1 アレキサンドライト店内
黒沢がガーリックトーストをぱくついている。
「真子ちゃーん、コーヒーもう一杯、ちょうだい」
「はい」
真子が2杯目のコーヒーを運ぶ。
「あんがと」
ストレートで飲む黒沢。
「連休まっただ中だねえ。おいらは普段のおさぼりが影響してお仕事だよん。真子
ちゃんは?」
「上野の個展に行きます」
「誰の」
「SILVER EYEさん」
「聞いたことあるような」
「逆輸入画家でモノクロの油絵を描く人です。一年くらい前から、部分彩色もありま
すけど」
「へえ」
「レジのところにある絵も、そうですよ」
「そういえば、あんまり本気で見たこと、なかった」
レジ前に移動する黒沢。まじまじと絵を見つめる。
15号のキャンパスに夜の高層ビルが描かれ、その上を数本のオーロラが舞って
いる。
「SILVER EYEさんの部分彩色画の一作目なんですよ」
「うーん、何か、叫んでる声が聞こえるような気がするにゃ」
「わかります? 黒沢さん。マスターは、まったく感じないっていうんですよ」
嬉しそうな真子。「鈍感でごめんね」とカウンター内の赤井がいう。
「オーロラを見ると、同時に音が聞こえるっていう話しは聞くね。実証されてないそう
だけど。その先入観のせいかな。わかんないや」
「私は初耳ですけど」
「で、タイトルは?」
「「オーロラたちの饗宴」です」
「聞いた覚えあるな。ちょっと待って。そうだ、去年の連休に盗まれたんだ。注目さ
れはじめた逆輸入モノクロ画家の初の部分彩色画ってことで話題になって。で、盗
まれてまた話題になって。犯人つかまってなかったね。複製?」
「本物です」
カウンターで、うわ、という表情の赤井。真子と黒沢は話し続ける。
「マスターと真子ちゃんで盗んだとか。冗談きついよ」
「事情がありまして、ここにあることはSILVER EYEさんもご存じですよ。盗難届け
も出ていないはずです」
「なんか、曰くのあるお店だったのかな、アレキサンドライトって。どうして、そんな
ことになったの。おせーて」
「SILVER EYEさんに、話していいかどうか、伺いませんと」
「あ、そうなの」
ほっとする赤井。すかさず、話しに割り込む。
「黒沢さん、そろそろコーヒー3杯目、いかがですか」
「あっ、あっ、マスターお願い」
いそいそと席に戻る黒沢。赤井は真子に耳打ち。
「困るよ、真子ちゃん。気をつけて。黒沢さん、好奇心旺盛な人なんだし」
「すみません」
「この絵のことになると、真子ちゃん、頭に血がのぼるからねえ」
3杯目のコーヒーが黒沢に出される。
ドアが開き、SILVER EYEが入ってきた。
「おやおや、ナイスタイミング」
「いらっしゃいませ」
にこやかに笑う真子。
「こんにちは、お久しぶりです。紅茶お願いしますね、お姉さま」
真子に軽く会釈しながら注文するSILVER EYE。コーヒーをふき出す黒沢。
「おねーさまって、なによお。真子ちゃん、若いつばめさん飼っちゃ駄目だよ」
「黒沢さん、私の方がこの人のファンなんです」
赤井も話しに加わる。
「噂のSILVER EYEさんですよ」
挨拶をかわし、黒沢のテーブルにつくSILVER EYE。
「ノーブルな雰囲気持ってるね、SILVER EYEさん。おねーさまにゃ驚いたけど」
「僕の方がいちおう年下ですから」
「何歳?」
「日本でアルコールを飲むには問題ない程度です」
「ふうん。外見、二十歳そこそこに見えるけど、中身はおいらと大差ない気がする。
ねえ、絵を描くのに松油やポピー油使うよね。匂いがしないけど、体に染み込まない?」
「気をつけてますから」
「ふうん。気に触ったらごめんね。好奇心強いもんだから」
SILVER EYEが赤井に振り返る。
「マスター、お久しぶりです。アレキサンドライトも順調のようですね」
「おかげさまで。わかります?」
「毎日、絵が報告してくれますから。店内の出来事だったら、みんな知っていますよ」
「そうですか」と苦笑する赤井。黒沢は手をたたく。
「すっごい冗談。画家って、そーゆう人種なわけ?」
「僕は真面目にいっていますけどね。「オーロラたちの饗宴」は特別のものだから」
「そういえば、盗まれたはずなのに、どうしてアレキサンドライトにあるわけ? よかっ
たら、聞きたいんだけど」
「企業秘密です」
SILVER EYEの目が一瞬銀色に光る。黒沢は気づかない。
「そっか、残念。面白い話しだったら、聞きたかったのにな」
パンダウサギのコジーをかけたティーポットを真子が運んでくる。
「真子ちゃん、この薄っぺらなぬいぐるみみたいなの、何?」
「ティーコジーです。紅茶がさめないようにかぶせるんですよ」
「紅茶って、デリケートなのね。ごちそーさまっ。仕事しよっと。SILVER EYEさんも、
また会ったら、よろしくね。おねーさまにゃ、笑うけど。あー、仕事中に思い出しそう。
ごめんね。じゃーね」
「仕事仕事ーっ」といいながら黒沢は出ていった。


2 一年前の件
黒沢が出ていき、店内の客がSILVER EYE一人になった。赤井と真子に向かっていう。
「僕の絵を見事に盗み出したことに対して敬意を込めてお呼びしているんですけどね」
「わたしたち、普段は宝石専門なんですけど、これだけは例外だったんですよ。真子
ちゃんが欲しいっていって、聞かなかったから」
「そう。他流試合で無理しました。私にとっては独身最後の仕事だったんです」
「オーロラたちの饗宴」の前に立ち、微笑んでいる真子。
「真子ちゃんの結婚式の前の晩、というか日付が変わって当日になってから盗んだ
んですよね。帰りに真子ちゃんを新居まで送って、少しでも休んでねっていったっけ。
朝一のお式だったから。わたしは絵を店に置いて、というかレジのところにセットして、
式場に。そっちの手伝いの約束もしていましたから」
「そのへんのこと、一年前にも聞きましたね」
目を微妙に銀色に光らせながらSILVER EYEがあいづちをうつ。
「式の後、即、真子ちゃんは新婚旅行に出発して。わたしは役所に届けを出しにいく
人の車の運転手をして。・・・帰ってきたら、SILVER EYEさんが待ち構えていた」
目が合う赤井とSILVER EYE。
「追跡に手間取って、僕がアレキサンドライトに着いたのは日が結構昇ってからでした」
「ご対面した時は、心臓が止まるかと思いましたよ、SILVER EYEさん」
目を伏せる真子。
「私は何も知らずに飛行機に乗っていたんですよね」
一杯目の紅茶を注ぐSILVER EYE。
「そういうことに、なりますね」
紅茶の水色(すいしょく)を見る。アレキサンドライトで使っているのはアールグレイ。
「素直にいってくだされば、さしあげたのに」
「そんな、無理ですよ。面識もないのに。この絵、非売品の札がついていましたし。
この時に限ってカタログは作らない、ポストカードもない、チケットに印刷した絵も
違う作品。マスコミに「絵」を出すのも、極端に避けて、実際に行かないと見られな
いようにして。話題になっていて、元からファンだから出かけて、見て、もう、驚いたん
ですから。これだけ必死で何かを叫んでいる作品を、どうして見えにくくしたのかって」
「見るなら直接にして欲しかったから。後で見るのもなし。直接のリアクションをこち
らも知りたかったからです。ずっと会場につめているわけにはいきませんでしたけど。
本当に、絵の報告は聞いていましたよ。営業戦略ではありませんでした」
紅茶の香りを確かめる。「楽しむ」べきところだが、確かめるだけのSILVER EYE。
「リアクションといっても、まさかいきなり盗まれるとは予想もしませんでしたけど」
「私は泥棒さんですから」
額縁を撫でる真子。
「もしも、違う仕事をしていたら? 連絡でもいただけていたんでしょうか」
「さあ。いまとなっては、もうわかりません。それと、話が違いますけど、もしも値段
がついていたら、私、怒ってましたよ」
「どうしてですか」
一口、音をたててすする。
「わかりませんけど、なんとなく」
「今年は、気に入った絵があっても、盗むのはやめようね、真子ちゃん」
茶化すように割って入る赤井。
「今年は、もう、SILVER EYEさんとお知り合いなんだから。大丈夫だね」
SILVER EYEがふっと笑う。
「ご注文があれば、描きましょうか」
「私は、これ一枚で充分です。それに、お忙しいんじゃありませんか」
「そうだ、話さないと。個展の間にもう一つの方の仕事もしますから。マウストラップ
を使う方のです」
はっとする赤井と真子。
「お二人には関係はないと思いますが。もし万が一、ひっかかっても、すぐに
はずしますからね。これをいいに来たのに。一年前の話しをしてしまって」


3 翌日 某湖の観光船「スワン」 従業員控室
真子が白いバニーガールの恰好をしている。
「こどもの日の船上イベントで、どうしてアシスタントがうさぎの恰好しないといけな
いのかしら」
ノックの音がした。
「どうぞ」
赤井が入ってきた。司会者風の姿である。
「支度できた? かわいいじゃない、真子ちゃん」
「色が白でしょ? ランジェリーみたいで恥ずかしいんですよ」
「ウェディングドレスだとでも思ったら? 白なんだから」
「誰がうさぎの恰好して結婚しますか」
「黄色だったらいいわけ?」
「嫌です」
「とにかく、時間だから、いきましょうかね」
連れ立って部屋の外に出ていく。


4 甲板上
「こどもの日 スワン号 わんぱく大会」の横断幕がはってある。20組ほどの親子が
司会の進行に沿ってゲームに興じている。
「ここで、予定にはありませんでしたが、お母さんとお子さんのおいかけっこに移
りたいと思います」
赤井がマイクでいう。わーいとはしゃぐ子供たち。とまどい顔の母親たち。中でも、
エメラルドとダイヤを組み合わせたネックレスをした品のよい婦人は困り顔をして
いた。
「どうされました」
白いバニーガール姿の真子が近づいて声をかける。
「子供と遊びたいのですけれど、これが気になりますの」
ネックレスに軽く触れていう。
「傷がついたら、大変ですものね。おいかけっこの間、こちらでお預かりしましょうか」
「ごめんなさいね。疑っては申し訳ないけど、お渡しできないわ」
「そうですね、では、ご主人に持っていただいては」
脇にいる夫を見やる婦人。コホンと咳払いの夫。
「お前、アシスタントのお嬢さんに失礼なんじゃないか」
「いえ、大切なものですもの、やっぱり人に預けるのは心配ですよね」
にこにこしている真子。
「そうね、やっぱりお嬢さんにお願いするわ」
気が変わった風な婦人。真子の首にネックレスをかける。
「白うさぎさん、かわいいわね。お肌も白いし。エメラルドが映えること。あなた、
私がもどるまでこのお嬢さんを守っていてあげてね」
婦人はおいかけっこのスタート場所に向かった。
横目でことの次第をみていた赤井が、ひとりごと。
「一度、首にかければ、すりかえるチャンスはいくらでもあるからね」


第2話(前半)終わり


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