1 アレキサンドライト店内
連休後のある日。
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「舞子ちゃーん、コーヒーもう一杯、ちょーだい。それとアップルパイ」
「はい」
2杯目のコーヒーとアップルパイを運ぶ舞子。
「どうぞ」
「あんがと。今日から出勤ごくろうさま。だけど、もう少し休んでてもいーん
じゃない? 疲れてんじゃないの?」
ふっと笑う舞子。
「いいんです。家にいても、うっかりすると落ち込んじゃいますから。それに、
今日は午前中だけなんです」
「そーお? でも、無理しすぎないでね。今は気が張ってても、あとでがっくり
来ることってあるから。ほかの人たちもいってるだろうけど、さっ」
「はい。ありがとうございます」
「おかーさんはどーしてるの?」
「今日は朱鷺の森のお墓まいりです。父のこと、報告に」
「ひとりで?」
「ひとりで行きたそうだったら」
「ふーん。舞子ちゃんのおばあちゃんも、入院してる方が長かったね」
「ええ。私も、何回かお見舞いにいったけど、遠い人でしたよ。母の母だか
ら、おかげで私も生まれたし、感謝してますけどね。おばあちゃん孝行しな
かったな」
「そう思えるような子に育ったのが、孝行なんじゃないの?」
「はーい」
「だけど、おとーさん、偉かったね。結婚記念日まで、しっかりしてたもんね。
舞子ちゃんとも、おかーさんとも、話ができたんでしょ」
「はい。そうなんですよ」
「舞子ちゃんの二十歳の誕生日までは無理だったけど」
「7月はどうにも無理でしたね」
ふと、思い出したようにいう黒沢。
「舞子ちゃん、宝石には関係のない名前なんだよね」
「ありますよ」
「あるの?」
「そうです。知りませんでした? 7月・・・ルビー・・・赤・・・赤い靴・・・バレリー
ナ・・・踊る・・・舞い・・・舞子なんですよ」
「こだわってるにゃあ」
「母の真子に「い」の字を加えたっていう意味もあるとか。だいだい、翡翠に
始まる宝石販売の緑屋と真珠の朱鷺の森の血をひいてるんだから、親とし
ては、こだわらざるを得ないんじゃないですか?」
「まあね・・・一本、取られた。ところで、マスターは?」
「ちょっと用事があって、出かけてます」
「めずらしーね。コーヒーもう一杯、ちょーだい」
カウンターから要が「へーい」と応える。ひとりごとで、
「夜間営業の仕事さ。どじ踏まないでくれよ、親父」


2 同時刻 某住宅街
赤井がとある家の正門から出てくる。とくに周囲を見回すこともなく、普通
に去っていく。数十メートル進んでから、立ち止まる。かたわらの透明人間
に話しかけるように、
「SILVER EYEさん、いるんですか?」
特に返答がない。
「やっぱり、いないか」
うなづいて、歩き続ける。角を曲がったところに人が立っていた。
「SILVER EYEさん、やっぱり」
「空き巣パターンですか。首尾も上々だったようで、よかったですね」
にこりと微笑むSILVER EYE。
「真子ちゃんはお休み中で、わたしひとりだから、いらっしゃらないかと思い
ましたよ」
「こういう時だからこそ、いました」
真顔でいうSILVER EYE。
「ここでマスターにもしものことが起こったら、真子さんのダメージが大きく
なるので」
「もしもに備えていただいて、ありがとうございました」
苦笑する赤井。
「お葬式、出られなかったんですよね」
「個展とぶつかってましたからね。生前、お会いしたこともありませんでした
し。まあ、言い訳です」


3 同日午後 真子の部屋
舞子が三面鏡を開けている。3人の舞子が鏡の向こうに写っている。
「そのうち、本当にどっちが姉だかわからなくなりそう・・・。母なのにね」
鏡台の上を見る。あまりものが置かれていない、すっきりした状態である。
「若いからそんなにお化粧しなくていいのかな? 香水があれば素敵なのに。
母さんてば、昼と夜の営業をやめるまで、どうしてもしないつもり?」


4 夕方 アレキサンドライト店内
夕食をとる客が来る少し前、やや空いた時間帯。
SILVER EYEが紅茶を飲んでいる。赤井の指示でクッキーをサービスした要が、
「SILVER EYEさん、今日は午前中のかわりに、今来てるんっすか」
「まあね」
赤井と視線を合わせて笑うSILVER EYE。
「朝はちょっと用事があったものだから」
ドアが開き、舞子が入ってきた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ。おや、舞子ちゃん」
「忘れ物かよ」
「休みの時にお客で来てもいいでしょ。母さんが、まだ帰ってきてないんだもの」
濃紺のワンピースを着て白いリボンをしている。エプロンをかければ、ウエイ
トレスの仕事中と錯覚するかもしれない色合いである。
「で、注文は、舞子ちゃん。もちろんサービスね」
「ジンジャーエール。・・・こんにちは、SILVER EYEさん」
ことわってからSILVER EYEの向かいに座る。
SILVER EYEが舞子に、申し訳なさそうに、
「やあ、舞子ちゃん。お葬式は欠礼して、すまなかったね」
「いいえ。やっぱり、来にくかったですか」
カウンターから赤井が叫ぶ。
「舞子ちゃんっ、やめなさいっ」
「いけいけーい、舞子。チャンスのときに攻めるのは当然でいっ。ここは、俺た
ちのテリトリーだもんなっ」
「要っ」
ジンジャーエールを赤井から奪って運ぶ要。
「ほらよ、舞子」
「ありがと、要くん」
その場に立ったままで、
「SILVER EYEさん、これから、どうします。舞子も聞きたいことがあるようだし。
なんでしたら、カツ丼でもステーキでもお作りしますけど」
「ありがとう。でも、紅茶だけで充分だよ」
「話が長くなるんでしたら、追加注文はいくらでも、どうぞ。俺、おごりますよ」
「要っ、今日の紅茶代はわたしのおごりだ」
怒鳴る赤井。要が怒鳴り返す。
「それはそれ、これはこれっ」
舞子と要を見るSILVER EYE。口元に笑みが浮かんでいる。
「要くん、少しだけ、席をはずしてくれるかな」
「やりいっ」
「マスターも、お願いします」
目を細くしている赤井。
「いいんですか」
「たいしたことは話しませんから。多分、最低限ですよ」
赤井は首をふりふり、
「裏口の掃除にいくぞ、要」
「へーい」
入口に「準備中」の札をかけた要が赤井の後を追った。店内はSILVER EYE
と舞子の二人きりになった。ティーポットの中の紅茶を最後の一滴まで注い
だSILVER EYEがいう。
「要くんと、いいコンビになりそうだね」
「恋人にはなりませんけど、ベストの相棒にはなると思います」
「お母さんとマスターの形が引き継がれるんだね」
「ええ。母たちが恋仲にならなかったのも、不思議ですけど」
「仕事の相棒でない人と結婚すると、きっと苦労するよ、舞子ちゃん。お母さ
んは、夜間営業を隠し通すのに大変だったみたいだ」
「家を壊したくなかったから、母もがんばって隠し通せたんでしょう。私は、ま
だ先のことはわかりませんから」
「そうだね。ジンジャーエールの気が抜けるよ。いいの?」
いわれて少し飲む舞子。
「それで、何が聞きたいの、舞子ちゃん」
「昔、何があったのか、母が年を取らないのはSILVER EYEさんと関係がある
のか、これからどうするのか、です」
「いろいろあるね」
「これでも相当しぼってます。「オーロラたちの饗宴」のこととか、SILVER EYE
さんが何者なのかとか、聞きたいことはいくらでもあるのに」
「最初の3つでも、全部は答えきれないよ」
「できる範囲で構いませんから。お願いします」
舞子をとっくり見ているSILVER EYE。いつものウエイトレスの恰好と間違えそう
になる濃紺のワンピースに白いリボン。必死になってにらむようにSILVER EYE
を見ている。
「それにしても、お母さんにそっくりだ」
「はぐらかさないでください」
「いや、本当に。昔のことを思いだすよ」
ティーカップを持ち上げるSILVER EYE。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5 赤井が帰って来なかった早朝
約22年前。第5話「8月は伝説に・・・」後半 13(主客逆転)まで時間が戻る。

いつものウエイトレスの恰好でSILVER EYEの前に座っている真子。向かい
あって紅茶を飲んでいる。赤井を救う相談が済んだところ。
2杯目を飲み干したティーカップの底を見つめながら、真子がいう。
「いつも、心配してくださってるんですね。お礼しないと」
「いりませんよ」
「いえ、やっぱり何かさせていただきます。今度の件もありますし」
目を上げてSILVER EYEを見る。
「赤井さんじゃありませんけど、気に病みます。私にできること、何かいって
ください」
「・・・あまり返してほしくない借りですけど、真子さん」
困った顔のSILVER EYE。
「だからこそ、返します」
にらめっこに近い、真子の視線。SILVER EYEが目を「オーロラたちの饗宴」に
向ける。首を傾げるSILVER EYE。そのまま、ゆっくりという。
「そうですね。じゃあ、これを機会に、ひとつお願いしましょうか」
「何でしょう」
「簡単なことですけどね」
SILVER EYEがティーカップを持ち上げた。時間を飲むように、紅茶をゆっくりと
飲み干す。ティーカップを降ろす。
SILVER EYEをじっと見ていた真子が、ややとまどい顔でいう。
「SILVER EYEさん・・・」
「どうしました?」
「いえ・・・なんとなく。雰囲気がイリュージョンにいる時に近いから」
「そうですね。今は、二十歳くらいのふりをしていませんからね」
くすりと笑うSILVER EYE。
「アレキサンドライトに跳んだ時から、ずっと同じトーンでいたんですけどね、つま
り、普通にしていたんですけど。今になって気づきましたか」
「気づきませんでした」
真子が苦笑する。ふっと視線が柔らかくなる。気負いがなくなり、イリュージョンに
SILVER EYEといる時のよう。
「真子さん、動転してましたからね」
ティーカップを脇に置くSILVER EYE。テーブルに片方の肘をつき、あごを乗せる。
やや斜めに真子を見る。
「マスターの存在は大きいようですね。もしかしたら、ある意味でご主人以上?」
「さあ・・・相棒ですけど」
返答に困る表情の真子。
「妬くなあ」
「え?」
ほんの一瞬、頬が赤くなる真子。その反応を見ながら、
「さっきの借りを返す話ですけどね、真子さん、黙って、僕のいうことを聞いてくれ
ませんか。文字通り、聞いているだけ」
「はい。何でしょう」
きょとんという真子。
肘をつくのをやめるSILVER EYE。真子を正面から見つめて、静かに、いっきにいう。
「真子さん、好きです。愛しています」
目を見開き、立ち上がろうとする真子。すばやく右手首をつかまえるSILVER EYE。
中腰の姿勢で動けなくなった真子は、すとんと腰を降ろした。手首をつかんだままの
SILVER EYE。
「SI・・・SILVER EYEさん」
「聞いていてくださいっていったでしょ」
「聞けません」
「もう、耳に入りましたよね」
「冗談でしょう」
「本気です」
「人をお姉さま呼ばわりしているのに? いきなりそういわれて、信じますか」
「アレキサンドライトでは、セーブしていますからね。マスターもいるし、ほかのお客も
いる。カムフラージュをかねて、若いふりをして。イリュージョンで、そんな馬鹿な呼び
方をしたことはないでしょう」
「離してください、手が痛い」
「離しません。やっといったところで逃げられたらかなわない」
「困ります」
「こっちも困ってました。アレキサンドライトでいうわけにいかないし、イリュージョンで
も、どうにも話す隙がなかったし。やっと、耳を傾けてもらえる状況ができましたね」
「隙があるもないも、私、結婚してますから」
「「オーロラたちの饗宴」を、もっと早く盗んでくれたらよかったのに。どうして、結婚式
当日未明なんてぎりぎりだったんです? せめてあと一日早かったら、こんなことになら
なかったのに」
「ほかに日がなかったんです」
「だったら、盗まずに普通に連絡をくれるとか」
「私、泥棒さんですもの」
「おかげで、ややしいことになりましたね」
「あの、本当に、手がしびれてきたんですけど・・・」
「もう少しがまんしてください」
座ったままでも、まだ逃げようとしている真子。手を緩めないSILVER EYE。
「さっきのことは、繰り返してはいいませんよ。真子さんも先刻承知でずっと知らんふり
だったんでしょうから」
「ごめんなさい・・・。私、緑屋なんです。朱鷺の森じゃないんです」
「結婚しているから駄目っていう意味? でも、「オーロラたちの饗宴」を盗んだ時は、
まだ朱鷺の森でしたよね」
「・・・結婚する前に、どうしても盗っておきたかったから・・・」
「つまり、本当に真子さんに選んでもらえたのは、緑屋さんでなくて、僕の方だった、
と。そう受け取っていいんですよね」
「・・・・・・」
「黙っていると肯定にとります」
「やめてくださいっ」
「僕の方でも、今の緑屋さんとの関係を壊させるわけにいかないんですよ。ルール
違反になりますので」
「ルール?」
手のしびれに顔をしかめながら訝しがる真子。
「ええ。厳然としたルールの中で生かされていますので。でも、抜け道がひとつだけ
あるんです」
手を緩めるSILVER EYE。息を吐きだす真子。赤くなった真子の手首をそっとさすり
ながらSILVER EYEが続ける。
「話は変わりますけど、真子さん、デートしませんか。マスターの件を終わらせて
から、そうですね、今日の午後から、明日の朝、アレキサンドライトに入るまでフル
コースで。一日だけ、気分を独身に戻してもらえませんか。いろんな意味で後悔は
させませんから」
視線をはずして無言の真子。気にせず、時間と場所を告げるSILVER EYE。手を離
して、にこりとする。
「話しはここまでですよ、真子さん」
「え?」
SILVER EYEを見る真子。
「聞いてくれて、ありがとう。これで、借りは返してもらいました。これから先、変に
負担を感じないでくださいね」
「あ・・・」
頭が切り替わってない風の真子。
立ち上がるSILVER EYE。
「マスターのほうへ行ってきます。時間はありますから、真子さん、帰って休んだら
どうですか。念のためにいっておきますけど、真子さんが来る来ないに係わらず、
マスターは助けますので、ご心配なく。文字通り聞いてもらうのが、お願いでしたか
らね。来て欲しいですけど無理強いはしません。僕にもプライドはありますからね」
座ったまま動けない真子をおいて、ドアまで歩いていくSILVER EYE。内側から鍵を
開ける。出る時に振り返り、いたずらっぽくいう。
「本当に、動転していましたね。エプロンが裏返しですよ、「お姉さま」」


6 路上
早朝で人通りの少ない街をSILVER EYEが歩いていく。
「まずは、宝石店からスタートかな」


7 アレキサンドライト店内
つかまえられていた方の手首に、もう一方の手を添え、真子がつぶやいている。
「私がSILVER EYEさんの気持ちを増幅したっていうことは、ないわよね・・・。「オー
ロラたちの饗宴」の方が先なんだから・・・そうよね」


第14話(前半)終わり


[第14話(後半)へいく] [「アレキサンドライト」シリーズの目次へいく] [一番最初に戻る]