22 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「真子ちゃーん、コーヒーもう一杯、ちょうだい。それと、アップルパイ」
「はい」
黒沢の背中で金城がいう。
「私も同じもの、お願いします」
「はい」
コーヒー2つとアップルパイ2つ、それとキャンディボックスを運ぶ真子。
「どうぞ」
「あんがとっ。で、このキャンディは何なの?」
「ホワイトデーサービスです」
「何か変なの。でも、いただきまーす」
2つ3つ、キャンディをとる黒沢。
「で、こっちからもホワイトデープレゼントだよん、はいっ」
透明なパッケージの中に、キャンディを詰めたプラスティックの赤い靴。
赤いリボンがパッケージに巻いてある。
「ありがとうございます。でも、あのチョコはお店としてのサービスだった
んですけど」
「いーいーのっ。いつもお世話になってるんだからあ。ウエイトレス感謝
デーでもあればいいのになっ」
「アメリカには秘書への感謝週間があったはずですぞ、黒沢さん」
背中で金城がいう。
「そーなの? んじゃ、そのころになったら、藍ちゃんになんか、考えないと
なっ」
金城の方へ回る真子。
「どうぞ」
「ありがとう。・・・それで、私からもホワイトデーの贈り物です」
リボンをつけた平べったい包みを渡す。
「一緒にランジェリーを買いに行きたかったのですが、お休みをとってい
らしたでしょう。ハンカチに方向転換しました。レースですよ」
「ありがとうございます」
「来年は一緒にランジェリーを買いにいきましょう。来年といわず、その気
がありましたら、今度の休みにでも」
「この間、買ったばかりですので」
にっこり笑いながら真子。
「いくらあってもいいでしょう。普段と違うデザインのものでも」
「気に入ったメーカーは決まっています」
「金城さんっ、いーかげんにしたらぁ?」
コーヒーをがぶりと飲みながら黒沢が割って入る。
「まったくもう、ランジェリー売り場に行こうっての? いい度胸だねっ」
「美しい人のお供だったら、たとえ火の中、水の中、ランジェリー売り場に
水着コーナーとなれば、はりきって馳せ参じますね」
「で、ほかの女性に目移りして、怒らせたりして」
「その辺が問題です」
いつの間にかカウンターにもどっている真子。
「そーいえば、燈子ちゃんへのホワイトデーはどうしたの? 金城さん」
「真子さんのと同じものにしましたよ。乙女心は差別を嫌うでしょうから」
「あ、そう」
コーヒーを飲み干す黒沢。
「コーヒーもう一杯、ちょーだい」
「はい」
黒沢のところに来た真子をつかまえる金城。
「しばらくの間、お別れをいわなければなりません。ヨーロッパの見本市に
行きますので。2、3か月あちらに腰をすえます」
「そうですか。お気をつけて行ってらしてください」
「あなたのために、いいブルーフォックス仕入れてきましょう、真子さん」
「去年買わせていただいたラビットが、まだまだ着れます。私はいいですか
ら、燈子になにか、見繕ってやってください」
「私は女子高生には、興味ありません」
「燈子はいい子ですよ。いずれ大人になりますし」
「そうはいわれても、私は独身主義ですから」
「真子ちゃーん、狼さんに、自分のいもーとを勧めちゃ駄目だよ」
「この羊のような人間をつかまえて何をいうんですか」
「金城さんって、狼さんでなくて、豹でしょ?」
にっこりと、真子。
「わけわかんないや」
「どーいうペースで口説いてんの?」「10人に声をかければ、一人や二人は
反応がありますよ」「声かけまくってるのね」といいながら出ていく二人。
「鳴かない猫はねずみを取るともいうけどね・・・うさぎを取るかもしれない」
ストレートで飲まれたコーヒーカップを洗いながら赤井がひとりごと。
「真子ちゃん、おつかいにいってくれる?」


23 幼稚園 園長室
姫子が上機嫌で真子を迎える。今日は子供を抱いていない。
「いつもありがとっ。一切れ、食べていってね」
「自分で焼いた物を配達して、食べるの?」
苦笑いしている真子。
「いいじゃない。気分転換よっ。この間、煮詰まって休んでたの?」
「毒抜きも兼ねてたの」
「なんだかわからないけど、調子はよさそうね」
コーヒーを入れる姫子。
「聞いて。昨日お見合いしたのよ」
「どうだった?」
「結婚するかもしれない。一緒にやっていけそう。お見合いの終わり際に
デートの約束、したのよ」
「どこに行くの?」
「池袋ナムコ ナンジャタウン。面白いところらしいから」
「あそこは、お勧めできるわ」
「あ、そう。よかった。・・・誰と行ったわけ?」
「私からも報告があるんだけど」
「かわしたわね。で、何?」
「珠子がおめでたなの」
「あらっ、おめでと」
「それから、私も、子供、欲しいなって・・・」
「ビッグニュースじゃないの ! どういう心境の変化なのよ。何があったの?」
真子につかみかからんばかりの姫子。
「ん・・・昨日こんなことがあったら、今日こうなったっていうものじゃないから、
説明しにくいけど。鉄の重しで傾いた天秤があってね。上がっている方に、
少しずつ粉を乗せていって、ある日、とうとうバランスが変わって動きだした
みたいな、そんな感じなの」
「だから、その粉の中身が知りたいのよ」
「どれがどうだって、いえないのよ。生活の中のいろいろ。ごめんね、姫子」
姫子はうーんとうなって、
「とにかく、おめでたいわね。ニ切れ食べていって、真子」


24 アレキサンドライト店内
客足の谷間の時間。ただ一人の客であるSILVER EYEが紅茶を飲んでいる。
「真子さん、きっと遠からずブースターのコントロールも完全にできるようにな
りますよ。それでも、夜間営業は続けるでしょうけどね」
「どういうマジックを使ったんです、SILVER EYEさん」
自分でもコーヒーを飲みながら聞く赤井。
「毒抜きを兼ねて、ゆっくり休んでいただいただけです」
「それができるから、マジックだと思うんですけどね」
品よく微笑むSILVER EYE。
「毒さえ抜けばいいものではないでしょう。また貯めていったら、同じことの
繰り返しですからね。真子さんを含めた、すべての関係者の演じたマジック
ですよ」
「終わりよければ、文句いいませんどね」
目をきゅっと細くする赤井。
「話は違いますけどね、SILVER EYEさん、どうして殺さないスナイパーなんて
ものをやってるんです? 私にはよくわからないけど、SILVER EYEさんだった
ら、絵だけで生活できるでしょ?」
「ハンティングは本能なので、それこそガス抜きですよ」
「気楽にひとことで・・・。真子ちゃんが聞いたら、なんていうか」
「僕だって心の中で折り合いをつけながらやっていますよ」
「もうひとつ聞いておきたいんですけど、これから先、どうするんです? 真子ちゃ
ん、お母さんになっちゃいますよ」
「待ちますよ。金城さんみたいに、4年が無理なんていいませんから」
「どれくらい待つ気です」
「ざっと50年から60年。もっと長いかもしれませんね」
「人生、半分以上終わってるじゃないですか」
「僕は長生きですので」
「真子ちゃんがおばあちゃんになっちゃいますよ。それで、SILVER EYEさんだけ
が長生きでも、一緒にいられる時間は短いじゃありませんか」
「大丈夫。もう、手はうってあるんです」
にこりと笑うSILVER EYE。まさに会心の笑い。
全身にどっと汗をかいて、赤井はいった。
「聞かなかったことにさせていただきます」
「真子さんの了解は得てますよ」


25 数日後 五色グループ内一社の応接室
SILVER EYEが商談をしている。
「では、トータルでこのビル内で10点ですか」
「好評ならば、グループ内のほかのビルもお願いするようになると思います」
「まずは今のご注文に集中しますよ」
担当社員と別れて廊下を歩くSILVER EYEに、後ろから声がかけられた。
「アビルージュ !」
振り返るSILVER EYE。
「あなたですか」
ビジネススーツを着た翔が立っている。ワイシャツは相変わらずピンクで、よく
似合っている。かすかに香るフィリアス。
「もしかしたら、今度の仕事は」
「推薦させてもらった。俺もお前の絵は嫌いじゃない」
「ありがとうございました」
「私情はほとんど入れてない。ゼロとはいわないが」
にやりと笑う翔。
「交渉は自分でやってるのか? 代理人はなしか」
「日本に来てからは、そうですね」
「制作の時間を食われて、困らないか?」
「今のところは支障ありません。これも、経験のうちですし」
「手に余るようになったら、真子に相談してみろ。朱鷺の森の生き残りの叔父は、
画商だ」
「叔父さんがいるのは知ってますが、画商は初耳です」
「真子、珠子たちの父親は、男三人兄弟の長男だったんだ。死んだ長男と三男
は家の仕事に従事していたが、真ん中の変わり者は画商になったのさ。その関
係で、真子はお前のデビューも知ってたわけだ。ちなみに、俺もだ。真子ほどひ
いきにしてなかったが。ついでにいうと、俺たちに妙な技術を仕込んだのもこの
御仁でね。趣味で腕だけ持ってた人だ。姪たちや、その幼なじみが、実際に仕
事にするとは思わなかっただろうな。今でも、知らないのさ」
「・・・・・・」
「燈子が今、住んでるのは三男の奥さんだった人のところだ。子供がいなかった
んで、育てるのをかってでたんだよ。事故後から今までのことは略す。そんなとこ
ろか。他に何か聞きたいこと、あるか」
「いえ、特にありません。父親候補になったそうですね。おめでとうございます」
「ありがとう。そういえば、真子も子供が欲しいといいだしたとか。いいのか?」
「待ちますから」
「敵が増えるぞ。子供なんて特にだ。母親をさらっていく者を許すか? 」
にやり笑いのお返しをするSILVER EYE。
「たとえ世界中を敵に回しても、必ず連れていきますよ」
「健闘を祈る。それじゃ、また・・・。おい、ちょっと待て、そのネクタイピン・・・」
緋色のブレザーにロイヤルレジメンタルのネクタイ。そして、黒がかった紫の
石を使ったネクタイピン。
「アレキサンドライトか?」
そっぽを向くSILVER EYE。
「クリスマスパーティーの時はしてなかった。その時のプレゼントか、それとも
この間の2月か・・・」
「さあ、いつでしょう」
よそを向いたまま照れ笑いしているSILVER EYE。
「順調なようだな。それにしても、お前、そういう顔もできる奴だったのか。安
心したぞ」


26 グラデーション
藍と黒沢が並んでカウンターに座っている。
「ねえ、マスター。おいら、聞きそこなってたけど、グラデーションっていう店名、
どっからとったの?」
「真珠のネックレスの玉の組み方ですよ」
「へっ?」
藍が脇から解説する。
「始めから終わりまで、全部同じ大きさの玉をつなげたネックレスはユニフォ
ーム、センターが一番大きくて、端にいくほど小さくなるタイプはグラデーション
っていうのよ」
壁にかかっている飾りを指し示す。タペストリの間にさげられたネックレス風の
アクセントは、上部の留め金部分は小さい玉、下部、センターにいくほど大きな
玉を使っていた。
「このごろはユニフォームが流行っていて、あまりグラデーションはないわね」
「答えはずっと、壁にかかってたのかあ」
「そういうこと。聞けば、いつでも答えたのにね」
屈託なく笑う藍。すっかり打ち解け、黒沢と初対面の頃の皮肉っぽい笑い方
ではない。
「おいらは、探偵は小説の中だけにしといた方がいいなあ」
「あら、必要になったら、助手をつとめるわよ」
「ただの作家でいいです」
「覆面のユーモアSF本格推理作家でしょ?」
「正体は平凡な独身の三十男です。そーいえば、どーして金城さん、クリスマス
パーティーの時、藍ちゃんにコナかけなかったんだろ」
「じゃじゃ馬は避けたんじゃない? いくら口説きまくるといっても、好みはあるで
しょ」
「もったいない。助かったけど。目をつけられたら、こっちは気が気じゃないよん」
「え?」
「なんでもなーい」
「どうぞ」
店主がカクテルを出す。藍にはベリーニ。黒沢にはビールとトマトジュースを
半々に入れて軽くステアしたもの。
「ビールのカクテルもずいぶん覚えたなぁ。これ、なんてゆーの?」
「レッド・アイですよ。二日酔いにいいという説があります」
「なんか、似たよーな名前の知り合いを思い出してしまった」
「画家さん?」
「そう。一体これから、どーなるんだろ」
「何が?」
「ひとりごとです。探偵はもう、おしまいなのさっ」


27 イリュージョン
窓際の席に真子が座り、夜景を眺めている。テーブルの上にシャーリーテン
プル。弦楽四重奏に合わせてハミングしている曲はモーツァルトの「ハレルヤ」
とヴェルディの「乾杯の歌」。休憩に入ったところで、後ろからSILVER EYEが
声をかけようとする。しかし、窓ガラスに姿が写っているので、真子が先に振り
返って微笑む。
「こんばんは、SILVER EYEさん」
「こんばんは。曲は、映画「オーケストラの少女」からですね」
「そうみたいですね」
向かいに座るSILVER EYE。
虹野がいそいそとアドニスを持って来る。グラスに入れたポッキーとクラッカ
ーも置いていこうとする。
「虹野さん、あとの2つ、頼んでないけど」
「常連のお二人が久しぶりにみえたので、マネージャーから、おごりです」
「それはありがとう」
「お気遣いいただきまして」
「いえ、私共も嬉しいんです」
一礼して去っていく虹野。
「金城さんと燈子さんを避けようとしていましたからね」
「燈子も、そんなに来たわけではないんですけど。何しろ高校生ですから。
でも、金城さんもここはお好きなんですよね」
「当分は来ないでしょ?」
「ヨーロッパの空の下ですものね」
窓の外に目をやる二人。
「赤井さんはまさかっていってますけど、燈子と金城さん、うまくいくんじゃ
ないかって思うんです」
「さあ、どうでしょうね。黒沢さんと藍さんは?」
「私は否定的で、赤井さんがもしかしてって思ってます」
「どっちにしても、何年か経てばわかりますよ」
ふところからリボンをかけた小さな包みを取り出すSILVER EYE。
「ホワイトデーに、どうぞ」
包みをほどく真子。この春の新色のルージュ。エグランティーヌ、野ばらの
花の色である。
「ピンク・・・そういえば、こんな色の野バラが、マウストラップの中に咲いて
いたみたい・・・」
「たしかに、ありましたよ」
うなづくSILVER EYE。さりげなく続ける。
「別に、少しずつ返して欲しいとはいいませんから」
一瞬、きょとんとしてから赤くなる真子。
「SILVER EYEさん、ごめんなさい」
ルージュをしまいながらいう。
「何がですか」
「たぶん、「オーロラたちの饗宴」から報告がいってるでしょう」
「心境の一大変化のことですか」
「ええ」
「いいですよ。よかったじゃないですか」
「・・・・・・」
「待ちますよ。普通の、幸せな生活を送ってください。夜間営業は、あまり
普通じゃないかもしれませんけど」
黙って頭をさげる真子。
「ひとつだけ質問していいですか」
めずらしく逡巡しているSILVER EYE。
「どうぞ」
「どうして緑屋さんと結婚したんですか。まさかとは思いますが、何らか
の形で朱鷺の森の敵を取るためとか。それとも、淡々としていてブース
ター暴走の引き金になりそうにない人だからとか。そんな理由だったら、
待つ方はいたたまれないんですが」
「嫌だ、SILVER EYEさん」
ふき出す真子。必死で笑いをこらえる。
「そんなんじゃありません。主人と私の名誉のためにいいますけどね。
あの人、学生の頃、アレキサンドライトの常連だったんです。私が短大
生でアルバイトしていて、そのままスライド就職しましたけど・・・。それで、
あそこで会ったのがきっかけでつきあいだしたんですよ。最初から家業
につきたくないっていってましたし・・・向かないんですよ。家同士のこと
は、しかたありません。立場が逆だったら、朱鷺の森も同じことをしていた
かもしれませんし。まあ、少しはこだわりはありますけど、まったくない方
が変ですよね。それと、ブースターのブレーキだったら、赤井さんの方が
強いですよ。ごめんなさい、いいにくいけど、SILVER EYEさんを前に申し
訳ないけど、私は、主人を思っているのも、確かなんですよ」
SILVER EYEは話の途中から安堵の表情を浮かべていた。
「それを聞いて安心しました」


第12話(4) 終わり

第1部 終わり
[第13話(前半)へいく] [「アレキサンドライト」シリーズの目次へいく] [一番最初に戻る]