7 同時刻 某百貨店
通用口から赤井と真子が出てくる。少し離れた車の駐車場所に向かう。
「2月はアメジスト・・・。わたしたちは、仕事に対しては誠実だよね、真子ちゃ
ん」
「そうですね。昼の営業も夜の営業も」
「お客さまの笑顔がわたしたちの元気の元、ってところだね」
「一生懸命の甲斐があったのか、昼間は常連のお客さまが増えましたし」
「アップルパイも好調に出てるし。よかったよかった。真子ちゃん、お手柄だよ」
「ありがとうございます。手が足りなくなったら、藍にも焼いてもらおうかなって、
考えてるんですよ」
「同じ味で作れるって」
「ええ」
「そういえば、藍ちゃん、もうじきブルーサファイアをやめるって?」
「はい。あと3つで、朱鷺の森コレクション、揃うんですよ」
「わたしたちのカムフラージュも、あと3回程度かな」
アメジストを入れたバッグを持ち上げる赤井。
「いいえ、あと1回です」
「どういうこと」
「完璧に揃えると魔が入り込みそうで嫌だって、いってました。それで1つ残し
ます。もう1つは、保険だそうです」
「保険?」
「目一杯落ち込んだ時、「あれ」がまだあるから、ここで倒れるわけにいかない
っていう支えにするんだとか」
「そういう考え方も、あるね」
「はい。だから、あと1つなんです」
「よくやったね、藍ちゃんも。ところでね、真子ちゃん」
白い息と一緒に、赤井が切り出す。
「珠子ちゃんが降りて、藍ちゃんももうじき降りるけど、真子ちゃんは続けてくれ
るのかな? 夜間営業」
きょとんと、真子。
「もちろん。続けますよ」
「いつか・・・ブースターのコントロールが完全にできるようになったら? ガス抜き
がいらなくなっても、続ける? それとも、もう、手を汚すのをやめる?」
車のところにたどり着く。ドアを開けずに、真子の顔を見ている赤井。
「たぶん・・・続けると思います」
静かに答える真子。
「お客さまのいる限り、続けるでしょう。ブースターを使うのは、少しつらいかもし
れません。それでも、お客さまがそのままでは耐えられないなら、悪いことは、
こちらでかぶりましょう」
「真子ちゃん、いいの?」
「アレキサンドライトの営業方針でしょう。ここのウエイトレスですから」
「とんでもないことに、ひっぱり込んだ気がするのに・・・」
「赤井さん、何をいまさら、いってるんですか」
「いや・・・。いつまでも、これでいいのかなって、思って」
「マスターの赤井さんが迷ってて、どうするんですか」
くすりと笑う真子。
「私は、このお仕事、好きですよ。変に気にしないでください」
「そう? それじゃあ、当分このままでいいんだね」
「はい」
ドアを開けて乗り込む二人。
「ところで、緑屋さんは、どうしてるの?」
「人間ドックに入ってます。眠れないのが続いてますので、検査です」
「大変だね」
走る去る車。
「ブースターのコントロール方法・・・ね」
SILVER EYEが二人に知られず、車を見送る。
「とりあえず、頼まれた物を仕上げるのが先かな」
SILVER EYEの周囲の空気が揺れ、彼の姿がかき消えた。


8 バレンタインデー アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「真子ちゃーん、コーヒーおかわり、ちょーだい。あと、アップルパイね」
「はい」
「私も、同じものをお願いします」
黒沢の背中で金城。
「はい」
コーヒーとアップルパイ2セット、そしてキスチョコの入った小皿 、小さく切った
チョコレートケーキ、チーズケーキまで運ぶ真子。
「どうぞ」
「わおっ。何がどーなってるの」
「ご注文のお品とバレンタインデーサービスのキスチョコ、常連のお客さまサ
ービスのケーキです」
「ケーキは2種類もらっていいの?」
「はい」
「わーいっ。あんがと」
はむはむとチョコレートケーキを食べる黒沢。
「そーいえば、バレンタインデーでご主人にケーキ焼くっていってなかったっけ、
真子ちゃん」
「はい」
「これ、ひょっとして、それのおこぼれ?」
「ちょっと申し訳ありませんけど、そうです」
「うんにゃ。こんなことでもないと、真子ちゃんの手作りケーキなんて、いただ
けないもん。おいしいよっ」
「ありがとうございます」
「黒沢さんっ、アップルパイは真子ちゃんが焼いてますよっ」
カウンターから赤井が叫ぶ。
「知ってるよーん。いいのっ。お仕事を離れた手作りケーキだもんっ。メニュ
ー用以上に愛情がこもってるでしょーが」
金城の席に回る真子。
「どうぞ」
「ありがとう」
先にキスチョコを取る金城。
「真子さん、お客さまサービスといいながら、私に渡す時だけは、本気の愛情
を込めて渡してくれているのでしょうね」
今にも真子の手を握らんばかりのノリである。
にっこりの笑顔をキープしている真子。
「金城さんっ、何を根拠にそんなセリフが出てくんのっ !」
振り返り、かみつくようにいう黒沢。
「圧倒的な実力の裏打ちからくる自信です」
「何いってんだかぁ !」
「個人事業で生き馬の目を抜く世界を渡っているのですよ、私は」
「おいらだって、キーボードたたいて生計立ててるよっ。実力勝負なのっ !」
「認めましょう」
「やれやれ・・・」
「それでも、実業家というのは魅力的でしょう」
「文章で世界を構築するのだって、いいじゃんっ !」
「だから、認めていますって」
「なんか、負けそう。真子ちゃん、コーヒーもう1杯、ちょーだい」
いつのまにかカウンターに戻っている真子が「はい」という。赤井はすでに
注ぎにかかっている。黒沢の元にスムーズに運ばれる3杯目。
「あんがと・・・。はあ、金城さんには、どーにも適わないにゃ」
金城はチーズケーキをつまみながら、
「いいではないですか、これも楽しきコミュニケーションの一形態で」
「まぁね」
やがて席を立つ金城と黒沢。「なんと、今夜もイリュージョンです」「ふーん、
燈子ちゃんと?」といいつつレジに向かう。真子が応対する。
「いつも、燈子がお世話になってすみません」
「いえいえ、いずれ、ボーイフレンドと行くようになるでしょう。燈子さんに飽
きられるまでの間、保護者代わりをさせていただきます」
「よろしくお願いします」
「真子さん、そのうち大人同士でいきましょう。カクテルは飲む宝石ですからね」
「なんかさぁ、ここ一週間、いつも以上にこの絵、迫力ない? 迫力っていい方、
変だと思うけど、さっ」
「オーロラたちの饗宴」を見て、黒沢がいう。
「そうですか?」
と真子。
「うん。活動してるってゆーか、働いてるってゆーか、そんな感じ。おいらの
感覚、変だね」
「その感覚の方が正しいかもしれませんよ」
「そーお?」
出ていく、黒沢と金城。空になる店内。
「「オーロラたちの饗宴」には、モニタリング能力があるものね。そんな力を絵
に吹き込んで・・・。SILVER EYEさんは擬人化していってるし。このごろ、これ
は気合が入ってるのかな。わたしにはわからないけど」
赤井がコーヒーカップを洗いながらいう。
「さあ。どうなんでしょうね」
毎朝はたいているのに、また、額縁の掃除をしている真子。
「マウストラップをしかけるものはそれ用に描くみたいだし。それ以外の作品
は普通の絵だよね。何はともあれ、SILVER EYEさんは画家なんだから」
「ええ」
「どうして、これにだけ、モニタリング能力をつけたわけ?」
ため息をつきながらいう赤井。
「赤井さん、SILVER EYEさんから聞いてませんか」
「直接には、聞いてませんよ。まあ、なんなとなく見当はついてるけど」
「そうですか・・・」
「ごめんね、真子ちゃん」
「いいえ・・・」
はたきをしまう真子。
ドアが開き、SILVER EYEが入ってきた。
「こんにちは。紅茶、ください」
「はい」
赤井と真子の二重唱。
続いて、フリの客も一人。つなぎを着ている。
「カレーライス大盛りひとつ」
「はい」
真子はSILVER EYEのテーブルに水とキスチョコを持っていく。
「バレンタインデーサービスです」といいながら渡している真子を見て、赤井
はこっそりため息をついた。


9 同夜 イリュージョン
いつものように客の入っているイリュージョン。弦楽四重奏のメンバーは
バレンタインデー向けの曲をメドレーで奏でている。
「金城さん、誰か大人の女性とのデートを、お邪魔しちゃいましたか?」
シンデレラを前に、燈子が尋ねる。さっぱりした黄色のワンピース。若々しく、
健康的に、いかにも高校生らしい恰好。
「お気遣いなく、燈子さん。私のような者になりますとね、年中バレンタインデ
ーで告白されているようなものですから。こういう日こそ、かわいらしいお嬢さ
んのために働きます」
ニコラシカを前に、さらりという金城。
「あははっ。すごいっ。ありがとうございます」
「ちなみに、私もときおり、告白する方に回りますので、いちいち日取りにはこ
だわりません。そんなことで、みすみすチャンスを逃してはいけないのですよ」
「そうなんだぁ、勉強になります」
ころころ笑っている燈子。
砂糖を乗せたスライスレモンを含んで酸味と甘味を口の中に拡げ、それから
一気にブランデーを流し込み、口の中でカクテルを作る金城。パチパチと手を
たたく燈子。このところ、おなじみの流れになっている。
「何回見ても、面白いですっ」
「私は水族館のアシカですか」
「アシカより、かわいいですぅ」
「どこがどう、かわいいんでしょう・・・まあ、構いませんが」
毎度のことで苦笑いの金城。
「ニコラシカって、のどを焼くんですよね。お薬代わりに、はいっ」
リボンをかけた四角い小さい包みを差し出す燈子。
「バレンタインデーのチョコです。金城さん、大好きですっ」
屈託なく宣言する燈子。
「おやおや・・・小さなレディにもててしまいました。ありがとう、燈子さん」
苦笑い、極まれリの金城。
「おじさんにあげてしまって、いいんですか」
「いいんです。ブランデー入りだから、あんまりお薬になりませんよ」
「それが何よりの薬です」
ポケットにしまう金城。
「金城さん、本気ですからねっ」
「はいはい、小さなレディの本気、真面目に受け取りました」
「でも、未成年はパスなんですよね」
「よくご存じで」
「4年経ったら、またやります」
「忘れてなかったらですね。燈子さん」
「あっ。忘れると思ってる」
「それは、そうでしょう」
「毎年贈ってもいいんですけど」
「とりあえず、来年を期待しないで待ちましょう」
「4年経って、二十歳になった私を見てびっくりするようにっ、金城さんっ」
「はいはい」
真面目にいい張っている燈子と、苦笑いの金城を、通りかかった虹野が
一瞬不思議そうに見つめ、すぐに仕事用の顔に戻った。


第11話(中) 終わり

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