17 翌朝 アレキサンドライト店内
開店と同時に黒沢が元気よく入ってきた。
「おっはよーございまーす。おいしいコーヒーが恋しかったよん。スパゲッティ
カルボナーラとコーヒーお願い」
「はい」
カウンターから渡が応える。
3日前と同じ席に腰かけた黒沢は、いかにも常連という顔で新聞を読み始めた。
「遅くなりました」
支度を終えた亜希が、奥の方からカウンターに出てくる。典型的な黒いメイドスタイルの
ワンピースに白いエプロン。前髪は眉が隠れるほど。ストレートロングの髪は後ろで1つに
結び、白いリボンを蝶結びにしている。薄い化粧で唇に紅をさし、緊張しながらも精一杯
微笑んでいる。座っている黒沢に気づき、「おはようございます。いらっしゃいませ」と声を
かける。
「おっはよーございます、ウエイトレスさん。なんだあ、マスター代行、渡くん、こんなかわいい
ウエイトレスさん、この前はどこに隠してたのよ」
「私は今日からなんです」
「あらそーなの。おいら、黒沢っていいます。来店2回目だけど、これからはなるべく毎朝
お世話になる予定だから、よろしくねっ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「ウエイトレスさん、お名前、教えてよ。ナンパじゃないよ、コミュニケーションの基本だよん」
「亜希です。亜細亜の亜に希望の希」
「いい名前だねっ。で、名字は」
「国領です」
「はて、どこかで聞いたよーな」
「黒沢さん、亜希さんは先代ウエイトレスの紫さんの、義理の妹です。ご主人の妹なん
ですよ」
カウンターから渡が口をはさむ。
「ああ、はいはい、画家さんね。おじいちゃんから、話には聞いてるよん。なんか、昔の
知り合いによく似てて、ネクタイの柄までおんなじの、不思議な偶然の一致の人だとか」
「そう、その人ですよ」
「おじいちゃんは田舎に住んでるから、あんまり会ってないけど、ふーふそろって、ほとんど
年をとらないんだってね」
「よくご存じで」
苦笑いする渡。
「おいらが東京に出ることになったら、おじいちゃん、気合い入れていろいろ話してくれた
からね。それまでにも、若いころの話なんて、結構してくれてたし、さっ」
「そうですか」
顔は笑いながら、目が段々と座ってくる渡。その表情を見てとり、黒沢はことさら明るい
口調でいった。
「おいらのことは信用してくれてて、いいよんっ。昔の初代マスターたちと、おいらのおじい
ちゃんの時みたいに、ねっ」
ほっと気を抜く渡。
「そうですか。それじゃ、つけにして踏み倒されるなんてことは、ありませんね」
「いつもにこにこ現金払いにするよん」
黒い瞳で、亜希が渡と黒沢を見ていた。
「亜希さん、これ、黒沢さんにお出しして」
「はい」
亜希がコーヒーとスパゲッティカルボナーラを出す。
「どうぞ」
「あんがと。それでさーっ、もしかして、亜希ちゃん、アップルパイなんて、焼ける?」
「焼きますよ」
「だったら渡くーん、メニューにアップルパイ、入れない?」
「明日から入れます」
「やったあ。母さんの味、うんにゃ、おばあちゃんの味だぞ、きっと」
くすりと笑う亜希。輝く瞳に周囲の雰囲気が明るくなる。
「あ、その笑顔、いい、いい」
「ありがとうございます」
「写真にとっとくか、絵にした方がいい」
「父がよく、スケッチしてくれましたけど」
「ん? 亜希ちゃんのおとーさんも、画家さん?」
「はい」
「親子で、かあ。いいなぁ」
はらはら見ている渡。にこにこしている亜希。
「ところで、亜希ちゃん、お名前の由来は?」
「宝石のアレキサンドライトからとったんです。音の最初の方の「ア」と「キ」ですね」
「え?」 という表情になる渡。黒沢もびっくり顔をする。
「そいつは・・・このお店にふさわしい名前なんじゃないの?」
「そうですね。ここに来るの、楽しみだったんですもの」
「じゃあ、がんばってお仕事してね。楽しくなるといいね」
「はい」
「ところで・・・アレキサンドライトの色が変わるのはおいら、知ってるけどさ、名前の
由来はなんなんでしょ」
亜希がすらすらと答える。
「ロシアの皇帝、アレキサンドル2世の成年式の日に旧ロシアのウラル山中で発見された
からですよ。たしか成年式は14歳の誕生日だったと思いましたけど。それから、赤と緑は
ロシアの軍服の色だったことも、この名前がついた理由のひとつです。1830年と1831年、
本によって発見されたっていう年が違うんですよね」
「へーえ。ロイヤルな由来なのね」
「ええ。エジプトのアレキサンドリアは産地じゃないんですよ。ロシアかスリランカか
ブラジルです」
「ふむふむ」
うなづきながらコーヒーをがぶりと飲む。
「話は変わるけど、亜希ちゃん、もしかして6月生まれ?」
「そうです」
「だよねーっ、アレキサンドライトから名前をとるくらいだもん。じゃあ、おいら、何か
たんじょーびプレゼントあげるから、なにがいいか、考えといてね」
「はい」
旧友同士のように打ち解けて話す黒沢と亜希を、渡は半ばあきれつつ、半ば感心しつつ
見ていた。
18 夜間営業依頼
黒沢がでていってから、客が途切れることなく続き、午後をだいぶ回ってからようやく
店内がからっぽになった。「準備中」の札をかけ、遅い昼食にする渡と亜希。
「黒沢さんには、変に隠さないでおいた方がいいと思って、啓二さんの妹だって話した
んだよ」
今日のおすすめメニューを適当にアレンジした料理を並べながら渡がいう。
「先々のことを考えると、その方がいいですよね。ありがとうございます」
箸とフォーク、スプーンを出しながら亜希が応える。特に何事も起こらず、家庭の味
風の昼食が終わる。
亜希が「準備中」の札をはずしに行った時、ちょうどドアのところに客が来ていた。
「いらっしゃいませ」
「あの・・・この店、夜はメニューが変わって、酒が飲めたりするの? アレキサンドライト
っていう名前だけど」
「いいえ。メニューは同じなんですよ。早めに締めますし」
声にかすかな緊張を混ぜて、亜希が答える。レジの前にいた渡は、黙ってドア付近の
二人の様子を見ている。
「変だなぁ。横浜のカメラマンに聞いて来たんだけどな」
「あら」
にこり、と笑顔を作って、亜希は渡に振り返る。
「マスター、横浜の方からのご紹介だそうですよ」
よしよしという表情でうなづく渡。
「そういうことでしたら、ご相談にのりますよ」
初代マスター・赤井の味そのままのコーヒーを飲みながら、依頼者は必要なことを
話していった。
「お話はわかりました」
聞き終わった渡は、静かにいった。
「確認しておきますが、お客さま、これが違法行為なのはわかっていますね」
「ええ」
「それでも、どうしても欲しいですか」
「はい」
「欲しくて、気にかかりすぎて、手に入れられなかったら、これからの人生の歩き方を
間違えそうな程?」
「そうです」
「では、お客さまの依頼は生涯にこれっきりと決意されて、私どもにまかせていただけ
ますか」
「はい。よろしくお願いします」
脇で聞いていた亜希の表情がほころぶ。渡がそれに気づいて、「ん?」という顔になる。
ほっとした表情で「客」は出ていった。
「渡さん、「準備中」の札、はずすんですよね」
客の後ろ姿が見えなくなってから、亜希はコーヒーカップを洗っている渡に声をかけた。
「そうだね。頼むよ」
亜希が札をはずそうとすると、また、違う客がやってきた。
「いらっしゃいませ。ちょうど、開けるところですよ」
「どうも」
ややつんのめりながら、客は店内に入った。亜希が水とメニューを持っていく。コーヒーを
頼む客。
「コーヒーがおひとつですね」
「それとね」
逡巡を見せながら客がいう。
「この店は、夜になるとメニューが変わるの? アレキサンドライトっていう名前だけど」
「いいえ。メニューは同じなんですよ。早めに締めますし」
目を丸くしながら、亜希が答える。
「変だなぁ。横浜のカメラマンに聞いて来たんだけどな」
カウンターから渡がいった。
「そういうことでしたら、ご相談にのりますよ。亜希さん、もう1回準備中の札、下げて」
19 閉店後のアレキサンドライト店内
片付けと明日の準備を終えた渡は、亜希に声をかけた。
「ごくろうさま。あがっていいよ」
「オーロラたちの饗宴」にはたきをかけていた亜希が応える。
「アップルパイが焼き上がってから、あがります」
「あ、そうか。じゃあ、もう少し、よろしくね」
「はい」
渡が紅茶とジンジャーエールを入れる。亜希が絵の前に持っていく。
「亜希さん、これって、ずっと続いてるけど、あっちの世界で何か役に立ってる? 通じ
てるの?」
絵の前に立って、亜希が答える。
「両親が直接お茶を飲めるわけじゃありませんけど、「オーロラたちの饗宴」が伝えて
くれるから、とても嬉しいらしいですよ」
「そう。それなら、いいけど」
カウンターに近づいた亜希がいう。
「渡さん、昼間はありがとうございました」
「俺が何かしたっけ」
にこりとする亜希。
「夜間営業のお客さまに、「私どもにまかせていただけますか」って、いってくださいま
した。経験のない私のことも勘定に入れてくださったから、嬉しくって」
あっちを向く渡。
「あの場では、そういうしかないからね。パートナーはまだ無理でも、見習いとは見な
してるから。そのつもりで来てるんでしょ」
「はい」
パイがそろそろ焼けたはずだから・・・と様子を見にいく亜希。残された渡は「オーロラ
たちの饗宴」を見て、ため息をついた。
「どうにも、冷たくしきれない」
20 翌朝 アレキサンドライト店内
開店と同時に黒沢が元気よく入ってきた。
「おっはよーございまーす。スパゲッティカルボナーラとコーヒーちょーだい。それと、
食後にアップルパイ、ねっ。あるんだよね?」
「おはようございます、黒沢さん。ありますよ」
カウンターから典型的ギャルソンスタイルの渡が答える。
「いらっしゃいませ。お口に合うといいんですけど」
今日は支度の済んでいる亜希が水を出しながらいう。
「亜希ちゃんの焼いたパイかぁ。とっても楽しみ、ですです」
スパゲッティを平らげた黒沢が、2杯目のコーヒーと共にアップルパイに手を
つける。
「うんっ。うまい。それに、おばあちゃんのと同じ味だぁ」
「そうですか?」
にっこりする亜希。
「うん、うまいよ。嬉しいなぁ。やっぱり、さすがだねっ」
「なにがさすがかわかりませんけど、ありがとうございます」
「いやいや、おいらもこれでほっとしました。情報を流したけど、早まったかと思った
から」
「え?」
亜希とカウンターの渡が聞き返す。黒沢に問いかける前に、店内の電話が鳴った。
渡がとる。
「はい、アレキサンドライトです。・・・あ、お久しぶりです。・・・ええ、構いませんが・・・
はい。・・・え? あの、どこでそれを・・・」
話しながら黒沢の方を見る渡。にこにこと見返す黒沢。渡の表情が険しくなる。「あり
がとうございます。すぐにお届けします」といって電話を切った渡は、黒沢を睨み付けた。
「黒沢さんっ」
「朝から出前の依頼ー? 繁盛してて、いいねえ」
「一体どういう了見で、話したんですか」
「別にー。おいしいアップルパイを食べられそうだって、遠縁にいっちゃ、いけない?
ついでに、かわいーウエイトレスさんがいるって、口を滑らしちゃったけどさあ」
ぐっとつまる渡。亜希は状況がわからず、黒沢のすぐ脇の通路に立っていた。渡が
つとめて冷静にいう。
「亜希さん、お使い頼む。布田(ふだ)さんっていう家にアップルパイ届けて。地図は書く
から」
「はい」
きょとんとカウンターに近づいていく亜希。
「三切れ、箱につめて」
「はい」
手早く地図を書いて亜希に渡す。
「私服に着替えていった方がいい。引き止められたら、ゆっくりしてきて、いいよ。帰りに
もしも迷子になったら、店に電話して」
「はい」
箱を持ち、首を傾げながら、亜希は奥のスペースに入っていった。
「なーんだ、わかってんじゃん」
のんびりという黒沢。
「わかってませんよっ」
吐き捨てるようにいう渡。
「まーまー、怒んないでよ。布田さんのじーちゃん、ばーちゃん、孫娘が外国に行った
きり、全然日本に帰ってこないって寂しがってるって聞いてたからさあ。ぐーぜんでも
いーから、そっくりな女の子がお菓子もって訪ねていったら、喜ぶと思うよん」
「そりゃまあ、そうでしょうね」
「透子さん、だっけ。結婚して、イギリスに行って30年、音沙汰ないってね。多分、顔を
見せられない状態なんだろうけど、電話か手紙だけでも出してあげたっていいんじゃ
ない?」
「まあ、ね」
「写真さえ送んなきゃ、いいんだ」
「それ以上いわないでください」
「いいでしょ。とにかく、亜希ちゃんがじーちゃんたちを慰めてくれれば、おいら、満足よ」
「そうですか。でも、油断できない人ですね」
「おいら、渡くんたちの敵じゃないことだけは、意志表明させていただきます」
「敵ってどういうことでしょう」
「ま、いいじゃないの。てなわけで、コーヒーもう一杯、ちょーだい」
21 同日 夕方のアレキサンドライト
客足の途絶えた時、亜希が渡にいった。
「半日いなくて、すみませんでした」
「いや、いいよ。黒沢さんにはやられたけど、もっともなことだからね」
うなづく亜希。
「それで、喜んでもらえた?」
「はい。透子さんにあげるつもりでずっととっておいたお洋服とか、アクセサリーとか、
いただいちゃって。いつか、向こうに行く時にお渡しします」
「亜希さんがもらったんだから、そのまま使えば?」
少し考えたのち、亜希は答えた。
「そうですね・・・そうします」
「そうだよ。あと、これからも時々、注文が来そうだから、その時に着るなり身に
つけるなりしていってあげれば、また喜んでくれるよ。手紙の件は「オーロラたちの
饗宴」に伝言頼むけど」
22 数日後 アレキサンドライトの休日
JR立川駅からバスで10分ほどいった甲州街道・日野橋交差点付近にある野球場に、
渡と亜希が来ていた。どこかの町内会のチーム同士が親善試合をしている。スカイ
ブルーのユニホームを着たチームの応援席に、二人で並んで座っている。魔法瓶の
お茶を渡に差し出しながら、亜希がいった。
「それで、ターゲットさん・・・じゃなかった、例の方は、こっちの応援席にいらっしゃるん
ですよね」
お茶を受けとりながら、渡が応える。
「そう。螺鈿(らでん)をはめ込んだ扇子だからね。座席に置いたまま、離れることも
あるだろう。そこを狙うしか、ないな」
「はい」
23 1時間後 ブロンズパレット立川日野橋店
野球場のほど近くにあるブロンズパレット立川日野橋店に渡と亜希がいた。不二家系列の
ファミリーレストランである。控えめな照明の中に極彩色のオウムの置物や籐椅子があり、
熱帯性植物の鉢と相まって南国リゾートの雰囲気を醸しだしている。数多い店内の段差と
5〜6席ごとにブースを仕切ったレイアウトが、プライベートな空間を思わせるようにしている。
カジノのディーラー風制服の女子社員や、アイドル歌手のステージ衣装のような制服のアル
バイトが店内を行き来している。アルバイトの制服は胸元にフリルがふんだんについた白い
スタンドカラーのブラウスで、袖口のフリルも大きい。襟に臙脂(えんじ)のリボンをして、細めの
カマーバンドをしている。同色の短めのフレアースカートの裾にも白いフリルがついている。
渡は、ステーキバイキングのコーナーにいた。
「とにかく、無事終了」
仕事の緊張から解放され、タップリと取り皿にステーキを盛りつける。席に戻ると亜希が
ホットケーキの皿をつついている。
「昼ご飯、そんな、おやつみたいなものでいいの?」
「はい。なんだか、あまりお腹が空いてなくて」
「ふうん。アンナミラーズ立川店の梯子は中止かな。新しくできた店だけど」
ホットケーキを半分も食べずにフォークを置き、ジンジャーエールを飲む。
「渡さんの方のが、おいしいです」
苦笑する渡。
「それは、ありがとう。それじゃ、またそのうち、焼くよ」
「お願いしますね」
にこっと笑う亜希。
「だけど、もう1件の依頼が問題だな」
ステーキに取りかかりながら、渡がいう。
「接近するのは、なんとかなるけど、いただく手段がね」
「あの、そっちの方は、私がお手伝いできそうなんですけど」
遠慮がちに亜希がいった。
24 数日後 池袋
正午間際のサンシャインシティ。それぞれが小学生の子どもを連れた母親が数人、
プラネタリウムから出てきた。昼食をとる店を探す前に、その中の一人が子どもを
友人に託し、化粧を直しに洗面所にいった。鏡にむかって口紅を塗り終えたところで、
後から入ってきた紫色のワンピースの娘が声をかけた。
「わあ 、そのネックレスとブレスレット、素敵ですね」
いわれた女性は機嫌よく応えた。
「ありがとう。お気に入りなのよ」
「紫水晶、アメジストですよね。アンティークですか」
「ええ」
にこにこと話し続けるアメジストの女性。
「フランスの、ナポレオン3世時代のものなの。腕時計のない時代だったから、
両手首に対のブレスレットをしていたわけ」
うんうんとうなづく亜希。
「おしゃれですよね。そういうの、私も欲しいなぁ」
亜希を見ていた女性は、ついとハンドバッグを開け、揃いのイアリングを取り出した。
「イアリングだけで申し訳ないけど、これ、さしあげるわ」
「ええっ、いいんですか」
「同じシリーズなの。でも、これだけ、違うところから手に入れて・・・。つけたいけど、
もうひとつ気分がすっきりしなくて、持ち歩くだけなのよ。誰かが気に入って、身につけて
くれるなら嬉しいわ。この宝石も喜ぶでしょう」
「あ、ありがとうございます」
亜希が自分で右の耳にイアリングをする。アメジストの女性が続けて、亜希の左耳に
つけてやる。
「服とも合うわね」
「ほんと、きれい」
鏡の中と外で、二組の顔が笑っていた。
25 因縁の石
洗面所から少し離れたところに立っていた渡のところに、亜希がにこにこと戻って
きた。
「お待たせしました」
「ご苦労さま」
亜希の耳に目当てのイアリングがあるのを確認して、渡がいう。亜希は向こうを
歩いていくアメジストの女性と手を振り合っている。
「平和的な仕事の幕切れで、いいなぁ」
「本当にネックレスとブレスレットが素敵だったから、本心から欲しいっていえたんです。
あとは、ターゲットさんの意識がイアリングに向くのを待つだけ」
うなづく渡。かすかに表情が固い。
「真子さんのブースター能力か」
「はい。姉と兄には遺伝しませんでしたけど、私は受け継ぎましたので」
「コントロールは、できるの」
「概ね大丈夫です」
「よかったね」
ほっとした表情になる渡。
耳に手をあてる亜希。
「こっちの国では、女性はおしゃれでイアリングをするんですよね。でも、こうしてつけると、
ドキドキしちゃう」
渡は黙ってジャケットを脱ぐ。リバーシブルの水色を外側にしていたのを、裏返して
茶色の側で着る。
「帰ろうか」
「まだ早いですよ。プラネタリウムか、水族館か、ナンジャタウンにでも行きませんか」
「ごめんね。フレッドの調子が少しおかしいんだ。早く戻りたいんだよ」
「じゃあ、一緒に帰ります」
「ひとりで遊んでて、いいよ」
26 同日 夜 赤井家の居間
渡がフレッドで遊んでいるところに、住居用のベルが鳴った。玄関に出て行くと、
瑠璃色のブレザーにロイヤルレジメンタルのネクタイをした青年が立っていた。
20代中頃に見え、品のいい笑みを浮かべている。
「こんばんは」
「ああ・・・いらっしゃい、啓二さん」
啓二を店内に招き入れる。紅茶を入れながら、
「先に電話してくれればよかったのに。亜希さんは、イリュージョンですよ」
「君は行かなかったの」
「フレッドの調子がおかしいものですから」
「ふうん。義兄(あに)と違って、僕じゃ直せないな」
「ですね。ご好意だけ、いただいておきます」
「それで、妹は足手まといになってない?」
「よくやってくれてますよ」
「それは、よかった」
渡は啓二のブレザーの胸ポケットを見る。エンブレムのかわりに、誇らしげに
リガードが輝いている。それから目をそらしながらいう。
「言っておきますが、俺は据え膳食う気はありませんよ」
「亜希には、下心はないよ」
「それでも、お断りです。どういう気で送り込んできたか、知りませんけどね」
「あの子は「結婚しないかも」って、いってなかった? こっちに来る種族の者と
しては、異例の発言だと思うけど」
「聞きましたけど、裏で糸をひいている人たちは、どうでしょうね」
「そこまで疑わなくていいよ。亜希を信頼して預けられるところがここだったから
だよ」
「一応、言葉通り受け取っておきます」
27 イリュージョン
弦楽カルテットが奏でるセレナーデに乗って、虹野がカクテルを運ぶ。窓際の
席に座っていた亜希のところにフラミンゴ・レディーを持っていった。
「ありがとう」
にこやかに礼をして、虹野は去っていった。
ほうと感嘆のため息をついて、亜希がワイングラスを見つめる。ウォッカ、ピーチ・
リキュール、パイナップル・ジュースを20ミリリットルずつ、レモン・ジュースを10ミリ
リットル、グレナデン・シロップ ティースプーン1杯をシェイクする。グラスの縁を
グレナデン・シロップで濡らして砂糖のスノースタイルにし、レモンを飾る。羽を
休めて立つフラミンゴを表現している。
「名古屋の動物園に、フラミンゴっているのかしら。東京のでもいいから、見たいな」
カルテットの演奏が休憩に入る。周囲のざわめきを楽しそうに体で感じている亜希。
「渡さんのパソコン、もう治ってるといいけど」
第1話(後半)終わり
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