秋の夜、イリュージョン。弦楽クインテットがセレナーデを奏でている。店内の中央寄り、
椅子が5脚ある丸テーブルに4人の男性が座っている。いずれもブラックタイを慣れた
様子で着こなしていて、20代から30代初めに見える。
「虹野(こうの)」というネームプレートをした30代後半のウエイターがカクテルを運ぶ。
アドニス、ラジオ・エイト、カーディナル、ローズがひとつずつ。さりげなくサービスして、
去っていく。
アドニスを手にした30そこそこに見える男性がいった。
「あの人、僕がずいぶんお世話になった虹野さんのお孫さんだよ」
灰色がかった瞳の20代中頃の者がその言葉を引き取る。
「舞子ちゃんと一緒に、僕もおじいさんにはお世話になりましたよ」
カーディナルを手にして、黒い瞳の30前後の者がいう。
「今の彼がここに勤めだした頃を、私は知ってるよ。グラデーションがメインだったけれど、
ここにも何回か来たからね」
ローズのカクテルグラスを持った20代初めに見える青年は、微笑んだまま黙っている。
ドライ・ベルモット三分のニとキルシュワッサー三分の一、グレナデン・シロップ1ダッシュ
をステアしてカクテルグラスに注ぐ。
黒い瞳の持ち主が彼にいう。
「ジュニア、ここで何かコメントは?」
いわれた彼が少し困った顔をする。アドニスを飲んでいる者と兄弟のように似ている。
「そうですね・・・今の虹野さんと一番なじみがあるのは、僕でしょう。当たり前かな」
「まだ当分、こちら側にいるつもりなのか、ジュニア」
「ええ。でも、ジュニアはやめてください、カーディナル」
黒い瞳の持ち主は顔をしかめる。
「こちら側にいる時は、国の役職で呼ぶのはやめてもらおうか」
「だったら僕のことも啓二でお願いします、墨染さん。それとも、BLACK EYEさんと
お呼びしましょうか」
「EYEをつける方にしてくれ」
聞いていた残り二人・・・SILVER EYEとGREY EYE・・・がふき出す。
「なんだか、この名乗り方が定着したね」
おかしそうにいうSILVER EYE。
「お義父さんの発想が受けたんでしょう」
GREY EYEが微苦笑で応える。
「本名と似た発音っていうことで、SILVER EYEにしたのにな」
気を取り直して、それぞれがグラスを手にする。と、そこへ黒いイブニングドレスの
女性がやってきた。22、3歳に見える。亜麻色の髪をした彼女は一同に会釈し、空い
ていた椅子に腰かけ、彼女を案内してきた虹野にミモザを頼む。
「遅くなって、申し訳ありません」
「いいえ、かすみさん」とSILVER EYE。
「猫の集会は、まだまだこれからですよ」とGREY EYE。
「で、匠たちは元気だったのか」これはBLACK EYE。
啓二が口をはさむ。
「元気ですよ。お父さんになっちゃいましたからね、彼」
啓二の言葉にうなづくかすみ。琥珀のイアリングが控えめな照明の中で揺れる。
「もう、照れに照れていましたよ、匠さん」
いっている彼女も嬉しそうである。
「私は、自分が母親になる前に、ひいおばあちゃんになってしまいましたわ」
「でも、絶対にそうは呼ばせないんでしょ?」
笑っていう啓二。
「もちろんですわよ。これから先、どれくらい会いに来れるか、わかりませんけど」
SILVER EYEとBLACK EYEが真面目な顔でうなづく。
「下位貴族はこういう時に、いいんだよね」とつぶやくGREY EYE。
虹野がミモザを運んできて、かすみの前に置く。
皮肉っぽくBLACK EYEが笑う。
「結局、全員ワインベースか」
「私のはシャンパンですよ」
「発泡性のワインだろうが」
「それは、そうですわね」
さらに言い募るBLACK EYE。
「猫かぶりの集団だな。いっそのこと、ハンターでも飲めばいいのに」
ウイスキー三分の二、チェリー・ブランデー三分の一をステアしてカクテル
グラスに注ぐ。
「飲みたかったら、お一人でどうぞ」
「役職に関係なく、私はカーディナルの方が好きだ」
「そうでしたら、絡むのはやめてくださいな」
ふと、思い出したようにいうかすみ。
「そういえば、透子さんが前に不思議がってましたわ。国での仕事と、こちらで
やっていた歌手の間に、どういう関係があるのかって」
平然と答えるBLACK EYE。
「教会に聖歌隊はつきものだろう」
彼を横目で見るかすみ。
「時々、そういうことをおっしゃる人なんですよね」
弦楽クインテットが休憩に入る。周囲の会話が風にざわめく木の葉のように聞
こえてくる。聞くともなしに耳を傾ける5人。彼らの十分の一も生きない人びとの、
ひとときの安らぎの言の葉。
やがて、グラスが空になったのを潮に、SILVER EYEが一同をうながす。
「そろそろ、出ようか」
席を立つ5人。会計を済ませて通路に出ると、色とりどりのバラをバケットに活け、
虹野が待ち構えていた。通路いっぱいに甘い香りが満ちている。
「どうしたの、虹野さん」
啓二が尋ねる。
「秋のサービスです。お好きなバラを一輪ずつ、お持ち帰りください」
顔を見合わせるSILVER EYEたち。少しの逡巡ののち、それぞれ、花を選ぶ。
白にも見える薄い明るいピンクの「真珠」をSILVER EYEが、サーモンを含む
鮮やかなピンクの「舞扇」をGREY EYEが、杏黄色で花びらの縁に白いぼかし
が入る「ダイアモンド・ジュビリー」をBLACK EYEが、鮮やかな緋紅(ひこう)色の
アレックス・レッドをかすみが、そして淡い桃色を含んだ濃い藤色のブルー・ムー
ンを啓二が取った。各自、上着のポケットに刺す。かすみには、虹野がブローチ
になるように、ピンを渡した。彼らをエレベーターホールまで送る虹野。ほかに
客のいないタイミングで、5人だけが箱に乗る。
「みなさま、本日はありがとうございました。またお越しください」
礼をする虹野。うなづき、あるいは手を振って挨拶するSILVER EYEたち。
1階のボタンを押し、ドアがしまってから、GREY EYEがそわそわといった。
「今夜の風、よさそうですね」
顔を見交わす面々。
「時間はあることだし」とBLACK EYE。
「遊んでいきます?」とかすみ。
「この時間は、屋上に出られませんよ」啓二がいう。
「跳べばいいんだよ」にこりと、SILVER EYE。
エレベーター内の空気がゆらりと揺れ、次の瞬間、箱の中が無人になった。


屋上に人影はなく、秋らしい風が吹いていた。空はよく晴れている。
「飛ぶには、いい夜だね」
目を細めてSILVER EYEがいう。
「どこに行きます?」とかすみ。
「アレキサンドライトに母上を迎えに行くのは、どうですか」と啓二。
「そして、プリンセスを空の散歩に誘うか」とBLACK EYE。
「賛成です」GREY EYEがいう。
4人がSILVER EYEを見る。
「みんなに、補佐してもらえるのかな」
片目をつむりながら、SILVER EYEがいう。
「そうなるな」BLACK EYEが応える。
「なんだか、悪いみたいだ」
「そのうち、誰かの時の補佐に回ってくれればいいさ。国では羽を伸ばし
にくいだろうが」
「そうですわよ、シア様」
「そうそう」啓二もうなづく。
「先導しますよ」GREY EYEがいう。
SILVER EYEが彼を見る。
「飛行能力が優れているのは、一にドライユ、ニにキューブだったっけ」
「トータルでは、とても王族に敵いませんけどね」
灰色がかった瞳のGREY EYEが屈託なく応える。
「話がまとまったな」とBLACK EYEがいう。
「シア、タイミングを取ってくれ」
「それじゃあ・・・」
SILVER EYEが4人の顔を見回す。4人も彼に注視する。
「 ! 」
声にならない合図をきっかけに、全員が軽く屋上の床を蹴る。柵を越え、体が
ツインタワービルの外に飛び出す。ビルから遠くへ、上へと移動していく。
もしも黒沢が高架線の電車内から見ていたら、「光の帯が5本伸びてる ! 」と
叫んだだろう。まさしく、「オーロラたちの饗宴」。
「5人もいると、相乗効果で飛びやすいな。楽だ」BLACK EYEがいう。
「プリンセスを支えるくらい、できますわよ」とかすみ。
「気持ちがいいや」嬉しそうなGREY EYE。
「この種族に生まれてよかった、って思う瞬間だから」弾んだ声で啓二がいう。
「そうだね、本当に」と応えるSILVER EYE。
5人は前になり後ろになりながら、アレキサンドライトに向かって進んでいった。


アレキサンドライト店内の明かりが消え、ドアから白いワンピースの真子が出て
きた。昔と変わらない、20代の姿のまま。ゆっくりと振り返り、道路から店を
見る。
「いつまでも、ここにあって欲しいけどね、アレキサンドライト」
祈るように両手を組む。
「昼の営業と夜間営業。お客さまのいる限り、できるだけのことを。そして、どうか
笑顔でお店を出ていっていただけますように」
秋風にフレアーのスカートが揺れる。
「匠さんのお子さん、継いでくれるかしら。きっと、大丈夫よね」
呼ばれたような気がして、空を仰ぐ。
「真子っ」
マンションの7階辺りの高さにいたSILVER EYEが、ゆっくりと地面に降りてくる。
真子の目の前にストッ、と足を下ろす。
「シアさん」
花が咲くように微笑む真子。彼女の手を取りながら、SILVER EYEがいう。
「みんなで補佐してくれるそうだから、少し飛ばない?」
真子は目を輝かせる。うなづこうとして、はっとなる。
「あの、ねえ・・・お腹に子どもがいても、大丈夫?」
「子ども?」
SILVER EYEがきょとんとする。はにかむ真子。
「ええ、二人目。たぶん、そうだと思うの」
目を見張るSILVER EYE。やがて笑顔になる。
「それは・・・すごい。ありがとう、嬉しいよ」
真子を抱きしめる。ジュルビアンの香りとバラの「真珠」の香りが混ざる。
「飛ぶのは心配いらない。却っていいかもしれないくらいだ」
「そうなの? ジュニアの時、やたら大事にされたんですもの」
「ああ、そうだったね」
上からBLACK EYEの声が降ってくる。
「どうした? 遅いぞ」
「今、行く」
SILVER EYEが応える。
「とにかく、マンションの上までは昇って来いっていわれたよ」
「カーディナル・・・BLACK EYEさんに?」
「そう」
SILVER EYEがあらためて真子の手を取る。社交ダンスの基本のホールド
(組み方)のような形になる二人。
「肩の力を抜いて、リラックスして」
「はい、あなた」
SILVER EYEが軽く地面を蹴り、ゆっくりと二人の体が上がって行く。
「母上?」
啓二が途中まで降りて来て、補佐に回る。かすみ、GREY EYEもそれに加わる。
BLACK EYEはマンションよりも上の空間で待っていた。やれやれという表情。
「結局、みんな甘いわけだ」
かすみがいう。
「みんな、プリンセスが好きですもの」
「お義母さん、どの方向に行きましょうか」
風を読みながらGREY EYEが尋ねる。真子が答える。
「星の多い方へ」
うなづいて、とある方向を指さすGREY EYE。
「あっちですね」
SILVER EYEと真子を中心にして、あとの4人が少し距離を置いて丸く囲むようにし、
飛び始める。
「黒沢さんみたいな知覚能力のある人が見たら、きっと大声をあげるだろうな」
思い出し笑いをしながら、SILVER EYEがいう。
「いいんじゃありません? 眼福で」
真子が微笑む。
ごく限られた者にだけ見えるオーロラを描きながら、彼らは空を舞い続けた。


間奏曲 終わり


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