1 アレキサンドライト店内
窓際の席で雨をながめながら、黒沢がガーリックトーストを食べている。
「梅雨かあ。うっとおしいな。真子ちゃん、コーヒーもう一杯、ちょうだい」
「はい」
真子が2杯目のコーヒーを運ぶ。
「じめじめ、つらいや」
「雨もありがたいんですけどね。好きなことを考えられては?」
「仕事がばりばりはかどることかなあ。真子ちゃんは宝石のこと? お店の名前の
アレキサンドライトとか」
赤井がカウンターから言葉をはさむ。
「真子ちゃんの石だもんね」
「え? 誕生石? 6月は真珠じゃなかったっけ。おいらでもこれくらいは知ってるよ」
「国によって、産出状態や文化のこともあって違うんですよ。日本ではあまりいいま
せんが、星座石もありますし」
「真子ちゃんのアレキサンドライトはどっち?」
「誕生石です。こだわらずに好きなものをしていればいいんですけどね」
「そういう真子ちゃん、アクセサリーはいつもマリッジリングしかしてないじゃない」
「お仕事中ですから」
「そーいうもん?」
「私がそうなだけです」
「婚約指輪、アレキサンドライトもらったの?」
「紫色を選んで、アメジストです。私の誕生石でも星座石でもありませんが」
「真子ちゃん何座なの。 双子座? 蟹座?」
「内緒です」
「双子座といえば、真子ちゃん、兄弟とか姉妹とか、いるの?」
「ごめんなさい」
「こちらこそ、しっつれい、しました。話題変えよう。誕生日、何が欲しいの。しが
ない常連客でも用意できそうなもん」
「花束ですね」
「それは、ご主人に買ってもらえばあ?」
「いっても、くれないんですよ。枯れて、なくなるものはつまらないからって。形に
残る物を贈りたがる人ですから」
「なんか・・・野暮」
「しかたありません。いい人ですよ」
「コーヒーもう一杯、ちょーだい」
3杯目のコーヒーが運ばれる。
「話を気晴らしに戻すけどさ、真子ちゃん、本なんて読む?」
「推理小説は好きですよ」
「この作家、知ってるかにゃ」
鞄から一冊の新書判を取り出す。
「あっ、来井 円(くるい えん)さんの新刊じゃありませんか」
「知ってる?」
「知ってるもなにも、好きですよ。新刊が出れば、いつも買ってますから。一作
ごとに独特のSF的ルールが設定されていて、それに沿って本格謎解きをする
んですよね。SF本格推理作家」
「ユーモアのひとことも入れてね」
「覆面作家なんですよね。女性じゃないかっていう説もあります」
「正体は平凡な三十男だったりして。で、真子ちゃん、この新刊、読んだ?」
「まだです。買いそびれてますし」
「んじゃあ、あげる」
「いただけませんよ。お借りするだけ」
「おいら、いらないから」
「でも」
「いーのいーの、たくさんあるから」
「嬉しいんですけど・・・マスター、いいですか」
「本当はお客さまから物をいただいてはいけないけど、目をつぶりましょう」
「はい。黒沢さん、ありがとうございます」
「いーえっ。どういたしまして」
がぶりとコーヒーを飲み干す。「SF誌、「スペーストラベラー」で来井 円のエ
ッセイが始まるんだってね」といいながら黒沢は出ていった。


2 同夜 グラデーション
カウンターに並んで座っている翔と珠子。翔の前にはブルーコーラルリーフ。珠子の
前にはキッス・オブ・フャイヤーが置かれている。
「もうじき珠子の誕生日か」
「どっちかっていうと父の日の方を思い出しちゃう」
「珠子ちゃん、これ以上、歳をとりたくないから、そう思うんじゃないの?」
店主が軽口をたたく。
「そんなこと、ないもん」
「誕生日プレゼントでも選びにでかけるか」
「明日のお楽しみね」
やがて、連れ立って出ていく。温かみのある目で見送る店主。
「カルーア・ミルク」
カウンターの端で文庫本を読んでいた大柄の男がいった。うなづく店主。オールド
ファッションドグラスに正確に計ったカルーア、氷、牛乳を入れてステアする。
「どうぞ」
「どうも。甘口が好きなものだから」
相好を崩す客。
「本を読みつつカクテルを傾ける。いいですね。文庫本ですか」
「フランス文学入門だけど、面白いね。お約束があるんだって。一つの部屋でご
令嬢とナイトが眠る場合、二人の間に剣を置いておくと、潔(きよ)い仲だということ
を表しているそうだよ」
「直接そうだと書くのを避けるわけですか」
「らしいね。しかし、今の日本じゃ、できないお約束だね。刀を持ってちゃいけな
いんだから」
「トランプ、スペードのカードでも置けばいいんじゃないですか。あれは剣を意味
しますから」


3 翌日 銀座8丁目・某老舗宝石店
2階ショールーム。壁の目の高さに設置されたショーケースの中を真子が見てい
る。飾り石なしの、大きなアレキサンドライトだけがはまった指輪が飾ってある。
「手の届かないお値段よね。売るつもりがない、展示用かもね。お店の看板」
3000万円と表示されている。
「自分の石は盗めないわ」


4 同時刻 銀座5丁目・某老舗宝石店
1階のフロアで、仮止めの真珠をケースから出してもらい、見ている珠子。脇に
翔がいる。
「誕生石だけど、それだけでなく、好きなのよね。直径10ミリね。見事にそろっ
てるわね。きれーい」
にこにこと応対している初老の店員。
「こちらですと揃いでネックレスとブレスレットがおつくりできますが」
「また来るわね」
「お待ちしています」
店を出る翔と珠子。
「目の保養だったわ」
「夜になったらまた行く、なんていうなよ」
「あれは白でしょ。持ってるもん。もらうならコンクパールね。4丁目のお店に
あったわ」
「悪党 !」
「指輪でいいから、買って !」
「考えておく」


5 イリュージョン
雨のため、外の夜景もかすんでいる。真子は柱の影でカフェ・ロワイヤルの炎を
見つめていた。スプーンをカップに沈め、静かにステアする。
「蒸しているのにカフェ・ロワイヤルだなんて。暑くなりませんか?」
後ろから、そっとSILVER EYEの声。
驚いて振り返る真子。
「こんばんは。お国に帰っていたのでは?」
「個展の後、行ったり来たりでした」
向かいに座るSILVER EYE。
「日本に常住するつもりです。アトリエを兼ねて一軒屋を借ります。その手配もだ
いたい済みました」
「逆輸入画家ですものね」
「アレキサンドライトと、真子さんの家と、ちょうど三角形になりますよ」
「私の家、ご存じでしたっけ」
「個展の初日に来て、記帳していたでしょう」
「ああ、それで」
「庭付き一戸建てですか。若いのに、すごいですね」
「主人の実家の援助つきです」
「個展の方は、毎度ありがとうございます・・・かな」
「日本での個展は知ってる限り行ってましたから。デビュー以来」
「やっぱり、毎度だ」
ほかの客の会話が、かすかなざわめきとしてだけ、聞こえる。
「今日は演奏、ないみたいだな」
「そうですね」
「真子さんが歌ったら? 「歌の翼に」」
「歌詞がうろ覚えなんですよ」
「それとも白いうさぎさんの恰好で、谷山浩子の「うさぎ」でも歌うとか」
真子が、みるみる赤くなる。
「SILVER EYEさん? 5月の件のこと・・・」
「かわいかったですよ、エメラルドも似合ってたし」
「あそこにいらしたんですか。どうして・・・」
「「オーロラたちの饗宴」経由で、計画は知ってましたから。なんとなく行って
みました」
「SILVER EYEさんには、見られたくなかった・・・です」
「おや、やっぱりカフェ・ロワイヤルで暑くなってますよ」
からかうように笑っているSILVER EYE。
アドニスが運ばれてくる。香りを楽しむSILVER EYE。
「そういえば、真子さん、香水の類、つけないんですか」
「現場に手がかりを残したくありませんから。それに昼間はコーヒー、紅茶、
その他の香りに混ざったらいけないから」
「休みの日は?」
「なんとなく、しなくなりましたね」
「似合うだろうに。惜しいな。僕だって、時によっては使いますよ」
「両方のアレキサンドライトに関わる前は、していましたけどね」
「何をつけてたんですか」
「ジェミネス・ノーティシア」
首を傾げて考えるSILVER EYE。
「「双子座の一人、親近感」、でしたっけ」
「ええ」
「でも、あれを出していた会社・・・マックスファクターは、コロン系からは何年も
前に手を引いたはず」
「だから、昔のことです」
「もしかして、もうひとつの「ジェミネス・プルーデンシア」、双子座の一人、賢明
をつけていた女性(ひと)もいました?」
「ええ」
「突っ込んだ話題で失礼、そのプルーデンシアには、ナイトって、いました?」
「幼なじみの「フィリアス」がいますよ。今でもね」
「フィリアスはニナリッチが発売・・・あの作品はもう作っていないはず・・・」
「これも、昔の話ですね」
「ふうん」
「妹やそのナイトの話、内緒にしてくださいね」
「もちろん」
「でも、SILVER EYEさん・・・」
少しぬるくなったカフェ・ロワイヤルを飲む真子。
「おかしいですよ。私より年下っていってるSILVER EYEさんが、こんな香水のこと
を知っているなんて。古いものなのに」
「教養のうちじゃ、いけませんか」
「それにしても、変です。SILVER EYEさんの年齢も、はっきりしないし」
「公式発表のは、不満ですか」
「外見は二十歳そこそこ・・・でも、雰囲気はそう見えませんよ。私より上でおかしく
なさそう。デビューが十五でしたっけ? 天才少年とかいわれて。日本ではあまり話
題にならなかった・・・」
「それでも、知ってるんだ」
「叔父の影響で・・・これも内緒でお願いします。当時からほとんど、写真、撮って
ませんよね。顔写真ってまず出てなくて」
「魂をとられるのが嫌だから。・・・嘘ですよ」
「で、会った人の印象は、大人びている、って」
「早熟型かな」
「アレキサンドライトにいるときと、今で、雰囲気違ってません? なんだか年齢が
上がってるみたい」
「バーの舞台効果じゃありませんか?」
「それは・・・あるかも・・・」
「僕が真子さんより年上だと、何か困りますか」
「いいえ」
「じゃあ、いいんじゃありませんか?」
「それは、そうですけど・・・」
嬉しそうなSILVER EYE。困惑顔の真子。
人々の会話が、木の葉が風にざわめく音のように聞こえていた。


第3話(前半)終わり

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