足が動かない。
こういうのを、釘づけになるっていうの?
どうしたんだろう。
胸が痛い。泣きだしそうなくらいよ。
1 ツインタワービル・東館 ホテルフロアの一室
SILVER EYEが窓から夜景を眺めている。二十歳そこそこの外見に、年齢不詳の
雰囲気を漂わせている。テーブルの上に空になった二人分のティーカップが乗っ
ている。
「あまり感心しない方法ですね」
お茶を飲み干してから「国」に戻っていったお目付役の言葉を反芻(はんすう)して
いる。以前から繰り返していた会話ではあった。
「失礼ながら、まだるっこしいと申しましょうか、絵を呼びかけに使われるのでした
ら、そのまま反応があった者に対するマウストラップをしかければよろしいのに。
あなたにしかできない技なんですから、使える手段は使われては?」
「顔を合わせる前の伴侶に、いきなりマウストラップじゃあ、失礼だよ。乱暴すぎる」
「でも、その方が観に来られた時に、あなたが会場にいるとは限らない」
「モニタリングの力はつけたよ」
「報告を受けて、すぐに行けるとは限らないでしょう」
「反応があるくらいなら、繰り返し、足を運んでくれると思うよ。それぐらいでないと、
申し込めやしない。そのうち、つかまえさせてもらう。会期は普通の個展に比べて、
やや長めにしたし」
「その方からも働きかけがあるといいですね。繰り返し観に来られるだけでなく、
手紙でもなんでも」
「誰かからファンレターをもらったことはないね。ただ、今度は狙いが狙いだから、
そんなことが起こればいいとも思うけど。でも、なるべく会場で会いたいね」
「どうにも、不確定要素が多いですね」
ため息をつくお目付役。
「シア様、伴侶探しは遊びではありません。かくれんぼや鬼ごっこではないんです。
普通に、学生になるなり、社会人になるなりの方法もありましたのに」
「遊びの気分ではやっていないよ。本気だ。命懸けでやるなら、思いどおりの方法
をとらせてもらうよ。絵に反応してくれる人がいい。全身全霊、精一杯の思いを込
めたんだから。僕が国で絵を描いても、それこそ王子の道楽か、よくて趣味扱い
だ。こちらだったら、仕事としてできるだろう? それを介して出会いたい。波長の合
う人でないと、わからない信号だし」
「ロマンチックなのは結構ですけどね、でしたら、ついでのスナイパーは何なのです
か。絵を媒体のマウストラップ」
「ガス抜きと思ってもらおうかな」
「あまり羽目をはずさないでください。命をとっていないからいいものの、王子に荒っ
ぽいことをされると私の寿命が縮みます」
「50年くらい?」
くすりと笑うSILVER EYE。顔をしかめるお目付役。
「それに、日本で探すというのも、どうかと思います。イギリスでお膳立して画家に
なったのですから、あそこで探せばよろしいのに。わざわざ逆輸入画家の形をとる
なんて」
「普通に日本で画家として売り出すより、逆輸入の方が通りはいいよ。日本は、そん
な国だものね。僕らの外見はイギリス人というより日本人じゃないか。それに、大和
撫子って、憧れるし」
「そんな女性、きっと、もう、現代にはいません」
「現代的な面を併せ持った人はいるかもしれない。清らかさ、美しさだけでなくて、
強さも兼ねてね」
「いることを祈ります。そして、あなたと魅き合ってくれることも」
「いて欲しいね。探すよ。時間はかかるかもしれないけど。そのことも考えて、年は
若くいってるじゃないか」
「私たちから見て、人間は早く年をとりますからね。見つけたら出来る限り早く時間
を止めさせてもらわないと」
「そうだね」
飛行機の時間に合わせ、お目付役は部屋を出ていく。
「王子、これから先はあなた一人です。どうか、お気をつけて。こちらで命を落とさな
いでください。そして、早くお帰りになりますように」
「気をつけるよ。ありがとう。君も無事に帰れるように」
お目付役を送り出してから、SILVER EYEは部屋の窓越しに夜景を見ていた。
「きっと、どこかに反応してくれる人はいるよ。見つけるまで帰るつもりはないし」
個展はゴールデンウイークに。目玉は「オーロラたちの饗宴」。モノクロの油絵で知
られてきて、初の彩色作品ということで話題になっている。ただし、SILVER EYEには
別の狙いがある。
「元からのファンで、反応してくれる人なんて、いないかな。あとはもう、蓋を開けてみ
ないとわからないね。「オーロラたちの饗宴」で上手くいかなったら、時期を見てまた
描くけれど、できれば、彩色の最初の作品で決めたい」
2 数日後 アレキサンドライト店内
ゴールデンウイークの初めの方。
昼過ぎ、ウエイトレスの恰好から私服・・・白いワンピース・・・に着替えた真子が赤井に
いっている。
「それじゃ、いってきます。すみません、赤井さん」
「ああ、いってらっしゃい。それにしても、好きだねえ。結婚準備で忙しい時に、個展
を観にいくなんて。それも、わざわざ初日だって?」
「だって、前からファンですもの。それに、今度は彩色作品があるっていう話で、それ
がマスコミに絵が出てないんですよ。直接観るしかないんです。見逃したくなくって」
「はいはい。緑屋さんは一緒に行くの?」
「仕事です。それに、あまり絵に関心はない人ですから」
「写真が趣味なら、似た面もあるだろうにね」
「そう思うんですけどね」
「ま、残り少ない独身時代、一人でお出かけもいいんじゃない?」
「はい。それじゃ」
3 個展会場近くの公園
雑誌の取材を受けていたSILVER EYEが、ようやく解放される。記者、カメラマンが
去っていったあと、噴水脇で伸びをする。
「何回いわれても写真はお断り。何年か経ってから比較されても困るからね・・・え、
何?」
「オーロラたちの饗宴」からの報告が入ってきた。一瞬、目が銀色に光る。
「反応があったって? せつなそうにじっと観てる? それは、いいかもしれない。で、
どんな女性なの? ・・・白くて、うさぎみたい? ・・・うさぎなんて単語、教えてたっけ」
さらに詳しい特徴を聞きながら早足で会場へ戻る。
「写真のことで粘られてなかったら、会えていたかもしれないのに・・・しかたないか。
着くまで、まだいるだろうね? ほかの作品も見て回るだろうし」
4 個展会場内
売店で係員に何か尋ねている真子。肩を落とし、ほかの絵を顧みず会場を後に
する。数分後、SILVER EYEが戻って来る。白いワンピースの若い女性を探す。
見つからず、売店の係員に聞いてみる。
「そういえば、さっき、そんな方がいましたね。今度の目玉作品のコピーは販売し
ていないのか、お尋ねでした」
5 アレキサンドライト店内
客が誰もいない店内。赤井がぼんやりしている。
「真子ちゃんが結婚、か」
ため息をひとつ、ついたところでドアが開いた。
「いらっしゃいませ・・・あれ、真子ちゃん。そのまま帰るんじゃなかったの」
「赤井さん」
思い詰めた顔でカウンターに近づく真子。
「ど、どうしたの? そんな顔して」
「赤井さん、お願いがあるんです。お客なしの夜間営業一件、手伝ってください」
6 他流試合
臨時休業の札をかけ、赤井が真子の話を聞いている。
「「絵が欲しい」、ねえ。わたしたち、宝石・貴金属専門で、絵画は手がけたこと、
ないよね」
「ええ」
真子に紅茶をいれ、赤井はコーヒーを飲んでいる。
「あのね、真子ちゃん、気持ちを削ぐようで悪いけど、ポストカード販売とか、して
ないの。額に入ったコピーとか」
「売店で聞いても、なかったんです」
「カタログで我慢するとか」
「カタログがないんです」
「チケットの半券。ごめんね」
「それも違う作品です」
「その彩色画が今度の個展の目玉じゃなかったの?」
「そうなんです」
「妙なやり方だねえ。情報を少なくして、観たいって気にさせて、足を運ばせる気
かな。で、そこであれこれと関連商品を販売・・・じゃないのか。ポストカードすら
ないし。いっそのこと、正規に買ってしまうとか」
「非売品なんです」
「それはまた、困った」
真子のこわばっていた顔がふっと和(なご)む。
「困りますけど、ちょっと嬉しいです」
「何が?」
「非売品だっていうことが。あの絵に値段がついていたら、私、怒りますよ」
「どうして、また」
「さあ、なんとなく。誰かが、お金で手にいれるんだったら、許せません。それに、
お金で手放せる気持ちであれを描いたんだったら、がっかりだなって。ポストカ
ードの類が一切ないのも、実は、かえって嬉しいんです。おかしいですけどね。
「オーロラたちの饗宴」は、本当に、オリジナルのあれしかないんです。それが
嬉しいんです」
「真子ちゃんの心境はわからないけどね」
コーヒーを飲み干す赤井。
「今夜一晩、ゆっくり休みなさいよ。で、明日になっても、まだ欲しかったら改めて
考えてみることにしましょう。何しろ、絵でお仕事をしたことがないからね。わたしも
自信がありません。しないで済んだ方が、助かりますけど」
7 同夜 ホテルのSILVER EYEの部屋
椅子に腰かけているSILVER EYE。
「思ったより早く帰ったようだけど、明日は来るかな、白うさぎさん」
空間を越え、会場の「オーロラたちの饗宴」に言葉をかける。
「顔は覚えてるね。僕も、できるだけそばから離れないようにしているけど、来た
ら教えておくれ。頼んだよ」
8 同時刻 真子の寝室
布団の中で、何回も寝返りを打っている真子。
9 翌日 個展会場
SILVER EYEが「オーロラたちの饗宴」の近くにいる。ときおり、3部屋に分かれた
会場と売店の間をいったり来たりしている。
「今日は待ちぼうけかな。ある日せっせと野良稼ぎ? このままとは、思えないけど」
10 同夜 アレキサンドライト店内
閉店後、赤井と真子が話し合っている。
赤井が眉をひそめている。
「やっぱり、どうしても欲しいの? 真子ちゃん」
「はい」
静かに答える真子。静かではあるが、どうしても引っ込まないという意志が見てとれ
る。
「繰り返していうけど、わたしたち、絵画はやったことがありませんよ。いつもと勝手
が違うかもしれない。危なっかしい仕事になるかもしれません」
「それでも、欲しいです」
「そう?」
「赤井さんが乗ってくださらないのでしたら、私一人ででも、やります」
「失敗して、つかまっちゃうかもしれないよ、真子ちゃん。何しろ、絵画方面は門外漢
なんだから」
「つかまって、取り調べの関係で作者さんにお会いできたら、本望かもしれませんね」
「真子ちゃん、絵よりも作者さんに惚れてない?」
「元からファンですよ。でも、お顔も知りません」
「写真嫌いだって?」
「そう聞いてます」
「公式には二十歳そこそこだってね。わたしも、夕べのうちに少し調べさせてもらった
けど」
「ええ」
「うーん」
頭を抱える赤井。目を細くして真子を見据える。
「真子ちゃん、どうしても、欲しい?」
「はい」
「気にかかりすぎて、手に入れられなかったら、これからの人生の歩き方を間違えそ
うな程?」
「そうですね、確かに」
「自分で自分の仕事のお客になる、か。真子ちゃん、いまさらながら、違法なのはわ
かってますよね」
「ええ」
「それでも?」
「はい、それでも」
「では、真子ちゃん自身がお客になるのはこれっきりと覚悟して、臨みましょうか」
「よろしくお願いします」
真子の表情がほころぶ。
「明日、わたしが下見にいきます。真子ちゃんも、来たかったら来てもいいけど、別行動
しましょうね。それと、あんまり絵の前に立ってて、関係者の印象に残らないよう、気を
つけてね」
11 三日目の個展会場
開場と同時に入っていく真子。「オーロラたちの饗宴」だけを観て、すぐに出ていく。
「後ろ髪ひかれる。嫌だ。このまま帰るなんて。今すぐ持って走って逃げたいくらいな
のに」
戻りたい気持ちを抑えて、会場から遠ざかる真子。
12 同時刻 英国大使館
個展絡みの用事でSILVER EYEが顔を出している。用事が済んだところで「オーロラ
たちの饗宴」から報告が入る。
「来てる? また泣きそうな顔をしている? それで、すぐに移動した? ・・・すぐ行く。その
まま会場内にいてくれるといいけど・・・。お前が口をきけないのは、残念だね。伝言
して、待っててもらえないなんて。映像イメージもこっちに送れないし。どんな女性?
うさぎのようだといわれても・・・本人に会いたいね」
周囲に人目がないことを確かめて会場のスタッフルームに跳ぶSILVER EYE。
13 個展会場
普通の客の顔をして、赤井が「オーロラたちの饗宴」を観ている。15号のキャンバス。
モノクロをベースに夜の高層ビルが描かれ、その上を数本のオーロラが舞っている。
オーロラの部分が彩色になっている。
「わたしから見ると、極普通の油絵だけどね。どうして真子ちゃんがこだわるんだろう。
わからないねえ」
赤井の後ろを早足でSILVER EYEが通りすぎる。会場内を「うさぎ」を探して回る。
「また、逃した? どうにも、追いかけっこだ。思うようにいかない」
14 同夜のアレキサンドライト店内
赤井と真子が打ち合わせをしている。
「警報装置の位置、警備員の巡回時刻その他、調べはついたから。これなら、わたし
たちでもいけそうだね。今までの宝石関係の経験があるからだけど」
「よかった」
ほっとした顔の真子。
「それで、日程なんだけどね。真子ちゃん、どうする? 時間としては夜になるけど」
「私の都合でいうと、結婚式の前日か、もう一日前ですね」
「お式と新婚旅行が過ぎてからでもいいんじゃない? 会期が長めだよ」
「いえ。結婚する前がいいです」
「新婚早々、夜、家を空けるわけにもいかないものね。でも、前日、前々日も、まずく
ない? 緑屋さんが会いたがらない?」
苦笑する真子。
「出張の予定が入ってます。式の当日朝、ぎりぎりで戻ってきますから。お引っ越し
の手配一切も私がしてるんですよ」
「緑屋さんたら、最初から、いや、結婚前からそんな調子でどうする気なんでしょうね」
「そういう人ですから。大丈夫ですよ」
「真子ちゃんがよければ、わたしは文句のつけようがありません」
「それで、赤井さん、前日と前々日、どっちにします? 予備日もとることにして、前々日
のほうがいいと思いますけど」
「わたしの希望をいわせてもらうと、前日ですね」
「どうしてです? いつもの赤井さんなら、迷わず前々日でしょう」
首を傾げる真子。頭をかく赤井。
「その日にクラス会があるんです」
「あら」
「昔、憧れていた人も初めて来るって話なんで、どうしても行きたいんですよ」
「赤井さんにも、そういう面があるんですね」
くすくす笑う真子。
「わたしとしては、気持ちにちょっと景気をつけたいところなんですよ」
「なんだかわかりませんけど、譲りましょう」
「ごめんね、真子ちゃん。その代わり、必ず成功しましょうね」
第20話(前半) 終わり
[第20話(後半)へいく] [「アレキサンドライト」シリーズの目次へいく] [一番最初に戻る]