1 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「要くーん、コーヒーもう一杯、ちょーだい」
「へーい」
要が2杯目のコーヒーを運ぶ。
「あんがと。舞子ちゃんは、今日、どーしたの?」
「休みでデートっすよ」
「そっか。GREY EYEと?」
「そうです」
「ふうん。お天気、いいものね」
ぼんやりとコーヒーを飲む黒沢。
「黒沢さん、オーダーの催促するわけじゃないんですけど、アップルパイ、
いいんすか」
「ごめん・・・今日はやめとく」
「了解」
要がカウンターに戻り、黒沢がひとりごちる。
「秘伝でもあるのか、舞子ちゃんのも味は同じだけどね。なんか、真子ちゃん
が焼いたのが恋しいや」
2 同時刻 向ケ丘遊園
向ケ丘遊園のメインゲートをくぐった先にある花の大階段を、舞子とGREY EYE
が登っていた。
「ウイークデーで空いてそうだね。どこ回りたい? 舞子ちゃん」
「乗り物よりもお散歩メインにしたいな」
「いいよ」
フラワーエスカーの脇の植え込みは、木がうさぎやペンギンの形に刈り込まれ
ている。登り切ったところがセンタープラザ。掲示板を見て右方向へ行く。鉄道
資料館を通りすぎ、「ばら苑」へ向かう。坂道を下りかかると、風が吹き上げて、
ばらの香りが二人を包んだ。
「うわあっ、甘い風」
「すごいね。咲き時に来たから」
自然に手をつないで坂を下りていく。色とりどりにばらが咲き誇る通路をゆっくり
歩き、ばら苑の端にある噴水脇のベンチに並んで腰かける。
「香水して来なかったの、正解だったわ」
「そうだね。ばらの香りが空中に満ち溢れてる、っていうところかな」
「うん。なんだか、ばらのお風呂に入ってるみたい」
「のぼせない?」
「それは大丈夫」
スピーカーから流れるピアノ曲に耳を傾けながら、のんびり日なたぼっこする
二人。
3 フラワーステージ
ばら苑からシェークスピア・ハーブガーデンに回り、センタープラザに戻ってく
る。フラワーステージは子供向け戦隊ヒーローショーのリハーサル中だった。
「ああっ、「まっど☆戦隊 カレンジャー」だあ。がんばれーっ、イエロー」
「舞子ちゃん、練習中だよ。本番じゃないって」
「いいじゃない。・・・巨大ロボットが出てきた。きゃあきゃあ」
「まったく、子供みたいに。・・・悪の組織の副総統はきれいだね」
「要くんがブラックと敵方のメカニックチーフ、好きなのよね。司おじさんは、
当然、軽食店のマスター」
「舞子ちゃんは?」
「やっぱり軽食店のウエイトレスかなぁ。それと、指令。GREY EYEは?」
「目立たないけど、ヘリパイ。それと、オペレーターが、けなげでかわいいな」
4 大観覧車
貸し切り状態で観覧車に乗る舞子とGREY EYE。
「一周、約12分だって、GREY EYE」
視界がゆっくりと拡がっていく。
「都庁も見えるね」
とGREY EYE。
「うん。見晴らしがいいって、楽しい」
「そうだね」
「空は飛べないけど、飛んでるつもりになって、景色を見ちゃうなぁ」
「そう?」
くすりと笑うGREY EYE。
5 数時間後 アンミラ 向ケ丘遊園店
小田急線向ケ丘遊園駅から区役所を目指して歩き、すぐ先の世田谷通り沿い。
アンミラ向ケ丘遊園店で舞子とGREY EYEがお茶をしている。二人揃って紅茶
とルバーブ。大黄の、食物繊維の多いパイ。ホットと常温のうち、ホットを頼ん
でいる。
「舞子ちゃん、パイのテイクアウトして帰ろうか。マスターたちにおみやげ」
「それがね、同じ小田急線の相模大野にもアンミラがあるのよね。そっちに回
って、そこで買っていかない? まだ時間があるし」
「そんなに急いで全店回らなくても、いいんじゃないの」
「えへへ、まあ、ゲームだと思って」
6 夕方 アレキサンドライト近くの路上
幼稚園へコーヒー豆を届けた帰りの要が歩いている。草色のジャケット姿。携帯
電話を使いながら歩く男を追い抜いた時、話していることが要の耳に入ってきた。
「そう・・・もう失踪から5か月でしょ」
要は思わず歩調を緩め、話の続きを聞く態勢に入った。
「残された娘は捜索願いを出していない・・・。最初からあきらめてるんですかね。
どうせ、20年以上関係があったはずだし・・・。まあ、何かひとことでもコメントを取
れれば、ぶわっと十倍にして書きましょう。会えなかった時は、まぁ何とかしますか
ら、はい・・・。主役たちの写真がないんですよね」
要の表情が固くなる。
「モデルはずっと軽食店でウエイトレスをしていたっていうし、そっちのマスターとも
何かあったら面白いんですが・・・なくても、いいですよ、作ってみますか。近所の
者に話を聞いた、とかいう風に・・・。ええ、ええ・・・その娘もウエイトレスだとか。こ
う・・・連鎖する歪んだ関係とかっていう風に、もっていきましょうか。面白いでしょ」
周囲の人通りを確かめる。要と電話の主のほかは、いない。
「「アレキサンドライト」ですね、「アレキサンドライト」。気取った名前だ。ええ、そっ
ちに先に回・・・げっ」
立ち止まった要が振り向きざま回し蹴りを放った。電話は持ち主の手を離れて
飛び、当人は地面に「落ちた」。何か雑音を発している電話を拾って切り、リダ
イヤルナンバーを暗記する。気絶している男のふところを探り、財布を取り出す。
同じ名前の名刺が10枚近くあるのを確かめてから一枚引き抜く。ハンカチで触
れたところを拭く。後ろも見ずに、要は素早くその場を後にした。
「これで今日は取材中止だ。明日は、「治安の悪化か、本紙契約記者、暴漢に
襲われる」でも書けってんだ」
歩きながらジャケットを裏返して着直す。リバーシブルの内側になっていた茶色を
外にする。
「決まったぜいっ。翔さん直伝の回し蹴り。「いざという時、惚れた女を素手で守れ
なくて、どうする !」・・・親父は拳が出るがよ。惚れちゃいねえが、舞子のためなら、
やってやるぜ」
7 30分後 アンミラ相模大野店
小田急線相模大野駅前のアンミラで、舞子とGREY EYEがパイのテイクアウトを
していた。改札口を出て右に曲がり、駅を出て、目の前のエスカレーターを下り
る。左に少し行ったファーストフードの店の2階。
「カードのスタンプ、ひとつ多く押しておきますね。またお越しください」
ウエイターが電話応対をしていたため、少し待たされた。その分がパイのオー
ダー、テイクアウト時に押されるスタンプに化けたのだった。
「サービスが、いいんだね。・・・ふうん、店舗によって、スタンプが少し違うのかな。
店番号の数字と、枠の有無と、朱肉の色」
「ウエイターさんのワイシャツ、白か薄いベージュかピンクみたいね。珠子おば
さまが喜びそう」
エスカレーターを上り、駅構内へ入ろうとした時、舞子の携帯電話が鳴った。
「マスターか、要から?」
「それしか、ないはず」
訝しげに出る舞子。
「はい。・・・司おじさん? ええ、今、相模大野。もう、帰るところ、おみやげ持って
・・・えっ、帰るなって。どうして・・・」
8 数時間後 アンミラ赤坂店
赤坂山王下。外堀通り沿いにある赤坂店に要がいた。場所柄、ビジネスマンの
客が多い。スパゲッティとコーヒーの夕食が済み、煙草をふかしている。
「こんな用事で翔さんに会ったってのは、悲しかったよなぁ。もっと、めでたいこと
で会いたいぜ・・・。蹴りの件で褒められたのは、嬉しかったがよ」
9 同時刻 GREY EYEのマンション
キッチンに舞子とGREY EYEの二人が座っている。テーブルの上にパイの入った
箱が乗っている。畳んだビニール袋は白地に赤いハートが行儀よく並んでいた。
「おみやげ、渡せなかった」
舞子がひっそりという。
「ごめんね、GREY EYEがお金出してくれたのに」
「いいよ、そんなことは」
「うん・・・」
「食べようか。 一日二個で、続くけど、種類は違うし」
「いらない」
「太るから嫌? 舞子ちゃん」
「そんなんじゃないの」
「・・・だろうね」
「姫香ちゃんのところに泊まってもよかったんだけど、つい、くっついて来ちゃって、
ごめんね」
「それは、いいよ」
「・・・・・・」
「頼りにしてもらえたって思って、いいのかな」
「・・・・・・うん、まぁね」
「嬉しいや」
席を立ってゆっくり舞子の脇に回る。手を引いて立たせる。灰色がかった瞳が、暖
かく舞子を見つめる。
「でも、だからって、時間を止めるって、まだ嫌だからね」
「それでも嬉しい」
舞子の頬にキスする。舞子がためらいがちにキスを返す。どちらからともなく、唇を
重ねる。
「こんな時になんて、絶対、嫌だからね」
「わかったから」
舞子の背中に腕を回す。
「大好きだよ」
「うん。・・・私も」
10 数日後 昼間の「11」
要がケニアAAを前に、うんざりという顔をしている。
「それで・・・例の編集部相手に翔さんが手を打ってる間、泊まり込みで避難して
たってのに、そこから先に進まなかったのかよ」
正面に座ったGREY EYEが微苦笑で答える。
「そうだよ」
「奥ゆかしいこって」
ジッポーでキャメルに火をつける。
「煙草の数が増えそうだぜえ」
「そこまで心配してくれなくても」
「俺ア当事者だっ」
テーブルを叩く要。
「いっそ、押し倒せ、GREY EYE」
「冗談じゃないっ」
11 同時刻 ミニミュージアム
個人が自宅で開設しているミュージアムに一人の客が入っていった。
オレンジに染めた髪、派手めのメイク、色の入った眼鏡に、体にぴったりした
豹柄のミニのワンピースを着た若い娘。すっと入り、一、ニ分後、絵を一枚抱え
て出てきた。玄関先でアイドリングして待っていた車に乗ると、すぐに発進した。
「ご苦労さま、舞子ちゃん」
ハンドルを握っていた赤井がいう。
「顔は見られなかったと思うから、司おじさん」
すぐに上着をはおり、かつらと眼鏡をとった舞子がいう。
「みんな、服しか見てませんよ」
額縁の中では、赤、白、ピンクなどの野ばらに囲まれて女性が微笑んでいる。
・・・・・・「エグランティーヌ」。
第2話終わり
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