1 ブライダルフェア
第12話から21年後・・・。

新宿駅にほど近い某レンタルスペースでブライダルフェアが催されていた。若い
カップルたちがパンフレット攻勢と客引き攻撃にさらされながら、展示物の内容
を吟味していた。エンゲージリング、マリッジリングのコーナーでは、ことに熱心
に見やっている者たちが多かった。草色のジャケットの若者と臙脂(えんじ)のワ
ンピースを着た娘のコンビも、ショーケースから出される立て爪のダイヤに違う
意味で注目していた。
「ダイヤには4つのCというものがございまして・・・」
逆さからでもいえるほど流暢に説明をする店員の言葉を適当に聞き流しながら、
左手薬指にリングをはめてみる娘。二十歳前後に見える。華奢な指にリングが
収まり、燦々と輝いている。
「どーお? 要(かなめ)くん」
「舞子(まいこ)が気に入れば、俺ア、まあ、どれでも構わないぜ」
「まあ、優しい彼ですね」
愛想笑いをする店員。
「ただし、予算の範囲内の条件つきでだ」
卓上の鏡を引き寄せる店員。
「鏡に写して、ご覧になりますか?」
「あ、それじゃ・・・」
相好を崩す舞子。「まっ、好きにしてくれい」と要は呑気にいった。


2 次の世代
3つ4つの指輪をとっかえひっかえした挙げ句、「他を回ってくるから」と退散し、
要と舞子はそのままブライダルフェアの会場を後にした。早足の要を舞子が
小走りで追いかけていく。
「要くん、早いってばあ」
ペースを落とす要。
「悪い。早く会場から遠ざかりたかったもんだから」
「これの発覚が心配?」
舞子が左手を上げて、指を拡げる。薬指にエンゲージリングが光っている。
「イミテーションと入れ替えて、そんなすぐにバレるかよ。婚約者ごっこが恥ず
かしくってな。たまったもんじゃねえや」
「この場合、しかたないってば」
きゃらきゃら笑う舞子。
「ブライダルフェアだもん。エンゲージリング狙いだもん。友だちの設定でも、
兄妹の設定でも変よお」
「そりゃそうだが。・・・のどがかわいた」
「お茶していこっか」
タカノに足を運ぶ二人。ちょうど客足が切れていたタイミングで、待つこともなく
席についた。フレッシュジュースを頼んで、ほっと息をつく。
「しけた課題だぜえ」
「まあ、ウォーミングアップだと思って。無事済んだし、よかったじゃない」
「二十歳になるまで、夜間営業に参加禁止だと? 親父め、勝手なこといいやがる」
構わずに指輪を見ている舞子。手をそらしてうっとりしている。
「きれい・・・。でも、いつか誰かから本当にもらうなら、ルビーがいいなあ」
「ピジョン・ブラッドか?」
鳩の血の色。ルビーはこの色が最も美しいといわれている。やや濃いめの赤色。
「薄い、明るめの色の方がいいな」
「早く男を見つけて、ルビーはそいつからもらえ。頼むぜ、舞子、親父の夢を打ち
砕いてくれ」
「二十歳前じゃ、まだまだ見つからないってば」
「ぐずぐずしてると親父が希望を持っちまう」
キャメルをくわえて、ジッポーで火をつける要。
「やーい、法律違反」とからかうようにいう舞子。
「あと1か月、目をつぶっててくれい。そうしたら、晴れて合法だ」
「はいはい。高校入学の頃からだっけ、違法の時間が長かったね」
「俺のやった非行はこれだけだ。大目に見ろ」
「18歳未満がやっちゃいけないゲームは?」
「18になってから買った !」
ジュースが運ばれてくる。ウエイトレスが立ち去ってから、要がいう。
「端から見たら、俺たちゃ、やっぱりカップルか?」
「たぶん、そう見えると思うよ」
「舞子、指輪はずしてくれないか」
「うん・・・」
いわれたとおりにする舞子。
「親父にゃ悪いが、俺ア舞子に幼なじみ以上の感情はないぜえ。翔さん
たちみたいには、いかないさ」
「右に同じ。母さんは、別に気にしてないみたい」
「口には出さないが、親父の期待はひしひし感じるんだよな」
「要くん、好きな人いるの?」
答えずに煙草を消し、ストローの封を切る要。


3 翌朝 アレキサンドライト店内
50代に入った黒沢が二十年一日のごとくガーリックトーストを食べている。
黒い服で、やや体を崩して座り、きょろりとした目も変わっていない。
「舞子ちゃーん、コーヒーもう一杯、ちょーだい」
「はい」
典型的メイドスタイルの舞子が応える。黒いふくらみ袖のワンピースに白いエ
プロン、前髪は眉がかくれる程で切りそろえ、後ろはストレートロングをひとつ
にまとめ、白いリボンを結んでいる。にこにこと明るい雰囲気を周囲に振りまき
ながら仕事をしている。
黒沢に3杯目のコーヒーを運ぶ。
「どうぞ」
「あんがと」
がぶりと飲む黒沢。
「ウエイトレス始めて、一週間だっけ。もう、慣れた?」
「ええ、まあ」
「真子ちゃん・・・おかーさんにそっくりだねっ。若い時のおかーさんとゆーより、
昔からのおかーさんそっくりといおーか」
「あはははは。ほとんど年を取らない人ですから」
「謎だね。舞子ちゃんのおねーさんで通用するもんねっ」
「10年経ったら、私が姉に見られそうで恐いんですけど・・・」
「それは・・・うーみゅ。舞子ちゃんも22、3歳から年を取らなくなったりして」
「そんなの無理ですよお」
「うんにゃ。真子ちゃんの子だもん。できるかもしれないよん。・・・で、もって、
マスターもバトンタッチで若返っちゃって、さっ。おいらだけ、年とってるよーな
気がする・・・。要くん、コーヒーの味、おとーさんと同じだよん」
「へーい、ありがとうございます」
カウンターから要が応える。
「遊び半分で高校の時に入れてくれたのとは、全然違う」
「旧悪を暴露しないでくださいよっ。親父に無断でやったんだから」
「語り草にしてあげるよん。マスターは、もう楽隠居するの?」
「まだまだ現役で行きますよ」
要の隣で赤井がいう。顔はそれなりに年月を経たが、体型は若いころとさほ
ど変わっていない。
「親子でがんばってね、マスター」
「息子には、まだまだ負けません」
「黒沢のおじさまも新作がんばってくださいね」
舞子がにっこり笑っていう。
「おじさまはいらないってば」
腰を上げる黒沢。要がレジに立つ。
「ありがとうございました」
「要くん、コーヒーだけでなくてさっ、顔も似てるよ」
こそっという黒沢。
「・・・・・・」
黙って釣り銭を渡す要。
「新作は、相変わらず藍ちゃんがしっかりチェック入れてくれてるから、期待し
ててねっ」といいながら黒沢は出ていった。
「私生活の状態がどんなに変わっても、朝食スタイルというか、午前中の過ご
し方だけは変えないんだよね、黒沢さん」
赤井が笑いながらいう。
「ガーリックトースト、サラダ、コーヒーをストレートで3杯、アップルパイ、新聞
数誌読破。いやあ、ありがたいのはお得意さま」
「胃の中、ガーリック色に染まってんじゃねえの?」
「ニコチンよりいいじゃない。朝ごはん作らなくていいのって、奥さんは楽よね」


4 路上
足取りも軽く、黒沢が歩いていく。
「真子ちゃんはウエイトレス引退、寂しーい。そりゃ、アレキサンドライトの客足
だったら、2人はいらないけど、さっ。真子ちゃん、これからどーするんでしょ。
若いのに。文字通り、外見も思いっきり若いのに。体力も20代のままのよーな
気がする。・・・そういや、年を取るペースが異様に遅い人が、もう一人いたっけ」


5 イリュージョン
客たちの会話の間を、ビオラ、チェロ、ハープの音が縫っていく。20年前と変わ
らない、会話とアルコールを楽しむための、ツインタワービル・東館のスカイバ
ーラウンジ。40代になった虹野が、経験を積んだ者の優雅な足取りでカクテル
を運び、戻ってアドニスとフロリダのオーダーを通す。フロリダ・・・オレンジジュ
ース三分の一、レモンジュース三分の二、砂糖ティースプーン1杯、アンゴスチュ
ラ・ビターズ2ダッシュをシェークしてカクテルグラスに注ぐソフトドリンクである。
「家ではどうだか知らないけど、いちおうここでは7月までは自粛してもらうね、舞
子ちゃん」
窓際の席で、緋色のブレザーにロイヤルレジメンタルのネクタイを難なく着こなし
たSILVER EYEが品よく、優しく微笑む。30そこそこに見える外見。ただし、雰囲気
は、少年とも、長い時間を生きてきた風ともいえ、あるいは、見た目通りの年齢の
空気も持っており、何ともいい難い。今は、舞子に合わせて話している風。
「はい」
臙脂のワンピースにホワイトパールのネックレスをした舞子が答える。リボンは服
に合わせて臙脂である。ブライダルフェアや昼間のアレキサンドライトの時と違い、
緊張でややこわばっている。
「どうしたの? 場馴れしてないからかな」
「そういうわけじゃ、ないです」
「もう20年も昔、高校一年でここに乗り込んだ女の子がいたよ」
舞子をリラックスさせようとしてか、話し始めるSILVER EYE。
「舞子ちゃんの叔母さんの燈子さんだよ。高校生のころ、ここに来たがってね、真
子さん・・・お母さんが、アレキサンドライトの常連で、ここへもよく来ていた人にエス
コートを頼んだんだ。それが縁だったのか、燈子さん、その人と学生結婚をしたん
だよ。朱鷺の森は女の子ばかりだったから、ご主人は養子に入ってね。今の、あ
の毛皮商の叔父さんだよ」
「知ってます」
「バレンタインデーに、ここで告白したらしい。親しい者の間では、伝説になってる」
「ハッピーエンドでよかったですね」
虹野がカクテルを運んで来た。
ゆっくりグラスを持つSILVER EYE。やや慌てぎみに2、3口飲む舞子。グラスを置い
た舞子を見て、SILVER EYEがいう。
「それで、舞子ちゃん、急なお誘いのご用件は何かな?」
背筋を伸ばし、SILVER EYEをしっかり見据えて切り出す舞子。
「母のことです」
「真子さん?」
「SILVER EYEさん、うちの母のこと、好きですか?」
「それは・・・好きだよ」
一瞬の間ののち、さりげなく答えるSILVER EYE。
「長年の友人だし。そうでなかったら、そう何回もモデルを頼まないよ」
「友だちの意味でなくて、モデルとしてっていう意味でもなく、聞いてるんですけ
ど。はぐらかさないでください。違う意味で好きですよね」
有無をいわせない口調でいう舞子。
「そして、たぶん母の方も。相思相愛ですよね。母には家庭がありますけど」
「問題のある発言だと思うけど? 舞子ちゃん、いったいどうしたの」
苦笑いしながら尋ねるSILVER EYE。
「父が、もう長くないんです」
「長くないって・・・」
眉をひそめるSILVER EYE。
「この間、入院したのは知っているけど」
「どうも変だからって検査半分だったんですけど、病気が見つかったんです」
病名を告げる。
「すごく、進行していて・・・それで、私の誕生日までもたないのは確実、それど
ころか、今度の連休を越えられるかどうか、なんです。それもあって、私がウエ
イトレスに入ってるんです。二十歳になってからの予定だったのに・・・。母は、
看病に悔いを残したくないんですよ」
「・・・・・・」
「母が、まだ若いのに未亡人になっちゃう。子供の私が保証しますけど、両親
はずっと仲がよかったです。私も両親は大好きです。でもね、だからといって、
この先、母にずっと一人でいて欲しいとは思いません。SILVER EYEさんは独
身ですものね。母をさらっていってくれませんか」
舞子はテーブルの上で両方のこぶしを握りしめている。
「さらうって、穏やかじゃないよ、舞子ちゃん」
「絵画方面の雑誌で、いやな風説を流したがっているサイドがあるのは知って
ます。私に接触したがるライターだっているんですよ。だから、いっそのこと、
外野がうるさくない海外にでも連れていってください。私は、もうじき成人です
から、後のことはご心配なく。翔おじさまたちもいるし、アレキサンドライトで司
おじさんや要くんといるから、大丈夫です」
「無理をいっているよ、舞子ちゃん」
舞子を痛々しげに見ているSILVER EYE。
「無理じゃありません。私は本気ですよ。SILVER EYEさんだから、頼んでるん
ですっ !」


第13話(前半)終わり


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