1 アレキサンドライト店内
黒沢が、ドア付近に飾られている七夕飾りを見ながらガーリックトーストを食べている。
「七夕かあ。真子ちゃん、7月の誕生石はルビーだよね。おいら、これは知ってるよん」
「コランダムの赤がルビーでそれ以外は全部サファイアだということは?」
2杯目のコーヒーを出しながらいう真子。
「サファイアは青いんでしょ?」
「赤以外、です。一般にサファイアと呼ばれる青いものは、ブルーサファイアなんです」
「ブルー以外のサファイアは?」
「バイオレットサファイア、グリーンサファイア、イエローサファイアなどがありますね」
「真子ちゃん、どうしてそんなに宝石のこと詳しいのよ」
「女ですから」
「あーあ、降参だあ」
「でも、昔はむしろ男性が身につけていたんですよ」
「おいらは、パス !」
ドアが開き、七夕飾りを軽く揺らしながら新しい客が入ってきた。豹柄に糸を織り込んだ
サマージャケットを着た30代半ばの男性。
「いらっしゃいませ」
赤井と真子の二重唱。
黒沢の隣のテーブルに背中合わせに座った客は、メニューを持っていった真子をまじ
まじと見つめた。
「このお店に入ってよかった。あなたのような美しいかたにサービスしてもらえるとは」
にこっと笑うだけの真子。椅子に腰かけたままどっちらける黒沢。
「ご注文はお決まりでしょうか」
「あなたを・・・というわけにはいかないのでしょうね。A定食大盛り、お願いします」
「はい」
にっこりとオーダーを受ける真子。カウンターに戻る。
首を後ろにねじって豹柄客に声をかける黒沢。
「あのさあ、余計なこというけど、彼女、奥さんだよ。コナかけるの、やめといたら?」
「指輪には気づいています。いいんですよ。」
「へ?」
平然と持参の経済誌を読みだす豹柄氏。コーヒーカップが空になっているのに気づい
た黒沢はいつものように、「真子ちゃん、コーヒーもう一杯、お願い」という。真子は、
「はい」と返事をする。黒沢の背中で豹柄氏が、
「ほう。マコさんですか。似合っていますね。素敵なお名前だ」
「あっちゃー、しまった」
今度は豹柄氏が振り返り、黒沢に声をかける。
「あなた、常連さんのようですね。マコって、どういう字を書くんですか」
「真珠の真に子供の子だよっ。真子ちゃーん、ごめん」
「いいえ」
いつもと変わらぬ笑顔でコーヒーを出しつつ、真子がいう。カウンターに戻ろうとする
真子を豹柄氏がつかまえる。
「ウエイトレスさん、真子さんとおっしゃるんですか、毛皮はいかがですか」
「は?」
「失礼、私、毛皮の輸入販売をしています」
名刺を真子と黒沢に渡す。
「金城(きんじょう)さん、ですか。代表取締役をされているんですね」
「個人事業ですけれどね」
「ごめん、おいらは黒沢といいます。名刺のいらない仕事を自由業でやってます」
「男の顔は名刺ですから。ふうむ。いいお仕事をされているようだ」
「そいつは、どーも」
「で、真子さん、季節的に早いですが、今から冬の毛皮のことを考えませんか。
毛皮は、美しいかたの体を包むのに最適の衣料品ですよ。気品が増えます、
立ち居振る舞いに優雅さが加わります、内側から女らしさがにじみ出てきます。
ロシアンセーブルは最高ですよ」
「ごめんなさい、オセロットを持っていますので、遠慮します」
「なんの、T.P.O.に合わせて3枚は欲しいものでしょう。それに、毛皮は一生ものと
思ってはいませんでしょうね。あれは寿命があるんですよ。日常生活の中で着つ
ぶして、買い変えていくのが正しいんです。お召しになったあとは、私が責任を持
って脱がしてさしあげましょう」
「なーんか、全部脱がされそうで、あやしーっ」
「当然ですっ。美しさを磨くお手伝いをさせていただきましょう。恋は女性を美しく
するのです」
「真子ちゃん、結婚してるってばあ」
「人の妻でも人の彼女でも構いません。女性を美しく輝かせるのは紳士の義務
です。既婚者ですと、結婚してくれと迫られないので、かえって都合がいいのです」
「仕事中、その調子で年中やってたりして」
「サラリーマンでなく、自分がトップですから、そのへんは自在です。遊ぶにはい
いですよ」
「危険人物ーっ」
「私はいたって真面目で常識的、かつ安全な人間です」
「うそつきーっ」
「そう、口八丁手八丁、舌先三寸嘘八百が信条です。そうでないと、生き馬の目
を抜く業界ですから」
「金城さん、A定食、お待たせしました」
いつの間にかカウンターに戻っていた真子がもう一度やってきた。
「ありがとう、真子さん。あなたのおかげで、また、働く気力が湧いてきました」
「ご注文は以上でよろしいですか」
「あなたのテイクアウトはいけないんでしょう?」
「メニューにありません」
「ごちそーさまっ。おいら、帰るわ。毒気にやられそう。真子ちゃん、気をつけてね」
「ありがとうございました」
「では、また、黒沢さん。お体に気をつけて」
「金城さん、あんたのせいでしょっ」
「仕事、仕事ーっ」といいながら黒沢は出ていった。
もくもくと食事をする金城。いささかも悪びれたところがない。やがて席を立つ。
「マスター、おいしかったですよ。真子さん、あなたに会うために、また来ます」
「ありがとうございました」
「またお越しください」
飄々とした雰囲気で出ていく金城。空になる店内。どっと笑いだす赤井。こらえて
いたらしい。
「いやあ、面白い人が来たねえ。口ぶりからいって、ほんとに常連さんになりそう
だ」
「ですね」
ふと、「オーロラたちの饗宴」を振り返る赤井。
「常連さんが、金、銀、黒と揃いそうだね。このところSILVER EYEさんが見えない
けど、どうしたんだろうね。いつも紅茶飲んでるけど」
「イリュージョンでも、お会いしませんね」
「アレキサンドライトに来るのが週2、3回の割りで、イリュージョンもそれなりに行く
ようだから・・・真子ちゃんとSILVER EYEさん、週に3、4日顔を合わせてるわけ?」
「そうですね。黒沢さんは毎朝ですけど」
「アレキサンドライトと違って、イリュージョンだと、どっちもお客でしょ」
「ええ。でも、待ち合わせてるわけじゃありませんよ」
「何、話してるの」
「本のこととか音楽とか、お芝居とか、歴史、花とか鳥とか自然のこと・・・。なにげ
ない話が多いですね。もちろん、絵のお話も。SILVER EYEさんの育ったお国のこ
とも話してくれるし。固い話も、たまに」
「話してて、楽しい?」
「はい、とっても」
「このごろずっと、ご主人の緑屋さん、忙しいの?」
「・・・ええ」
「いないと気晴らしにイリュージョンに行っちゃうわけ」
「ええ、まあ、そういうことになります」
「あ・・・そう。まっ、元からイリュージョンに通ってたもんね、真子ちゃん」
二人して、「オーロラたちの饗宴」を見ている。


2 夜 グラデーション
カウンターに翔と珠子が並んで腰かけている。それぞれの前に置かれている世界
一周とキッス・オブ・ファイヤー。珠子のグラスのふちに沿ってつけられた砂糖、日
本ではスノースタイルといわれる飾りは、まだどこも欠けていない。仕事の相談が
先になっている。
「招待状はオーケーだ。これは手に入る。俺と珠子は一緒に受け付けを通らない
ほうがいいだろ?」
「翔の顔を覚えている人がいるかもしれないもの。私まで思い出されて声をかけら
れたら嫌・・・」
「珠子もデビュッタント(社交界参加)してたからな。かといって、珠子一人にしておく
のも・・・。マスターはその日、駄目?」
「あいにく、店があります」
「だな。ごめん。誰かにエスコート頼めればいいが・・・。布田(ふだ)に連絡とったら
もうじき結婚するって話で、てんてこ舞いしてて、無理だ。国領(こくりょう)も都合が
悪い」
「懐かしい名前ね」
「お友だちですか」
「高校のだよ。巻き込まなくて済んで、かえっていいかもしれない。珠子、留守番は
嫌だろ」
「うん」
珠子がキッス・オブ・ファイヤーに口をつける。
「マスター、頼んでおいて、飲まずにほっといて、ごめんなさい」
微笑みを返す店主。
「翔は顔を覚えられてるかも。私は大丈夫・・・でも・・・ない? だって、私、あの人
の若い頃に似ているって・・・。あ・・・嫌・・・だ・・・」
珠子の顔色が急に青白くなり、呼吸が早く、浅くなる。体がこわばっている。
「珠子? ・・・おい」
「嫌・・・だ。手がしびれる・・・」
グラスをテーブルにぶつけながら置く。
「珠子ちゃん、大丈夫?」
気づかわしげにいう店主。
「時々やるんだよ、マスター。おさまるから、大丈夫」
翔が片手で珠子の肩をつかみ、もう一方で手を握る。視線をつかまえる。
「珠子、こっち、俺を見ろ。俺だけ、見てろ」
泣きそうな顔をしている珠子。
「しっかりしろ、落ちつけ」
「・・・うん」
翔の目の中に、うっすらと自分の姿を見る珠子。
「・・・うん・・・大丈夫」
珠子の顔に安堵が拡がる。
「打ち合わせは、このくらいにしておくか」
「いいってば、まだ、終わってない」
「無理をしすぎるな」
勘定を済ませる。珠子の肩に上着をかけながら店主に振り返る翔。
「な? 珠子の薬は俺だっていっただろ?」


3 同時刻 イリュージョン
弦楽四重奏をBGMに客たちが談笑している。入り口付近で、真子が顔見知りの
ウエイターをつかまえている。
「SILVER EYEさん、来てます?」
虹野(こうの)というネームプレートをした若いウエイターはかぶりを振った。
「見えてません。いつものことを考えると、この時間では、今日はもう、いらっしゃ
らないのでは」
「・・・ですよね」
ちょっと気の毒そうな顔をする虹野。
「いつものお席は空いていますけど」
「お願いします」
真子は柱の影の例の席に腰かけた。ほどなく運ばれてくるシャーリーテンプル。弦楽
演奏の休憩に入り、無意識のうちに「風の歌」をハミングしはじめる。ざわめきにかき
消される真子の歌。
「おや、昼間のウエイトレスさんではありませんか。 真子さん、ですよね」
真子が顔をあげると目の前に金城がいた。
「まあ、こんばんは」
「運命の女神の粋なはからいでしょうか。それとも、どなたかと待ち合わせ?」
腕時計を確かめる真子。
「いえ、一人ですよ」
「ご一緒してよろしいですか」
「どうぞ」
通りかかったウエイターにニコラシカを頼む金城。
「昼間のウエイトレス姿もくるくるよく動いて素敵ですが、こうして夜のスポットで
座っている姿も魅力的ですよ」
「ありがとうございます。金城さん、女性という女性にいってるんですか?」
「美しいと思った女性にいうんですよ」
「いう相手がたくさんいらっしゃるみたいですね」
「そんな無粋なことはいわずに。今はあなただけです。目の前の一人に集中
しますので」
「今は金城さんを独り占め」
「そうそう」
「それで明日は?」
「付き合えば、一人あたり三か月はもつんですけど」
ニコラシカが運ばれてくる。リキュールグラスの9分目までブランデーが注がれ、
砂糖を盛ったスライスレモンがグラスの上に乗っている。帽子のようである。
「ニコラシカ・・・私、写真では知ってますけど、実物は初めて見ました」
「私も飲んでいるお仲間を見たことはありません」
金城は砂糖を盛ったスライスレモンの両端をつまみ、砂糖をはさんだ。口に含ん
で噛み、酸味と甘味を口内に拡げる。拡がったところで、ブランデーをいっきに流
し込み、口の内でカクテルにする。飲み干して満足げな金城。
「喉を焼くんですよ。そこがまた、いいのですが」
「ユニークなカクテルですね。それを飲む方もユニークですけど。・・・ほめてるんです」
「女性のほめ言葉は素直に聞きます。曲解もしませんので」
「ええ、曲解しないでください」
「素敵な夜ですね」
「ほんとに」
ふと、思いついたように真子がいう。
「金城さん、知り合ったばかりでいきなりですけど、ちょっと助けていただけません
か」
「美しい人の力になれるのなら」
「パーティーのエスコートをして欲しいんですけど。ブラック・タイ着用の立食形式です」



第4話(前半)終わり

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