8 翌朝 アレキサンドライト店内
もそもそとガーリックトーストを食べている黒沢。
「真子ちゃーん、コーヒーもう一杯、お願い」
「はい」
「あんがと。・・・あのさーっ、昨日の昼頃、真子ちゃん、どこにいた?」
「ここにいましたけど」
「だよねっ。よく似た妹とか、親戚って、いない? 年の近いコで」
「・・・・・・」
「プライベートな話は嫌いだったっけ? 気に障ったら、ごめんね」
「いえ・・・4人姉妹の一番上ですよ」
「4人もぉ !?」
「双子の妹と一歳下。よく似ていますよ。末っ子は年が離れていて、高一です」
「近くに住んでる?」
「ええ、まあ」
「ふーん」
「それが何か?」
「ううん、なんでもにゃい・・・いや、近いうちに、妹さんたちを紹介してよ。ナンパじゃ
ないよ、好奇心。真子ちゃんに似た、いもーとさんなんて、会ってみたいじゃん」
「そうですか。そのうち、呼びますね」
カウンターに戻る真子。
「なんでまたしても、真子ちゃんを疑わなきゃならんのよ」
9 夜 グラデーション
開店直後。店主がグラスをふいている。
「こんにちは」
ドアが開き、若い女性が一人で入ってきた。「いらっしゃいませ」と反射でいっ
てから、「おや」という顔をする店主。すぐに表情を普通に戻す。
「馴染みのお店が閉店しちゃって、ここを勧められたの。女一人でカウンター
に座ってもいい?」
「どうぞ、お嬢さん」
「ありがとう」
すっと座る、真子、あるいは珠子にそっくりの女性。コーンフラワーブルーの
ツーピースを着ている。
「私の顔に何かついてる?」
「いいえ」
「姉が来たこと、あるのかしら」
「珠子さんが」
「それでさっきの顔だったのね、マスター」
慣れている、という表情で笑う女性。
「珠子姉さんっていうことは、翔さんも来てた?」
「いつも一緒に、なかよく」
「変わってないわね」
「ここの一番上の階に住んでらっしゃいましたよ」
「住んでいた、って、出ていったの?」
「つい2、3日前、家に帰られました」
「ふーん。行き違いか。真子姉さんに、電話してみようかな。マスターは真子
姉さん、知ってる?」
「話にだけは」
「そう」
「ご注文は?」
「ベリーニ」
うなづく店主。フルート型シャンパン・グラスに冷やしたピーチ・ネクターと
グレナデン・シロップを注いでステアし、冷やしたスパークリング・ワインを
満たす。
「どうぞ」
「ありがと。画家の名前なのよね」
「ご存じですか」
「まあね。これは好きだから」
「ええと、失礼ですけど、よかったら・・・」
「名前なら、あい、よ」
「アイ・ラブ・ユーの愛さん?」
「染料の藍。9月生まれなの」
「そうですか」
「姉たちに別の名前があるの、知ってる?」
「ええ」
「私、ブルーサファイアだから、併せてよろしくね。パートナーなし、一人で
やってるの」
誇らしげに、楽しげにいう藍。
「お気をつけて」
10 同時刻 イリュージョン
SILVER EYEが入口を見やすい席に座っている。テーブルには運ばれた
ばかりで、まだ手をつけていないアドニス。
「たとえ泥棒とそしられてもハンティングは本能。こちらでの結婚は命懸
けだから、相手は選ぶよ。伴侶は納得のいく人を。待つことになってもい
いから」
指先を見る。日中についた絵の具の汚れはきれいに洗われ、まったく残
っていない。爪は切りそろえ、さりげなく手入れされている。
真子が虹野に案内され、SILVER EYEの席に来た。
「こんばんは」
「こんばんは、私の方が遅くなるなんて」
「僕の方がいつもより早かったんですよ。席、ここでいいですか。柱の影
でなくて」
「ええ」
キティーを注文する真子。赤ワインとジンジャーエールを二分の一ずつ
注ぎステアするカクテル。
「アルコールに弱いのに、いいんですか?」
「「シャレード」が好評って聞いたから、お祝いです。ワインでおつきあい」
「限りなくジンジャーエールに近いホーセズ・ネックがやけ酒の人なのに」
「やけ酒じゃありません・・・」
少しふくれる真子。
「真子さん、少し変わった」
微笑むSILVER EYE。
「え?」
「前だったら、こういうとき、はにかむのに、今は睨んでくる」
「睨んでなんか、いません」
少し赤くなる真子。
「・・・結局、変わってないんだ。どっちでも好きですけど」
ますます赤くなる真子。
キティーが運ばれてくる。軽くグラスを合わせて乾杯。
「飲むのに持て余したら、ひきうけますから。シャーリーテンプルでもおごり
ます」
「ええ、持て余したら」
キティーの味見だけする真子。
「話が変わりますけどね、SILVER EYEさん」
「はい?」
「妹が、SILVER EYEさんのいうジェミネス・プルーデンシアが結婚します」
「フィリアスと?」
「ええ」
「おめでとうございます」
「泥棒さん稼業もやめるそうです」
「ふうん。無理していたみたいだから、潮時ですね」
「ええ」
「真子さんの花嫁姿は、そのうち見させてもらいます。すごく気の長い、「そ
のうち」に」
黙って、ゆっくりうなづく真子。
11 約2週間後 軽井沢のプチホテル
真子が「花嫁準備室」のドアをノックした。中から「どうぞ」の声。入ると珠子が
首のリボンを直されているところだった。
「お邪魔だったかしら」
「ううん。もう、終わるところ」
立ち上がって全身チェック。レース地の純白のミニドレスで3分袖。首に赤いリ
ボン。余った分を長く伸ばし、後ろに垂らしている。ベールは短め。髪はアップ。
「真珠のネックレス、しないのね」
「赤いリボンをしたかったから。その分、イアリングとブレスレットはちゃんとし
たわよ。「真珠の朱鷺の森」の意地よね」
直径10ミリで光沢の揃っているイアリングとニ連のブレスレット。持ち込みである。
「ミニドレスでいいの? 」
「ミニのウェディングドレスだから、いいの。それにね、披露宴が大げさになるでしょ。
内輪で式をあげるから、こっちは好きな風にしちゃった」
「柴崎のおじさま方のご意見は?」
「好きなようにしていい、だったの。翔が戻ったのが嬉しくて、あとはどうでもいい
みたい」
「あなたのことも歓迎してるのよ」
「うん・・・それは、わかってる。ありがたいの」
「それにしても、白うさぎみたいね。写真が楽しみだわ」
「うふふーっ。黒いうさぎの写真もあるのよ」
「え?」
「仕事の記念。あとで見せてあげるね」
12 新郎準備室
真子が行ったとき、翔の支度は終わっていた。ブラック・タイである。
「似合うわね。さすが」
「当たり前だろ」
涼しげにいう翔。
「家絡みと趣味絡みで、この手のものは子供のころから、さんざん着たんだ」
「今日も、いっそのこと、腕前を披露すれば? 新郎の演じるマジックショー」
「珠子を箱か何かから出してやりたかったが、都合が悪くてパスした」
「ここだと舞台の設営が難しい?」
「そうなんだ。・・・かわりに、ここで見ていけ、真子」
軽く上げた右手の親指と人指し指の間に赤いボール。手を振ると人指し指と
中指の間にもう一つ。三つ、四つと増え、色も白に変わり、左手にもボールが
現れる。シカゴの四つ玉。拍手する真子。翔は続けてカードを取り出した。孔
雀の羽のように美しく拡がるファンカード。三直角に開いた内側に、一回り小
さいカードが拡がり、外側にまた、大きいカードを拡げる。
「衰えてないわね・・・」
「練習は欠かさなかったからな」
小さなハンカチを取り出し、色をつぎつぎと変えていく。そして、ひとつの大き
なハンカチにまとめる。
「柴崎の家に生まれてなければ、いや、珠子がいなかったらこっちの世界を
目指したかもしれないな」
ハンカチをしまう。
「それで、ラストだが・・・」
バイシクル柄のカードを一組出し、シャッフルする。表を下に拡げ、真子に差
し出す。
「一枚、どうぞ」
「翔君・・・フォース?」
フォース(force)・・・演者が客に、自分が引いて欲しいカードを引かせる技術
である。
「どうぞ」
「乗りましょう」
翔が引かせたがっているカードを、真子は素直に手にした。表にかえす。
「スペードのエース?」
「俺たちには、もう、いらなくなるから」
残りのカードをしまう翔。
「今度はお前の方に必要な気がしてな、真子。やるよ」
合点のいかない表情の真子。
「いっておくが、新品だ」
「結婚してる私に?」
「この間、お前が結婚式前日・・・ほとんど当日に盗んだ絵の作者に会ったから」
視線をカードに落とす真子。
「・・・翔君と少し話したって、聞いたわ」
「いつの間にか会ったんだな。止めないし、責めない。ただ、そのカードがあった
方がいいと思うなら、役に立ててくれ。その程度の意味だ」
「ありがとう。ちょっと遅かったわ」
「そうか」
「でも、この先、使うから。ありがとう」
「ああ」
「結婚おめでとう。幸せにね」
「ありがとう。そっちも幸せに。どういう形か、わからんが」
13翌日 アレキサンドライト店内
開店準備をしている赤井と真子。
「どうだった? 結婚式。珠子ちゃん、きれいだった?」
「きれいでしたよ。かわいかった、っていうほうがいいかも」
「珠子ちゃんなら、そうかもしれないね」
「披露宴は、財界のお歴々を招いて盛大にやるそうです」
「だろうね、翔君の側の都合で。まあ、朱鷺の森だって、つぶれてなければ・・・」
「昔のことですね」
淡々と、真子。
「それで、披露宴だけど、真子ちゃん。呼ばれてない人たちがたくさん行って、
お仕事すると思わない?」
「思いますねえ」
「それで、彼らが帰ったあとに、お巡りさんたちがお仕事を始めることになる」
「ですねえ」
「わたしたち、どうしましょう」
「軽食店、「アレキサンドライト」の営業日だと思いますよ、赤井さん。真面目
に働きませんと」
「ごもっともだね」
声をあげて笑いあう赤井と真子。
第6話(後半)終わり
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