1 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「舞子ちゃーん、コーヒーもう一杯ちょーだい。それと・・・そうだな、クッキー」
「はい」
舞子が3杯目のコーヒーとクッキーを運ぶ。
「あんがと。GREY EYEは、もう完全に舞子ちゃん宅(ち)の方に引っ越したの?」
「はい」
にこにこと答える、舞子。
「引っ越し、大変だった?」
「そうですね、パソコンを移動させるのに神経使って・・・あと、ISDN回線にしたり。
でも、それ以外は、そんなに荷物がなかったんですよ」
「ふーん。・・・それでさ、年が明けちゃったけど、連絡、あった?」
「いいえ」
舞子の表情が少し曇る。
「そっか。ごめん。悪いこと聞いて」
「いえ・・・」
舞子は静かにカウンターに戻った。


2 数日後 アンミラ自由が丘店
1月にしては、日中暖かい日。東横線・大井町線の自由が丘駅北口から歩いて
7、8分。奥様たちに混じって、舞子とGREY EYEがテラス席でお茶をしていた。
二人とも、紅茶とフルーツクリームパイ。
「オープンエアの席があるっていいね」
にこやかに舞子に話しかけるGREY EYE。
「ん? 舞子ちゃん?」
舞子はぼうっと道路の人通りを見ていた。
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「いや、いいけどね。疲れてるの?」
「ううん」
「じゃあ、どうしたの?」
「捜し物のこと、考えてた」
「ああ。あれだね」
うなづくGREY EYE。


3 同時刻 アンミラ目黒店
JR目黒駅から徒歩5分ほど。改札口を出て右へ。目黒通りを越えて東急ストアを左
に見て進んだ先のアンミラ目黒店に要がいた。禁煙席でやや落ち着かない様子。
「この付近の見どころは・・・目黒美術館に目黒寄生虫館か。世界唯一の寄生虫の
博物館。百倍に拡大した寄生虫の卵とか、全長八・八メートルのサナダムシとか、
まあ、いろいろあるぜ。で、もって銀製のフタゴムシのブレスレットを買っちまった
ぜいっ」
オレンジ制服のウエイトレスが近づいてくる。赤いハート型の名ふだに白いローマ字
で名前が書いてある。
「おさげしてよろしいですか」
「いいですよ」
テーブルの上いっぱいに拡がった食器類を手際よくさげる。コーヒー2つ、キューブ
ステーキ2皿、ココナッツカスタードパイにブルーベリーシルクパイ。
きれいになったテーブルの上を見て、要がつぶやく。
「アンミラオリジナルみやげ、6分の1に切ったパイのサンプルのキーホルダーも買う
かぁ?」
要は化粧室の方を見て、席を立った。


4 同夜 アレキサンドライト店内
片付けと明日の下ごしらえも済み、舞子が帰ったあと。赤井と要が店内にいた。
「親父、一杯やらないか」
「これは要、どういう風の吹き回しかな」
「飲むのにいちいち理由なんていらないだろ? まあ、口実をつけるなら、絵を集めるのに
折り返し地点に来たから、お祝いってところかな」
「じゃあ、明日に支障のない程度にね。何にする?」
ウイスキーの瓶を掲げ、要は、
「昼と違って今夜は冷えそうだから、アイリッシュ・コーヒーは?」
と、いった。
暖めたワイングラスにウイスキー30〜45ミリリットルを注ぐ。濃いめのコーヒー適量で
グラスを満たす。そこに砂糖ティースプーン1杯を加えて、軽くホイップした生クリームを
浮かせる。寒さの厳しいアイルランド・シャノン空港のカクテル・ラウンジで、体が暖まる
飲み物として考案された。
要はワイングラス、赤井はコーヒーカップで飲んでいる。
「要、どうしてアイリッシュ・ウイスキーがあったの。アイルランド生まれのカクテルだか
ら、なるべくアイリッシュ・ウイスキーを使いたいのはわかるけど」
「年開けに、舞子と一緒に姫香の家に行ったら、もらったのさ。親父にいってなかった
か?」
「聞いた覚えがないな」
「じゃあ、いうの、忘れたかな。親父はゴルフに行ってたけど」
「その時か。わたしは、要にもらったベストのお陰か、バーディーの連続でうきうき帰っ
てきて」
「ウイスキーの件を聞いても耳に入ってなかったとか」
「かもしれない」
2杯目のアイリッシュ・コーヒーをつくる要。
「なあ、親父」
「何だね」
「結局、舞子には真子おばさんの力は遺伝しなかったな」
「そうだね。舞子ちゃんのためには、よかったよ」
「そして、GREY EYEと結婚しちまった」
「さほど、こじれもしないでね」
「そして俺はといえば、昼間の仕事と夜間営業はやってるけど、本当にやりたいことは
別にある、ってわけだ」
「そうだったね。わたしの希望に合わせてくれて。それで?」
赤井の顔をうかがいながらいう要。
「いつか、仕事を放り出すかもしれねえぜ」
「そういう日は来るかもしれないと思っているけどね。それで、まだほかに何かいいたそう
だけど? 要」
ごく自然に尋ねる赤井。遠慮がちにいう要。
「親父、計算違いの連続だったかなって」
ふっと微笑む赤井。
「何をいってるんだか」
「そうかぁ」
苦笑する要。
「もう一杯、作ってくれ、要」
「へーい」
笑って応える要。


5 翌日 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「舞子ちゃーん、コーヒーもう一杯ちょーだい。それと、アップルパイ」
「はい」
舞子が3杯目のコーヒーとアップルパイを運ぶ。
「あんがと。ところでさ、舞子ちゃん」
「はい?」
にこにこと通路に立っている舞子。
「ちょーっと画壇の噂を聞き込んだんだけどさぁ、このところ、SILVER EYEさんの
絵が盗まれてるってね。画廊とか美術館からね」
「・・・・・・」
舞子の表情が少しきつくなる。
「10月から、1か月に1枚の割で、しかも全部真子ちゃんがモデルの絵なんだ。そ
れともう1つ、なんつーか、どこの被害者も、あんまり品のいい仕事振りじゃなかっ
たらしいね」
「・・・・・・」
「知ってた? 舞子ちゃん」
「知ってました」
「そお。感想は?」
「どういえばいいのか、わかりません」
「思ったとーり、いえばいいじゃない」
「・・・・・・」
「「業務用、必殺にっこり笑顔で沈黙」、は不発だね、舞子ちゃん。真子ちゃんの
方が数段上だにゃ」
コーヒーを飲み干す黒沢。座ったまま、カウンターの赤井と要に声をかける。
「ねーっ、マスター、ここの2階の1号室、201号だっけ。空いてたよね。おいらの
セカンドお仕事部屋に借りていい?」
「物置部屋になってますよ、黒沢さん。申し訳ありませんが、お貸しできません」
いつもと同じ調子で答える赤井。
「あっそ、残念。でも、あの部屋なんてさー、絵を飾るのによさそーだね。おいら、
空き巣狙いの才能はないから入れないけど、さっ」
「黒沢さんの得意技は、下手な尾行っすよね」
まぜっ返す要。
「たしかにねー。ま、今からどろぼーさん修行をする気はないけどねっ」
舞子に視線を戻す黒沢。
「おいらは推奨はしないけど、気をつけてね」
「おじさま、何のことですか」
「なんだろうね、考えてみてよ、舞子ちゃん」
「さーて、仕事仕事ーっ」といいながら黒沢は出ていった。
残される赤井、要、舞子。
「黒沢さんは、さすがに情報収集力がありますね。そして、勘」
「毎朝ここで朝めし食ってりゃ、俺たちの動向にも詳しくなるよなぁ。見当もつく
だろうよ」
「さくさくと折り返し地点まで来ましたけどね、残り半分、焦らずに、でも、急いで
仕事をしましょうね。幸い、このごろ夜間営業の依頼もないし」
「司おじさん、7枚目は?」
心配げな声でいう舞子。目を細くする赤井。
「鋭意調査中です・・・といいたいけれどね。私が探してもない、翔さんが調査部を
個人的に動かしても見つからない、っていうのは、きついですね。でも、あきらめ
ないで探しましょうね」
「死角があるのかな、司おじさん」
「かもしれませんね。一体、どこのどなたが持っているのやら」


6 数日後 日中 世田谷区深沢
新玉川線駒沢大学駅で降り、自由通りを国立第2病院目指して直進する。舞子と
GREY EYEは、もう15分以上歩き続けていた。
「左手前方に国立第2病院、発見。やれやれだわぁ」
「舞子ちゃん、オリエンテーリングごっこ、やってない?」
「だって、本当にこっちでいいのか、不安だったんだもん」
「駅を出てすぐ、通りすがりのおばさんに聞いたじゃない」
「それでも15分歩くと、心配になるってば」
駒沢通りと交差したところで右折する。進行方向の右に駒沢公園が拡がり、左手
に駐車場がある。
「左側にあるはずなんだけど、ないのね。どう思う、GREY EYE」
「まだ、先かな」
「私たち、迷子になってないよね」
「インターネットで見た、井村屋ホームページの地図に従って歩いてるけどね」
駐車場の係員に尋ねてみる。必死に考える初老の係員。
「もう少し先にレストランはあったけど、なんていったかなぁ。アンナ・・・? そういう
名前じゃなくて、神戸屋だったと思ったけど。電話番号がわかってるなら、かけて
みたら? その方がわかるよ」
「そうします」
苦笑する舞子。駐車場入口脇のボックスからかける。はきはしたウエイトレスの
声が聞こえてきた。舞子が現在位置を説明すると、
「そのまま、まっすぐ進んで下さい。進行方向の左側にありますから。お待ちして
います」
と言葉が返ってきた。
「この道で、いいんだ。GREY EYE、ごめんね。疑って」
「いや、いいよ」
「初対面の印象があるから、GREY EYEって方向音痴じゃないかって、つい思っち
ゃう」
「あれは、僕は無実だよ」
クスリと笑うGREY EYE。
ほどなくアンミラ駒沢店を見つけて入る二人。茶髪にポニーテールのウエイトレスが
元気に仕事をしている。店内のウエイトレスは今のところ彼女一人。紅茶とダッチ
アップルパイ、ブルーベリーチーズパイのオーダーの際、舞子がいいだした。
「さっきの道に迷った電話、私たちだったんです。無事にたどりつきました」
聞いてにっこり笑うウエイトレス。
「そうですか、ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりお過ごしください」
足取り軽く去っていくウエイトレス。
「テイクアウトして駒沢公園で食べてもよかったのにね、舞子ちゃん」
「歩いたから、中でのんびりしたいって気があるわ。それに、今日は寒いもん」
「それもそうだね。テイクアウトは、またそのうちに」
舞子が笑っていう。
「ところでね、GREY EYE、知ってた? さっき駐車場のおじさんがいってた神戸屋レスト
ランね・・・神戸屋キッチンでもいいのかな・・・あそこもウエイトレスの制服がかわいい
っていう噂なの。別名「青のアンミラ」っていうくらい。あっちは、ミニスカートじゃないそ
うだけど。でも、アンミラとそっくりなんだって」
「ふうん」
「アンミラの全店制覇が済んだら、要くん、今度はそっちに行こうっていいだすか
もね」
「また、パイの食べ歩き?」
ふき出すGREY EYE。
「さあ、メニューはよく知らないけど」
笑っている二人のところへウエイトレスが紅茶とパイを持ってやってきた。


7 同夜 とある画廊
閉店後の画廊。一枚の絵の前に赤井と要がいた。紫色のトルコキキョウの花束を
抱え、白いワンピースの女性が微笑んで立っている。タイトルは「CUSTOM(カスタ
ム)」。
「真子おばさん、たしかに花は好きだったよな。SILVER EYEさんは習慣っていうほど
頻繁(ひんぱん)に贈ってたのかぁ?」
「誕生日に贈っていたのは知ってるけどね。あとは、わたしにはわからないね」
「ともかく、いただこうか、親父」
「そうだな、息子」
要の頭を軽くこづく赤井。
「なんだよお、親父」
「この間、馬鹿なことを口走ったからだ」
「へーい」
要は笑って応えた。


第4話終わり


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