5 同夜 東京湾に停泊中の豪華客船「ブラックスワン」 従業員控室
珠子が黒いバニーガールの恰好をしている。
「こんなものかな。やっぱりバニーは黒が基本よね。うん、かわいい」
鏡を見てご機嫌になっている。両手を広げてちょっと首を傾げ、ポーズをとってみたり
する。
ノックをしながら翔が入ってきた。ディレクターズジャケットを着ている。
「おっ、似合うな」
「えへへっ、かわいい?」
「ああ」
「カメラもってたわよね、翔、写してっ !」
うさぎの恰好で翔に抱きつく。
「ねっ」
「仕事が済んでからな」
腕を回してポンポンと肩をたたきながら答える。
「それにしても、Vandy 1(バンディワン)だな」
「何、それ」
「ん・・・アメリカ海軍の兵器開発センター・実験飛行隊の司令官搭乗機のコールサイン。
個人でなくて、機体そのもののね。塗装がつやつやの黒なのさ」
「それで?」
「エンジンカウルの部分にプレイボーイ誌のうさぎのマーク、つまりBandy Bannyが書き
込んであるんだ。肖像権使用の許可は得ているそうだ」
「ふうーん」
「今の時代、黒の機体なんて目立ちすぎて常識はずれなんだが・・・普通、艶消し塗装だ
から・・・でも、あれだけは米海軍の象徴たる機体なんで、つやつやの黒でいることが公式
に認められている。これが空を飛ぶとだな、さながら黒いバニースーツを着たプレイメイト
が自在に飛んでいるようで、そりゃあ、きれいなのさ」
「翔って、そういうの、好きなんだ」
「まあな。さて、仕事だ。写真撮るのもあとだ。Vandy 1に興味があるなら、あとで本を見せ
てやる」
「うん」
珠子の肩を抱いて、翔は通路への扉を開けた。


6 船内イベントルーム
着飾った客たちが談笑している。船内で夜ごと開かれているパーティーのおなじみの
光景。ブルーのリストバンドをしたギタリストが、ステージの上でさりげなくアコースティ
ックギターを弾いている 。
珠子はドリンクを運んでいる。黒いドレスにエメラルドのペンダントをした女性をさりげ
なく観察してから、白いカフスに仕込んだ通信機で翔と話し始める。
「あの動きかたを見ているとイミテーションみたいな気がするわ。さほど、ペンダントに
気を配っている風じゃないのよね。そりゃ、傷がつかないか心配しすぎても困るけど」
「本物は金庫に、身につけるのはダミー、ってケースかな」
「そうだと思うけど」
「部屋に行ってみる」
「気をつけてね」


7 ターゲットの女性の船室
翔が室内備え付けの金庫を開けている。エメラルドのペンダントを見つけ、インク
ルージョン(内包物)を見る。
「本物らしいな。珠子、正解」
用意したイミテーションとすり替える。
「いつ、気づくかな」
部屋を出ようとしたところに、若い男が入ってきた。
「な・・・誰だ?」
「失礼。逢い引きの部屋をを間違えたらしい」
平気な顔で脇をすり抜け、悠々と通路を去っていく。
「珠子の写真を撮ってやらないと」


8 同時刻 A議員邸宅
訪問したB議員秘書が、A議員秘書に菓子折り程の大きさの包みを渡している。
「先生によろしくお伝え下さい」
受け取るA議員秘書。
「たしかに」
「では」
辞去するB議員秘書。
首を傾げるA議員秘書。
「あの議員、うちの派閥と犬猿の仲だったんだが、転向したのか?」
待っていた車に乗り込みつつ、つぶやくB議員秘書。
「見てろよ」


9 A議員の私室
笑っているA議員。
「いずれ値が上がると予測される画家の絵、か。あいつも軍門にくだったか。絵に
興味はないが、仕舞い込む前に一度くらいは見るか」
包みを解く。
「なんだ? モノクロの絵?・・・うわぁぁぁっ !」
絵に吸い込まれるA議員。


10 同時刻 ツインタワービル ホテルフロア SILVER EYEの部屋
椅子に腰かけていたSILVER EYEの目が銀色に光る。
「マウストラップ・・・かかった」


11 二日後 アレキサンドライト店内
黒沢が新聞を読みながらガーリックトーストを食べている。
「A議員、突然の辞職。健康を害したため。あの、何があっても倒れそうになかったA氏
がねえ。わかんないもんだね」
「スナイパーにでも襲われたのかもしれませんね」
2杯目のコーヒーを出しながら真子がいう。
「生きてるよ、別に怪我とも書いてないし」
「殺さないスナイパーかもしれませんよ。ね、マスター」
赤井もカウンターの中からいう。
「迷宮に閉じ込めて、色覚とか温度感覚とか、なんやかやと人の感覚を一時奪って、
ストレスを与える、とかね」
「で、健康を害するっていうの? なんか、変。刺激が少なくて催眠状態になるっていう
のは知ってるけどね。ハイウェイヒプノーシス現象」
「それとは別のタイプの感覚遮断実験って、あったはずですよ」
真子が他のテーブルをふきながらいう。
「うーみゅ、おいらの勉強不足かもしれない」
がぶっとコーヒーを飲む黒沢。
「コーヒー、もう一杯ちょうだい」
「はい」
真子が運び、3杯目にとりかかる黒沢。
「連休が終わったら、今度は母の日だねえ」
「真子ちゃん、カウンターの中、頼む」
あわてたような赤井。
「マスター、私、大丈夫ですから」
真子は黒沢の脇に立ったまま笑っている。
「あのー、真子ちゃん? いいの? カウンター」
「はい。で、お話の続きは?」
「うん。母の日、真子ちゃんどうする?」
「婚家の母には宅配便の花を贈って、実家の母には会いに行こうかと思っています」
「実家、近いんだ」
「はい」
「おいらは田舎のかーさんに電報でも打とうかなあ。生存証明に、さっ。「カネオクレ
タノム」って、何しろ不肖の息子だから」
「ご冗談ばっかり」
「ごちそーさまっ」といって出ていく黒沢。コーヒーをさげる真子。ひとりごとで、
「そろそろお見舞いに行かないとね」
カウンターに振り返り、
「赤井さん、ありがとうございました」


12 同夜 バー「グラデーション」
店主がグラスをふいているところに、翔が一人で入ってきた。
「ピンクパールはどうしたの、ブラックオニキス」
「少し具合が悪くて横になってる」
「そう。昨日はうさぎさんの写真見せてくれて、はしゃいでいたのに」
上を見上げる動作。
「医者には行ったの」
「いや。珠子の薬は俺だから」
「いってくれますね、ブラックオニキス」
「翔か、さもなきゃ柴崎って呼ばれた方がいいな」
「今の仕事、好きじゃなさそうですね」
「珠子がいいだせば、いつでもやめる」
「彼女におつきあい、ですか。ナイトもがんばりますね」
「あいつ一人に危険なこと、させていられない」
「大切な掌中の珠子ちゃん」
「手の中で、自分から潰れていかれてたまるか。ドクターストップは必要なら
かける」
「ところで、ご注文は」
「ジンベースで緑色のもの」
「珠子ちゃんがいつも赤いキッス・オブ・ファイヤーだから、合わせていらっしゃる」
「そういうこと」
「世界一周はどうでしょう」
「いいね。ペパーミント、少しへらしてくれ」
ドライジン二分の一、グリーンペパーミント四分の一、パイナップルジュース四分
の一をシェーカーにいれ、氷もいれてシェイクする。
「どうぞ」
「ありがとう。フィリアスか」
「フィリアス?」
「「80日間世界一周」の主人公の名前さ。名誉のために全財産かけて、世界一周
の旅にでかける男。元は小説だが、映画にもなったな」
「伴侶を見つけて世界一周から戻ったんでしたね」
「この名前のメンズコロンもあったけど、もう、製造していないんだ」
「家に帰りますか、翔さん」
「珠子をつれて、いつかはね」


13 翔と珠子の部屋
翔がグラデーションを出てエレベーターに乗り、そのまま5階のボタンを押す。
止まったところでおり、ドアのひとつを開け、「ただいま」といいながら入っていく。
珠子は二つ並べたシングルベッドのひとつにもぐり込んでいた。
「具合、どうだ」
「うん。だいぶ、楽」
「無理はいいが、無理はしすぎるな」
「うん。母の日が、近いの」
「わかってる」
珠子の頭を撫でる。
「おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
目をつぶる珠子。翔は二つの枕の間にスペードのエースのカードを置き、空
いている方のベッドにはいった。


第2話(後半)終わり

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