1 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「藍ちゃーん、コーヒーもう一杯、ちょーだい。アップルパイも1つねっ」
「はい」
典型的なメイドスタイルの藍が応える。
「藍ちゃんに「はい」っていわれると、やっぱり変。なれないにゃ」
「悪かったわね。仕事中なのよっ。・・・コホン、失礼しました」
藍が2杯目のコーヒーとアップルパイを運ぶ。
「あんがと。それにしても、藍ちゃんにサービスしてもらうとは予想外だよん」
「真子姉さんが戻ってくるまでのつなぎよ」
「うん。もう10日近いっけ。どっか行ってんの? 今度こそふーふで旅行とかあ」
「緑屋さんは、通常と変わらず出社。真子姉さんは家でひとり、のんびりよ」
「もったいないーっ」
「そういう休みかたも、ありますよ」
カウンター内から赤井が口をはさむ。
「そりゃそうだけど、さっ」
いいながらアップルパイにかぶりつく。
「今日もうまいっ。たしかに、味がおんなじだねっ」
「ありがとう」
「だけど・・・」
通路脇に立っている藍を見上げつつ、
「こーしてみると、真子ちゃんとはっきりくっきり別人だねっ。どーして、最初
だまされたんだろう」
「どこかおかしくないかって、首を傾げてたじゃない」
「そりゃそーだけどさぁ。今ほどはっきりとは区別できなかったもんね」
「なれの問題よ、来井先生」
「筆名で呼ぶのも、先生つけるのも、やめてくんない? 落ちつかないや」
「はいはい」
「てなわけで。コーヒーもう一杯、ちょーだい」
藍がきちっとしたウエイトレス調で、
「はい」
3杯目のコーヒーが運ばれる。
「あんがと。それで、3月の誕生石って、何?」
「アクアマリン、さんご、ブラッドストーン。3つあるから、お好みでどうぞ」
「とりあえず、アクアマリン教えて」
「その名のとおり、海の色みたいよ。以上」
「そのひとことで終わらせないでほしいーっ」
「人の話を聞くばっかりじゃなくて、自分の目と足を使って見に行って欲し
いの。百聞は一見にしかずっていうじゃない。まして、宝石なんだから。写
真だけでなくてね。だから、これだけ」
「はい。んじゃ、またそのうち取材ってことで、はしごの水先案内してね」
「喜んで。と、いうかこれからは仕事の範疇に入るのね」
「そーゆーことです」
「ごちそーさまっ」と黒沢は出ていった。からっぽになる店内。
赤井が目を細くしていう。
「真子ちゃん、ここ1年お休みとってなかったから、だいぶくたびれてたら
しい。パンクしかかってたようです。ええ、まあ、精神的な面が多々ありま
して。ただいま、オーバーホール中・・・。だけど、黒沢さんには話せません」
「マスターとしては、たしかに、いえないわね」
「雇い主として、相棒として、申し訳なかったですよ。目が行き届かなくて、
無理させてしまって」
「真子姉さんは、具合悪くても、かくす人だものね。マスター、アレキサンド
ライトチームの片割れさん、気に病まないでよ」
「何のための相棒なんだか。いってもらえない、気づけないで、二重に情
けないですよ」
「滅入るの、ストップ !」
赤井の背中をたたく藍。
「マスターが暗い顔してたら、お客が困るわ。接客業でしょ?」
「すまない、藍ちゃん。その通りだね」
なんとか明るい表情を作る赤井。
「でも、ほんとに家で静養? 昼間に電話かけても、出ないわよ。どういう
こと?」
「わたしも詳しくはないけれど・・・」
「オーロラたちの饗宴」を振り返る赤井。つられて一緒に見る藍。
「まあ、とにかく、しっかりフォローしてくれてる人はいるらしいですよ」
「そう? それなら、いいけど」
「とりあえず、わたしは静かに真子ちゃんが戻るの待ってます。で、
藍ちゃん、お使いにいってくれる?」
「ええ」


2 路上
黒沢が自宅兼仕事場のマンションに向かって歩いている。
「ここんとこ、真子ちゃんと足並みそろえてSILVER EYEさんが来てないのが
あやしーっ。もっとも、なまぐさい感じはしないんだけど、さっ。くわえて、あの
絵がひまそうにしてるよーに見える。おいら、自分の感覚が恐いんですけど」


3 SILVER EYEのアトリエ
SILVER EYEが電話で仕事の話をしている。
「はい・・・では、その日にうかがいます」
電話を切り、宙を探るように見て、ひとりうなづく。
「もう少ししたら、行ってみようか」


4 幼稚園 園長室
姫子が紙芝居のチェックをしている。藍が、自分で届けたアップルパイ
の包みをひとつ、ほどいている。
「ここでお客さんになるなんてね」
「どうぞどうぞ、召し上がっていって、藍さん。一切れは真子の分のつもり
でいたんだから」
「遠慮しないでいただいちゃうから、姫子さん」
「そういう人だって、知ってるわ。私の分も切ってね」
二人分を切りわける藍。紙芝居を脇に置き、姫子がお茶を入れる。
「真子がまとまった休暇の最中だったのは、知らなかったわ。お使いに
かこつけて、おしゃべりしたかったのに」
「園長がさぼってて、いいの?」
「息抜きよ、息抜き。幼稚園長って、ハードよ。子供が好きなだけじゃ、
勤まらないわ。大人とのつきあいもたっぷりあるし・・・保母さんたちや
親御さんたちね・・・お役所絡みもあるし。旧友と話すぐらいは、させて
もらうわ」
「妹でお気の毒さま。伝言があれば、持って行きますけど?」
ずい、と乗り出す姫子。
「今度お見合いするって、いっておいて。いい人を見つけるなら、人頼み
で待ってるだけじゃだめよね。こっちから探しにいくわ。成果報告をお楽
しみに、って。これもいっておいてね」


5 絵の中の迷宮
木の幹にもたれて、横座りで真子が眠っている。本を読んでいる途中で
居眠りを始めてしまったかのような、リラックスした雰囲気。
ふっ、とSILVER EYEが姿を現す。眠っている真子の表情を観察してから
隣に腰を降ろす。その気配に目を覚ます真子。
「あ・・・」
「そのまま寝ていて、いいですよ」
「・・・・・・」
SILVER EYEの肩に頭をもたせかけ、もう一度眠りに入る。安心感が増し
たような表情。
「僕は医者じゃないんですけどね・・・」
苦笑しているSILVER EYE。
「でも、真子さん相手ならいいですよ」
ひとりごとのように、眠っている真子にいいきかせるように、続ける。
「ブースターのコントロールって、結局、普段から精神的な無理をためない
のが一番でしょ? 真子さん、感情を抑えすぎてませんか? 何かしたいとか、
欲しいとか、嫌だとか、もっといっていいんですよ。誰も、わがままだとか、
おかしいとか、いいませんから。抑えて、消していたつもりの感情が怒りっ
ていう毒に変質して、暴走の原因になるんだ。真子さんもわかってるはず
ですよね。無意識に周囲の誰かの怒りなり悲しみを増幅して、一緒に発散
させてしまっているって。とにかく、今は休んでください。それで、今、たまっ
て変質した分の毒は、ここで気化させます。眠っている間に、自然に中和し
てますから。こんなマウストラップを作ることになるとは思いませんでしたけ
ど。・・・真子さんに相談される前に、マスターがデータを揃えさせてくれたか
ら、そのおかげです。いい相棒ですよ」
「・・・・・・」
「でも、感情を抑えていたはずなのに、あの絵だけは盗んでくれたんだ。驚
いたけど、嬉しかったですよ」
「・・・・・・」
「たぬき寝入りじゃないですよね、真子さん」
「・・・・・・」
そっと様子をうかがうSILVER EYE。まちがいなく寝息をたてている真子。
「まだ、時間も早いから、もう少しいます。感覚遮断が解ける時間が早くな
ってるから、大分よくなってきてますよ」
SILVER EYEも目を閉じる。
「こうしたことも、いつか、いい思い出になるのかな・・・」


6 同日 晩 グラデーション
カウンターに黒沢と藍が並んで座っている。黒沢の前にはミント・ビア。
よく冷やしたビール適量をゴブレットに注ぎ、ペパーミントを15ミリリット
ル加えて、軽くステアする。藍はいつも通りのベリーニ。
カウンターの上に二枚の同文の雇傭契約書が置かれている。藍の署
名、捺印を確認して、黒沢も同様の記入をする。一枚を藍に渡す。
「はいっ、藍ちゃんのほうでも、保管しててね」
「わかったわ」
それぞれの鞄の中にしまう。
「さてっ、契約もできたし、乾杯しましょーかねっ」
「賛成」
カチッと合わされるグラス。
「バーで雇傭契約書交わすのも変だけど、普段会ってる場所でなれてるか
ら、勘弁してよね」
「別にいいけど」
「出勤は、4月に入ってからだよねっ」
「ええ、よろしくお願いしますわ、先生」
「だから先生はやめてってゆーのっ」
「それじゃ、秘書が雇い主を何て呼べばいいのよ」
「今まで通りでいいのっ。外に対する時だけは、てきとーにやってね」
「了解」
グラスを置く藍。
「ところで、ほんとに履歴書なしでいいの?」
「構いませんっ。現住所と連絡先電話番号だけで、いいです。緊急用はアレ
キサンドライトでしょ? しつれーながら年齢は真子ちゃんマイナス一でわかっ
てるし、出たガッコ知らなくても、藍ちゃんの仕事ぶりがわかってりゃいいん
だから・・・原稿チェック能力はよーく知ってるし、アレキサンドライトの助っ人
さんも見せてもらったもんねっ。おっけーだよん」
「おおらかね」
「うそっこの経歴書かれたら悲しーし、藍ちゃんも楽しくないでしょ。今がよけ
りゃ、過去は問わないのっ。仮に、仮にの話しだけど、元どろぼーさんでも、
おいらのお仕事、手伝ってもらいたいです」
「仮に・・・の話しだけど、現役のままじゃ不採用よね」
「ん〜。いずれ、二足のわらじでなくなるのを、お待ちしてます」
「秘書専業の方が楽しそうだわね」
「それは、おいらにとっても歓迎できる状況です。藍ちゃーん、仮のお話は、
これくらいにしない? 先にふったのは、おいらだけどさっ」
「じゃあ、話題変えましょう。何にするの?」
「最近藍ちゃんが読んだミステリーのこととかあ。同業者さんのお仕事に対
する感想なんかも、聞きたいなっ」
「昨日読み終わったのって、来井 円の新書判書き下ろし新作なんだけど。
私が生原稿、読んでないものなのよね」
「ありゃー」
「雇われる身になったからって、遠慮しないわ。斬るわよっ。覚悟してよね」


7 絵の中の迷宮
真子が目をさました。
「SILVER EYEさん !」
SILVER EYEにもたれていたのに気づいて、あわてて体を起こす。
「おはようございます。もう、外の時間は夜ですけど。よく眠ってましたね」
「私、SILVER EYEさんの肩をずっと借りてました?」
「いいえ。一度、仕事に戻りましたから」
「そうですか」
くすりと笑うSILVER EYE。ひとりごとで、
「われながら、自制力あるな・・・」
「え?」
「いえ、こっちのことです」
きょとんとする真子。
「そろそろ、戻りますか」
ゆっくりと立ち上がるSILVER EYE。真子も立ち上がりながら、
「あのね、SILVER EYEさん、この状態で、またひとつお願いがあるんですけど」
「なんでしょう」
「藍の・・・ブルーサファイアの最後の仕事、私の時みたいに見守ってやってて
いただけませんか。あの子も、もう足を洗いますから。最後にきてつまずかせ
たくないんです」


第12話(1) 終わり

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