。
微笑みの余韻を残して亜希が立っていると、渡が寄ってきた。
「今、よさそうじゃないか?」
花嫁の方を見て、亜希はうなづいた。滑るように彼女に近づいていく。


22 伝書鳩
小休止をとるように、花嫁が小さな常緑樹の脇に立っていた。
「おめでとうございます」
笑みを湛(たた)えて近づいて行った亜希がいった。
「ありがとう」
それにつられて、自然な笑顔で応える花嫁。
「彼のご友人の方ね。今日はお越しくださって、ありがとうございます」
「ごめんなさい。招かれざる客で、あなたの知り合いの使者なんです」
はっと身を固くする花嫁。
「こわがらないで。何もしません。ただ、メッセージを伝えるだけです。
・・・「どうか、お幸せに。あなたの幸福を心から祈っています」・・・です」
花嫁の目から涙がこぼれ落ちた。
「あっ、泣かないで。ねえ、泣かないで」
「ごめんなさい・・・ごめんなさいって、伝えておいて。お願い」
「わかりました。たしかに」
いくつか年上の彼女の手を、亜希は少しの間、握っていた。やがて、
花嫁は落ち着きを取り戻した。
「引っ越し先が分からなくて、あの人に返すことができなくなっていたけど・・・。
これを、お願いできるかしら」
レースの切れ端に縫い込んで、ドレスのフリル紛れこませていたシンプルな
指輪を、布と一緒に渡す。
「お預かりします」
彼女の心の一部のように、亜希は大切に受け取った。


23 約30分後 ホテルのフロント
着替えた渡と亜希がチェックアウトしている。
「お疲れさま」
ホテルを出たところで渡がいった。
「きつかったんじゃない? 今回の依頼は」
「正直いって、他人事じゃない部分がありました」
前方を見たまま渡がいった。
「少し、気分転換してから帰らない?」


24 同日 午後 熱川バナナ・ワニ園
本園7号・熱帯スイレン温室のベンチに座って、亜希がとろけるような顔を
していた。
「きれい。ほかにいいようがないくらい」
「さっきから、ため息ばっかりだね」
隣に腰かけた渡がいう。
60種類あまりの色とりどりのスイレンが、水面から高く伸びて花を咲かせていた。
「天国みたい。とってもいいにおい」
「蓮の花を食べると夢見心地になるっていうギリシア神話があるけど、スイレンは
どうかな」
温室のすぐ外にある売店で、ソフトクリームを2つ買う渡。ひとつをうっとりと座った
ままの亜希に渡す。
「ほら、溶けないうちに。熱いよなあ」
「熱帯スイレンの温室だから」
応えながらソフトクリームを受け取る亜希。
「分園で朱鷺とフラミンゴも見られたし、もう幸せです」
「レッサーパンダにも歓声あげてたくせに」
「木の上で丸くなって昼寝してるのが、かわいくって」
「落ちるかと思って見てたけど、落ちないもんだね」
「もう、帰りたくないです」
「明日は店を開けないとまずいんだよ」


25 同日 晩 アレキサンドライト店内
渡がホット・バタード・ラムをつくっている。温めたタンブラーに角砂糖1個を入れ、
少量の熱湯で溶かす。ラム45ミリリットルを注いで熱湯を満たし、軽くステアする。
無塩バター1片を浮かせてステアする。西洋風卵酒というところ。
「風邪ひいたらしい。今夜のうちに治さないと」
脇で亜希がはらはらと見ている。
「あの、マウストラップをかけましょうか?」
「いや、いいよ。まだ、ひき始めみたいだし」
「手当ては早いほうがいいですよ」
「大丈夫だから」
「はい」
後ろ髪をひかれているような顔で、亜希が引き上げていった。
カクテルを飲みながら、渡は「オーロラたちの饗宴」の前に行った。
「ねえ、SILVER EYEさん、聞いてます? あのね、俺はアレキサンドライトの仕事は
好きですよ。昼の方も、夜の方も、どっちも。ほんと、幸いにして。だけど、たまに、
この道からはずれたくなるんですよ。だってさ、親の望むままで、俺の意志がない
ような気がしてくるから。そうじゃないのは自分で知ってるけど、それでも、嫌に
なる時がある。だから、まあ、わかってくださいよね。これ以上のことは拒否しようと
思ってますので。何のために生まれてきたのか、わからなくなりそうだから」


26 1時間後 イリュージョン
亜希が窓際の席に座っている。虹野が野菜スティックとバカルディのカクテル
グラスを置いていった。バカルディ・ホワイト・ラムを四分の三にライム・ジュースを
四分の一、グレナデン・シロップをティースプーン1杯。氷を加えてシェイクする。
「はしゃいでしまったけど、よく考えたら、ちっともよくないの。お仕事の打ち上げ
だったんだもの。それに、渡さん、3か月経っても「さん」づけでしか呼んでくれない」


第3話(後半)終わり


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