1 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「舞子ちゃーん、コーヒーもう一杯ちょーだい」
「はい」
舞子が3杯目のコーヒーを運ぶ。キスチョコと小さく切ったチョコレートケーキ、
チーズケーキ、普通の大きさのコーヒー生地のロールケーキも出す。
「どわっ。何、これ?」
「バレンタインデーサービスのキスチョコと、常連のお客さまサービスの一口
ケーキです」
「でも、ロールケーキは一口に見えないよん。メニューにもないし」
「黒沢のおじさま用特別サービスです。このごろ、アップルパイを召し上がら
ないから」
「ごめんっ。悪気はないんだよ、舞子ちゃん」
「それは、わかってますから」
ごくわずかに苦笑を混ぜて舞子がいう。「本当はいけないことですが、今日は
黙認です」とカウンターで赤井がいう。
「まいったにゃ。あんがとねっ。でもさぁ、チョコレートケーキはわかるけど、どー
してチーズケーキなのよ」
「GREY EYEが好きだから、焼きました」
「うひゃっ、ごちそーさま。でも、このパターン、どっかで見たよーな・・・」
「父さんが好きでしたもん。母さん、よく焼いてましたよ。それで、私も覚えちゃ
って」
しんみりいう黒沢。
「そっか。ごめんね」
「いいえ。お気遣いなく」
軽やかに黒沢の背中合わせの席に移動する。
「金城のおじさまも、どうぞ」
「ありがとう、舞子さん」
そつなく、キスチョコと一口サイズのケーキを受け取る金城。
「若いお嬢さんからいただくチョコレートというのは、心浮き立つものがあり
ますね」
「新婚の舞子ちゃんにコナかけるのはやめなさいよねっ」
「では一年後に」
「やめーいっ」
飄々と経済誌を読んでいる金城。
コーヒーを飲み干した黒沢がいう。
「ところで、要くんはぁ?」
自分用のチョコレートドリンクを入れながら赤井が答える。
「今日は一日、休みです」
2 同時刻 アンミラ吉祥寺店
JR吉祥寺、あるいは井の頭線吉祥寺駅から徒歩数分。東急百貨店のすぐ先
にあるアンミラ吉祥寺店に要がいた。禁煙席でシガレットチョコをもてあそんで
いる。ピンク制服のウエイトレスがきて、二人分のコーヒー、チキンポットパイ、
WW(ダブルダブル)チョコレートパイが盛られていた皿をさげる。
シガレットチョコをくわえ、バイシクル柄のトランプをシャッフルする要。アンミラ
オリジナルの赤いトランプには関心がない。
「吉祥寺の井の頭公園、ここって、カップルがボートに乗ったら別れるっていう
ジンクスがなかったか? 縁起でもねえや。井の頭線のもう一方の始発、というか
終点、渋谷にでも移動するかぁ?」
3 同日午後 201号室
舞子が、4点の絵を繰り返し見ている。アフリカホウセンカの描かれた小さな絵は
手に持っている。ひとしきり壁にかかった絵を見たころ、赤井がやってきた。
「舞子ちゃん、ここにいたの」
「司おじさん」
舞子が振り返る。いつものウエイトレスの恰好、典型的メイドスタイルである。
「ごめんなさい、混み始めた?」
「いいや。まだ準備中の時間ですよ」
「そう。よかった」
ほっとした表情を見せる舞子。しげしげと「カレイドスコープ」を見る赤井。
「特に問題もなく、4つ、集めたね」
「そうね、司おじさん」
「おじさん、ね」
苦笑する赤井。
「私、何かおかしいこと、いった?」
「いや」
頭を振る赤井。
「翔さんが名前におじさま、黒沢さんと金城さんが名字におじさま、わたしが名前に
おじさんか、と思ってね。微妙に違うね」
「えへへ、微妙に気分が違うんですよ」
「わたしとしては、親しみがこもってるのかなと、嬉しいけどね」
「ある意味で、親戚のおじたちより、近いですもんね。昼と夜の営業のこともあるし、
要くんのこともあるから」
「兄妹みたいに育ったからね」
「2か月違いでお兄さん顔されちゃ、嫌ですよお」
くったくなく笑う舞子。
「でも、要くん、それの件で威張ったこと、ないですよ。物心ついてから、一度も」
「そうなの? 感心かもね」
「普通、いいそうなのに」
「そうだね」
目を細めている赤井。
4 同時刻 アンミラ渋谷店
渋谷スペイン通り、千歳会館1階のアンミラ渋谷店に要がいた。チョコレートの
パイのあとなので、さっぱりしたキーライムパイを頼んでいる。
「本当に移動しちまったぜいっ。このノリのよさ、いいよなぁ」
いまさらながらに「ぴあ」をめくっている。
「日が落ちる前に代々木公園を歩いて、あとは五島プラネタリウムにでも行くか。
それから、映画か? 電力館は、また今度ってことにして」
5 翌日 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「要くーん、コーヒーもう一杯ちょーだい」
「へーい」
要が3杯目のコーヒーを運ぶ。
「あんがと。今日は、舞子ちゃんは?」
「一日、休みっすよ」
「バレンタインデーのデート休日、一日遅らせたのね。当日は要くんに譲ったわけ」
「さあ、どうでしょうね」
「昨日はどうだったの? 要くん」
「パイ食ってましたよ。で、黒沢さんはエンジェル・ティップでも飲んでたんすか」
「あはは、どーだろーね」
「そういうわけで、俺も詳細は省かせていただきます」
「あ、ちょっと待ってよ。真面目な話しもあるんだから」
要を引き止める黒沢。
「なんっすか」
「SILVER EYEさんの絵、さっ」
要をまっすぐに見る黒沢。
「1月にも1点盗まれて、これで4つだよ」
「そうらしいっすね」
平然と見返す要。
「同一犯、ないし同一グループだと思う? 要くん」
「その可能性は高いんじゃないっすか」
「盗んだあと、どーする気なんだろーね」
「一般に考えられる行き先は、ブラック・マーケットじゃないっすか。盗品と知ってて
買いとる人間は、いくらでもいますよ。熱狂的ファンってのは、あの世界、珍しくない
ですし」
「そーいう目的で盗んでるよーには見えないにゃ」
「じゃあ、超個人的な私設美術館にでも飾ってるんじゃないですかね」
「表に出せなくて、誰にも見てもらえないんじゃ、SILVER EYEさん、悲しんでるかもね」
「本人に聞かないと、わからないことですよ」
「そりゃ、そうだけど、さっ」
コーヒーをがぶりと飲んだ黒沢はクッキーをオーダーした。
6 同時刻 有栖川公園
東京都港区。日比谷線広尾駅から徒歩数分の有栖川公園に舞子とGREY EYEが
いた。地中海通りのアンミラ広尾店でチョコレートパイとバナナチョコレートパイを
テイクアウトし、途中の自動販売機で飲み物を買ってきた。花屋の前の入口から
入り、親子連れが遊んでいる遊具コーナーを通りすぎ、靴越しに土を感じる階段を
昇降する。池のスケッチをしている人の脇をそっと抜け、噴水の前も過ぎ、ベンチに
腰かける。おてふき、紙皿とフォークは持参している。
「あったかいから、今日はテイクアウト日和ね、GREY EYE」
「そうだね。おあつらえ向きに公園もあったし」
「GREY EYE、公園って好き?」
「緑があって、水があって、それなりに静かな場所が好きだよ」
「噴水のある公園が、一番いいわけね」
「そうかもしれない。街中だったらね」
灰色がかった瞳が舞子をのぞき込む。
「ひざ枕お願いしていい? 舞子ちゃん」
「いいけど、このベンチだと背中痛くならない?」
「それでもいいから」
端に寄った舞子のひざに頭を乗せるGREY EYE。背中はベンチに、はみ出した足は
適当に折り曲げてベンチにひっかける。
「やっぱり、痛そう」
「大丈夫。もう、このところ、くたびれたよ」
「SEって、根(こん)が詰まりそうね」
「うん」
うたたねを始めるGREY EYE。舞子はのんびりと座って周囲の景色を見ている。
「ブロードウェイの子守歌でも歌ってあげたいけど、歌いようがないなぁ」
7 同夜 とある個人の家
家人が旅行で留守なのは事前調査済み。無人の屋敷に要と舞子が忍び込んでいた。
応接間に飾られている絵が一枚。素足になった女性が、波うち際で遊んでいる。波の
白さとワンピースの白が呼応し、背景の海の青さと女性がしているペンダント・・・アクア
マリンらしい・・・の透明な水色がほどよく調和している。海と彼女を照らす日ざしには、
暖かみがある。タイトルは「渚にて」。
「母さん、海にはほとんど行かなかったと思ったけど」
「背景はSILVER EYEさんがスケッチにでも行って済ませて、あとで真子おばさんをアン
グルに組み込んだとか」
「そうは見えないなぁ。これ、母さんが現場にいないと描けそうもない臨場感、ない?」
「確かにな。SILVER EYEさんのアトリエから海にでも跳んでたとか」
「あるかもしれない」
「とにかく、いただこうぜ」
「同感」
壁から絵をはずす要。舞子の方を見ずにいう。
「なあ、舞子。お互いが別の人間と結婚しちまっても、俺たちゃ変わらず、昼と夜間
営業のいい相棒か? GREY EYEが人間じゃないっていうまぜっ返しは却下だがよ」
「要くんがそのつもりでいてくれる限り、私はそう思ってるけど」
要が振り返る。にっこり笑いかける舞子。
「そうか」
ほっとした表情の要。
「要くんは? 降りたい?」
「いや、まだしばらくは、やっていたい」
「そうお?」
要も自然に笑う。
「色恋には無縁だったがよ、舞子とコンビ解消はつらいからな。当分はやるぜいっ」
8 数日後 アレキサンドライト店内
黒沢が新聞を読みながら、ガーリックトーストを食べている。
「舞子ちゃーん、コーヒーもう一杯ちょーだい」
「はい」
舞子が2杯目のコーヒーを運ぶ。
「どうぞ」
「あんがと。舞子ちゃん、また、SILVER EYEさんの絵が盗まれたってさ。これで5枚、
ぜーんぶ真子ちゃんがモデルだよっ」
「そうですね」
「モデルの娘としての感想は、どう?」
「持っていった動機によりますよ。お金目当ては怒りますけどね、好きで持っていって、
大切にしてくれるなら、そっとしておきます」
「やっぱし、動機はそのへんかぁ」
コーヒーをがぶりと飲む黒沢。
「自己満足でなきゃいいんだけどね、舞子ちゃん。SILVER EYEさんと、真子ちゃん・・・
おかーさんの気持ちは?」
「さあ。わかりません」
「舞子ちゃん、これで、寂しいのが少しは紛れてる?」
保護者的な視線で舞子を見る黒沢。ふいを突かれた風な舞子。
「GREY EYEがいても、違う意味で寂しいかにゃ? 」
「おじさま」
「弱そうに見えて、結構強くて、そのくせ、やっぱり弱いとこもあってさ。ね、舞子ちゃん」
「・・・・・・」
通路で立ちつくしている舞子。
「おいらが毎日アップルパイ食べたら、このどろぼーさん、活動停止するかなぁ。どー
思う?」
必死に笑顔を作っていう舞子。
「その前に、目的のものが全部揃うかもしれませんよ。あと、一枚か2枚程度かも」
「それはそれで、いいけどねっ」
コーヒーを飲み干す黒沢。
「てなわけで、コーヒーもう一杯、ちょーだい。それと、アップルパイね」
「おじさま、無理にアップルパイを召し上がらなくてもいいですよ」
「ほんとに食べたいのっ」
「はい」
赤井は黙って3杯目のコーヒーを入れていた。要は幼稚園への配達で席をはずして
いた。
9 数時間後 「11」店内
配達帰りの要と息抜き時間のGREY EYEが落ち合っている。ケニアAAの要とカウアイ
ファンシーのGREY EYE。
「GREY EYE、お前、注文するたび、煎り方が浅くなっていくな」
「そうだね」
一貫して最も深煎りのイタリアンローストの要に対して、ヨーロピアン、ジャーマンロー
ストと頼み、今日は日本で最もポピュラーのハイローストにしている。
「一応紅茶もあるから、それでも飲めばいいのに」
「せっかくのコーヒー専門店だと思うとね」
微苦笑のGREY EYE。
「この店、アメリカンとライトローストはないからな。ま、指図はしないが」
しばしのコーヒータイム。
「あと一枚、もしくは2枚か。よく来たな」
そういいながらジッポーでキャメルに火をつける要。
「でも、要、機嫌の悪そうな顔をしてるよ」
「怒ってるわけじゃないぜ。考え事をしているだけだ。もしかしてSILVER EYEさんの
お膳立てに乗せられてるかもしれねえって思ってよ」
「え?」
「俺アまだともかく、親父と舞子はこの絵画集めの件で、相当気が紛れてると思うぜ。
なんだか、この作品のラインナップは、SILVER EYEさんに誘導されているんじゃない
かって気がして来るんだよな」
「どっちにしても、みんな放っておけない心境だから、気にすることはないんじゃない
かな」
「そうだな」
泥棒たちの会話にふさわしいのか、ふさわしくないのか、ハワイアンが陽気に流れていた。
第5話終わり
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