8 アレキサンドライトの開店時刻
店の入口に旅行土産を持った黒沢が立っている。「臨時休業」の貼り紙を見て
途方にくれている。
「おーい、臨時休業なんて、聞いてないよーっ。はあ、今日の朝ごはん、どこで
食べよう」


9 真子の部屋
三面鏡の前にふだん着の真子が座っている。掛け時計を見て、鏡を見て、また
掛け時計を見て。泣きだしそうな顔がそれぞれの鏡に写っている。
「本当はどうしたいっていうの」
鏡に向かって問いかけても、鏡の中の顔は返事をしない。やがて、真子は鏡台の
引き出しから指輪ケースを取り出した。開けると、小粒のアレキサンドライトの指輪
がおさまっていた。
「久しぶりね」
マリッジリングをはずして鏡台の上に置く。
「今日は、ごめんね」
立ち上がる真子。クロゼットから服を選びだして、シャワーを浴びにいく。


10 正午近く 横浜山下公園
海を背に水の守護神像前のベンチにSILVER EYEが座っている。水色ベースの
マドラスチェックのシャツに白いズボン。涼しげにまとめている。左肩に水瓶をの
せた像を見上げ、無意識にアングルを考えている風。振り返り、氷川丸を見たり
する。と、右の方を見て、立ち上がる。花のアーチをくぐって真子が歩いてくる。
真子は髪をおろしてカチューシャでおさえている。襟元で大きなリボンを結ぶ白い
ブラウスに緑を含んだ水色のフレアースカート。期せずしてペアルックになってい
る。左手中指にはめたアレキサンドライトが、日の光の元で緑を帯びた水色に輝
いている。立って待っているSILVER EYEの元に、白いローヒールのパンプスで一
歩一歩近づいていく。SILVER EYEのすぐ目の前で真子は止まった。はにかみな
がらいう。
「来ました」
「いらっしゃい。ありがとう」
年齢も雰囲気も関係なく、ただ嬉しそうにSILVER EYEが応える。
「例の件はご心配なく。済んでますよ。マスターは自宅で休息中」
「はい」
うなずく真子。
「それで、どこへ行きます? 昼からになりますけど、真子さんご希望の横浜見物」
「ええと、とりあえず中華街でお食事して、山下公園お散歩して・・・」
「それから?」
「それから、シルク博物館と横浜美術館・・・」
自然に腕を組み、公園を出て、中華街に向かう人の流れに紛れていく。


11 同時刻 赤井の私室
ベッドで深く眠っている赤井。


12 新規開店の宝石店
平常通り店を開けている。


13 喫茶室ルノアール
山下公園わきのシルク博物館から歩いてきた真子とSILVER EYEが桜木町
駅近くのルノアールで休んでいる。
「自分の名前が喫茶店チェーンに使われるとは思ってもいなかっただろうな」
「SILVER EYEさんも、そうなる・・・かしら」
「あまり、なりたくありませんね。名前より絵が残っているほうがいい」


14 ランドマークタワーへ向かう動く歩道
「結構歩きましたけど、真子さん、大丈夫ですか」
「大丈夫ですよ。泥棒さんって、体力いるんですから。失礼ですけどSILVER EYE
さんは?」
「画家も体力、いりますよ」


15 横浜美術館
吹き抜けの明るいグランドギャラリーを観て回る二人。
「ここに絵を買い取ってもらえるといいなって、思うんですよ」
「いつか、きっとね」
SILVER EYEの傍らで微笑む真子。


16 ランドマークプラザ内のブティック
真子が、襟だけ白い、黒の混ざった紫色のシンプルなワンピースを試着している。
「似合ってますよ」
SILVER EYEがにこりという。
「必要なもの一式、揃えましょう。遠慮しないでくださいね、真子さん」
「いつ、一式着替えるんですか」
「さあ。真子さん次第ですよ」


17 横浜ランドマークタワー 69階展望フロア「スカイガーデン」
午後10時近く。地上273メートルの日本一高い展望フロア。前方約80キロに
渡る眺めが視界360度で拡がる。フロアのあちこちに寄り添って立つのは
大部分がカップルだった。北東方向。手前にパシフィコ横浜、、ヨットの帆
の形をしたヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル、向こうにベイブ
リッジが見えるコーナーにSILVER EYEと真子がいた。
「きれいだけど、海の面積が多くて、少し寂しい」
「明かりの数が少なくなるから。真子さん、場所、変えますか」
「落ちつくといえば落ちつくから、ここでいいです」
「イリュージョンのお気に入りの席みたいなことをいってる」
アナウンスが「まもなく閉館」を告げ、エレベーターで降りるのをうながしてい
る。少しずつ人気(ひとけ)が減っていく。
「それで、これからどうしますか」
平静な口調でSILVER EYEが尋ねる。やや顔が緊張している真子。
「どうって、まずはエレベーターで降りて・・・」
「エレベーターは使いません」
「え」
「ここから、直接跳びますから。真子さんの家に送り届けてデートを終了する
でも、僕の家に行くでも。フルコースで申し込んでますけど、ここで降りるのも、
ありですよ」
「SILVER EYEさん・・・」
「流れで、とか成り行きは好みでないので、真子さん、選んでくださいね。結
果は恨みませんから」
SILVER EYEの目が微妙に銀色を帯びている。マウストラップをかける時と
は違う光り方。こころなしか心配げに揺れている。真子はその目をのぞき込
んでから、視線をはずした。眼下の海に目をやりながら、
「SILVER EYEさんの家へ」
「わかりました」
SILVER EYEは真子の手をそっと取る。周囲の空気がゆらりと揺れ、一瞬の
のち、二人の姿が消えた。


18 同時刻 北海道
ホテルのロビーで翔が電話をかけている。脇で見守っている珠子。
「出ないな。留守電モードにするのも忘れてる」
「ねっ、翔、やっぱり、緑屋さんと旅行よ」
ラウンジバーへ向かう翔と珠子。
「俺はなんとなく、旅行ではないほうに期待するが・・・矛盾だな」


19 SILVER EYEの家
玄関にSILVER EYEと真子の姿が現れた。
「ここが?」
「そうです」
真子用にスリッパを出すSILVER EYE。
「一戸建てで、一人には少し広いんですけどね、アトリエを兼ねてますから」
紙袋・・・ブティックその他で買った物を持ち、上がるようにうながす。
「何か飲みますか。紅茶かカクテルか。いちおう、ジンジャーエールはありま
すよ。グレナデン・シロップはありませんが」
「部屋に直行できた方がいいんですけど」
目を剥くSILVER EYE。
「途中で寄り道したら、勇気がくじけそうなんです」


20 寝室
ほどよく空調が効いている部屋。ベッドのふちにSILVER EYEと真子が並んで
腰を降ろしている。真子の髪を撫ぜているSILVER EYE。
「何か、先にいっておきたいこと、ありますか」
「避妊してくださいね」
「それは、もちろん」
両手で頬を包むようにしてフレンチキス。
「1年3か月。気が気じゃなかった」
「え?」
「そのことは、あとで」
ゆっくりと、ブラウスのリボンに手をかける。


アレキサンドライトの指輪をはずした真子の左手が、手のひらを上にして軽く
握られ、ベッドの上に投げ出されている。SILVER EYEの右手がゆっくり重ね
られて、絡む。
(あ・・・あっ)
(声を抑えなくていいから。隣に聞こえるわけないし、僕は聞きたいから。ね)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


真子がSILVER EYEの胸でまどろんでいる。SILVER EYEは天井を眺めてい
る。と、真子が目を覚ました。
「疲れた? 真子さん」
「ん・・・大丈夫」
真子の髪を撫ぜるSILVER EYE。
「明日の朝までっていったけど、やっぱり、このまま帰したくないな」
「・・・・・・」
「あれ、「それは困ります」っていわないの? 真子さん」
「いうと半分くらい嘘になりそうだから」
くすりと笑うSILVER EYE。
「すごく正直ないいかた、真子さんらしい」
「でも・・・」
「でも?」
「帰したくないっていっても、SILVER EYEさん、これで気が済んで、朝に
なったら私に関心がなくなってるんじゃありません?」
「ひどいなあ。それはありませんよ」
今度は真子の頬を撫でる。
「「オーロラたちの饗宴」にかけてね」
SILVER EYEは真顔になって上半身を起こした。
「さっきいいかけたこと、話します。起きて、服を着てくれますか」


21 居間
ソファに並んで腰かけて、二人がアイスティーを飲んでいる。二度取りして、
白濁していないオレンジ色。昼間と同じ服装をした真子はSILVER EYEに軽
く体をあずけている。
SILVER EYEが話し終えたあと、真子はしばらく黙っていた。
「信じられませんか?」
「いえ。SILVER EYEさんが普通の人じゃないのは知ってますし。ただ、頭は
理解しても、感情がついていってないんです」
うなづくSILVER EYE。
「夕べからいろいろありましたからね。その前にホープダイヤの仕事もあっ
たし」
真子を抱きしめる。
「お疲れさまでした」
「SILVER EYEさんこそ、いろいろ動いていたのに」
抱きしめられたまま、抵抗しない真子。普通の目の色をしたSILVER EYEを見
つめて、
「朝になってからお返事することにして、いいですか」
「ええ。もう、休んでください。寝室を明け渡しますから」
「SILVER EYEさんは?」
「このソファで寝ます。これ以上手を出して真子さんを混乱させないように」
「ほかにも部屋はあるでしょうに」
「なるべく近くで眠りたいんですよ」


22 翌朝 寝室
ベッドで目を覚ます真子。すっきりした表情で上半身を起こす。バスタオルを
巻いた下は一糸まとわぬ姿である。ベッドを降り、椅子の上に重ねておいた
衣類一式・・・昨日ランドマークプラザで揃えたものをチェックする。一番上に
真子に覚えのないミニアトマイザーが乗っている。
「これ、SILVER EYEさんが?」
取り上げて透かし見る。黄緑色の液体が三分の一ほど入っている。
「色からいって、もしかしたら・・・」
宙にむけて1、2回噴射する。粉っぽい、高級な花の香りが周囲に漂う。
「やっぱり、ジュルビアン。SILVER EYEさんったら」
晴れやかに笑う真子。


23 キッチン
ワイシャツの上にエプロン架けという姿でSILVER EYEがサラダ用のにん
じんを切っている。テーブルの上にティーポットが用意されている。パンは
焼くばかり、卵も焼き方のオーダー待ち、ブドウのアレキサンドリアは洗っ
て器に盛ってある。
「おはようございます」
紫のワンピースを着て香水をまとった真子が声をかける。SILVER EYEが
振り返る。
「おはようございます。ああ、いいな」
目を細めるSILVER EYE。
「アレキサンドライトの色、真子さんの色だ。ジュルビアンとも合うでしょう?」
手を止めてエプロンをはずし、真子に近づく。
「一晩経っても、やっぱりこのまま帰したくない」
SILVER EYEの言葉を聞いて微笑んでいる真子。
「それで、返事は? 真子さん」
「50年か60年くらい、待ってていただけます?」
「待ちます」
「その間、ゆうべみたいなことは、もうなしにしたいんですけど」
「約束しますよ」
真子の両肩に手をかける。真剣な目をしているSILVER EYE。
「時間を止めます。すぐに済みますから目をつぶってください」
素直に目をつぶる。一瞬ののち、真子はびくりと体を震わせた。
「そのまま、もう少し」
ハイスピードのエレベーターで昇降している感覚。真子はスカイガーデンの
エレベーターを思い出していた。心の中で無意識に数を数える10・・・20・・・
30・・・。昇降の感覚が止まる。
「もういいですよ」
目を開けるとSILVER EYEが少し苦しそうな表情をしている。
「SILVER EYEさん?」
「大丈夫です」
額の汗をぬぐう。
「にんじん切ってる合間にすることになるとは思わなかった」
「あ・・・ごめんなさい」
「いえ。いいですよ。文字通り、一生の思い出だし」
ワイシャツのポケットから小箱を取り出す。中に入っていたのは銀細工のイア
リング。真子の両耳につける。
「マリッジリングのかわりに?」
「僕の国の習慣ですから」
イアリングに軽く手をあてる真子。ねじが緩んでいないのを確かめて、
「にんじん、続きは私が切ります。シア・・・さんは座っててください」
「お願いします。それで、食事のあとでアレキサンドライトに跳びますから」


24 アレキサンドライト店内
開店直前時刻のアレキサンドライト。誰もいない店内のカウンター近くの空間が
揺れ、SILVER EYEと真子が姿を現した。
「それじゃ、僕は戻ります」
「シアさん、気をつけて」
品よく微笑むSILVER EYE。
「今までと同じSILVER EYEでいいですよ。僕も、特に態度を変えませんから。
やせ我慢かな」
ドアに向かわず、その場でテレポートし、姿を消すSILVER EYE。
「赤井さんも来てないけど、もう・・・時間」
開店準備はできていないが、なんとなくドアの鍵を開ける。客席の方へ戻って
きて、真子は、気が抜けたように座った。昨日の早朝と同じ、黒沢の定位置。
「夢でも・・・見ていたみたい」
ドアを開けて、黒沢が入ってきた。
「おっはよーございまーす。昨日、食べそこねたから、ガーリックトースト、ダブル
ね。余ったら、持って帰っちゃうよん。へ? ・・・真子ちゃん?」


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25 約22年後 現在のアレキサンドライト店内
「できる範囲で構いませんから。お願いします」
舞子をとっくり見ているSILVER EYE。いつものウエイトレスの恰好と間違えそう
になる濃紺のワンピースに白いリボン。必死になってにらむようにSILVER EYE
を見ている。
「それにしても、お母さんにそっくりだ」
「はぐらかさないでください」
「いや、本当に。昔のことを思いだすよ」
ティーカップを持ち上げるSILVER EYE。ゆっくり紅茶を飲む。飲みきらずにカップ
を置く。
「なんだか、アイスティーが飲みたくなったな」
「お入れしましょうか」
「これでいいよ。それに、聞きたいことがあるんでしょ、舞子ちゃん」
「そうです、そうです」
テーブルに片方の肘をつき、あごを乗せるSILVER EYE。やや斜めに舞子を見る。
「SILVER EYEさんが斜に構えるのって、めずらしい」
「よく知ってるね」
「小さいころから母のモデルにくっついていって、アトリエでお茶も飲んでましたもん。
ほかの部屋は入ったことないけど」
「そうだね」
肘をつくのをやめるSILVER EYE。舞子を正面から見て、静かにいう。
「昔あったことは話したくない。お母さんが年を取らないのは、僕がやった。そして、
今すぐにとはいわないけれど、お母さんは遠くへ連れていくよ。一年くらい先かな。
これでいい?」
「それだけでも、教えていただければいいです。母をよろしくお願いします」
「舞子ちゃん、いいの? 僕は悪役なんじゃない? お母さんを奪っていくのに」
「いいんです。母の人生を私がしばっちゃいけないんです」


26 裏口
赤井と要が掃除をしている。
「何を話してるんだろうな。こういう時、盗聴器が欲しくなるぜいっ」
「盗み聞きはわたしは感心しないよ」
「へーい。けど、舞子は探偵学校で使い方、教わってきてるぜ」
「使わずに済めば、それに越したことはありません」
「夜の顔の割りに、お堅い親父」
「非常手段としてのオーダーだからね」
「へーい」
チリトリの中身をごみ箱に空けた時、舞子が姿を現した。
「追い出して、ごめんなさい」
「どうってこと、ないぜ」
「お話しは済んだの、舞子ちゃん」
「はい。SILVER EYEさん、お帰りになりました」
「首尾はどうだった、舞子っ」
「ん・・・必要最低限。でも、充分だったの。肝心なことは聞けたから」
「それで?」
「当分、いいたくない」
「がっかりだぜえ」
「当人の気持ちを尊重しようね、要」
「わかってる !」
「時期がきたら、要くんには話すね」
「わたしはつまはじきですか。次期コンビの仲がいいなら、よしとしましょう」


27 夜 SILVER EYEのアトリエ
SILVER EYEがキャンバスに釘を打っていると電話が鳴った。
「はい」
「やあ、アビルージュ」
張りのある翔の声。
「お久しぶり、フィリアス。あなたに名前で呼ばれたこと、ありませんね」
「どうせ本名じゃないんだろ、好きに呼ばせてもらう。それに、人をコロン
の名前で呼んだのはそっちが先だ」
「たしかに、そうでした。それで、ご用件はなんでしょう」
「葬儀は済んだが、真子をどうするんだ」
「今日は同じことをよく聞かれる」
「何?」
かいつまんで説明するSILVER EYE。
「いつのまにか舞子を味方につけていたか」
「意識していたわけじゃありませんよ」
「無欲の勝利だな。一年くらい先か。助けになれることがあったら、遠慮
なくいってくれ」
「ありがとうございます。五色グループの上から数えて十指に入る人の
助力ですか。すごいな」
「あいつの、ただの幼なじみさ」


第14話(後半)終わり


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