1 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストを食べている。
「真子ちゃーん、コーヒーもう一杯、ちょーだい。あ、違った。マスター、コ
ーヒー、ちょーだい。それから、新メニューのアップルパイ、1つねっ」
「はいっ、黒沢さん」
赤井が2杯目のコーヒーとアップルパイを運ぶ。
「あんがとさんです・・・。真子ちゃんがお休みって珍しいね。どーしたの」
「普通のお休みです。友だちのところに遊びに行ってるはずです」
「私にもコーヒーとアップルパイ、ください」
黒沢の背中で金城がいう。
もう1組のコーヒーとアップルパイを運ぶ赤井。
「マスター、おそれいります。時に、今年はうさぎ年でしたかな」
「はて、何年(なにどし)でしたっけ」
「おいら、なぜか猫のよーな気がするんだけど」
「黒沢さん、猫年はありませんぞ」
「このお店の中でだけ有効、とかさっ。ねえ、マスター、1月の誕生石は、
なーに」
「知りませんねえ。すみません、真子ちゃんに聞いてください」
「じゃあ、どーして店の名前がアレキサンドライトなのさっ」
「たまたま、名前と特徴を聞いて面白いと思ったんですよ」
食事の済んだ黒沢と金城が、「金城さん、また今度、燈子ちゃんのエスコート
でイリュージョンとやらに行くのお?」「はい。なんだか、気に入られてしまいし
て」などと話しながら出ていった。目を細くしている赤井。
「こんにちは、紅茶ください」
SILVER EYEが来た。
「いらっしゃいませ。SILVER EYEさん、紅茶代いりませんから、飲んでからお
つかいに行っていただけませんか」
「僕でよければ、行きますよ」


2 西川(にしかわ)幼稚園 園長室
真子が来客用の椅子に座ってお茶を飲んでいる。
「いきなり来て、ごめんね」
「ううん、前日予告なら、いきなりのうちに入んないわよ。結構、保母さん
たちと顔見知りなんだし、私がいない時でもフリーパスできるわよ」
生後6か月ほどの赤ん坊を抱いて立っている園長、西川 姫子(にしかわ
ひめこ)が答える。真子の短大時代の一番の友人である。
「それで、私はフリーパスして、ぼーっとお遊戯でも見ているの?」
くすくす笑っている真子。
「迎えに来るのが早すぎた母親に見えて、いいかもよ」
「ところで、その子は?」
「とある事務員さんの子。今日だけ私が個人的に、ってことで預かってるの。
残念なことに私が産んだわけじゃないのよねー」
「男の子? 女の子?」
「男の子」
「ね、姫子、抱かせて」
立ち上がる真子。
「おっけー」
姫子から真子へバトンタッチされる赤ん坊。
「こんにちはっ。うふふ。・・・お乳はいいの?」
「さっきあげたから、満腹」
「おしめは?」
「それも今んとこ、いいわ。真子、あとで肩凝り注意よ」
「ええ」
「子供かぁ。産もうにも、相手がいないのよね。かわいいボーイフレンドは
たくさんいるけど、若すぎるのよ。みんな、「えんちょーせんせー、ぼくがお
ーきくなったら、およめさんにしてあげるねー」なんていってくれるけど、そ
れまで待てないわ。真子、いい人がいたら紹介してね」
「気をつけておくわ」
「それで、真子、今日はどうしたの」
「ん、何となく」
「なるほど。実家のことでくたびれた、でしょ」
「当たり。ごめんね」
「いいわよ、避難所にしてくれて。差し入れ持ってきてくれるし。これ、冗談。
あまり、おもてなしできないけど、のんびりしていってよね」
「ありがと」
楽しそうに子供をあやしている真子。そんな真子を見ながら姫子が、ひとりごと。
「相変わらず、子供が好きなのと産みたいって思えるまでの間に、溝があるよう
ね」
真子は室内に飾られている油絵の近くに寄っていく。
「話しそびれてる・・・。まったくいってない・・・。悪いわ・・・」
内線電話が鳴り、姫子が出る。ふたこと、みこと話し、目を丸くしていう。
「真子、あなたを追いかけて面会に来た人がいるって。マスターの伝言
預かってるって」
同じく目が丸くなる真子。
「ここに来てることは、たしかに、赤井さんにしか、いってないけど」
「ちょっと待ってね。・・・それで、その方のお名前、もう一回、いって」
復唱する姫子。
「知ってる人?」
「知ってる・・・。アレキサンドライトの常連さん。確かな人よ」
「了解。応接室にお通しするわね」


3 応接室
SILVER EYEと挨拶をかわすと、姫子は「ごゆっくりどうぞ」といって出て
いった。
「おしかけて、すみません」
SILVER EYEが苦笑している。
「いえ、赤井さんからの連絡でしたら」
とまどい顔の真子。二人して、立ったまま。
「電話で済まない用件ですよね。何か、夜間営業絡みで急なことが?」
「それがですね」
天井を見てから、視線を戻すSILVER EYE。
「隣の駅前に、喫茶店が開業したでしょう。帰りがけに、お客になって偵察
してきて欲しいそうです。メニューの指定もあって、アフタヌーンティーとの
ことです」
「・・・・・・」
絶句している真子。
「2人分を注文して欲しいとか。至上命令だともいっていました」
「・・・・・・赤井さんって」
「「休日に急な指示でごめん、報告は明日口頭でいいから」、だ、そうです」
「・・・・・・このごろ、気を回してません?」
「ですね。最後に、ひとりごとで、「このごろ、イリュージョンを燈子ちゃんと金
城さんにとられてるんじゃないの」って」
口を押さえてふき出す真子。あっちを向いて笑いをかみ殺すSILVER EYE。
「赤井さんってば、赤井さんってば・・・もうっ」
「図星ですね。もっとも、真子さんにも都合はあるし、僕だって晩に描くこと
があるんですけど」
「それで、この指示ですか」
「研究熱心なマスターということにしておきますか」
控えめなノックの音がした。「どうぞ」と真子が答える。姫子がケーキを運ん
で来た。ドア付近でひそひそいう姫子。
「ごめんね、お茶と一緒に出したかったんだけどタイミングずれちゃって」
「いいわよ。それに・・・もう帰るから」
「そうなの? 食べるだけ、食べていかない?」
「お腹空けて、行かないと。赤井さんの指示で、ちょっとライバル店の偵察
に行くの」
「軽食店も大変ね」
今日で2回目、姫子が目を丸くした。


4 数日後 グラデーション
藍が店の中に入ると、カウンターに座っている黒沢と目が会った。
「やっほう、藍ちゃん。お先に来てるよん」
「また、来たの。SF本格推理作家」
「ユーモアのひとことも入れてねっ。いやあ、この間のブラック・ベルベットが
おいしかったもんだから、さっ。文字通り味をしめてきちゃったよん」
たしかに、ブラック・ベルベットをほとんど空にしている。呆れ顔で、それでも
黒沢の隣に座る藍。
「藍ちゃんのことをすこーし教えてもらおうとしたんだけど、マスター、口が
堅いのなんのって。繰り返すけど、ナンパじゃないよん」
「ナンパでも、そうでなくても、当たり前でしょ。黒沢さん、好奇心猫を殺すっ
ていう諺、知らない?」
「知ってるけど、おいら、どっちかってゆーと、猫より犬タイプの人間だと思
ってるから、いーの」
「状況設定はともかく、最後に必ず謎が解けるミステリ書いてる人だものね。
不条理ミステリじゃなく。そうね、犬的かもね」
「読んでくれてるんだ、ご愛読、あんがと」
「図書館か古本屋経由だけよ」
「がんっ。でも、いいです、読んでもらえれば。そのうちに、買ってでも読もう
って方に分類されるようにがんばるから」
「まあ、がんばってね」
店主が声をかける。
「藍さん、ご注文は?」
「季節柄で、雪国」
「そんなの、あるんだ」
カクテルグラスをキッス・オブ・ファイヤーと同じスノースタイル(グラスのふち
に砂糖をつける)にする。シェーカーにウォッカ三分のニ、ホワイトキュラソー
三分の一、ライムジュース ティースプーン2杯分を入れ、氷も入れてシェイク
する。カクテルグラスに注ぎ、カクテルピンを刺したミントチェリーを飾りに沈
める。
「どうぞ」
「少し、見てるといいのよ」
「へ?」
白濁したカクテルが、少しずつ、澄んでいく。
「チェリーはマリモに見立ててあるの」
澄んでいく湖の底にマリモ。グラスのふち、湖の境界に積もったスノースタイ
ルの雪。
「何か、チェリーがかすかに動くんですけど・・・」
「ねっ、いいでしょ?」
「うん・・・」
きょろりとした目でグラスの中を注視している黒沢。やがて、
「演出はこのへんまでね」
と、藍がグラスを口元に運ぶ。
ふっと緊張を解く黒沢。
「ふえーい、短編映画っ」
「今時なら、ビデオポエムでも、いいんじゃない?」
黙って微笑んでいる店主。
「口あたりもいいのよ」
「で、さっ、話が思いっきり変わるけど、1月の誕生石って、なーに。今日、
真子ちゃんがお休みでマスター・・・アレキサンドライトの方のね・・・は知ら
ないっていうんだもの」
「黒沢さん、あなただったら、本気になれば速攻で調べるんじゃない?」
「はい。実は、そーです。会話のとっかかりに、いいなあって思って、毎度
聞いてるけどね。多少はお勉強済みだよん。けどさっ、アレキサンドライト
で話題にするにはよさそうだし、藍ちゃんも詳しいから聞きたいわけよ」
「部下と話すために、いつまでもコピーやファクスのやり方を覚えない中間
管理職みたいね」
「いいじゃない。で、レクチャー、お願い」
「1月はガーネットね。いわゆる、ざくろ石。化学組成のよく似た鉱物七つ
の総称なのよ。色がそれぞれに違うのね。一般にガーネットって思われ
ているのは、アルマンダイト・ガーネットっていって、暗い赤なの。特に色
が濃いと黒に近くなるわね。ほかに、ロードライト・ガーネット、パイロープ・
ガーネットっていうのがあって・・・この辺は赤いわ。グロッシュラーライト・
ガーネットは色の変化に富んでいて透明、半透明があって、褐色を帯びた
黄色、橙色、赤があるわ。アンドラダイト・ガーネットは不透明の黒に透明
な緑。ガーネットの色って40種類くらいあるの。とにかく、赤と決めつけない
ことよ。こんなもので、いい?」
「はい。おそれいります」
「どういたしまして。好奇心旺盛な猫さんね。あら、ごめんなさい、本人は犬
タイプと認識してるのね」
空のタンブラーに気づく黒沢。
「マスター、ビールのカクテル、ほかにある?」
「ドライ・ジンとビールを混ぜるものがあります」
「それ、ちょーだい」
聞いていて、かすかに笑う藍。
「マスター、やるわね」
冷やしたピルスナー・グラスにドライ・ジンを注ぎ、よく冷やしたビールを満
たして軽くステアする。
「どうぞ」
「あんがと・・・これもおいしい。で、何ていうの?」
ここぞとばかりに藍が、
「ドッグズ・ノーズ 。犬の鼻よっ !」


第10話 (前半)終わり

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