6 アスコット店内
私服に着替えた舞子が紅茶とミルフィーユの皿を前にぽうっとしている。気のない
動作で砂糖を入れ、かき混ぜる。井戸の底のようにカップを覗き込む。と、そこへ、
「占いでもしてんのか」と要が声をかけた。
「要くん」
「邪魔するぜ」
舞子の前に座り、コーヒーを注文する。キャメルにジッポーで火をつけ、普段と変わ
らない口調でいう。
「悲劇のヒロインごっこはよせよな」
視線を落とす舞子。
「一年前の啖呵はどうした」
「うん。忘れてない。けどね、事故っていわれると、ちょっとつらいな」
「あっちはあっち、こっちはこっちの立場ってもんがあるぜいっ。自信持てよっ」
こくりとうなづく舞子。少し表情がしっかりしてくる。
「これで付き合ってないんだから、変な関係」
「幼なじみで仕事の相棒でいいだろうが。いまさら、俺に惚れたかぁ、舞子」
「ないないっ」
ふき出す二人。コーヒーが届く。そのままキャメルを燻らす要。
「予想外のところから誕生日プレゼントが来たな。随分、謎が解けたぜ」
「うん。そうだね」
「SILVER EYEさんの予言が当たっちまった」
「それ、なあに」
「あいつが来る前にいいかけてたんだが、舞子の存在そのものが解決を呼ぶっ
ていわれた。合ってるよな。お前が頼まなきゃ、あいつ、そのまま出ていったん
じゃないか?」
「そうかもしれない」
「あいつ、舞子に一目惚れしてないか?」
「かも・・・しれない」
「親娘でどこかの種族に惚れられて。そういうフェロモンでも出してんのかよ」
「知らないってばぁ」
ほんのり顔が赤くなっている舞子。
「お前、あんまり恋愛に免疫なかったっけか」
「さあ」
「俺が脇にいたせいで、勘違いして諦めたやつって、何人かいたよなあ」
「みたいだね。気にしてなかったけど」
「俺ア体のいい虫よけかっ」
「そんなことないよ」
「親父の願いは虫よけでなく、そのものだったがな」
「こればっかりは、司おじさんの希望でも、駄目なんだけど」
「俺もだ。しかし、なんか、SILVER EYEさんと同族の奴も現れたことだし、親父も
安心するかもな」
「要くん、まだ、どうなるとも決まったわけじゃないんだけど」
「まあな。それはともかく、あいつの気質はしっかり見極めてやる。俺アどっち
かっていうと気に入ったぜ」
「先走らないでね」
ミルフィーユに取りかかる舞子。見ている要が、
「ミルフィーユ、「千の葉」の意味だろ。さっきの千年が頭にあったのか」
「ほんの、すこーしね」
コーヒーを飲みながら、
「それで、このあとはどうするんだ? 帰るなら、送るぞ。そういって出てきたし」
「翔おじさまのところに行く」
「なんでだ」
「母さんがいなくなった日、教えてもらえなかったことがあったんだけど、この際、
はっきりさせたくなったから」
「俺もつきあった方がいいか」
「ひとりで行きたい。アポはこれから取るから」
「了解」
ポケットのハンカチに手をやってひとりごと。
「親父が思ってるよりも、舞子は強いんだよな」


7 路上
要と舞子がアスコットで話していたころ、GREY EYEはアレキサンドライトを出て
駅へ向かっていた。散歩の途中で迷っただけなので、特に急いではいない。
公園の脇まで来たGREY EYEは、ふと、足を止め、周囲に視線を走らせた。
警戒している顔。一瞬ののち、「マウストラップ」という声と共にGREY EYE目
掛けて「迷宮」が落ちてきた。感覚を遮断する灰色の壁の迷路。ぱっと避け、
公園に走り込むGREY EYE。
「誰だっ ! と、いうか、SILVER EYEさんだなっ。通称でなくて、本名は何だ」
いいながら辺りを見渡す。ブランコ、すべり台、雲梯(うんてい)。昔、黒沢と藍が
チョコバーをかじったベンチ。人の姿は見えない。
「やっぱり、この状況だと誰がしかけたか、わかるよね」
植え込みの陰からSILVER EYEが出てきた。緋色のブレザーにロイヤルレジ
メンタルのネクタイ。さりげなく歩いているが、雰囲気でGREY EYEを圧倒して
いる。無意識にGREY EYEは後退った。
「SILVER EYEさん、ですか」
「そう。初めまして。GREY EYEって名乗るって? 面白いこと、考えるね」
「瞳の色が灰色がかっているから」
「そうだね。いい色をしてるね。挨拶がわりにマウストラップをかけて失礼。同族
なら、避けられるけど」
「避けられるとわかっていて、なぜ、かけたんです」
「舞子ちゃんに目をつけたから。本当に同族なのか、確かめるため。あくまで
も念のためにね。義理の娘になるから、近づこうとする者のことは気になるよ」
「それは、そうでしょうね」
話しながら首を傾げているGREY EYE。
「どうしたの?」
「いや、どこかで拝見した顔だと思って。どこでしたっけ」
「さあ、どこだろうね」
品よく微笑むSILVER EYE。その笑い顔を見てGREY EYEは、
「シア・・・!?」
「そう」
「うわっ、失礼いたしましたっ !」
慌てて膝をつこうとするGREY EYEに、SILVER EYEが、
「あ、そのままでいいよ。ここではただの画家なんだから。普通に立ってて」
「そ・・・そうですか?」
落ちつかなげに立っているGREY EYE。
「あなたでしたか。シ・・・」
「それから先はいいっこなし。こっちでは、それを忘れて結構、楽しんでるんだ
から。もうじき終わるけど」
「はい。このたびは、おめでとうございます」
「ありがとう。ところで、ドライユだね? GREY EYE」
GREY EYEの貴族の爵位に見当をつける。
「そうです」
「ドライユでこっちに来るなんて、たいそうな勇気だね。いや、皮肉じゃないよ」
「ありがとうございます。そろそろ、こうしないと家の断絶になりそうなんです。
こちら側にも興味がありましたし」
「ふうん。そうなんだ。舞子ちゃんのよく行くところといったら、職場のアレキサ
ンドライトと喫茶店アスコット、それに穴場はイリュージョンかな。ツインタワー
ビル東館のスカイバーラウンジだよ」
「あの・・・ドライユが近づこうとしても、止めないんですか」
「爵位に関係なく、こちらに来た者は尊敬するよ。そして、こういうとなんだけど、
総じてドライユは温厚な者が多い。こうして実際に会っても、特に問題は感じな
いし。あとは、選ぶのは舞子ちゃんだから。がんばってね」
「ありがとうございます」
「僕みたいに二十年待つ羽目にならないようにね」
SILVER EYEの周囲の空気がゆらりと揺れ、彼の姿が消えた。GREY EYEは呆然
と立ち尽くしていた。
「キューブ称号どころか、あの人だったとは。とんでもない人の娘に魅かれたらし
い。でも、怯まないよ」


8 同夜 イリュージョン
ピアノがミュージカルメドレーを軽やかに弾いている。快活な音の流れが客席の
合間を縫っていく。舞子はレッドスターと同じ赤色のワンピースを着て、奥の方、
柱の影の席に一人で座っていた。舞子は知らないが、かつての真子の定位置で
ある。テーブルの上にペアー・フラワー 。ピアノが休憩に入ったところで、舞子は
小さく「ビギン・ザ・ビギン」を口ずさみ始めた。
「こんばんは」と後ろから声がかかる。舞子が振り返るとGREY EYEが昼間よりや
や濃いグレー・ブルーのスーツ姿で立っていた。遠慮気味の笑顔で舞子に笑いか
ける。
舞子がすっきりした笑顔で応える。
「こんばんは」
「昼間は、なんだか、ごめんね」
「どういたしまして。こっちこそ、逃げ出したみたいでごめんなさい。いろいろ話して
くれてありがとう。あ、どうぞ座って・・・ください」
ほっとした顔で舞子の前に座るGREY EYE。通りかかった虹野にラジオ・エイトを
頼む。
「あの、えーと」と舞子がいいよどむ。
「GREY EYEって名乗ることにしたけど。くだけた口調で話していいから」
「あ・・・それじゃ、GREY EYEさん、GREY EYEって呼びすてて・・・いい? 年がわか
らないけど、雰囲気は同じくらいに見えるから。失礼になる?」
「だから、気楽に呼びすてでいいよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて。私のことも好きな風に呼んでくれていいから」
「それなら、舞子ちゃんだ」
問わず語りで話しはじめる舞子。
「今日の夕方、翔さんっていう叔父のところにいってきたの。母の幼なじみでもある
人。母は、いなくなった時、この人にあてて手紙を残してたの。三面鏡の上に置いて
あってね。おじさまに渡したら、私の目の前で開けてくださったんだけど、中に入って
いたのがスペードのエースが一枚、それっきりだった。GREY EYE、この意味、わか
る?」
「スペキュレーションなのはわかるけど、それ以上はわからない」
「そうよね。でも、おじさまにはわかったらしくて、納得してた。私には意味を教えて
くれなかったけど。それでね、今日、思いきって、あらためて聞きにいっちゃった」
舞子は、翔から聞いたことをGREY EYEに話す。昔、翔と珠子が使っていたこと、
真子に渡った時の様子など。GREY EYEが相槌を打ちながら聞く。
ラジオ・エイトが来る。赤ワインとコニャックを三対一の割りにし、ミラベル(イエローア
プリコットのブランデー)をティースプーン1杯。ステアしてカクテルグラスへ注ぐ。バー・
ラジオのオリジナルをイリュージョンで取り入れている。
「翔おじさまがカードを渡した時、少し遅かったっていわれたそうだけど、その後は
使うっていったそうだし、いなくなる前に返したんだから、それまで、頭にあったのよ
ね。母たちは大人だったけど、それなりに線引きがあったらしいから、子供としては
嬉しいかな」
「そうだね」
グラスを持ったGREY EYEがいう。視線はグラスに向けられている。
「昼間は話しそびれたけど、時間を止める時に、多分、一度は関係があったはず
なんだ。その方が同調して時間を止めるのが楽になるそうだから。その後は、一
線引いてたはずだ。結婚してしまった者の時間を止めたら、待つ間は手出し無用
だから。これもルール」
「ルール違反なんてことは?」
「あの人だったら、自重するはずだよ。そうでないと、示しがつかない」
「SILVER EYEさんのこと知らないはずじゃなかったっけ」
「アレキサンドライトを出てから会ったんだ。まだモニターしていたんだね」
「ふうん。それなら、会いたかったのに」
「いつかまた、会えるんじゃない?」
「そうかなあ」
ピアノの休憩が終わり、再びミュージカルナンバーが流れ始めた。


9 同時刻 アレキサンドライト店内
赤井と要が店の戸締りをしている。
「親父、一杯やらないか」
「どうして急にいいだすんです、要」
「常連客が増えそうなのと、結構、謎が解けた祝いを兼ねて。ついでに、舞子に
季節外れの春が来そうだからだぜいっ」
「つまり、全部GREY EYEさん絡みだね」
苦笑している赤井。
「明日に支障のない程度なら、まあいいでしょう。何にするのかな」
「和田誠発明のトロッカはどうでい。今日のおすすめ定食用のトロロイモが余って
るぜ」
「ウォッカはあったかな」
「あるあるあるあるっ」
トロロイモをおろしてウォッカに加える。
「なんでも混ぜりゃいいってのかよ。とんでもねえカクテルだぜいっ」
「まあ、おいしければいいでしょう」
二人でのんびりと飲む。
「ところで、要、フレッド攻略はできたのかな」
「まだだっ」
フレッドは赤井家のUNIXマシンの愛称である。
「1か月以上経つのに親父のパスワードがわからねえ。悔しいったらありゃしねえ」
「一日に一回のトライ、大事にしなさいね」
「どうせ誕生日祝いなら、すんなりパスワード教えてくれりゃいいのに。挑戦権
だけかよ」
「これも訓練。意味のある単語だからね。要の誕生日以来、変えていませんよ」
「そうかよ」
「早く当てて欲しいけどね。簡単なものにしているから、ほかから破られたらと
思うと、もう恐くて。いいかげん、変えたいんだから」
「悪かったな、馬鹿な息子で」
自棄のようにトロッカをあおる。
「おまけの写真がつかなくてもいいから、ヒントが欲しかった」
「まあ、よく考えることだね」
にこにこしている赤井。
「あの写真は、わたしにとっては若き日の思い出なんだけどね」


10 数日後 納涼船・従業員控室
舞子が赤いバニーガールの恰好をして鏡を見ている。
「うーん。どきどきの初バニーガール。母さんや珠子おばさまたちも、若いころは
こんな恰好で仕事したことがあるのかな」
ミニアトマイザーで足首に香水をふきつける。花の香りが立ちのぼる。ノックの音
に「はぁい」と応える。GREY EYEが入ってきた。明るいブルーのスーツ。
「用意できた? かわいいね、舞子ちゃん」
「えへ、ありがと」
「香水、してるんだ」
「そう。母さんは仕事中、一切しなかったけど、私はつけたいの」
「合ってるよ。で、それは何?」
「ティファニー」
「いいんじゃない? 若い人向きだし」
「うふふ」
「でも、耳元が寂しいよ」
「そう?」
GREY EYEがふところから小箱を出す。
「誕生日おめでとう。これなんて、どう?」
舞子が受け取って開ける。赤い石のイアリング。
「ありがとう、GREY EYE。赤いけど、これ・・・?」
「スピネル。いきなりルビーじゃ、舞子ちゃんも困るでしょ」
「たしかにね。ありがと」
イアリングをつける舞子。うなづくGREY EYE。
「うんうん、似合う」
「あの、いっておくけど、イアリングを受け取ったからって、プロポーズにオーケー
してるわけじゃないからね」
「いいよ、とにかく、意志表明させてもらってるだけで」
ノックをしながら要が入ってくる。ウエイターの恰好をしている。
「邪魔したか?」
「そんなことないよ、要くん」
舞子を見て、
「もう少しウエストと太もも細くしろよな」
「できるなら、そうしたいんだけど、なかなかね」
「色気も足りないぜ。GREY EYEを悩殺できる程度には、つけろよな」
「なによ、それ」
「舞子ちゃんはこのままでもかわいいよ」
「かわいいだけじゃ、足りないって。しかし、赤いけど Vandy 1(バンディワン)だな。
これで黒だったらなぁ」
「なにいってんの」
要が一枚の写真をとり出す。のぞき込む舞子とGREY EYE。黒いバニーガール
が笑っている。
「誰? 母さん? それとも」
「舞子ちゃんにそっくりだけど。少し、年上かな」
「若き日の珠子おばさん。撮影は当然、翔さん。この間の誕生日に、なぜか親父
からもらっちまった。どうしろってんだ」
「バニーガールの恰好のお手本にしろとか」
「かもな。それで、まあ、いちおう持ってきたんだが」
「家でリハーサルした時に持ってきて欲しかった」
「フレッド攻略失敗とセットで頭にあるから、あまり考えたくねえんだよ」
「まだやってるんだ」
「うるせえ。放っといてくれいっ」
「モデルの女性、幸せそうな顔してるね」
「撮影者が恋人だからだろ。ちなみに、その後結婚したぜ」
「GREY EYEを翔おじさまに紹介しにいった方がいいよね。SILVER EYEさんと仲が
よかったみたいだし」
「ライバルに近かったような気もするぜいっ」
「ところで、そろそろ時間じゃないのかな」
「ああ、いっけない」
「親父が待ちぼうけくっちまう」
三人は一緒になって控室を出た。


第16話(後) 終わり


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