1 アレキサンドライト店内
第14話から一年後。

窓越しに雨を見ながら、黒沢がガーリックトーストを食べている。
「舞子ちゃん、コーヒーもう一杯、ちょーだい。それと、アップルパイ」
「はい」
舞子が2杯目のコーヒーとパイを運ぶ。
「あんがと。きょうも雨だねえ」
「よく降りますね」
「どうにも、うっとうしいや」
「好きなことを思い浮かべるとか?」
「おかーさんと似たようなこというね、舞子ちゃん」
がぶりとコーヒーを飲む黒沢。
「おかーさん、どうしてる?」
「スウェーデン刺繍に凝ってます。クッションとか、手提げとか、作ってますよ」
「ふうん。元気ならいいけど、さっ」
「元気は元気です」
「そろそろ誕生日だね。プレゼントは、もう決めた?」
「まだ考え中」
「おいらの新刊とか」
「母が先に買っちゃいますよ」
「ご愛読ありがとうございますだねっ。コーヒーもう一杯、ちょーだい」
すでにカップに注ぎ始めていた要が「へーい」と応える。
「おかーさんと旅行にでもいったら? 」といいながら黒沢は出ていった。
客のいなくなった店内で赤井が伸びをする。
「そろそろ夜間営業をやめるっていってるから、香水なんてどう? 舞子ちゃん」
「いってみたけど、いらないって」
「そう? 似合うだろうにね」
ドアを開けて新しい客が入ってきた。「いらっしゃいませ」の三重唱。
「この店、夜はメニューが変わるの?」
「いいえ」と舞子が答える。
「それに、結構早く締めるんですよ」
「おかしいな。横浜のカメラマンに聞いてきたのに」
赤井の目がきゅっと細くなる。
「そういうことでしたら、ご相談にのりますよ」


2 数日後 昼下がり
アレキサンドライトの休業日。梅雨の晴れ間の街を舞子と要が連れ立って歩
いている。夜間営業の下見帰りである。
「なあ、舞子」
ポケットから煙草をとり出しながら要がいいだす。
「歩き煙草お断りっ !」
「悪い」
煙草をしまう要。
「真子おばさんのプレゼント、どうするんだ」
「まだ決めてないの」
「相乗りさせてもらっていいか」
「いいよ。一緒に考えてね。だけど・・・」
「だけど?」
「母さん、誕生日まで、いるのかな」
「ああん?」
顔を曇らせる舞子。
「歩きため息も禁止だぜえ。アスコットで何か食ってこうぜ、舞子」


3 アスコット店内
舞子と要が向かい合ってお茶を飲んでいる。舞子は紅茶のケーキセット。要は
コーヒーのケーキセット。器を空にした要に対して、舞子はあまり手をつけてい
ない。
「つまり、SILVER EYEさんがいった「一年くらい」は、もう過ぎてるわけだ」
キャメルを燻(くゆ)らせた要に舞子は「うん」とうなづく。
「舞子の親父さんの一周忌は過ぎてる、真子おばさんの誕生日は近い、来月は
舞子の誕生日も来るし。どのタイミングでいなくなるか、気になるところだな」
「母さん、夜間営業もそろそろやめるっていってるし」
「だな。お前に断らずにいなくなると思うか?」
「いわないと思う。SILVER EYEさんのこと、おくびにも出さないもの」
「暗黙の了解かもしれんな」
煙草を消す要。
「一年前の再現、二人でぶつかってみるか?」
「え?」
「ここで悩んでてもしかたないだろ。真子おばさんがいなくなってから悔やむより、
今のうち、予定を聞いたほうがいい。真子おばさんが無理そうなら、SILVER EYE
さんだ。家に行ってみようぜ。もっとも、舞子にその気があればだけどよ」


4 SILVER EYEの家
要と舞子が玄関前に立っている。逡巡の末、呼び鈴を押す舞子。応答がない。
「お留守かしら」
「一日中アトリエにこもってるとは限らないもんな」
「ねえねえ、要くん、庭のほうに回ってみる?」
二人して庭へ回る。雨戸がしまっている。
「なんだか、旅行にでもいってそうな雰囲気だな」
「昨日はアレキサンドライトに来てたけど、そんなこと、いってなかったじゃない」
「そのへんが、黒沢さん式にいう、「あやしーっ」だな」
植木鉢のあとが残った地面を見る舞子。庭に一切、物がない。
「要くん、もしかして、旅行じゃなくて引っ越したとか?」
「なんでだ」
「前は、鉢植えがいくつもあったのに。今、ひとつもないのよ。枯れないように、
誰かに譲ったんじゃない?」
「探偵学校仕込みの成果かよ」
「そうかもしれない」
「いっそのこと、近所に聞き込みかけるか? 」
「そうね、やってみようか」


5 同夜 イリュージョン
ビオラ、チェロ、ハープの音が客席の合間を縫っていく。
アドニスのグラスを傾けているSILVER EYEの前に、複数の人影が立った。
「お晩です」
「こんばんは、SILVER EYEさん」
バーラウンジ向けにそれなりの服装をしてきた要と舞子である。
くすりと笑うSILVER EYE。
「こんばんは、二人揃って出陣? そういう顔をしてるよ。どうぞ、座って」
SILVER EYEの前に座る二人。通りかかった虹野を呼び止める。要はウイ
スキーソーダ、舞子はペアー・フラワーを頼む。
「そろそろ来るかもしれないって、思っていたよ」
要と舞子と等分に見ながらSILVER EYEがいう。
「と、いうことは俺たちの用件ってわかりますよね」
「お引っ越し、一昨日だったんですってね。ご近所に聞いて回りました」
「そう。一昨日から、この東館に泊まっているよ」
「引き払う時は、母もいなくなるわけですか?」
身を乗りだしている舞子。
ゆっくりうなづくSILVER EYE。
「そうだよ」
なおも舞子が聞こうとしているところに虹野が来た。要のウイスキーソーダと
舞子のペアー・フワラーを置いていく。ウイスキーソーダ・・・タンブラーにウイ
スキー30ミリリットルを注ぎ氷を3、4個入れ、ソーダ適量を満たし軽く1、2回ス
テアして完成。昭和30年代はハイボールという名で一世を風靡した。ペアー・
フワラー・・・シェーカーにオレンジジュース30ミリリットル、オレンジキュラソー
15ミリリットル、小さめの卵1個を入れ、氷を入れ、強く、長めにシェイクし、シ
ャンパングラスに注ぐ。梨の花の意、やさしい黄色のカクテル。ミルクセーキ
に似た味。カクテルに軽く口をつける要たち。
「それで、Xデーって、いつですか」
「真子おばさんの誕生祝いの都合があるんすけど。あとは、舞子の心の準備。
俺も、かもしれませんけどね」
静かにいうSILVER EYE。
「はっきりとはいえないけど、何かしたいのなら、お母さんの誕生日より前の方が
いいよ」
「もう2度と会えませんか」
「いちおう、そう考えておいた方がいいね。大きく逆転するかもしれないけど、
変に期待させられないから」
「SILVER EYEさん、大きく逆転って、意味がわかんないすよ」
「こっちの話しだから」
「プレゼントのバッティングを避けたいんですけど、SILVER EYEさんは何を?」
「香水」
「母は香水をしない人ですけど」
「それでも贈るよ」
「銘柄なんて、もう決まってます?」
「うん。これしかないというものが」
「もしかして、母も了解済みだとか」
「多分ね」
「それで、私が聞いても、いらないっていってるとか」
「そんなこといってるの? 嬉しいな」
「私は妬きますけど」
「ごめんね、舞子ちゃん」
ペアー・フラワーを飲み干す舞子。
「ごちそうさまでした。私、母と旅行に行きます。速攻で行きます。帰ってきたら、
とにかく、家の中に花を絶やさないでおきます。決めました。お邪魔しました」
立ち上がる舞子。
「卵入りのカクテルは1、2杯でストップした方がいいね。おやすみ、舞子ちゃん」
「おやすみなさい、SILVER EYEさん」
最敬礼で頭をさげる舞子。
「母をよろしくお願いします」
SILVER EYEも礼を返す。
「はい。大切にさせてもらいます」
「じゃあ、おやすみなさい」
後ろを見ないで出口へ向かう。
「相棒の存在を忘れてるぜいっ」
要が立ち上がる。
「舞子をその辺まで送ってから、また戻ります。俺は飲みかけなんです」
「いってらっしゃい」


6 営業相談・他
エレベーターホールの前で要は舞子をつかまえた。
「大丈夫か、落ちつけっ」
「多分冷静だと思う」
「本人がそういってるなら、いいか。旅費と花の代金、少し出させろよ」
「うん、ありがと」
「とりあえず」といいながら、紙幣を数枚手渡し、
「旅行はわかるが、どうして花なんだ」
「母さん、花は好きだもの。それでね、父さんだけど、とうとう、母さんに
花は贈らなかった。照れたのか何なのか、母さんがリクエストしてもとり
あわなかった。これだけは許さないんだから。だから、母さんがいる間
は、家の中、花一杯にしておくの」
「そうかよ。とにかく、悔いは残すな」
舞子は下りエレベーターに乗りながら、
「司おじさんには、今夜のこと」
「オフレコだな。じゃあ、気をつけて帰れよ。俺アもう少し、いる」
「おやすみっ」
エレベーターが降りるのを確認してから、要はイリュージョン内に戻った。
SILVER EYEが悠揚と待っている。
「どーも失礼しました」
「いや。もう、いいの?」
「あいつだって、一人で帰れますよ」
うなづくSILVER EYE。
「今日は舞子ちゃん一人で帰る方が、いいかもしれない」
「いよいよ現実になるなら、受け止めるのは本人っすからね。俺はあくま
でも幼なじみの相棒ですから」
「マスターがいくら期待しても、そうなんだ」
「そうなんすよ」
苦笑する要。
「舞子と飲みに行くっていったら、なんか、嬉しそうにしてましたけどね。あい
にく、お互いに、全然」
「無理に好きにはなれないよ。相棒として仲がいいだけでも、よかったね。
それで、要くんの用は?」
「いえ、別に、なんとなく。SILVER EYEさんとさしで飲むなんて、やったこと
ないし、こんな機会は、まず、なさそうなんで」
「そういう理由も、いいね」
グラスを傾けるSILVER EYEと要。
「アレキサンドライトチームも、いよいよ世代交代だね」
「親父は当分リーダー格で残りますよ。俺ア人間的にまだまだだそうですし。
あと、真子おばさんが抜けるのは、正直いって、つらいすね」
「舞子ちゃんにお母さんの力が遺伝しなかったのは、よかったと思うよ」
「そうですね。ただ、おかげで俺の立場はどうなるんだっていう気もしますけど」
「マスターはそんなに馬鹿な人じゃない」
「ありがとうございます。それは、俺もわかってますよ」
ハイボールを空にする要。
「SILVER EYEさん、いろんな謎を残したままで退場ですか。こっちはたまらな
いや」
「僕は話す気はないけど、舞子ちゃんがいるから、いずれ謎が解けるかもしれ
ないね」
「探偵学校の成果っすか。そういう方向の謎じゃないでしょう」
「いや、彼女の存在が解決を呼ぶんだよ」
「それじゃ、事件に呼ばれる探偵の逆だぁ。なんなんです」
品よく微笑んでいるSILVER EYE。要はハイボールをもう1杯頼むかどうするか、
迷っていた。
「これ以上イリュージョン・マジックに翻弄されたら、かなわんぜ」


7 数日後 アレキサンドライト店内
閉店後、赤井が淡水真珠のネックレスを手に、一人感慨深げにしている。
「真子ちゃん、お見事でした。これで最後の仕事が終わったのかな」


8 真子の誕生日の数日後 早朝
真子が、自室で三面鏡に向かっている。黒沢、金城たちと初めて出会ったころと
ほとんど変わらない容姿である。二十数年の時間が、わずか1、2年でしかなかっ
たかのような様相を呈している。髪をおろして白いカチューシャでおさえる。シンプ
ルな白いワンピースを着ている。あっさりした上半身に、スカートはフレアー。光沢
があり、わずかな身動きにも、生地がいろいろな表情を見せる。化粧は薄めに、
両手首に香水をひとふき。銀細工のイヤリングがしっかりとまっているのを確認し、
アレキサンドライトの指輪をする。仕上げに、鏡に向かってにっこりと笑いかける。
「はい、できあがり」
サイドボードの上に置かれた、野ばらを活けた花瓶を見やる。
「ありがとう、舞子。さよなら。幸せにね」
そっとドアを開け、廊下を歩き、玄関に向かう。白いパンプスを履き、外へ出る。
数メートル先の門の前にSILVER EYEが立っていた。緋色のブレザーにロイヤル
レジメンタルのネクタイをして、自信と喜びに満ちた顔をしている。
「おはようございます。迎えにきました」
真子が微笑む。初々しい笑顔。
「おはようございます。ありがとうこざいます」
待っているSILVER EYEに真子が静かに近づく。
「忘れ物は?」
「ありません」
「舞子ちゃんにお別れは?」
「旅行の時に、それとなく済ませました」
「それじゃあ、もういいですか」
「はい」
SILVER EYEが真子の手をとった。
「いたずらなうさぎ、やっとつかまえた。もう、逃がしませんから」
朝日の中、門の周囲の空間がゆらりと揺れて、二人の姿が消えた。

数分後。
舞子が真子を探しながら玄関のドアを開けた。
「母さん、母さん、いないの? 朝から出かけたの? ねえ、母さん、どこ?」
門まで出て周囲を見回し、
「いない。6月のアレキサンドライトが、連れていかれちゃった」


第15話 終わり


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