1 アレキサンドライト店内
黒沢が、旅行ガイドの本を読みながらガーリックトーストを食べている。
「真子ちゃーん、コーヒーもう一杯、ちょうだい。暑い時こそ、ホットだよん」
「はい」
新しいおしぼりと一緒に、真子が2杯目のコーヒーを運ぶ。
「あんがと。ところで、8月の誕生石って、何?」
「ペリドットか、サードオニキスですね」
「どっちも知らないや」
「ペリドットは別名イブニングエメラルドです。その名前から連想できる通り、グリーン
です。サードオニキスは、つまり、瑪瑙(めのう)ですね」
「うーみゅ。暑いから、考えるの、やめよっと」
くすくす笑う真子。
「夏休み作って、旅行に行くんだ。真子ちゃんはどうするの?」
真子が答えようとしているところにSILVER EYEが入ってきた。
「こんにちは」
「いらっしゃいませ」
「いらっしゃい、SILVER EYEさん」
にっこりと真子、カウンターから赤井。
「こんちゃ、SILVER EYEさん」
「おいでおいで」をしながら黒沢がいう。相席に座るSILVER EYE。
「お姉さま、紅茶、お願いします」
イリュージョンにいる時より、若い雰囲気のSILVER EYE。
「はい、ホットでよろしいですね」
「あい変わらず、おねーさま呼ばわりなんだね、SILVER EYEさん」
「おかしいですか」
「慣れたから、いーけどさっ。真子ちゃーん、コーヒーもう一杯、お願い。あのさっ、
SILVER EYEさん、夏休みの予定は?」
「特に出かけたりはしません。遊びと冒険を兼ねて、少し違う絵柄で新作を描こうか
と思ってます」
「モノクロ、あるいは部分彩色の油絵、抽象っぽい風景が多いんだっけ」
「彩色の具象もいいかなって」
「いっそ、人物画とかあ」
「それも、考えてるところです」
3杯目のコーヒーとSILVER EYEの紅茶を持ってくる真子。ティーコジーは白うさぎ。
「あんがと。で、話の続き。真子ちゃんの夏休みは?」
「基本は家でぶらぶら、です。東京駅近くのデパートでスミソニアン博物館展がある
ので、見に行って、あとは一日かけて横浜にでも行きたいですね」
「ご主人と旅行なんてのは?」
「一人旅のお留守番になりそうです」
「なんで、どうしてえ。一緒に行けばいーのに」
「いきあたりばったりの旅行が好きな人ですから。極端な話、駅のホームで夜明か
しもするし。ついていけません」
「真子ちゃんのペースに合わさせりゃ、いいのっ」
笑っている真子。
「ふーふは一緒に遊んだほーがいいと思うよん」
「気をつけますね。秋には一緒に行こうっていってるんですけどね」
「んじゃ、ちょっと安心」
新しい客が入ってきて、真子はそちらのオーダーを取りに行った。
SILVER EYEが紅茶の水色を見ながら呟く。
「スミソニアン博物館展っていうと、お目当ての展示品はホープダイヤかな」


2 グラデーション
カウンターに珠子と翔が座っている。それぞれの前にキッス・オブ・ファイヤーとジ
ン・バック。
「ペリドットとサードオニキスね。欲しくて著名なものって、思いつかないわ」
「誕生石にこだわらなくてもいいだろ。無理に仕事しろとはいわないが」
「翔の方が、このごろやる気になってるとか?」
「いいや。ただ助け船を出してるだけだ」
珠子が翔のグラスを見つめる。
「ジン・バックね。色を変えて、珍しいんじゃない」
氷を入れたタンブラーにドライ・ジン45ミリリットル、レモン・ジュース20ミリリットル、
ジンジャーエール適量を注ぎ、軽くステアして完成。
「なんとなく、真子が気になってジンジャーエール絡みさ」
「姉さんを? 妬くわよ」
「そういう意味じゃないっ」
「うふ。信じてるもん」
「・・・ああ、そうかよ」
「話を戻すけど、どうしよう。ペリドットは特に欲しくない。ブラックオニキスは極上
なのが隣に座ってるし」
「おほめにあずかって、ありがとう」
「困っちゃったな・・・」
「夏休みってことで、北海道にでも行くか? あっちは緑がきれいな季節だろ。ペリ
ドットのかわりに見るとか」
「・・・うん !」


3 アレキサンドライト店内
「準備中」の札を下げ、赤井と真子は「横浜のカメラマンに紹介された客」の応対
をしていた。
「ホープダイヤを一晩盗む!? 本気ですか」
目を細くして客を見る赤井。
「ええ、本気ですとも」
30代のサラリーマン風の男性がうなづいた。
「あれは不幸を招くダイヤと呼ばれていますよ。持ち主が必ず不運に見舞われる」
「だから、です」
「だから?」
「不幸を招くといわれて、博物館の中に保管されっぱなし。身につけられること
もなく、見せ物になっている。宝石として、ホープダイヤこそ不幸じゃないですか。
せめて一晩、日本にいる間、誰かが身につけてやれたら、と思うんです。ずっと
持っていたら、人類の宝物の独り占めになってしまいます。責任を持ちきれませ
ん。だから、一晩だけ」
「酔狂な・・・」
「今、スミソニアン博物館展で、来ていますものね。同展で最も人気のある展示
品だとか聞いてます」
「真子ちゃん、見に行くっていってたね」
「ウエイトレスさんも行くんですか。呪いをかけるだ、不幸を招くだなんて伝説を
押しつけられて、かわいそうですよ」
「・・・宝石への同情ねえ」
「お客さま、ロマンチストですか?」
にっこりと笑う真子。
「そうかもしれません」
苦笑いの客。
目がとことん細くなっている赤井。とうとう目をつぶっている。
「それが気になって、人生の歩き方を間違えそうな程ですか?」
「ロマンにほど遠い人生ですから。これくらいしないと、欲求不満で爆発するかも
しれません」
やや芝居がかって天井を仰ぐ客。
「お引き受けするかどうか、一日保留していいでしょうか」
「速攻で断られるより、いいです」
「確認しておきますが、一晩盗んで、返すところまで、わたしたちの仕事になるんで
すね」
「お願いします。あと、盗まれたことが闇に葬られないように、公になるようにしてく
ださい。濡れ衣ですからね。盗んだ人物が無事だったって、わからせてやらなきゃ」
目をつぶったまま、顔をしかめている赤井。
「濡れ衣を晴らす、ね。あと、何かあるかな、真子ちゃん」
「肝心なことですが、誰が身につけるんでしょうか。お客さまですか?」
ぽっかりと目を開ける赤井。
「そうか、盗む事ばかり考えて、忘れていた」
もじもじしている客。芝居っけがなくなっている。
「できれば、そちらのチームでやっていただけませんか。私がつけたら、ホープダイヤ
の悪名が増すかもしれない。パワーアップするかも・・・」
「パワーアップね」
目が再び細くなる赤井。
「・・・わたしか、真子ちゃんか」
「チームに女性がいると聞いて来たんですけど、駄目ですか? 女性の方がふさわしい
と思うんですが」
「ブルーダイヤは魅力ですけどね。まだ、お引き受けするとも、決まってませんし」
満更でもなさそうな真子。
「そこをなんとか、お願いします」
「真子ちゃん・・・やろうか」
普通に目を開けて、赤井。
「そうですね」
赤井を見て、ゆっくりと真子が応える。真面目な顔になっている。
「やってもらえますか!? やった !」
躍り上がらんばかりの客。
「ありがとうございます !」
「詳しいことは、あとでご連絡します。身につけているところをご覧になりたいでしょうし」
「よろしく、よろしく」、といいながら、客が出ていった。
伸びをする赤井。
「ホープダイヤに自分を投影している感じだね、あのお客さん」
「身の周りでよくないことが続いているんでしょうか」
「自分が疫病神かもと、気に病んでいる」
「あるいはそういって、責める人がいるのかもしれませんね」
「つらいところに、ホープダイヤがやって来た」
「ホープダイヤに同情半分、自分の無実の証明を兼ねたい気持ちが半分、でしょうか」
「ああいうお客もいるんだな。やっぱり、この仕事してて、よかった。普通の泥棒さんパ
ターンだけど、がんばりましょう。宝石のショー付きだね」
「よろしくお願いしますね」
「まかり間違って呪われる時は一緒だよ、真子ちゃん」
「相棒ですから」
「緑屋さんの方は、大丈夫?」
「だから、旅行でいませんってば」


4 SILVER EYEの家 アトリエ内
SILVER EYEが新しいスケッチブックをひもといている。「オーロラたちの饗宴」からの
報告を聞き終わったところ。
「ホープダイヤは無実だったはずだから、普通に仕事をすればいいですよ。こちらか
らいっても聞こえないか。・・・マスター、妬きたくなるようなセリフと会話がありましたね」


5 数日後 深夜 東京駅近辺
某デパートの通用口から赤井と真子が出てきた。真子はシンプルな白いワンピースの
胸にブルーダイヤのペンダントをしていた。重さ45.52カラットのホープダイヤ。
「ぬ・・・盗めましたか」
路上でそわそわと待っていた依頼者が小走りに寄っていく。
「このとおりですよ。ホープダイヤも気晴らししたいと、協力的だったのかな。意外と簡単
でした」
ウインクして、赤井。
「不運に見舞われたくなくて、盗む者もいなかろうと、警備が手薄だったとか。いえいえ、
さすがはプロですね」
「ちょっと重いですよ。石そのものと、これの歴史で」
これは真子。
「きれいなものですね。やっぱり、宝石は人につけてもらわないと・・・」
目を輝かせる依頼者。
「少し、夜のお散歩をしますか。ホープダイヤも外の空気を吸いたいでしょう。通行人
もほとんどいないところだから、心配いらないし。真子ちゃん、ボディーガードは引き
受けるから」
「はい」
「力はありませんけど、私も、気持ちだけは・・・」
依頼者も腕まくり。
ブロックひとつ離れたところでSILVER EYEがひとりごと。
「陰ながら、もう一人、ここに。夜目、遠目がきくし、耳もいいから、この距離で充分で
すよ」
3人プラス計算外の一人が、オフィス街を歩いていく。夜の闇に浮かび上がる真子の
姿。白いワンピースと青いダイヤの光が滑るように移動する。ブロックを敷きつめた
歩道の上をバレエの要領で左ターン。フレアーのスカートがふわりと拡がる。4回転し
て、進行方向はそのままに、今度は右ターンを4回。そしてまた、左ターン。街灯をス
ポットライトのかわりに、その下でひと休みする。手と足先に気をつけてポーズをとる。
芙蓉の花に似ている。
「真子ちゃーん、目を回してひっくりかえらないで ! ダイヤに傷つけちゃ、駄目だよー」
「はーい」
「回転の軸がしっかりしてるから、大丈夫そうですね」
目を細めてSILVER EYE。
「いいぞ ! 不幸を招く伝説なんて、回ったついでに飛ばしてしまえ」
腕を回している依頼者。
街灯の光からはずれる真子。晴れた夜空を仰ぐ。
「星がきれい・・・いっそこのまま、空を飛べたらいいのに」
「真子さん、それじゃ、いつか一緒に飛んでみます? 2人だと、ちょっときついんです
けどね」
聞こえないことを承知でSILVER EYEがいう。
真子が、周囲を見回して、
「気のせいかSILVER EYEさんが近くにいるような感じがするんだけど・・・」
「気配は消しているんだけどな。ずいぶん離れているし」
「真子ちゃーん、そろそろ、お開きにする?」
「そうしますかぁ?」
赤井に尋ねる依頼者。
「あのー、マスターさん、犯行声明のほうはどうするんですか・・・」
「インターネットを使います。コンビニからのFAXは、もう古い」
「ちなみに、あの方、奥さんじゃないですよね」
「ほかの人の奥さんです」と赤井が答える。
「そうなんだ。一日違いで。・・・半日かもしれない」
ひっそりとSILVER EYE。かすかに、目が銀色に光って揺れる。真子が首を傾げる。
「やっぱり、近くにいるような気がする・・・。4月、5月、7月も後から聞いたから、
そう思うのかしら」
赤井が依頼者に返す方法を説明している。
「普通小包郵便で、展示会を開催しているデパートに送りつけます。なーに、
スミソニアン博物館にこれを寄付した宝石商ハリー・ウィンストン氏の真似です」
「とりあえず成功、おめでとう。最後まで気を抜かずにね」
遠くから、真子を見守っているSILVER EYE。
「また大使館絡みで、明後日の朝まで、留守をします。まあ、明日は夜間営業は
ないでしょうけどね」


6 翌日 昼間 北海道
とある観光スポットに珠子と翔がいる。
カメラの用意をしている翔。
「写すぞ。いいか?」
「うん・・・。待ってっ。あの人・・・緑屋さんじゃない?」
珠子が翔の後ろを指さす。道路の反対側に大勢の人の流れ。
「あーあ、わかんなくなっちゃった」
「緑屋さんって、真子の亭主だよな」
「なにをいまさら」
「真子と一緒に来てるのか?」
「さあ。ほんとに緑屋さんだったか、わからないし。結構、別行動してるみたいだ
けど」
「珠子の目はいいから、信憑性は高いがな。あとで、電話でもしてみるか」
「どうしてそう、この間から姉さんを気にかけるのよ?」
「まあな。お前の姉だからじゃ、駄目か?」
「いちおう許容範囲」
訝しげな珠子。
「珠子、お前には俺がいる。けれど、真子と緑屋さんだと、もう一つ安心できな
いんだ」
「・・・認める。背景を考えると」
「そのせいだ。考えてもしかたないから、あとで電話だ。・・・そんな顔して写真に
写る気か? ほらっ、チーズ」


7 夕方 アレキサンドライト店内
「準備中」の札をかけて相談中。
「真子ちゃん、ホープダイヤで調子に乗ったところで、新規開店のところにご挨拶に
いこうか?」
「2晩続きで大丈夫ですか?」
「夕べのは面白かったから、さほど疲れていません。真子ちゃんが、夜に自由に動
ける間にやりたいしね」
「主人は今日を含めてあと3泊の予定ですけど。早い方が無難でしょう」
「じゃあ、誕生石のペリドットでも」
「サードオニキスでも、いいですよ」


8 同時刻 英国大使館内
廊下を歩いているSILVER EYE。
「2晩連続? マスターがいるから大丈夫だろうけど・・・」


第5話(前半)終わり


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