9 絵の中の迷宮
藍が呆然と立っている。
「どこよ・・・。ここ」
視界に拡がるモノクロの迷宮。胸の高さほどの迷路が延々と続いている。道の幅
は2メートルほど。道がくねくねと曲がり、あるいは直角に折れているのが伸びを
すると一部見通せる。場所によっては壁が高くなっているところもあり、文字通り、
壁がその方向の視界をさえぎっている。回り込めば、その先にも迷路が続いてい
そうな雰囲気。上方は灰色で塗りつぶされ、それが天井なのか空の色なのかさだ
かではない。照明ははないが、全体の、この程度の様子がわかる。迷宮のまん中
とおぼしいところに放り込まれた形の藍。
「色が・・・ない?」
自分の着ている服を見る。ブルーのスーツのはずが、灰色に見える。
「どうして・・・」
何となく、手をさする藍。温度感覚と皮膚感覚が消えているため、何も感じない。
「ここ・・・どこ? ねーっ ! 誰かいない?!」
声の反響もない。
「まさか、迷路展示会に紛れ込んだなんてこと、ないわよね。学園祭じゃないん
だから。壁がダンボールです、とか」
岩肌のように見える迷宮の壁をたたく。が、感覚がない。
ついふらふらと歩きだす藍。夢の中で行動しているよう。
「なんなのよ・・・」
はた、と立ち止まる。
「迷った時にはその場から移動しないほうがいいのよ ! でも、緑屋の中にいたの
に・・・」
少し高くなった壁の角を曲がり、SILVER EYEがやってきた。茶色のスーツ姿で
ある。
「こんにちは、絵の中の迷宮へようこそ」
迷宮内に静かに響くSILVER EYEの声。
「ようこそって、どういうこと。なぜ、あなたは色があるのよ」
藍の声は響かない。
「自分がつくった迷宮に取り込まれたら、おかしいでしょう」
「これ、あなたの仕業? 誰なのよ!?」
「人の名前を尋ねる時は、まず自分から名乗ったら?」
「誰が変なものを作った人に、名前なんて・・・」
「こちらも、名無しの泥棒さんに名乗りたくはないんですけどね」
「どうして私が泥棒だっていうのよ」
「そういう思念を出している人をとらえるようにトラップをしかけましたから。
冗談ではなく、本気で思っているレベルで」
「思うだけでも有罪というわけ?」
「トラップにひっかかるほどの強さだったんでしょうね。下見段階で、反応す
るなんて」
「それで、私を警察に突き出すの?」
「マウストラップなんて、警察が本気にするわけがありません」
「緑屋に渡すとか」
「真子さんが困るようなことはできません。ブルーサファイア、藍さんですよ
ね」
「そうだけど・・・。どうして真子姉さんの名前が出てくるのよ」
自分のほっぺたをつねる藍。
「感覚がないから、駄目ですよ。ここでは感じません。あ、そんなにつねら
ないで。外に出てから痛みます」
「・・・もう一度聞くけど、あなた、誰なわけ」
「緑屋に新しくかかった絵と、アレキサンドライトのレジ付近にある絵の作者
です」
「ついでに泥棒捕獲もするの?」
「影のサービスのつもりだったんですけどね。お姉さんの嫁ぎ先でも、ターゲ
ットにするんですか?」
「緑屋だったら、だからこそ、の気もあるわ」
「どうしてです?」
「真子姉さんに聞いたら? 知り合いなんでしょ。私のこともバレてるくらいに
親しいらしいし」
「まあ、ね。それじゃ、お話は聞けそうもないから、マウストラップ、はずします」
「はずすって?」
SILVER EYEを睨む藍。
「ちょっと、目をつぶってください・・・もういいですよ」
目を開けた藍は応接室に立っていた。色の感覚その他は、元に戻っている。
目の前にはSILVER EYEが立っている。
「・・・・・・」
息をのむ藍。品よく微笑んでいるSILVER EYE。
「出口まで、お送りしましょうか」
「結構よっ。お店の中なら、迷わないわ」
「そうですか」
「ありがとう。真子姉さんにも電話しておくわ」
「よろしく。さよなら」
部屋を出て足早に廊下を歩く藍。周囲の色を見ながら、頬を撫ぜ、手のひらを
撫ぜ、感覚を確認している。
「ほっぺたが痛くなってる。夢だったわけじゃないわよね。暗示でもないわね。
この話、SF本格推理作家にしてやろうかしら。ユーモアどころじゃなかったけど」
応接室のSILVER EYEは藍の残り香に、
「バニラの香り、シャリマーか。紅茶のシャリマーはオレンジだけど香水になると・・・」
1階フロアでは、絵を見ていた客がうっかり額に触れ、あわててその手を引っ込
めていた。
「・・・・熱いっ !」


10 数日後・アレキサンドライト店内
黒沢、金城、燈子が来ている。金城のテーブルの上に色とりどりのバニース
ーツが置かれている。耳、レオタード、タイツ、カフスのフルセット。基本の黒
に加えて、虹の七色、白、ピンク、その他、絵の具のように色が揃っている。
「これだけあると、壮観ってやつかにゃ」
「中身が入ってないと、つまらないですよ」
「みんなの分まで、ありがとうございましたっ、金城さん」
「今日は「おじさん」、つけないの、燈子ちゃん」
「傷つけちゃいけないから、自粛っ」
「自粛になってないよーん」
「もう、いいですよ」
苦笑する金城。
「でも、金城さんって、かわいい」
「かわいいですか、それはありがとう」
「ほよーん、どこが? 女子高生の感覚って、わかんないや」
「女子高生には、私のかわいさがわかるんですよ」
「でねっ、金城さん、うちの文化祭、クラスに来てくださったら、お安くしますね。
私がいたら、ロハでもいいです。コーヒーはアレキサンドライトに負けるけど」
「ありがたいけど、私は遠慮します」
「金城さんだったら、喜んで行きそうなのに。中身の入ったうさぎさんが一杯
いるよん。多いと目移りして困るの?」
「多くても全部口説くから、構いません。だから、未成年はパスなんです」
「いちおー線引きはしてるのね」
「燈子さん、お誘いの気持ちだけはいただいておきますね」
「はーい。ちょっと残念だな、金城さん」
「そこで・・・ですね。真子さん、どうです、妹さんの喫茶店に接客指導で特別
参加は。紫か緑のバニーなんて、いかがですか。好きな色なんですが」
「やめておきます」
カウンターから真子。
「そうですか。残念ですね。そうしたら行くのに」
「藍ちゃんはブルーだったっけ・・・。ぶつぶつ」
「年齢では真子お姉ちゃんに負けてるのね。勝ってるっていうべきかな」
「勝ち負けはないと思うけど、燈子」
「そろそろしまっていただけませんか。ほかのお客さんがいらっしゃったら、びっ
くりされますので」
大盛りのA定食にサービスのデザートをつけつつ、赤井。
「マスター、いっそのこと、ここの制服を一日だけバニースーツにするのはいか
がですか。お客が増えるかもしれません」
「唯一のウエイトレスが逃げ出しそうなので、できません」
「つくづく、残念ですねえ。真子さん、耳だけでもいかがですか」
「かえって恥ずかしくなりそうですけど」
「では、思い切って、やっぱり全身」
「嫌です」
「金城さん、うちのウエイトレスを脱走させるようなことをいわないでください」
「はい。嫌われるのは本意ではありませんので」
食事、用事の済んだ3人が帰り、テーブルを片づける真子。
「夜間営業の都合で着たこともありますもの。これ以上は、いいです」
「かわいかったけどね。機会があったら、また着てね、真子ちゃん」
「できるだけ、パスですよ」


11 イリュージョン
フロアの真ん中辺りの席に座っているSILVER EYEと真子。
「妹・・・藍がお手数かけました。ごめんなさい」
「いいえ。まさか、アレキサンドライト絡みの人がひっかかるとは思いませんで
したけど」
テーブルの上にアドニスと極薄のホーセズ・ネック。
「僕、何か真子さんを怒らせましたか」
ジンジャーエールと呼んでも差し支えのないホーセズ・ネックを見ながらSILVER
EYEがいう。
「違います。SILVER EYEさんのせいじゃありません」
「そうですか・・・」
通りかかった虹野にシャーリーテンプルを頼むSILVER EYE。
「どっちにしても、やけ酒はやめたほうがいいですよ。お酒と呼べないお酒でも」
首をすくめる真子。
「それにしても・・・これで4人姉妹出揃いましたね。マジシャンの帽子から出てくる
うさぎみたいに、次々と。もう、いませんよね」
「男の兄弟はいませんよ。いとこも、いませんから」
「ところで・・・夜間営業の仕事の構成、教えてもらえませんか。アレキサンドライト
チームとジェミネス・プルーデンシア、ブルーサファイアの関係、そして燈子さん」
無言でホーセズ・ネックに手を伸ばす真子。止めるSILVER EYE。
「話したくない? やっぱり、間接的に僕が原因のホーセズ・ネックですか」
「・・・はい」
「別にあきれたり、嫌ったりしませんから。ねっ」
「・・・・・・ごめんなさい」
ゆっくり構えて待つSILVER EYE。ぽつり、ぽつりと話し始める真子。
「私たち・・・上の3人・・・足りないもの、無くしたもののかわりに宝石に手を出して
いるのかもしれません。父が亡くなった時も、祖父が亡くなった時も、手元からコ
レクションが離れていきましたから。藍はストレートに朱鷺の森コレクションを狙っ
ていきます。それ以外の仕事も、お金のために、稀にしますけど。珠子は宝石と名
がつけば何でもよし、心配して翔君まで飛び込んでしまいました・・・ようやく、軌道
修正して、ほっとしましたけど。私は、ずるいですね。大義名分をつけて、「お客さ
まのため」なんていって、アレキサンドライトの夜間営業で気を晴らしているんです
もの・・・。お互いに、特に仕事のことで連絡はとっていませんでしたけど、だいたい
動き方の予想はついていたんです。何といっても、姉妹ですから。そして、暗黙の
うちに、私と珠子は藍のカムフラージュも兼ねていました。・・・珠子が降りて、すこ
し、きつくなるかもしれません。・・・燈子はノータッチです。あの子の意識では父や
家の事業の喪失と宝石はつながっていませんから。父が亡くなってから、母の妊
娠がわかったんですよね・・・年が離れた妹です。母とも交流できていませんけど、
ちゃんと育ってくれて・・・私たちの希望の燈火です」
「真子さんの場合、力のこともあるから、仕事は必要なんでしょ? そんなに自分を
責めなくても、いいと思いますよ」
「・・・・・・」
「黒沢さんだったら叱るかもしれませんけど、僕は怒りませんよ」
ほんのわずかに、うなづく真子。
虹野がカクテルを運んでくる。
「安心してシャーリーテンプルをどうぞ、真子さん」
素直に口をつける真子。
「やっぱり、このほうがおいしい」
「そうそう。あまり飲めない人なんだから」
苦笑しているSILVER EYE。
「それで、話してくれたお礼というかご褒美というか、これを」
臙脂(えんじ)の小さな宝石入れを取り出す。うながされて真子が開ける。
「レッドスター !」
「緑屋本店にあったものですよ。勝手に持ってきましたけど。元・朱鷺の森コレク
ションですか」
「ええ。でも、SILVER EYEさんまで巻き込むことなんて、できません」
「今回限りですよ。僕が藍さんの仕事を邪魔してしまったから、替わりにやっただ
けです」
「・・・・・・」
「いらないといわれたら、砕いて絵の具に混ぜますよ」
にこりと笑いながらいうSILVER EYE。
「SILVER EYEさん・・・ありがとう。甘えて、もらっておきます」
「そうそう」
左手中指にはめて、懐かしそうに見ている真子。手の角度を調節し、スターを浮か
び上がらせる。赤ワイン色の宝石に浮かびあがる、さらに赤い六条の星。
「レッドスター、変わらずにきれいね。本当に、久しぶりね・・・」
「無理にやめるんじゃなくて、自然にやる気がなくなれば、一番いいんでしょうね、
夜間営業。マスターは困るかもしれませんが。ブースターにしても、暴走時のスト
ッパーなり、力の分解・中和方法なり、ないのかな・・・。聞いてないや、真子さん」
真子は嬉しそうにレッドスターと会話している。
SILVER EYEはあきらめて赤いグラスを手に取った。


第8話(後半)終わり

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